顔を描かない布の人形「モタンカ」は、どこまでさかのぼれるか
布を巻いて糸で結ぶ人形モタンカは、「魔除けのために顔を描かない」「トリピッリャ文化から続く」と紹介されることがあります。事典と、博物館の所蔵品を記録した論文を読むと、確かめられるのは20世紀の村の人形と、いま作り直されている新しい型でした。
オリュカのひとこと
顔を描かない人形「モタンカ」は、どこまでさかのぼれるのでしょう。最初の見出しで確かめられます。
布を丸めて巻き、糸で結んでつくる小さな人形があります。頭をスカーフで包み、腰にスカートと前掛けを巻き、赤い帯を締める。腕も脚もなく、顔には何も描かない。ウクライナ語で「モタンカ」(мотанка)、または「リャリカ・モタンカ」(лялька-мотанка)と呼ばれる人形です。
この人形は、しばしば「魔除けのために顔を描かない」「トリピッリャ文化までさかのぼる」と紹介されます。以下は、『現代ウクライナ百科事典』(ЕСУ)の「民衆のおもちゃ」の項(2011年)、国の百科事典『大ウクライナ百科事典』(ВУЕ)、国立歴史民族誌保護区「ペレヤスラウ」の研究員が所蔵品について書いた論文(2025年)などの学術論文と、文化省の国内無形文化遺産目録による内容です(2026年9月時点)。この二つの説明がどこから来ているのかも見ます。
「巻く」から来た名前
昔の呼び名と、いまの呼び名
「モタンカ」は、「巻く」を意味する動詞モタチ(мотати)から来た名前です。ペレヤスラウの保護区のナタリヤ・デミャネンコの論文(2025年)は、布を巻いてつくる作り方からこの名前が来た、と書いています。
事典では別の呼び名も使われます。ЕСУの「民衆のおもちゃ」の項は「結び人形」(вузлові ляльки)と書き、ВУЕは見出しを「結び人形」(Вузлова лялька)とし、その別名として「モタンカ」「リャリカ・モタンカ」を挙げています。村では、人形を「ククラ」(кукла)、「バーバ」(баба)とも呼んだ、とЕСУは書いています。
針を使わず、巻いて結ぶ
デミャネンコの論文は、ペレヤスラウの保護区が所蔵する7体のモタンカを記録しています。2009年、保護区の研究員の依頼で、キーウ州のヴィニンツィ村に住む1948年生まれの女性が、1902年生まれの祖母に教わったとおりに作ったものです。
論文によれば、5体は女性の姿で、布を巻いて巻物のような形にし、針を使わずに必要なところを結んでいます。頭はスカーフで包み、腰に布をスカートのように巻き、前に前掛けをつけ、赤い帯を締めています。腕と脚はなく、顔には目鼻がありません。高さは大きいもので33センチ、小さいもので19センチで、大きさは巻いた布の大きさで決まります。残りの2体は、女性のスカーフを巻いて結んだ、おくるみの赤ん坊の姿です。
同じ論文は、この女性の聞き取りとして、子どものころ布の人形を20体ほど持っていて、それぞれに名前をつけていたこと、干し草やわらを束ねてすぐに作れる人形もあったことを記録しています。
オリュカのひとこと
人形には、いくつかの種類があるようです。この見出しで見比べられます。
布、草、麦わら、パン:人形の種類をくらべる
ЕСУは、村で最も広く作られていたのは、布、麦わら、草、トウモロコシでつくる手づくりの人形だったとしています。資料に出てくる人形を並べると、次のようになります。
| 人形 | 材料と形 | 地域・時期 | 典拠 |
|---|---|---|---|
| 色あざやかな結び人形 | 布を巻いて結ぶ | チェルカーシ、ポルタヴァ、キーウの各地方の村で、1960年代まで作られた | ЕСУ |
| 春の儀礼の人形「パニャンカ」 | 草でつくる | キーウ、ヴィーンヌィツャ、ジトーミル、ヴォリーニの各地方 | ЕСУ |
| 刈り入れの祝いの人形 | 麦わらでつくる | 多くの地域 | ЕСУ |
| 女性とおくるみの赤ん坊の人形 | 布を巻いて結ぶ。顔を描かない | ペレヤスラウ地方。2009年に再現して所蔵 | デミャネンコ(2025年) |
| 「ククラ」 | 薄い布にかんだパンを包んで糸で縛り、赤ん坊におしゃぶりとして与える | ペレヤスラウ地方の聞き取り | デミャネンコ(2025年) |
記録に残る人形
