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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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人物

詩人、作曲家、画家、哲学者、政治家。一人の生涯からウクライナを読む記事です。

記事40本

  1. 文化・歴史/解説

    ウクライナ映画ベスト100の18位、キーウのアニメ『ヴルンゲリ船長の冒険』

    『ヴルンゲリ船長の冒険』は、キーウの撮影所キーウナウクフィルムのアニメーション部門で作られた全13話のシリーズです。監督ダヴィド・チェルカスキーの経歴、監督が足したギャングの筋、資料ごとに違う作品の年、日本では『ほらふき船長航海記』の題で訳された原作、ロシア語の言葉遊びを見ていきます。

  2. 文化・歴史/解説

    1818年のパウロウシキーの文法書は「最初のウクライナ語文法」か

    1818年にサンクトペテルブルクで刊行されたオレクシー・パウロウシキーの『小ロシア方言の文法』は、ウクライナ語の百科事典で「最初の、生きた民衆のウクライナ語の印刷された文法」とされます。16世紀からの文法書と並べ、「最初」の条件、扉と中身、文字 і の使い方、序文に表れた「方言」と「言語」のあいだの揺れをまとめました。

  3. 文化・歴史/解説

    フルーヒウからボローニャへ。18世紀ウクライナの作曲家3人

    1771年、フルーヒウ生まれのベレゾウシキーはボローニャのアカデミア・フィラルモニカの試験に通りました。同じ町に生まれたボルトニャンシキーもイタリアでオペラを上演し、キーウのヴェデリは合唱協奏曲を書きました。宮廷聖歌隊へ少年を送った歌の学校から、事典ごとに違う生年や作品の数まで、3人の歩みを三つの事典と学校の記録からたどります。

  4. 文化・歴史/解説

    記録に残る7年と、語り継がれた話。オプリシュキの頭領ドウブシュ

    18世紀の前半、カルパティアの山地で領主や商人を襲ったオプリシュキの頭領オレクサ・ドウブシュ。「ウクライナのロビン・フッド」とも呼ばれる彼について、事典が記録から書く1738〜1745年の出来事と、1910年に集められた言い伝え、「義賊」という見方の分かれ方を、二つの事典と民俗学の集成から分けてたどります。

  5. 文化・歴史/解説

    公開まで20年待った『短い出会い』と、監督キーラ・ムラトワ

    1967年にオデーサ映画撮影所で完成した『短い出会い』は、およそ20年ほとんど上映されず、1971年の『長い見送り』とともに1987年に公開されました。監督キーラ・ムラトワの生涯を、事典、大統領令、ベルリン国際映画祭の記録で追い、資料ごとに違う年も並べます。

  6. 日本とのつながり/解説

    1920年、敦賀に着いた「未来派の父」。画家ブルリュークの日本の2年

    1920年10月、ハルキウ県生まれの画家ダヴィド・ブルリュークが船で敦賀に着きました。東京の「日本に於ける最初のロシア画展覧会」、小笠原での暮らし、日本の若い画家たちとの共著まで、約2年の足跡を当時の記録を調べた研究と百科事典からたどります。

  7. 日本とのつながり/解説

    大鵬の父から獅司、安青錦まで。相撲協会の記録に見るウクライナ

    昭和の横綱・大鵬の父は、ウクライナの村に生まれた人でした。2026年9月場所の時点で、ウクライナを出身地とする力士は前頭の獅司と大関の安青錦の二人です。日本相撲協会の記録と、大鵬の父をサハリンの公文書からたどった研究をもとに、3人の記録を並べます。

  8. 日本とのつながり/データ・資料

    2012年秋は4人。日本の勲章と外務大臣表彰を受けたウクライナの人

    日本の政府は、日本との交流に功績のあった外国の人に勲章を贈り、外務省は外務大臣表彰を行っています。名簿と大使館の発表で確かめられた2006年から2018年までのウクライナに住む人・ウクライナ国籍の人など15人を、発表の文面の功績とともに並べ、二つの仕組みの違いと、2019年以降の名簿の数を示します。

  9. 日本とのつながり/解説

    1929年、家族と東京へ。ピアニストのレオ・シロタ

    1928年に演奏旅行で来日し、翌1929年から1946年まで日本に住んだピアニスト、レオ・シロタ。東京音楽学校の名簿、当時の年鑑、研究者の論文から、生まれた町の書き方の違い、教えた生徒、日本を離れた日付の食い違いまでをたどります。

  10. 文化・歴史/解説

    1896年9月、ハルキウの行列を撮った1分半。写真家フェデツキー

    1896年9月30日、ハルキウの写真家アルフレッド・フェデツキーは、町を進むイコンの行列を約1分半のフィルムに収めました。12月2日には歌劇場で自作の映像を上映しています。ジトーミル生まれの写真家が映画に関わった1年あまりの記録と、「ウクライナで最初の映画」という言い方が何を数えているのかを、事典と研究書からたどります。

