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文化・歴史/解説

歌、映画、音楽祭、記念日。「チェルヴォナ・ルータ」の56年

作曲家ヴォロディーミル・イヴァシュクの歌「チェルヴォナ・ルータ」は、1970年9月、チェルニウツィーのテレビ番組で初めて放送されました。1971年には同じ題の音楽映画が作られ、1989年には歌の名を付けた音楽祭がチェルニウツィーで始まっています。2026年5月、最高会議はこの音楽祭の日にちなむ「ウクライナ音楽の日」を定めました。

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オリュカのひとこと

あの歌は、いつ生まれたのでしょう。最初の見出しで確かめられます。

1970年9月、ブコヴィナ地方の町チェルニウツィーのテレビ番組「カメルトン・ドーブロホ・ナストロユ」(よい気分の音叉)の生放送で、一つの歌が初めて流れました。歌ったのは作者のヴォロディーミル・イヴァシュク(Володимир Івасюк)と、歌手オレーナ・クズネツォワです(ウクライナ公共放送、2021年)。内閣の新聞『ウリャードヴィ・クリエル』(2011年)は、この歌が作者によって初めて歌われた場所を、町の中心のテアトラリナ(劇場)広場としています。

歌の題は「チェルヴォナ・ルータ」(Червона рута)、「赤いルータ」という意味です。この歌は1971年に同じ題の音楽映画になり、1989年には歌の名を付けた音楽祭が始まりました。そして2026年5月、ウクライナ最高会議は、その音楽祭の日にちなむ「ウクライナ音楽の日」を定めています。一つの歌の名前が、56年のあいだに何に付けられてきたかをたどります。

作曲者ヴォロディーミル・イヴァシュク

『現代ウクライナ百科事典』(ЕСУ)の項目(執筆 В. М. セレジンカ)によれば、イヴァシュクはチェルニウツィー州の町キツマニの生まれで、ミハイロ・イヴァシュクの息子です。チェルニウツィーの医科大学で学びながら音楽学校にも通い、1972年にリヴィウへ移って、音楽院と医科大学で学びました。ЕСУ は、フツルやポクッチャの民謡に根ざした旋律と、当時流行したビッグビートのリズムの組み合わせを、その歌の特徴として挙げています。

生まれた日は、事典で分かれます。ЕСУ は1949年3月4日、カナダ・ウクライナ研究所の『Internet Encyclopedia of Ukraine』(IEU、初出1988年)は1949年4月4日としています。

何曲の歌を書いたのか

歌の数も、事典によって違います。IEU は「約50曲」、ЕСУ は「100曲以上」と書いています。IEU は、最初の歌「鶴が飛び去った」が1965年に出たこと、「チェルヴォナ・ルータ」は詞も曲もイヴァシュク自身の作であることを記しています。どこまでを一つの歌と数えたのか(詞だけ・曲だけの作品を含むか)は、どちらの事典も説明していません。

  1. オリュカ

    「赤いルータ」という題は、どこから生まれたのだろう。

  2. ヨリクネ

    着想のもとになった民謡の集成は、この見出しの下にあるよ。

  3. スウネ

    赤く咲くという言い伝えは、ここで挙げた事典に説明が無いと、この節の終わりにあるよ。

「赤いルータ」という題

ルータ(рута)は植物の名前で、IEU は題を英語で「Red Rue」と訳しています。ЕСУ によれば、詞と曲の着想は、民俗学者ヴォロディーミル・フナチュークが『民族誌集』(1905〜1907年、第17〜18巻)にまとめた短い民謡「コロミイカ」の集成から生まれました。フナチュークの別の仕事は動物の昔話の記事で扱っています。

