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文化遺産と博物館
ユネスコの世界遺産・無形文化遺産、国の目録、博物館の収蔵品。何が、どう守られてきたかを扱う記事です。
記事36本
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地図にあるのは1,500km余り。オデーサの地下の石切り場
オデーサの地下に広がる「カタコンベ」は、19世紀前半から町を建てる石を切り出した跡です。よく聞く総延長2,500kmは事典でも見積もりとして書かれ、記述され地図にされた坑道は1,500km余りとされます。呼び名、数字の出どころ、1963年からの自然記念物と化石の洞窟を事典と大学、市の資料から並べます。
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キーウの黄金の門と、1982年の「1500年祭」
キーウの黄金の門は、年代記の1037年の項に初めて現れるヤロスラウ賢公の町の正門です。いま見える塔と教会は、1982年の「キーウ建設1500年」に合わせて廃墟の上に建てられた覆い屋です。事典ごとの呼び方と、「1500年」が何を数えたのかを見ます。
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チェルニーヒウの救世主変容大聖堂と、1036年の年代記
チェルニーヒウ公ムスティスラウが建て始めた救世主変容大聖堂は、1036年の年代記の項に「馬上で手の届く高さ」まで積み上がっていたと書かれています。仕上がった年、「最も古い」という言い方の条件、18世紀の改築と20世紀の保護を、事典と年代記から見ます。
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リヴィウのアルメニア大聖堂と、町のアルメニア人
リヴィウのアルメニア大聖堂は1363年に建て始められ、何世紀にもわたって町のアルメニア人の共同体の中心でした。自分たちの法、ローマとの合同の年をめぐる三つの説、1945年の断絶と2003年の聖別までを、事典と国勢調査から見ます。
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「世界最大」は誰の言葉か。ドニプロのユダヤ・センター「メノラー」
ドニプロに2012年に開いたユダヤ共同体のセンター「メノラー」には、シナゴーグ、博物館、研究所、領事館が入っています。運営する共同体はこれを「世界最大」と呼びますが、比べた基準は示されていません。センターの成り立ちと、カテリノスラウと呼ばれた町のユダヤ人の歴史を、共同体の公表と二つの事典で並べます。
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93か所のブナ林の世界遺産、最も広い一か所はウクライナの森
ヨーロッパブナの森をまとめた世界遺産は、2007年にスロバキアとウクライナの10か所で始まり、2026年9月時点で18か国93か所になりました。ウクライナにある15か所の面積は全体の約3割で、最も広い構成資産はザカルパッチャ州のウホルカ=シロキー・ルーフです。「ヨーロッパ最大」という言い方の出どころもたどります。
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1574年、リヴィウで刷られた『アポストル』と『アズブカ』
1573年2月25日に刷り始め、1574年2月15日に刷り終えた。リヴィウで出た典礼書『アポストル』の奥付には、印刷者イヴァン・フェドロヴィチの来歴が書かれています。同じ年の小さな読み書きの本『アズブカ』とあわせて、中身と残った本、「ウクライナで最初の印刷本」という言い方の条件を見ます。
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1051年、洞窟から始まった修道院。キーウ・ペチェールシク大修道院
年代記は1051年の項に、キーウの丘の小さな洞窟から修道院が始まった物語を置いています。「ラヴラ」の称号を得た年、1615年の印刷所、1718年の火事、1926年の保護区、1941年の大聖堂の爆破まで、事典によって食い違う年も並べながら、年表でたどります。
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コサックの舟「チャイカ」の寸法は、一冊の本から来ている
ザポリッジャのコサックが黒海へ漕ぎ出した舟「チャイカ」。長さや乗員の数の多くは、1660年にルーアンで出たフランス人技師ボープランの本に行き着きます。その本は舟を「チャイカ」とは呼んでいません。舟の作り、事典どうしの数字の違い、ドニプロ川から引き揚げられた舟の扱いを見ていきます。
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火事から14年、ウィーンの設計で建て直されたオデーサの歌劇場
オデーサの劇場は1810年に最初の上演の季節を迎え、1873年に焼けました。いまの建物はウィーンのフェルナーとヘルマーの設計で1887年に開き、沈む地盤と補強の工事を繰り返してきました。三つの事典とユネスコの記載から、年の食い違いも含めてたどります。
