キーウ・ルーシから16世紀まで ── ハールィチ・ヴォルィーニと二つの合同
紀元前5000年ごろのトリピッリャ文化から、黒海沿岸のギリシャ植民市、キーウ・ルーシ、リトアニア大公国、1569年のルブリン合同と1596年のブレスト合同まで、コサックが現れる前のウクライナの地の歴史をたどります。キーウ・ルーシを「単一の古ルーシ民族」の国とする見方は、1930年代にソ連共産党が委嘱した歴史家のパネルが示した公式の枠組みです。フルシェフスキー以来のウクライナ史学は、ハールィチ・ヴォルィーニ公国をキーウ国家の後継とみてきました。
ウクライナの地の歴史を、先史時代から1990年代まで四本に分けてたどります。一本目は、コサックが政治勢力になる前、先史時代から16世紀末までです。この時代の年代は資料によって幅があるものが多く、食い違うものは幅のまま示しています。
紀元前5000年から前3000年——トリピッリャ文化
現在のウクライナにあたる地域に、新石器時代から青銅器時代にかけて、トリピッリャ文化と呼ばれる文化がありました。『Internet Encyclopedia of Ukraine』(アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所=CIUS発行)は年代を「およそ紀元前5000年から前3000年」としています。Encyclopaedia Britannica も「紀元前5千年紀にウクライナで生まれた新石器文化」と書いています。
同事典は、この文化の後期に「メガサイト」と呼ばれる大規模集落が現れ、面積は50ヘクタールから200ヘクタール以上、住民は5,000人から15,000人と推定されると書いています。タリャンキ遺跡は約340ヘクタール。いずれも推定であって、確定した人口ではありません。
草原の遊牧勢力と、黒海沿岸のギリシャ都市
黒海北岸の草原では、キンメリア人が紀元前8世紀ごろホメロスに言及され、紀元前7世紀にスキタイ人によって草原から追われました。スキタイ人は紀元前7世紀から前3世紀にかけて南ウクライナの草原を支配し、サルマタイ人が紀元前3世紀にクリミアでスキタイ人を破ります。ここまでは『Internet Encyclopedia of Ukraine』の各項目の記述です。
沿岸のギリシャ植民市は、一度にできたわけではありません。同事典によれば、最古の植民市は紀元前7世紀後半のベレザン島のもので、ほかの多くは紀元前6世紀の建設です。オルビアは紀元前6世紀初めにミレトスからの入植者が建てた都市、ケルソネソスは紀元前422年から421年にヘラクレイア・ポンティケから来たメガラ系ギリシャ人が建てた都市で、ベレザンとケルソネソスの間には二百年以上の差があります。
ケルソネソスの遺跡は2013年にUNESCOの世界遺産に登録されました。UNESCOはこれを「紀元前5世紀にドーリア系ギリシャ人の植民集落として建設された古代都市の遺構」と記しています。
ゴート、フン、アヴァール、ハザール
ゴート人は2世紀後半に南へ移動して黒海に達し、375年にフン人が東ゴートの国家を征服しました。アヴァール人は6世紀半ばにカスピ海西方の草原に現れ、560年代末にカガン国を建てます。ハザール人は4世紀のフン人退去後に東南ヨーロッパに現れ、11世紀までこの地域にいました。『Internet Encyclopedia of Ukraine』は、ハザールのカガン国を「東ヨーロッパで最初の国家」と表現しています。
東スラヴの諸部族について資料が描いているのは、8世紀の時点でこの地域に定着していた姿です。いつごろ広がったのかを世紀で絞った記述は、この記事で引いた資料にはありません。
882年と988年——年代記が伝えていること
882年にオレフがキーウを掌握したという話は、『Internet Encyclopedia of Ukraine』と Britannica の双方が書いています。ただしBritannicaは、これが12世紀にキーウで編まれた『原初年代記』の伝える記述であることを明示しています。882年は年代記が伝える年であって、同時代の独立した記録で裏づけられた出来事ではありません。
988年のヴォロディーミル大公によるキリスト教の受容は、『Internet Encyclopedia of Ukraine』、Britannica、UNESCOの世界遺産の説明がいずれも同じ年を記しています。ヤロスラウ賢公の下で法が『ルーシ法典』として成文化されたことは、『Internet Encyclopedia of Ukraine』が書いています。同事典の「ヤロスラウ賢公」の項目は、彼がスウェーデン王オーロフ・シェートコヌングの娘インギゲルドと結婚し、娘たちをノルウェー王ハーラル3世、フランス王アンリ1世、ハンガリー王アンドラーシュ1世にそれぞれ嫁がせた、と書いています。