クパーラの夜にだけルータが赤く咲く、という言い伝えが歌の背景として語られることがありますが、ここで挙げた事典には、その説明はありません。

テレビから映画へ

ЕСУ によれば、ヴィジュニツャ地区の文化会館の合奏団「スメリチカ」と、その歌手ヴァシーリ・ジンケヴィチ、ナザリー・ヤレムチュクがイヴァシュクの歌を歌い、1971年と1972年にモスクワのテレビ・フェスティバルで優勝しました。ウクライナ公共放送は、「チェルヴォナ・ルータ」が1971年にソ連の「今年の歌」のコンクールで選ばれたと伝えています。

1971年には、同じ題の音楽映画『チェルヴォナ・ルータ』が作られました。ЕСУ によれば、監督はロマン・オレクシウ、制作はウクルテレフィルムで、歌手ソフィア・ロタルとジンケヴィチが出演しています。

オリュカのひとこと

音楽祭は、どの町から始まったのでしょう。この見出しで確かめられます。

1989年、チェルニウツィーの音楽祭

歌の名を付けた音楽祭「チェルヴォナ・ルータ」は、1989年9月17日から24日までチェルニウツィーで開かれました。チェルニウツィー州国立公文書館のオンライン資料展は、1989年2月28日付の決定「第1回共和国ウクライナ現代歌謡・ポピュラー音楽祭『チェルヴォナ・ルータ』について」と、9月17〜24日の催しの計画書を公開しています。

ウクライナ公共放送の映像アーカイブによれば、音楽祭は9月17日にスタジアム「ブコヴィナ」で始まりました。発案はジャーナリストのイヴァン・レプシャで、1988年に音楽家タラス・メリニク、キリロ・ステツェンコ、アナトリー・カレニチェンコと詩人イヴァン・マルコヴィチが構想をまとめた、と同じアーカイブは説明しています。公文書館の資料展には、音楽祭のあとの9月27日付で、ウクライナ共産党中央委員会がこの音楽祭を批判的に評価した文書も並んでいます。ЕСУ によれば、第1回ではスルジク(ウクライナ語とロシア語の混ざった話し言葉)の歌詞も使われました(スルジクの記事)。

2年に1度の開催地

音楽祭の公式サイトは、音楽祭が2年に1度開かれてきたと説明しています。開催地は次のとおりです。観客数は主催者の発表です。

年開催地典拠・備考
1989年チェルニウツィー観客4万人(主催者)
1991年ザポリッジャ観客6万人(主催者)
1993年ドネツィク観客16万人(主催者)
1995年セヴァストポリ、シンフェロポリ観客25万人(主催者)
1997年ハルキウ、キーウ観客約100万人(主催者)
1999年ドニプロペトロウシク(いまのドニプロ)、キーウ観客約100万人(主催者)
2001〜2007年キーウ(2001・2003・2005・2007年)公式サイト
2009年チェルニウツィー20周年の回(公式サイト)
2011・2013年キーウ公式サイト
2015・2017・2019年—公式サイトに受賞者の一覧がある
2025年リヴィウ9月21日に受賞者のガラ・コンサート(公式サイト)
音楽祭「チェルヴォナ・ルータ」の公式サイトから作成(2026年9月27日確認)。都市名の「ドニプロペトロウシク」は当時の名前。

公式サイトは、2019年の次の受賞者の一覧を2025年としています。2026年は2月から11月まで、24州とキーウ、ワルシャワ、ロンドンで第18回の地区選考が行われ、本選は2027年の予定です(公式サイト、2026年9月時点)。

1979年

ЕСУ は、イヴァシュクが1979年4月24日から5月18日までのあいだに、リヴィウ近郊のブリュホヴィチの森で、解明されていない状況のもとで亡くなったと書いています。5月22日にリヴィウで葬られました。

記念館と「ウクライナ音楽の日」

ЕСУ によれば、ウクライナは1994年にシェウチェンコ国家賞を、2009年に「ウクライナの英雄」の称号を、いずれも没後にイヴァシュクへ贈りました。チェルニウツィーには、一家が1971年から1995年まで暮らした住まいに州立の記念館があり、「チェルヴォナ・ルータ」の自筆譜も所蔵されています(ЕСУ)。