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顔を描かない布の人形「モタンカ」は、どこまでさかのぼれるか
布を巻いて糸で結ぶ人形モタンカは、「魔除けのために顔を描かない」「トリピッリャ文化から続く」と紹介されることがあります。事典と、博物館の所蔵品を記録した論文を読むと、確かめられるのは20世紀の村の人形と、いま作り直されている新しい型でした。
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1794年9月2日に港の工事が始まった町、オデーサと自由港の時代
オデーサは、トルコの要塞があったハジベイに1794年、港として造り直された町です。碁盤の目の計画、リシュリュー公の統治、関税のかからない自由港の時代に、小麦の輸出で大きく育ちました。事典の記述と数字、自由港の期間の食い違い、2022年に「創建者たち」の記念碑が下ろされた経緯をまとめます。
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ソ連ウクライナの首都だったハルキウと、デルジプロム
1919年の末から1934年6月まで、ソ連のウクライナの首都はキーウではなくハルキウでした。首都の役所を集めるために建てられたのが、九つの棟を橋でつないだ「デルジプロム」(国家工業の館)です。首都の時代の始まりと終わり、建物の成り立ち、ユネスコの暫定一覧への記載と2024年の被害をまとめます。
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国の映画アーカイブ、ドヴジェンコ・センターの30年
キーウのドヴジェンコ・センターは、1994年の大統領令で生まれたウクライナ最大の映画アーカイブで、2025年1月時点で6万2千点あまりのフィルムを預かっています。何を保管し、何を取り戻してきたか、2022年の「再編」命令と裁判がどう終わったか、2025年に国立の地位が与えられるまでをまとめます。
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諮問機関は「記載の延期」を勧めた。チェルニウツィーの府主教の邸宅
チェルニウツィー大学の本館は、1864年から1882年にかけて建てられたブコヴィナとダルマチアの正教会の府主教の邸宅です。2011年、ユネスコの諮問機関は世界遺産への記載の延期を勧めましたが、世界遺産委員会は記載を決めました。建築家フラーヴカ、邸宅が大学になった経緯、評価が分かれた点をまとめます。
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北極海から2,820km、終点はドナウ河口の村。シュトルーヴェの測地弧
ノルウェーの北の岬から黒海に近いドナウ河口の村まで、2,820キロ余りの子午線を三角形の鎖で測った「シュトルーヴェの測地弧」。1816年から1855年にかけての測量の目的と、2005年に10か国の世界遺産として記載された34地点のうち、ウクライナにある4地点の標識をまとめます。
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刺繍ではなく、織りで模様を出す。クロレヴェツのルシュヌィク
ウクライナ北東部スームィ州の町クロレヴェツでは、儀礼の布ルシュヌィクの赤い模様を、針ではなく機で織り出してきました。「拾い織り」の技法と模様、婚礼や葬儀での使われ方、事典ごとに違う始まりの年、2012年からの国の無形文化遺産一覧と2020年の地理的表示の登録をまとめます。
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夏は森の上で暮らす。フツルの山の放牧とブルィンザ
ウクライナ西部のカルパティア山地では、森の上の草地「ポロニナ」に夏のあいだ羊と牛を上げ、小屋と囲いで暮らしながら乳からチーズのブルィンザを作ってきました。季節の集落の形、1930年代の放牧の規模、国の無形文化遺産一覧への記載、2019年と2020年の地理的表示の登録をまとめます。
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壺と水差しと粘土の動物、ポルタヴァ州オピシュニャの陶器
ポルタヴァ州の町オピシュニャは、質の良い粘土に恵まれ、何百年も陶器を作ってきました。2012年に国の無形文化遺産に定められたオピシュニャの陶器の中身、陶工の一家、1929年の組合に始まり2002年に止まった工場、1986年に生まれた国立の陶芸博物館=保護区をまとめます。ユネスコの一覧には、2026年9月時点で載っていません。
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筆も絵の具も自分で作った画家、カテルィナ・ビロクール
キーウ州の村ボフダニウカで生涯を過ごしたカテルィナ・ビロクール(1900〜1961年)は、学校に通わず、自分で作った筆と絵の具で花を描き始めた画家です。100を超える種類の花を描いた作品、世に出るきっかけになった歌手への手紙、1954年のパリの展示と、よく語られる「ピカソの言葉」の出どころをまとめます。