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文化・歴史/解説

1812年、クリミアの南岸に始まったニキータ植物園

クリミア半島の南の海岸、ヤルタの東にあるニキータ植物園は、1812年に始まった植物の研究機関です。初代の園長スティーヴンの経歴、果樹やぶどうの学校を開いた19世紀から、ソ連の時代、独立後のウクライナ農業科学アカデミーまでの年表と名前の移り変わりをまとめます。

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オリュカのひとこと

クリミアの植物園は、何のために始まったのでしょう。最初の見出しで確かめられます。

クリミア半島の南の海岸、ヤルタの町から東へ4.5kmほどのところに、ニキータ植物園(Нікітський ботанічний сад)があります。アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所(CIUS)の『Internet Encyclopedia of Ukraine』(IEU)は、この園を1812年に始まった研究機関とし、地中海やアジアの役に立つ植物、美しい植物を集め、南の地方に広げるための園だったと説明しています。

植物を集めて育て、果樹やぶどう、薬草の品種を選び、農業の学校を開く。200年あまりのあいだに、園の仕事と所属は何度も変わりました。園を始めた人、年表、名前の移り変わりを、2026年9月時点で読める資料から見ていきます。クリミアの地形はウクライナの国土と水の記事、クリミアの先住民族については先住民族法の記事で扱っています。

植物を集め、南の地方へ広げるための園

IEUによれば、園を始め、1812年から1826年まで初代の園長を務めたのは、植物学者クリスティアン・フォン・スティーヴンです。スティーヴンは、ロシア帝国の南部で養蚕を監督する役人でもありました。園づくりを後押ししたのは、当時「新ロシア」と呼ばれた南部の総督、リシュリュー公(アルマン=エマニュエル・デュ・プレシ)だったと、IEUは書いています。

園では、果樹の品種の収集(1817年)、園芸の学校(1823年。1921年に閉鎖)、ぶどう園とワイン造りの学校(1828年)、たばこや薬草の畑、植物学の資料室と気象観測所(1908年)が次々に作られた、とIEUは続けます。ヤルタの項でもIEUは、この園とワイン造りの学校が、南の海岸に広がったぶどう園やたばこ畑に専門の手引きを与えたと書いています。

  1. オリュカ

    園を始めた人の経歴は、資料によって違うのかな。

  2. スウネ

    二つの資料で違う所が、この見出しの下の二つ目の段落に並べてあるよ。

  3. ヨリクネ

    園の名前が時代ごとにどう変わったかは、この先の見出しへ寄り道すると分かるよ。

初代園長スティーヴンの経歴は、資料でどう違うか

ロンドン自然史博物館が作成した植物採集者の記録(JSTOR Global Plants で公開)は、スティーヴンの生没年を1781〜1863年とし、フィンランドのハミナで生まれ、イエナとサンクトペテルブルクで学び、1798年にサンクトペテルブルクで医学の博士号を得たと書いています。その後、養蚕の監督の仕事でカフカスやクリミアに移り、亡くなるまでシンフェロポリを拠点にしました。集めた昆虫の標本はモスクワ大学に、植物の標本は1861年にヘルシンキ大学に渡ったといいます。

二つの資料には違いもあります。園長を務めた期間を、IEUは1812〜1826年、自然史博物館の記録は1827年までとしています。また学んだ場所を、IEUは「スウェーデンとドイツ」、自然史博物館の記録は「イエナとサンクトペテルブルク」と書いています。IEUはスティーヴンを「スイス系」とし、自然史博物館の記録は「フィンランドの植物学者」と書いています。

オリュカのひとこと

この園の歩みは、どう続いてきたのでしょう。この年表で確かめられます。

園の200年の年表

年出来事典拠
1812年園ができる。初代の園長はスティーヴンIEU、ロンドン自然史博物館の記録
1817年果樹の品種の収集を始める(IEUはロシア帝国で最初の果樹学のコレクションとする)IEU
1823年園芸の学校を開く(1921年に閉鎖)IEU
1827年ハルトヴィスが園長になる(1860年まで)IEU
1828年ぶどう園とワイン造りの学校を設けるIEU
1890年園の紀要(のちの研究報告集)の刊行を始めるIEU
1908年植物学の資料室と気象観測所を設けるIEU
1920年面積はおよそ136haIEU
1924年ソ連全体の研究機関に指定されるIEU
1973年マルチヤン岬の自然保護区ができる(園の管轄)IEU
1991年以後ウクライナ農業科学アカデミーの機関になるIEU
1996年サボテンと多肉植物の温室を設けるIEU
2000年名前が「ニキータ植物園-国立科学センター」になる国立農業科学アカデミーの会員紹介
IEU「Nikita Botanical Garden」(2024年更新)ほか各資料の記載による(2026年9月27日確認)。1827年のハルトヴィスの就任は、IEUが1827〜1860年を在任期間としていることによる。

ソ連の時代には、園はソ連の農業省と全連邦農業科学アカデミーの下で広がり、面積は1,000ha近く、職員は1,300人に達したとIEUは書いています。研究の部門と実験室は15、付属の実験農場は4か所で、1980年代には約120人の研究者が、観賞用の植物、果樹やナッツの木、薬草、香料の原料になる植物などを、ウクライナ南部やモルドバ、カフカス、中央アジアに広げるための研究をしていました。

