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文化・歴史/解説

1812年に原本が焼けた叙事詩『イーゴリ遠征物語』

1185年、ノヴホロド=シーヴェルシキーの公イーホルはポロヴェツとの戦いに敗れて捕らえられました。この負け戦をうたった『イーゴリ遠征物語』は、1795年に写本が見つかり1800年に刊行されたあと、1812年の火事で原本を失いました。作品の中身、偽作をめぐる論争、ウクライナでの読まれ方、日本語訳をまとめました。

画像:Ukrainavi

オリュカのひとこと

原本が焼けた作品を、いまはどんな本文で読んでいるのでしょう。写本の発見から焼失までを表でたどれます。

1185年の春、ノヴホロド=シーヴェルシキー(Новгород-Сіверський)の公イーホル・スヴャトスラヴィチは、草原の遊牧民ポロヴェツ(クマン人)に向けて兵を出し、大敗して捕らえられました。この一度の負け戦をうたった作品が、日本では『イーゴリ遠征物語』の題で知られる叙事詩です。ウクライナ語では «Слово о полку Ігоревім»(イーホルの軍勢の物語)と呼ばれます。

作者はわかっていません。発見された写本は1812年に焼けてしまい、いま読める本文は1800年の刊本が伝えるものです。そのため、本当に12世紀の作品なのか、という論争が200年以上続いてきました。以下は、アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所(CIUS)の Internet Encyclopedia of Ukraine(IEU)の「Slovo o polku Ihorevi」「Ihor Sviatoslavych」の項目と、国立国会図書館の書誌による内容です(2026年9月時点)。

題材は1185年の負け戦

IEU によれば、イーホル・スヴャトスラヴィチ(1151〜1202年)はチェルニーヒウの公家の出で、1178〜1198年にノヴホロド=シーヴェルシキーの公、1198年からチェルニーヒウの公でした。南ルーシではポロヴェツの襲撃が続いており、イーホルは1185年、キーウの大公に知らせずに遠征を組みます。緒戦には勝ったものの、カヤラ川のほとりで包囲されて敗れ、本人は捕虜になりましたが、のちに逃げ出しました。この敗北のあと、ポロヴェツはペレヤスラウの地方を荒らしたとされます。

作品は、この遠征の準備、三日間の戦い、敗北、イーホルの脱出を順に描きます。ただ、IEU は作品の中心の主題を一人の公の武勲ではなく「ルーシの地の運命」だとしています。作者は、公たちが互いに争い、自分の利益を優先して全体を顧みないことを責めています。キーウ・ルーシの時代の流れはキーウ・ルーシから16世紀までで扱っています。

どんな書き方の作品か

IEU は、作品を叙事と抒情をあわせた書き方だと説明しています。歴史の出来事の合間に、夢、嘆きの歌、主人公の運命に応える自然、公たちの独白が入ります。冒頭では、11世紀の公たちをたたえた歌い手ボヤンが呼びかけられます。自然はしばしば人のように振る舞い、人を助けたり害したりします。

なかでもよく知られるのが、捕らわれた夫を思ってイーホルの妻ヤロスラヴナが城壁の上で風や川や太陽に呼びかける「ヤロスラヴナの嘆き」の場面です。IEU によれば、この部分だけをウクライナ語に移した詩もあり、1860年のタラス・シェウチェンコのものがその一つです(シェウチェンコの記事)。

言葉について IEU は、年代記と同じ当時のルーシの書き言葉に、話し言葉の要素が多く混じると書きます。語彙は900語あまりです。作者の出身は、キーウかチェルニーヒウとみる研究者が多く、ハーリチ(ガリツィア)だとする説もあります。

写本の発見から焼失まで

年出来事
1795年宗務院の総監だったA・ムーシン=プーシキン伯が、ヤロスラヴリ(ロシア)の修道院長ヨイルの蔵書の中から写本を見つける
1800年サンクトペテルブルクで刊行。古文書学者A・マリノフスキーとミコラ・バンティシュ=カメンシキーが協力
1812年モスクワの大火で、写本と刊本の多くが焼ける
1818年K・カライドヴィチが、1307年のプスコフの使徒行伝の書き込みに、この作品から取った一節を見つける
1829年15世紀の作品『ザドンシチナ』が刊行される。『イーゴリ遠征物語』を手本にした作品とされる
Internet Encyclopedia of Ukraine「Slovo o polku Ihorevi」(2016年改訂)をもとに作成。

原本がないまま、写しと刊本だけが残ったことが、このあとの論争の出発点になりました。IEU は、ムーシン=プーシキンが見つけた写本そのものが、すでに何代もの写し手の手を経た写しだった可能性がある、という研究者の見方も紹介しています。本文にある意味の取りにくい箇所は、そう考えると説明がつく、というものです。

オリュカのひとこと

偽作とみる説と本物とみる説は、それぞれ何を手がかりにしているのでしょう。この節の整理で見比べられます。

本物か、18世紀の偽作か

IEU によれば、19世紀の初めから、原本がないことを理由に後の時代の偽作だとみる人がいました。20世紀にはフランスのスラヴ学者アンドレ・マゾンが、修道院長ヨイルかバンティシュ=カメンシキーが書いたと考え、ロシアのA・ジミンも偽作説をとりました。近年では、ハーバード大学ウクライナ研究所が2003年に刊行したエドワード・キーナンの研究が、作者をチェコの学者ヨゼフ・ドブロフスキーだとしています。IEU は、18世紀末の偽作とみる現代の研究者として、キーナンとともにジョージ・グラボヴィチの名も挙げています。

