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ソ連の時代
ホロドモール、「処刑されたルネサンス」、第二次世界大戦、チョルノービリ。ソ連の一共和国だった約70年の記事です。
記事19本
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壺と水差しと粘土の動物、ポルタヴァ州オピシュニャの陶器
ポルタヴァ州の町オピシュニャは、質の良い粘土に恵まれ、何百年も陶器を作ってきました。2012年に国の無形文化遺産に定められたオピシュニャの陶器の中身、陶工の一家、1929年の組合に始まり2002年に止まった工場、1986年に生まれた国立の陶芸博物館=保護区をまとめます。ユネスコの一覧には、2026年9月時点で載っていません。
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筆も絵の具も自分で作った画家、カテルィナ・ビロクール
キーウ州の村ボフダニウカで生涯を過ごしたカテルィナ・ビロクール(1900〜1961年)は、学校に通わず、自分で作った筆と絵の具で花を描き始めた画家です。100を超える種類の花を描いた作品、世に出るきっかけになった歌手への手紙、1954年のパリの展示と、よく語られる「ピカソの言葉」の出どころをまとめます。
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ウクライナの成績は12点満点、1〜2年生には点数をつけない
ウクライナの学校の成績は1点から12点までで、12点がいちばん上です。12点は「初歩・中程度・十分・高い」の4段階に3点ずつ分かれます。2000年に2〜5点の4段階から切り替わり、2026年には1〜2年生は言葉だけで評価するなどの新しい評価の制度が決まりました。
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碑にユダヤ人と刻まれなかった谷、キーウのバビン・ヤール
1941年9月29日と30日、占領下のキーウの谷バビン・ヤールで、ナチス・ドイツの部隊がユダヤ人を銃殺しました。殺害は2年続き、戦後のソ連は1976年に建てた碑でユダヤ人に触れませんでした。数の出どころ、独立後の保護区、2022年3月1日のロシアのミサイル攻撃までをたどります。
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1946年に消され、43年後に地上へ戻ったギリシャ・カトリック教会
東方の典礼を守りながらローマ教皇と結ぶウクライナ・ギリシャ・カトリック教会は、1596年の合同から始まりました。1946年のソ連による「公会」で解体され、地下で礼拝を続け、1989年に再び認められるまでの歩みと、2025年の調査に表れた信徒の広がりをまとめます。
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公開9日で上映を止められた、ドヴジェンコの映画『大地』
1930年4月8日にキーウで公開されたオレクサンドル・ドヴジェンコの無声映画『大地』は、モスクワの批評家に攻撃され、9日でソ連の映画館から消えました。その夏に西欧で上映されて評価され、1958年にブリュッセルで行われた映画批評家の国際投票では、映画史上の12本の傑作の一つに選ばれています。作品の中身、上映停止までの経過、監督のその後をまとめます。
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1937年秋、サンダルモフで銃殺された1,111人と「処刑されたルネサンス」
1937年10月27日から11月4日、ロシア北西部カレリアの森で、ソロフキの監獄の囚人1,111人がソ連の秘密警察に銃殺されました。演出家レシ・クルバス、劇作家ミコラ・クリーシら、1920年代のウクライナ文化を担った人たちが含まれます。何人がウクライナから来たのかは資料で201人から約300人まで割れます。経過と数字、見つかった後のことをまとめます。
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クリミア・タタール、カライム、クリムチャク。ウクライナの先住民族法
ウクライナは2021年の法律で、クリミア半島で形づくられたクリミア・タタール、カライム、クリムチャクの三つの民族を先住民族と定めました。2026年4月には内閣が、クリミア・タタールの代表機関メジリスに法律上の地位を与えています。ロシアが禁じたメジリスをめぐって国際司法裁判所が何を認め、何を認めなかったかも合わせてまとめます。
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987の町と村が名前を変えた、ウクライナの二つの地名法
ウクライナでは2015年の法律で共産党の指導者などにちなむ地名が、2023年の法律でロシア帝国やロシアの支配を記念する地名が、改称の対象になりました。最初の法律では987の居住地と25の地区が、2024年9月の最高会議の決議では327の居住地と4の地区が名前を変えています。改称の根拠と手続きをまとめます。
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ホロドモールの死者は何人か。推計が260万から500万まで割れる理由