人形が文書に出てくる古い例として、ニジン郷土博物館の研究員コゾリスの論文(2025年)は、ヴォリーニの二つの裁判記録を挙げています。1562年に村人が「ククラを持って」隣の村へ行き、殴り合いになったことをめぐる訴えと、1573年に同じように人形を持って村から村へ向かう途中で人々が殴られた、という訴えです。論文は、民族学者ステパン・キルィムニクと歴史家オレスト・レヴィツキーの紹介を通じて、これを復活祭の人形の習わしとしています。ただし、この「ククラ」が布を巻いた人形だったかどうかは、論文の引く記録からはわかりません。
ЕСУ(2006年)によれば、子どもの遊びとおもちゃを調べた最初の人の一人は、いまのチェルカーシ州にあるスボティウ村の司祭マルコ・フルシェウシキーで、1904年に雑誌『キエフスカヤ・スタリナ』第86巻に子どもの遊びの記録を載せました。ЕСУは、彼の著作『ウクライナの民の習わしと信仰の中の子ども』を、子どもの民族誌の最も早い研究の一つとしています。
20世紀の終わりからは、オレクサンドル・ナイデンと画家のリュドミラ・オルロヴァが各地を調べて人形を集め、そのコレクションはキーウの国立おもちゃ博物館にある、とスタフルスカ=コゾリスの論文(2021年)は書いています。ЕСУの「民衆のおもちゃ」の項の執筆者も、このナイデンです。
オリュカ
顔を描かない理由は、どの資料でも同じ説明なのかな。
スウネ
説明は、この見出しの下で聞き取りと研究によって違うようだよ。
タブリ
いくつかの説明が、この見出しの下に並んでいるよ。
顔を描かないのはなぜか
顔のない理由の説明は、資料によって違います。
- デミャネンコの論文(2025年):2009年の聞き取りで、顔の目鼻を通して悪いものが人形に入りこむと考えられていた、村ではいつも邪視(悪い目)が恐れられていた、という説明が記録されている。同じ論文は、ごくまれに顔に十字を縫いつけたり、すすで目鼻を描いたりした例もあったと書いている
- スタフルスカ=コゾリスの論文(2021年):顔のない人形が多いことを、魂についての信仰と結びつけて説明している
- ЕСУ(2011年):顔の有無には触れていないが、1960年代の終わりごろまで村で手づくりされていたおもちゃは、教育や遊びのほかに「お守り」(оберіг)の役目も果たした、と書いている
どの説明も、20世紀後半から21世紀の聞き取りや研究によるものです。この記事で確かめた資料には、19世紀の民族誌が顔のない理由をどう書いていたかを示すものはありませんでした。
「トリピッリャ文化までさかのぼる」は誰の説明か
モタンカの起源を、紀元前の農耕文化であるトリピッリャ文化に結びつける紹介も見かけます。この記事で確かめた事典と論文の中に、そう書いているものはありませんでした。
事典や論文が書いているのは、もっと控えめなことです。ЕСУは、中部ドニプロ地方の結び人形の図像を、おもちゃの中で「最も古風」とし、「春の豊穣の女神の姿を表している」と説明しています。コゾリスの論文は、人形がキリスト教以前の時代に儀礼で大切な役目を持っていたとし、キリスト教以前とキリスト教の信仰が重なった「二重の信仰」の中でとらえています。二重の信仰についてはウクライナの精霊たちの記事で扱っています。いずれも研究者の解釈で、トリピッリャ文化との結びつきを示す一次資料は確認できません。
いま広まっている「クニャヒニャ」
ЕСУによれば、いまウクライナで広まっているのは、中部ドニプロ地方の伝統の図像による結び人形「クニャヒニャ」(княгиня、公妃)の型で、この型をつくったのはS・フルィバク、S・ラク、O・プルィドゥヴァロヴァといった作り手たちです。ほかの型の伝統的な人形をつくる作り手の名前も挙げています。
デミャネンコの論文も、昔の手づくりの人形は日常の暮らしから消え、いまは古老の証言と歴史資料をもとに作り直されている、と書いています。いま目にするモタンカの多くは、村で子どもが遊んだ人形そのものではなく、それを手本にして作られた新しい人形だということになります。
国内の無形文化遺産目録には載っていない
ウクライナ文化省の国内無形文化遺産目録には、2026年6月23日の文化省令第700号で加えられた分まで(保護番号126まで)を見るかぎり、モタンカや人形づくりの項目はありません。
出典と記事の記録
