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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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クリミア

クリミア・ハン国、1954年の移管、2014年からのロシアによる占領、クリミア・タタールの人々。クリミアの記事です。

記事12本

  1. 社会を知る/解説

    Q、Ñ、Ğを含む31文字。クリミア・タタール語のラテン文字

    ウクライナの内閣は2021年9月22日、クリミア・タタール語の字母を31文字のラテン文字で定め、学校の教育を2025年9月1日までに移すよう求めました。アラビア文字からラテン文字、キリル文字へと書き方を変えさせられてきた経緯と、ロシアの法律がキリル文字を強いる占領下のクリミアとの違いをまとめます。

  2. 社会を知る/解説

    ガリツィア(ハリチナ)、ポディッリャ、スロボジャンシチナ。州の名前とは別の地域名

    ガリツィア(ハリチナ)、ヴォリーニ、ブコヴィナ、ドンバス。ウクライナの記事によく出てくる地域の名前は、憲法が定める州とは別のものです。それぞれがいまのどの州に重なるのか、名前の由来、国境をまたぐ地域、占領下にある土地を、カナダ・ウクライナ研究所の事典の記述をもとに表にしました。

  3. 金糸で花の文様を刺繍した赤い布製の袋を、伝統衣装を着た子どもが手にしている

    文化・歴史/解説

    バラは女性、チューリップは男性。クリミア・タタールの文様オルネク

    クリミア・タタールの人々が刺繍や織物、陶器、銀細工に使ってきた文様オルネクは、図柄の一つ一つに意味があり、並べると物語のように読めます。2021年にウクライナの申請でユネスコの無形文化遺産に記載された文様の中身と、ロシアの占領下にあるクリミアで受け継ぐ難しさをまとめます。

  4. 社会を知る/解説

    ロシアの旅券がなければ年金も家も。占領地で押しつけられる国籍

    ロシアは占領したウクライナの地域で、住民にロシアの旅券を取らせる政策を2014年のクリミアから段階的に広げてきました。国連人権高等弁務官事務所の報告は、旅券を持たない人が仕事、年金、医療、財産で不利に扱われている記録を重ねています。ロシアの大統領令の中身と、ウクライナがこの国籍をどう扱っているかをまとめます。

  5. 塔のある赤れんがの宮殿建築。手前に広い芝生の庭

    社会を知る/解説

    クリミア・タタール、カライム、クリムチャク。ウクライナの先住民族法

    ウクライナは2021年の法律で、クリミア半島で形づくられたクリミア・タタール、カライム、クリムチャクの三つの民族を先住民族と定めました。2026年4月には内閣が、クリミア・タタールの代表機関メジリスに法律上の地位を与えています。ロシアが禁じたメジリスをめぐって国際司法裁判所が何を認め、何を認めなかったかも合わせてまとめます。

  6. 日本とのつながり/解説

    クリミアは2014年、4州は2022年。日本はどちらの「併合」も認めていない

    ロシアは2014年にクリミアを、2022年にウクライナ東部・南部の4州を自国に「編入」すると一方的に宣言しました。日本政府はそのたびに外務大臣談話で認めないと表明し、国連総会ではどちらの決議にも共同提案国として加わって賛成しています。談話の文言と国連の議事録から、日本の立場を確かめます。

  7. 日本とのつながり/解説

    ロシア中央銀行も対象に。日本の対ロシア制裁は何を止めているか

    2022年3月1日、日本はプーチン大統領らとロシア連邦中央銀行を資産凍結等の対象にしました。外為法に基づく資産凍結、輸出禁止、輸入禁止に、原油の上限価格と関税の措置が加わり、2026年9月の時点で直近の追加は2025年9月12日です。何が止められているのかを、財務省と経済産業省の公表資料から見ます。

  8. 社会を知る/解説

    24の州、136の地区、1,469のフロマーダで分かれるウクライナ

    ウクライナの地方は、州、地区、フロマーダ(地域共同体)の三つの段に分かれています。いまの形は2020年に決まりました。6月に内閣が24州のフロマーダの領域を承認し、7月に最高会議が地区を490から136に組み替えています。州ごとの数、クリミアの10地区の扱い、戦時下の軍政機関と占領地域の一覧までを見ます。

  9. ウクライナ最高会議議事堂の入口。「ВЕРХОВНА РАДА УКРАЇНИ」の金文字が掲げられている

    文化・歴史/解説

    クリミア移管から核兵器の放棄まで、戦後ウクライナの半世紀

    1946年の飢饉から、1954年のクリミア移管、1986年のチョルノービリ原発事故、1991年の独立と国民投票、1994年のブダペスト覚書、1990年代のインフレと通貨改革までをたどります。1954年のクリミア移管については、公式に示された二つの理由と、研究者が推定する動機を分けて示します。1991年12月1日の国民投票では、27の行政単位のすべてで、投票した人の過半数が独立に賛成しました。

  10. 赤れんがの城壁と木造の上部構造を持つキーウの黄金の門。頂に金色のドームを持つ教会が載る

    文化・歴史/解説

    キーウ・ルーシから16世紀まで ── ハールィチ・ヴォルィーニと二つの合同

    紀元前5000年ごろのトリピッリャ文化から、黒海沿岸のギリシャ植民市、キーウ・ルーシ、リトアニア大公国、1569年のルブリン合同と1596年のブレスト合同まで、コサックが現れる前のウクライナの地の歴史をたどります。キーウ・ルーシを「単一の古ルーシ民族」の国とする見方は、1930年代にソ連共産党が委嘱した歴史家のパネルが示した公式の枠組みです。フルシェフスキー以来のウクライナ史学は、ハールィチ・ヴォルィーニ公国をキーウ国家の後継とみてきました。

  11. チョルノービリ原子力発電所の敷地を横に見渡したパノラマ。左に建設途中の新しい閉じ込め構造物、中央付近に4号機

    文化・歴史/解説

    ソ連の共和国だった七十年と、その間の日本

    ウクライナがソ連の一共和国だった時期のうち、1932年の飢饉から1991年の独立までを、同じ年月の日本と並べます。390万人、33,771人、約20万人という数字が、それぞれ誰によってどう数えられたものかを添えています。

  12. 国連本部の総会議場。正面の演壇と国連の紋章、並んだ議席

    社会を知る/データ・資料

    ウクライナの独立とロシアによる侵略の年表 1991〜2026年

    1991年8月24日の独立宣言から、2026年8月2日に始まった戒厳令の延長まで。国連総会と安全保障理事会の決議、国際司法裁判所と国際刑事裁判所の記録、ウクライナの大統領令と法律に日付が書かれている出来事を年表にしました。戦況は扱いません。法的な評価は、その評価を下した主体とともに書いています。

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