キーウの聖ソフィア大聖堂は1990年にUNESCOの世界遺産に登録されました(正式名称は「Kyiv: Saint-Sophia Cathedral and Related Monastic Buildings, Kyiv-Pechersk Lavra」)。UNESCOはこれを「11世紀初頭の建築と記念碑的芸術を代表する主要な建造物のひとつ」とし、「キーウ大公ヤロスラウ賢公の治世に、地元の建設者とビザンツの職人が参加して建てられた」と説明しています。着工年を西暦で特定してはいません。
「単一の古ルーシ民族」は、ソ連が公式化した枠組み
キーウ・ルーシを「現代のウクライナ、ロシア、ベラルーシが共有する中世史」とまとめる言い方は、穏当な整理に見えます。しかしこの言い方は、ソ連の公式史学が定めた一つの枠組みと重なります。
『Internet Encyclopedia of Ukraine』によれば、「キーウ・ルーシは単一の古ルーシ民族によって建てられ、そこから14世紀から15世紀にかけてウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人が分かれた」という枠組みは、1930年代にソ連共産党が委嘱した歴史家のパネルが提示したものです。つまりこれは、党の委嘱を受けて示された、ソ連の公式史学の説明です。この枠組みのもとでは、キーウ・ルーシはウクライナの歴史の始まりではなく、のちに分かれる三つの民族の共通の源とされます。同事典は、フルシェフスキー以来のウクライナ史学が、ハールィチ・ヴォルィーニ公国をキーウ国家の直接の後継とみる立場からこれに反論してきたことも記しています。
この記事は、フルシェフスキー以来のウクライナ史学の見方に沿って、キーウ・ルーシからハールィチ・ヴォルィーニ公国へと続く流れとして、次の節を書きます。
1240年、そしてハールィチ・ヴォルィーニ
キーウは、モンゴル軍が来る前から対立する諸公によって何度も略奪されています。とくに1169年、ウラジーミル・ロストフ・スーズダリのアンドレイ・ボゴリュブスキーによる略奪が記録されています。1236年から40年のモンゴル侵攻が国家を最終的に破壊し、1240年にキーウは徹底的に略奪されました。Britannicaは「13世紀のモンゴル征服がキーウの力を決定的に終わらせた」とするだけで、年までは特定していません。
1199年、ローマン・ムスティスラーヴィチがハールィチ・ヴォルィーニ公国を建てました。その子ダヌィーロは、教皇の支持を得るために教皇を自領の教会の長と認め、1253年に教皇から王冠を受けています。
リトアニア大公国では、ルーシの法と言語が残った
『Internet Encyclopedia of Ukraine』のリトアニアの項目は、この国家について「領域の10パーセントだけがリトアニア人の居住地で、この新しい国家の公的な文化、言語、法典(キーウ・ルーシの『ルーシ法典』)、宗教はルーシ的、すなわちウクライナ・ベラルーシ的なものになった」「正教のリトアニア府主教座が設けられた」と書いています。同事典は、のちにリトアニア・ルーシ系貴族のポーランド化が進んだことも記しています。
1569年と1596年——二つの合同
1569年7月1日に署名されたルブリン合同で、ポドラシェ、ヴォルィーニ、ポジーリャ、ブラツラウ地方、キーウ地方がポーランド王冠領へ移りました。
1596年のブレスト合同(同事典の項目名は「ベレスチャ教会合同」)は、ポーランドとリトアニアのルーシ正教会と聖座との間の合意です。教皇勅書 Decet Romanum Pontificem は1596年2月23日付。同事典は、この系譜が1990年代に現在のウクライナで復活したところまで記しています。現在のウクライナ・ギリシャ・カトリック教会につながる流れです。
都市はひとつの法で動いていなかった
都市自治の制度であるマクデブルク法は、ドイツ人植民者によってこの地域に持ち込まれました。適用はリヴィウが1352年以前、カームヤネツィ・ポジーリシキーが1374年、キーウが1494年などと、都市ごとに時期が違います。
カームヤネツィ・ポジーリシキーには「ウクライナ、ポーランド、アルメニアという三つの別個の民族的法域があった」と同事典は書いています。同じ都市に住んでいても、属する法が違いました。
クリミア・ハン国
成立年は資料で幅があります。『Internet Encyclopedia of Ukraine』は「15世紀半ば以降、ハン国は独立した国家だった」とし、別の項目では1449年に金帳汗国から独立したとしています。Britannicaは1443年の建国とします。この記事は「15世紀半ば」と書きます。
オスマン帝国の宗主権下に入った年は、同事典が1478年、Britannicaが1475年で食い違っています。どちらかに決められないので、この記事は「1470年代」と書きます。
クリミア・タタール人を先住民族と位置づけているのは、ウクライナ最高会議です。2014年3月20日の決議第1140-VII号「ウクライナ国家におけるクリミア・タタール民族の権利の保障に関するウクライナ最高会議声明について」は、「ウクライナは、先住民族としてのクリミア・タタール民族、およびウクライナのすべての少数民族の、民族的、文化的、言語的、宗教的独自性の保持と発展を保障する」と述べ、国連の先住民族の権利に関する宣言への支持も表明しています。国家機関の宣言であって、その主体を書かずに地の文で断定することはしません。