  11. 文化・歴史/解説

    歌、映画、音楽祭、記念日。「チェルヴォナ・ルータ」の56年

    作曲家ヴォロディーミル・イヴァシュクの歌「チェルヴォナ・ルータ」は、1970年9月、チェルニウツィーのテレビ番組で初めて放送されました。1971年には同じ題の音楽映画が作られ、1989年には歌の名を付けた音楽祭がチェルニウツィーで始まっています。2026年5月、最高会議はこの音楽祭の日にちなむ「ウクライナ音楽の日」を定めました。

  12. 文化・歴史/解説

    「怠けは、すべての母」。モノマフが子らに残した『教訓』

    12世紀のキーウの大公ヴォロディーミル・モノマフは、子らへの教えと自分の旅と狩りの記録を一つの文章に残しました。この作品は1377年のラヴレンチー写本にだけ残り、1793年に初めて刊行されています。書かれた年の説と、写本の中の置かれ方を事典と校訂本から見ます。

  13. 文化・歴史/解説

    ウィーン最初のコーヒー店を開いたのは、ユーリー・クルチツキーか

    1683年のウィーン包囲で急使を務めたガリツィア出身の商人ユーリー=フランツ・クルチツキーは、ウクライナの事典では「ウィーン最初のコーヒー店を開いた人」です。ところがウィーン市の歴史事典は、それを伝説とし、1685年に最初の特権を得たのはアルメニア人のデオダートだとしています。三つの資料を並べます。

  14. 文化・歴史/解説

    1883年、ガスプリンスキーが出した新聞『テルジュマン』

    1883年4月10日、クリミアのバフチサライで新聞『テルジュマン』の第1号が出ました。出したのはイスマイル・ガスプリンスキー。クリミア・タタール語とロシア語の紙面は、ロシア帝国のテュルク系の人々にも読まれ、学校の改革の運動とも結びつきました。二つの呼び名、終刊の年、ノーベル賞の推薦の話まで、資料ごとに見ていきます。

  15. 文化・歴史/解説

    1921年の『夜明け前の歌』。日本語で童話を書いたエロシェンコ

    1921年、東京の叢文閣から、目の見えない詩人ヴァスィリー・エロシェンコの童話集『夜明け前の歌』と『最後の溜息』が出ました。1914年から7年間日本にいた彼の日本語の本、中村彝らが描いた肖像、生まれた場所と晩年の経歴で事典が食い違う点を、書誌と事典から見ます。

  16. 文化・歴史/解説

    「マルーシャ」とハルキウの劇場。クヴィトカ=オスノヴヤネンコ

    1834年の『小ロシアの物語』に収められた「マルーシャ」などの物語は、ウクライナ語でまじめな題材が書けることを示したと事典は説明します。作者のクヴィトカ=オスノヴヤネンコは、ハルキウで劇場の支配人も務めた地主でした。生涯と作品の年、ゴーゴリ『検察官』との関係をめぐる説を、二つの事典から見ます。

  17. 文化・歴史/解説

    ヘーチマン・マゼーパの22年と、元禄の日本

    1687年にヘーチマンに選ばれたイヴァン・マゼーパは、1709年まで22年間ウクライナのコサックの国を率い、教会と学校に多くの寄進をしました。同じ年月、日本は元禄から宝永へ。生類憐みの令や赤穂事件と同じ年表に並べ、「裏切り者」という呼び名が誰のものだったかも見ていきます。

  18. 文化・歴史/解説

    スルタンが帰郷を許すオペラ『ドナウの向こうのザポロージェツ』

    1863年、サンクトペテルブルクで初演された喜劇オペラ『ドナウの向こうのザポロージェツ』は、シーチを追われたコサックの物語です。作曲者は自ら主人公を歌った歌手フラク=アルテモウシキー。台本の作者、「最初のウクライナのオペラ」という言い方、史実との違いを、事典と劇場の資料から見ます。

  19. 文化・歴史/解説

    1904年のブレシアで蝶々さんを歌った、ソロミヤ・クルシェルニツカ

    1904年2月にミラノのスカラ座で初演された『蝶々夫人』は、5月にブレシアで手を入れた版が上演されました。そこで蝶々さんを歌ったのが、ガリツィアの村に生まれたソロミヤ・クルシェルニツカです。事典の記述から、その生涯と「作品を救った」という言い方の中身を見ます。

  20. 文化・歴史/解説

    ヘーチマンの力を縛る16か条。1710年、ピリプ・オルリクの「憲法」

    1710年4月、ポルタヴァの敗戦で国を離れたコサックたちが、亡命先のベンデルで新しいヘーチマンとの取り決めを結びました。年3回の総会議、国庫と個人の収入の分離、役職の選挙。ウクライナで「ピリプ・オルリクの憲法」と呼ばれる文書の中身、2008年に見つかった原本、「ヨーロッパ最初の憲法」という評価の出どころを見ていきます。

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