1932〜33年にソヴィエト・ウクライナで起きた人為的な飢饉、ホロドモール。死者数は、2015年の人口学の論文の超過死亡約394万人から、それより少ない推計、多い数字まで、主体によって違います。ウクライナの2006年の法律、各国議会の認定、「評価する立場にない」とした日本政府の答弁までを、誰が何を言ったかを添えてまとめます。
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核兵器が残る新しい国と、日本はどう国交を結んだのか
日本がウクライナを国家として承認したのは1991年12月28日、外交関係を開いたのは翌年1月26日です。当時のウクライナには旧ソ連の戦略核兵器が残っていました。国会の議事録と外交青書から、承認のときに日本が求めたこと、キーウに大使館が開くまでの1年、核兵器の廃棄への協力、1995年の大統領来日までをたどります。
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みんぱくが所蔵するウクライナの刺繍と衣服は、ソ連の時代に来た
大阪の国立民族学博物館(みんぱく)の標本資料目録を「ウクライナ」で引くと120点が出てきます。刺繍の入ったシャツ、帯、タオル、エプロン。119点の地域欄は「ソ連 ウクライナ」で、104点は1981年度にまとめて受け入れられました。目録の外にあるバンドゥーラやチョルノービリの勲章も含め、データベースの記録をたどります。
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旅をした目の見えない歌い手コブザールと、楽器バンドゥーラ
ウクライナの民族楽器バンドゥーラは、フレットがなく1本の弦で1つの音を出す楽器です。この楽器で叙事詩を語り歩いたコブザールは帝政ロシアとソ連の双方で弾圧され、伝統は1930年代に途絶えかけました。2024年、その伝統を守る取り組みはユネスコに選ばれています。
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絵本『てぶくろ』の原題「ルカヴィチカ」とウクライナの昔話
福音館書店の絵本『てぶくろ』は1965年の初版から「ウクライナ民話」と書名に添えています。1956年にはナウカから『テブクロ : ウクライナのおとぎばなし』も出ていました。絵を描いたラチョフはトムスク生まれで、キーウの出版社で挿し絵を始めた画家。昔話、絵本、日本での扱いの三つを書誌でたどります。
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クリミア移管から核兵器の放棄まで、戦後ウクライナの半世紀
1946年の飢饉から、1954年のクリミア移管、1986年のチョルノービリ原発事故、1991年の独立と国民投票、1994年のブダペスト覚書、1990年代のインフレと通貨改革までをたどります。1954年のクリミア移管については、公式に示された二つの理由と、研究者が推定する動機を分けて示します。1991年12月1日の国民投票では、27の行政単位のすべてで、投票した人の過半数が独立に賛成しました。
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ソ連の共和国だった七十年と、その間の日本
ウクライナがソ連の一共和国だった時期のうち、1932年の飢饉から1991年の独立までを、同じ年月の日本と並べます。390万人、33,771人、約20万人という数字が、それぞれ誰によってどう数えられたものかを添えています。
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ウクライナ文学は何から読むか──日本語で読める本をジャンルと時代で
ウクライナ文学を読もうとすると、作品選びの前に「どこまでをウクライナ文学と呼ぶか」という線引きにぶつかります。範囲の決め方を先に示し、日本語訳が出ている本をジャンルと時代で並べました。人名のカナ表記が本によって違う点にも触れます。おすすめ順ではありません。
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「ウクライナ映画」は五つのものを指す──製作国・舞台・作り手
「ウクライナ映画」という言葉は、少なくとも五つの異なるものを指しています。ウクライナで製作された作品、共同製作国のひとつである作品、ウクライナを舞台にした他国の作品、ウクライナ出身の作り手が他国で作った作品、そして旧ソ連期の作品。製作国の記載がわかる作品を例に、分け方と調べ方を示します。
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チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故の原因と現在
1986年4月26日、チョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所で世界最悪の原発事故が発生しました。膨大な量の放射性物質が大気中に放出され、周辺住民は避難を余儀なくされました。 …
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