独立後の園について、IEUは、集めた植物の種・品種・雑種が5万を超え、図書館の蔵書は20万7,700点あまり、クリミアの植物の標本は12万1,446枚を超えたと書いています。

園と村の名前の移り変わり

園の名前は、所属とともに変わってきました。ウクライナ国立科学アカデミーの研究所が編む『現代ウクライナ百科事典』(ЕСУ、第23巻、2021年)によれば、園は1812年に「クリミア官営園」(Кримський казенний сад)として始まり、1820年から「帝国ニキータ植物園」、1912年から「帝国ニキータ園」、1920年から「ニキータ植物園」と呼ばれました。1922年から国立の園となり、1935〜1957年にはモロトフの名を冠していた、とЕСУは書いています。

独立後については、ウクライナの国立農業科学アカデミーの会員紹介によれば、1999年の時点で園は「国立ニキータ植物園」(Державний Нікітський ботанічний сад)としてウクライナ農業科学アカデミーに属し、2000年から「ニキータ植物園-国立科学センター」(Нікітський ботанічний сад — Національний науковий центр)と名乗っています。ウクライナの国の百科事典『大ウクライナ百科事典』(ВУЕ)も、2026年9月時点でこの名前を見出しにしています。

園のある村の名前も一度変わりました。IEUによれば、ニキータ村は1971年から1991年まで「ボタニチネ」(Ботанічне、「植物の」という意味の地名)と呼ばれ、その後もとの名前に戻っています。

2014年からのロシアによる占領のもとで

IEUによれば、2014年にロシアがクリミアを占領したあと、ロシアが置いた占領当局(IEUの表記では「クリミア共和国」)が園を自らの「教育・科学・青年省」の下に移し、園はさらに2015年にロシア科学アカデミー、2018年にロシアの科学・高等教育省の管轄に置かれました(ЕСУはロシア科学アカデミーへの編入を2014年とします)。ウクライナの法律「一時的に占領された領域における市民の権利と自由の保障と法的な体制について」(第1207-VII号)第9条は、法律に基づかずに占領地で作られた機関の決定を無効としていて、2026年9月時点で、ウクライナの国立農業科学アカデミーは園を自らの植物栽培部門の機関の一つとして掲げています(ロシアによるクリミアの「併合」を日本が認めていないことは日本の立場の記事)。

出典と記事の記録出典 9件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Nikita Botanical Gardenヤルタの東4.5km、1812年の設立、スティーヴン〈1812〜26年〉、リシュリュー公、1817・1823・1828・1908年の施設、ハルトヴィス〈1827〜60年〉、1890年の紀要、1920年の136ha、1924年、ソ連時代の規模、1973年のマルチヤン岬、独立後のUAAN、5万超の収集、蔵書20万7,700点、標本12万1,446枚、1996年の温室、ニキータ村の改称〈1971〜91年〉、2014年以降の占領当局による管轄の変更。執筆 Ihor Stebelsky、2024年更新
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-27
  2. Botanical gardenヤルタのニキータ植物園は1812年設立。紙の第1巻〈1984年〉の再録
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-27
  3. Yaltaニキータ植物園〈1812年〉とワイン造りの学校が南の海岸のぶどう園などに手引きを与えたこと
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-27
  4. Steven, Christian von (1781-1863)ハミナ生まれ、イエナとサンクトペテルブルクで学び1798年に医学博士、養蚕の監督、1812年にニキータ植物園を創設し1827年まで園長、シンフェロポリ、標本の行き先
    発行:Natural History Museum (BM)/JSTOR Global Plants 確認日:2026-09-27
  5. ЄЖОВ Валерій Микитович1999年から「Державний Нікітський ботанічний сад УААН」の所長、2000年から「Нікітський ботанічний сад — Національний науковий центр」
    発行:Національна академія аграрних наук України 確認日:2026-09-27
  6. Відділення НААН植物栽培部門の機関として「Нікітський ботанічний сад – Національний науковий центр」を掲げる
    発行:Національна академія аграрних наук України 確認日:2026-09-27
  7. Нікітський ботанічний сад「Нікітський ботанічний сад — Національний науковий центр НААН України」、смт Нікіта
    発行:Велика українська енциклопедія(国立学術機関「百科事典出版所」) 確認日:2026-09-27
  8. Закон України «Про забезпечення прав і свобод громадян та правовий режим на тимчасово окупованій території України» № 1207-VII2014年4月15日。第9条。2024年5月19日の版
    発行:Верховна Рада України(法令データベース) 確認日:2026-09-27
  9. Нікітський ботанічний сад НААНУ1812年にスティーヴン〈園長〉が「Кримський казенний сад」として創設、1820年・1912年・1920年・1922年・1935〜57年の名前、2000年から国立科学センター、1973年のマルチヤン岬、所長 В. Єжов〈1999〜2014年〉、2014年にロシア科学アカデミーへ。著者 В. М. Єжов、М. П. Литвинов。第23巻、2021年12月
    発行:Енциклопедія Сучасної України(ウクライナ国立科学アカデミー百科事典研究所) 確認日:2026-09-28

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