一方で IEU は、研究者の多くは作品を本物(12世紀末の作品)と考えている、とまとめています。その根拠として挙げられているのが、上の表の1307年の書き込みと、15世紀の『ザドンシチナ』が手本にしたことです。どちらも、1795年より前にこの作品が知られていた手がかりとして扱われています。

成立の年と作者についても説が分かれます。IEU によれば、オメリャン・プリツァクは死後の2008年に刊行された研究で、成立を1202年とし、作者をハーリチの貴族ヴォロディスラウ・コルミルチチだとしました。偽作説と真作説のどちらが正しいかは、いまも決着していません。

  • 偽作説:原本が焼けて確かめられない。マゾン、ジミン、キーナン(作者はドブロフスキー)、グラボヴィチなど
  • 真作説(研究者の多数):1307年の書き込み、15世紀の『ザドンシチナ』との関係などを手がかりにする
  • 真作とみる中での違い:成立の年(12世紀末か1202年か)、作者の出身地(キーウ、チェルニーヒウ、ハーリチ)

ウクライナで、どう読まれてきたか

キーウ・ルーシの作品なので、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアのそれぞれが、自分たちの文学に数えてきました。IEU は、政治的な事情からこの分野の研究はロシアの研究者が主導してきたとしつつ、作品がウクライナの地で書かれたことに異を唱えた本格的な研究者はいない、意味の使い方や詩の表現の多くにウクライナ語の特徴がある、と書いています。

研究の歴史にも、ソ連の時代の事情が表れています。IEU によれば、1920年代にはミコラ・スクルィプニクがこの作品をウクライナの作品として認めさせようとしました。しかし1930年代の終わりに、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国ではこの作品の研究が止められ、ソ連科学アカデミーが依頼するロシア語の研究に限られました。独立後のウクライナでは研究が再開し、1999年のパウロ・サレヴィチの注釈つきの訳、2000年のボリス・ヤツェンコの訳と研究、2005年のミハイロ・ブライチェウシキーの研究が出ています。

19世紀のウクライナでは、ミハイロ・マクスィモヴィチがこの作品とウクライナの民衆詩との結びつきを示しました。フィラレト・コレッサは、作品と、のちにドゥーマ(コブザールが歌う叙事の歌)に育った嘆きの歌との関係を示したとされます(コブザールとバンドゥーラ)。

ウクライナ語の訳と、作品から生まれたもの

IEU の一覧では、ウクライナ語の訳・翻案は、イヴァン・ヴァヒレヴィチ(1836年に完成、1884年刊行)から始まり、マクスィモヴィチ(1857年)、イヴァン・フランコ(1873年)、ミハイロ・フルシェウシキー(1923年)、マクスィム・ルィリシキー(1939年)、イヴァン・オヒエンコ(1949年)など、29人にのぼります。

音楽では、ロシアの作曲家A・ボロディンがオペラ『イーゴリ公』に作品のモチーフを使い、ミコラ・ルィセンコは『ヤロスラヴナの嘆き』を書きました(ルィセンコの記事)。美術では、ヘオルヒー・ナルブトやヤキウ・フニズドウシキーなどが作品に題材をとったと IEU は挙げています(ナルブトの記事)。

日本語で読むには

国立国会図書館の書誌では、日本語訳として次のものがあります。どちらも書名に「イーゴリ」とあり、森安達也の本は副題に「ロシア英雄伝」とあります。書名は刊行されたとおりに書いています。「イーゴリ」はロシア語の読みで、ウクライナ語では「イーホル」です。作品が書かれたのは、いまのウクライナ北部を含むキーウ・ルーシの地です。

  • 木村彰一訳『イーゴリ遠征物語』岩波書店(岩波文庫)、1983年
  • 森安達也『イーゴリ遠征物語:悲劇のロシア英雄伝』筑摩書房、1987年

日本でも、偽作かどうかをめぐって、1961年に中村喜和と木崎良平が論文で意見を交わしています(国立国会図書館の書誌による)。ウクライナ文学をどこから読むかはウクライナ文学は何から読むかにまとめています。

出典と記事の記録出典 6件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Slovo o polku Ihorevi写本の発見1795年・1800年刊行・1812年焼失、偽作説と研究者、1307年の書き込み、『ザドンシチナ』、主題、言葉、ソ連期の研究、訳者の一覧、音楽・美術。執筆 Sviatoslav Hordynsky, Marko Robert Stech、2016年改訂
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta) 確認日:2026-09-24
  2. Ihor Sviatoslavych生没年、公位、1185年の遠征と捕囚・脱出
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta) 確認日:2026-09-24
  3. イーゴリ遠征物語木村彰一訳、岩波文庫、1983年4月
    発行:国立国会図書館サーチ 確認日:2026-09-24
  4. イーゴリ遠征物語:悲劇のロシア英雄伝森安達也、筑摩書房、1987年
    発行:国立国会図書館サーチ 確認日:2026-09-24
  5. 「イーゴリ遠征物語」偽作説について:木崎良平氏の論文によせて中村喜和、1961年
    発行:国立国会図書館サーチ 確認日:2026-09-24
  6. 『イーゴリ遠征物語』偽作論について:中村喜和氏の論文によせて木崎良平、1961年
    発行:国立国会図書館サーチ 確認日:2026-09-24

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