2026年5月27日、最高会議は「ウクライナ音楽の日」を定める決議(登録番号15053)を採択しました。毎年9月の第3土曜日で、日付は1989年の音楽祭「チェルヴォナ・ルータ」にちなむ、と最高会議は説明しています。2026年の9月の第3土曜日は19日です。

出典と記事の記録出典 10件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Івасюк Володимир Михайлович生年月日〈1949年3月4日〉と埋葬の日、学歴、「チェルヴォナ・ルータ」の着想とフナチューク『コロミイカ』、スメリチカとモスクワのテレビ・フェスティバル、1971年の音楽映画〈監督 Р. Олексів、ウクルテレフィルム〉、100曲以上、没した状況の書き方、顕彰と音楽祭〈1989年から〉。執筆 В. М. Селезінка、第11巻2011年、2025年7月改訂
    発行:Енциклопедія Сучасної України(ウクライナ国立科学アカデミー・シェウチェンコ学術協会) 確認日:2026-09-27
  2. Ivasiuk, Volodymyr生年月日〈1949年4月4日〉、1972年からリヴィウ音楽院、約50曲、最初の歌が1965年、「Chervona ruta(Red Rue)」の詞と曲。初出1988年
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-27
  3. Івасюка В. Чернівецький обласний меморіальний музей1995年設立、所蔵する「チェルヴォナ・ルータ」の自筆譜など。執筆 Н. М. Мороз、2011年
    発行:Енциклопедія Сучасної України 確認日:2026-09-27
  4. «Червону руту» не шукай вечорами…2021年5月22日。1970年9月、テレビ番組「カメルトン・ドーブロホ・ナストロユ」の生放送で、イヴァシュクとオレーナ・クズネツォワが歌ったこと
    発行:Суспільне Мовлення(ウクライナ公共放送) 確認日:2026-09-27
  5. А у Чернівцях — пам’ятник українській пісні2011年10月7日。歌がチェルニウツィー中央のテアトラリナ広場で作者によって初めて歌われたこと
    発行:Урядовий кур’єр(内閣の新聞) 確認日:2026-09-27
  6. «Червона Рута» — перший фестиваль української пісні1989年9月17日にチェルニウツィーのスタジアム「ブコヴィナ」で始まったこと、発案と構想の担い手
    発行:Суспільне Медіатека(ウクライナ公共放送の映像アーカイブ) 確認日:2026-09-27
  7. Пісня буде поміж нас: 36 років історії фестивалю «Червона Рута» у Чернівцяхオンライン資料展。1989年2月28日の決定「第1回共和国ウクライナ現代歌謡・ポピュラー音楽祭について」、9月17〜24日の計画、9月27日のウクライナ共産党中央委員会の批判的評価
    発行:チェルニウツィー州国立公文書館(Internet Archive の2026年6月3日の保存版) 確認日:2026-09-27
  8. “Червона рута” — як культурний феномен2年に1度の開催、1989〜1999年の開催地と観客数、2001〜2013年の開催地
    発行:全ウクライナ現代歌謡・ポピュラー音楽祭「チェルヴォナ・ルータ」(公式サイト) 確認日:2026-09-27
  9. 公式サイトのトップ受賞者の一覧の年、2025年の受賞者のガラ・コンサート〈9月21日、リヴィウ〉、第18回の地区選考〈2026年2月〜11月〉と2027年の本選
    発行:音楽祭「チェルヴォナ・ルータ」(公式サイト) 確認日:2026-09-27
  10. Верховна Рада запровадила День української музики2026年5月27日。決議〈登録番号15053〉、毎年9月の第3土曜日、1989年の音楽祭にちなむ日付
    発行:ウクライナ最高会議(公式ポータル) 確認日:2026-09-27

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