出典・参考資料
- Іграшка народна村の手づくりの人形の材料、「ククラ」「バーバ」の呼び名、中部ドニプロ地方の結び人形と1960年代まで、「最も古風な図像」「春の豊穣の女神」、草の「パニャンカ」、麦わらの人形、1960年代末までのお守りの役目、「クニャヒニャ」の型と作り手。執筆 О. С. Найден、2011年
発行:Енциклопедія Сучасної України(Інститут енциклопедичних досліджень НАН України) 確認日:2026-09-27 - Вузлова лялька(「モタンカ」「リャリカ・モタンカ」を別名とする定義)、Мотанка「結び人形」への参照
発行:Велика українська енциклопедія(Державна наукова установа «Енциклопедичне видавництво») 確認日:2026-09-27 - Дем'яненко Н. Хатні ляльки-мотанки Переяславщини: традиційні риси та особливості(名前の由来、2009年に作られた所蔵品7体〔目録群「Т」〕、作り方、寸法、聞き取り〔20体、名前、干し草の人形、顔を描かない理由、例外、「ククラ」〕、再現の状況)// Історія науки і біографістика. 2025. № 2. С. 304–316. DOI 10.31073/istnauka202502-15
発行:Державна науково-педагогічна бібліотека України імені В. О. Сухомлинського 確認日:2026-09-27 - Козоріз А. В. Лялька-мотанка в контексті народних традицій і сучасних культурних практик(1562年と1573年のヴォリーニの裁判記録、キルィムニクとレヴィツキー、キリスト教以前の儀礼、「二重の信仰」)// Література та культура Полісся. 2025. № 112. С. 217–226. DOI 10.31654/2520-6966-2025-26f-112-217-226
発行:Ніжинський державний університет імені Миколи Гоголя 確認日:2026-09-27 - Stakhurska-Kozoriz A. Ukrainian motanka doll and its world analogues(ナイデンとオルロヴァの調査とコレクション、顔のない人形と魂の信仰)// The European Philosophical and Historical Discourse. 2021. Vol. 7, No. 3. DOI 10.46340/ephd.2021.7.3.9
発行:The European Philosophical and Historical Discourse 確認日:2026-09-27 - Грушевський Марко Федорович1904年の『キエフスカヤ・スタリナ』第86巻の子どもの遊びの記録、『ウクライナの民の習わしと信仰の中の子ども』、民衆のおもちゃの最初の研究者の一人。執筆 М. О. Кучеренко、2006年
発行:Енциклопедія Сучасної України(Інститут енциклопедичних досліджень НАН України) 確認日:2026-09-27 - Національний перелік елементів нематеріальної культурної спадщини України2026年6月の一覧〔保護番号126まで〕と、2026年6月23日の省令第700号の本文。人形・モタンカの項目がないこと
発行:Міністерство культури України 確認日:2026-09-27
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