草原での襲撃と奴隷交易が周辺の住民に大きな被害を与えたことは、複数の資料が記しています。ただしその規模を示す数字は、Britannica の「奴隷制」の項目も挙げていません。同項目は大西洋奴隷貿易には具体的な推計値を示す一方、この地域については性格づけにとどめています。この記事でも数字は書きません。
この続き、1648年の蜂起から第一次世界大戦の直前までは、別の記事にしています。
出典・参考資料
- Internet Encyclopedia of Ukraine「Trypillia culture」(紀元前5000年から前3000年という年代、メガサイトの面積50〜200ha・住民5,000〜15,000人の推定、タリャンキ約340haを確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Encyclopaedia Britannica「Trypillya culture」(紀元前5千年紀にウクライナで生まれた新石器文化という記述を確認)
発行:Encyclopaedia Britannica, Inc. 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Cimmerians」(ホメロスへの言及、紀元前7世紀にスキタイ人に追われたことを確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Scythians」(紀元前7世紀から前3世紀の南ウクライナ草原の支配を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Sarmatians」(紀元前3世紀にクリミアでスキタイ人を破ったことを確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Ancient states on the northern Black Sea coast」(最古の植民市はベレザン島で紀元前7世紀後半、他の多くは紀元前6世紀という記述を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Olbia」(紀元前6世紀初めにミレトスからの入植者が建設したことを確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Chersonese Taurica」(紀元前422〜421年、ヘラクレイア・ポンティケからのメガラ系ギリシャ人による建設を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Ancient City of Tauric Chersonese and its Chora(登録年2013年、登録基準(ii)(v)、紀元前5世紀にドーリア系ギリシャ人の植民集落として建設された古代都市の遺構という記述を確認)
発行:UNESCO World Heritage Centre 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Goths」(2世紀後半の南下、375年のフン人による東ゴート国家征服を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Huns」(375年にゴート人とアラン人を破ったことを確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Avars」(6世紀半ばの出現、560年代末のカガン国樹立を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Khazars」(4世紀以降11世紀までの存在、カガン国を「東ヨーロッパで最初の国家」とする記述を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Kyivan Rus’」(882年のオレフ、988年のキリスト教受容、ヤロスラウ賢公による『ルーシ法典』の成文化、1169年の略奪、1236〜40年のモンゴル侵攻と1240年のキーウ略奪、および1930年代にソ連共産党が委嘱した歴史家パネルによる「単一古ルーシ民族」論とウクライナ史学の反論を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Encyclopaedia Britannica「Kyivan Rus」(882年のオレフによるキーウ掌握が12世紀にキーウで編まれた『原初年代記』の伝える記述であること、988年の正教受容、モンゴル征服を13世紀とのみ記していることを確認)
