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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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キーウ・ルーシ

9世紀から13世紀、キーウを中心に栄えた国の時代。聖ソフィア大聖堂や国章の三叉戟もここにさかのぼります。

記事15本

  1. 文化・歴史/解説

    キーウの黄金の門と、1982年の「1500年祭」

    キーウの黄金の門は、年代記の1037年の項に初めて現れるヤロスラウ賢公の町の正門です。いま見える塔と教会は、1982年の「キーウ建設1500年」に合わせて廃墟の上に建てられた覆い屋です。事典ごとの呼び方と、「1500年」が何を数えたのかを見ます。

  2. 文化・歴史/解説

    チェルニーヒウの救世主変容大聖堂と、1036年の年代記

    チェルニーヒウ公ムスティスラウが建て始めた救世主変容大聖堂は、1036年の年代記の項に「馬上で手の届く高さ」まで積み上がっていたと書かれています。仕上がった年、「最も古い」という言い方の条件、18世紀の改築と20世紀の保護を、事典と年代記から見ます。

  3. 文化・歴史/解説

    「怠けは、すべての母」。モノマフが子らに残した『教訓』

    12世紀のキーウの大公ヴォロディーミル・モノマフは、子らへの教えと自分の旅と狩りの記録を一つの文章に残しました。この作品は1377年のラヴレンチー写本にだけ残り、1793年に初めて刊行されています。書かれた年の説と、写本の中の置かれ方を事典と校訂本から見ます。

  4. 文化・歴史/解説

    1051年、洞窟から始まった修道院。キーウ・ペチェールシク大修道院

    年代記は1051年の項に、キーウの丘の小さな洞窟から修道院が始まった物語を置いています。「ラヴラ」の称号を得た年、1615年の印刷所、1718年の火事、1926年の保護区、1941年の大聖堂の爆破まで、事典によって食い違う年も並べながら、年表でたどります。

  5. 人と暮らし/解説

    11月9日から10月27日へ。ウクライナ語の日と、ラジオの書き取り

    ウクライナ語の書き言葉と言葉を記念する日は、1997年の大統領令で年代記作者ネストルの記念日に置かれ、2023年に11月9日から10月27日へ移りました。休みの日ではありません。この日に合わせて2000年から続く、公共放送の「国民統一のラジオ書き取り」の仕組みと、2026年の状況をまとめました。

  6. 文化・歴史/解説

    仇討ちから罰金へ。キーウ・ルーシの法典『ルスカ・プラウダ』

    キーウ・ルーシの法をまとめた『ルスカ・プラウダ』は、原本がなく、1282年の写本をはじめ100を超える写本で伝わります。仇討ちを認めた短い版から、罰金に置き換えた長い版へ。成立をめぐる説、条文の中身、キーウ・ルーシのあとまで使われた経緯を、事典と校訂本からたどります。

  7. 社会を知る/解説

    「ウクライナ国家の日」は、聖ヴォロディーミルの日に置かれた

    ウクライナの祝日「ウクライナ国家の日」は、2021年の大統領令で生まれ、2022年の法律で祝日になり、2023年の法律で7月28日から7月15日へ移りました。なぜキーウ・ルーシの洗礼の日と重ねたのか、なぜ13日早めたのかを、大統領令と法案の説明書からたどります。2026年9月時点の扱いも書きます。

  8. 文化・歴史/解説

    『過ぎし年月の物語』は、1110年代のキーウで3度編まれた

    キーウ・ルーシの歴史を伝える年代記『過ぎし年月の物語』は、12世紀の初めにキーウの修道院で編まれ、数年のうちに3度手を入れられました。原本は残っておらず、いま読めるのは14〜16世紀の写本です。誰が編んだとされるのか、写本はどこにあるのか、年の数え方、日本語訳の書名まで、事典と校訂本からまとめます。

  9. 文化・歴史/解説

    1812年に原本が焼けた叙事詩『イーゴリ遠征物語』

    1185年、ノヴホロド=シーヴェルシキーの公イーホルはポロヴェツとの戦いに敗れて捕らえられました。この負け戦をうたった『イーゴリ遠征物語』は、1795年に写本が見つかり1800年に刊行されたあと、1812年の火事で原本を失いました。作品の中身、偽作をめぐる論争、ウクライナでの読まれ方、日本語訳をまとめました。

  10. 文化・歴史/解説

    キリル文字で署名したフランス王妃、キーウの公女アンナ

    ヤロスラウ賢公の娘アンナは、1051年にランスの大聖堂でフランス王アンリ1世と結婚し、夫の死後は幼い王フィリップ1世の摂政になりました。キリル文字の署名、再婚と破門、わからないままの晩年、そして「国王が誓いを立てた福音書」の話がどこまで確かかをまとめました。

  11. 金地の後陣に立つ、両手を挙げた聖母マリアのモザイク画

    文化・歴史/解説

    1011年か1037年か。キーウの聖ソフィア大聖堂が建った年

    キーウの聖ソフィア大聖堂は、ヤロスラウ賢公の時代に建てられ、11世紀のモザイクとフレスコを今に残しています。ただし建った年は、1037年とする事典と、2011年に創建1000年を祝ったウクライナ政府とで26年違います。バロックの外観の由来、1934年の博物館化、2023年の危機遺産入り、2025年の損傷までをたどります。

  12. 社会を知る/解説

    青と黄の国旗、三叉戟の国章、2003年に歌詞が決まった国歌

    ウクライナ憲法第20条は、国旗・国章・国歌を国家の象徴と定めています。青と黄の国旗と三叉戟の国章は1992年の最高会議の決定で定まり、国歌は1992年に曲だけが承認され、歌詞が法律で決まったのは2003年でした。三叉戟がキーウ・ルーシの貨幣にさかのぼることを含め、それぞれの根拠と由来を説明します。

  13. 赤れんがの城壁と木造の上部構造を持つキーウの黄金の門。頂に金色のドームを持つ教会が載る

    文化・歴史/解説

    キーウ・ルーシから16世紀まで ── ハールィチ・ヴォルィーニと二つの合同

    紀元前5000年ごろのトリピッリャ文化から、黒海沿岸のギリシャ植民市、キーウ・ルーシ、リトアニア大公国、1569年のルブリン合同と1596年のブレスト合同まで、コサックが現れる前のウクライナの地の歴史をたどります。キーウ・ルーシを「単一の古ルーシ民族」の国とする見方は、1930年代にソ連共産党が委嘱した歴史家のパネルが示した公式の枠組みです。フルシェフスキー以来のウクライナ史学は、ハールィチ・ヴォルィーニ公国をキーウ国家の後継とみてきました。

  14. 『源氏物語絵巻』の一場面。室内の貴族の男女を斜め上から描く

    文化・歴史/解説

    平安京から応仁の乱まで、キーウでは何が起きていたか

    794年の平安京遷都から1477年に応仁の乱が終わるまで、同じ年月にキーウとその周辺で何が起きていたかを並べます。キーウ・ルーシの始まりとされる882年は、出来事から二百数十年あとに編まれた年代記に依る年号です。日本史の時代区分も、資料によって始まりの年が違います。

  15. ウクライナってどんな国?文化や歴史について3分でおさらい

    文化・歴史/解説

    ウクライナってどんな国?文化や歴史について3分でおさらい

    ウクライナについて、あなたはどのくらい知っていますか?ウクライナについて基本情報と文化や歴史を記事にまとめました。 ウクライナについての理解を深めましょう。 ウクライナってどんな国…

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