発行:Encyclopaedia Britannica, Inc. 確認日:2026-09-23 - Kyiv: Saint-Sophia Cathedral and Related Monastic Buildings, Kyiv-Pechersk Lavra(1990年登録、11世紀初頭の建築、ヤロスラウ賢公の治世に地元の建設者とビザンツの職人が参加して建てられたという記述、988年の受洗への言及を確認)
発行:UNESCO World Heritage Centre 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Danylo Romanovych」(1240〜41年のモンゴル侵攻によるキーウ・ヴォロディーミル・ハールィチの破壊、1253年の教皇からの戴冠を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Galicia-Volhynia, Principality of」(1199年、ローマン・ムスティスラーヴィチによる建国を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Lithuania」(領域の10パーセントのみがリトアニア人居住、公的な文化・言語・法典・宗教がルーシ的になったこと、正教のリトアニア府主教座、のちの貴族のポーランド化を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Lublin, Union of」(1569年7月1日署名、ポドラシェ・ヴォルィーニ・ポジーリャ・ブラツラウ地方・キーウ地方のポーランド王冠領への移管を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Church Union of Berestia」(1596年の合意、教皇勅書 Decet Romanum Pontificem の1596年2月23日という日付、1990年代の復活までの系譜を確認。項目「Union of Brest」はこの項目への転送のみ)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Magdeburg law」(ドイツ人植民者による導入、適用都市と年、カームヤネツィ・ポジーリシキーの三つの民族的法域を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Crimean Khanate」(15世紀半ば以降の独立国家という記述、オスマン帝国の宗主権下に入った年を1478年とする記述を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Crimean Tatars」(1449年の金帳汗国からの独立、1478年のオスマン帝国の宗主権を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23 - Encyclopaedia Britannica「Khanate of Crimea」(1443年の建国、1475年にオスマン帝国の従属国になったという記述を確認。同事典内部の記述が Internet Encyclopedia of Ukraine と食い違う)
発行:Encyclopaedia Britannica, Inc. 確認日:2026-09-23 - Про Заяву Верховної Ради України щодо гарантії прав кримськотатарського народу у складі Української Держави(Постанова від 20.03.2014 № 1140-VII。クリミア・タタール民族を先住民族(корінний народ)として位置づける文言と、国連先住民族権利宣言への支持表明を確認)
発行:Верховна Рада України(ウクライナ最高会議) 確認日:2026-09-23 - Encyclopaedia Britannica「Slavery」(大西洋奴隷貿易等には具体的推計値を示す一方、クリミア・ハン国については規模の数値を示していないことを確認)
発行:Encyclopaedia Britannica, Inc. 確認日:2026-09-23 - Internet Encyclopedia of Ukraine「Yaroslav the Wise」(執筆: Arkadii Zhukovsky、初出1993年第5巻。インギゲルドとの結婚、娘たちとハーラル3世・アンリ1世・アンドラーシュ1世との婚姻を確認)
発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
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