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社会を知る/解説

地図にあるのは1,500km余り。オデーサの地下の石切り場

オデーサの地下に広がる「カタコンベ」は、19世紀前半から町を建てる石を切り出した跡です。よく聞く総延長2,500kmは事典でも見積もりとして書かれ、記述され地図にされた坑道は1,500km余りとされます。呼び名、数字の出どころ、1963年からの自然記念物と化石の洞窟を事典と大学、市の資料から並べます。

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オリュカのひとこと

オデーサの地下の坑道は、何の跡なのでしょう。最初の見出しで確かめられます。

オデーサの地面の下には、石を切り出したあとの坑道が網の目のように広がっています。「オデーサのカタコンベ」(Одеські катакомби)と呼ばれるものです。総延長は「2,500km」とよく言われますが、この数字は測った長さではありません。

ここでは、『現代ウクライナ百科事典』(ЕСУ。「オデーサのカタコンベ」の項、執筆 Т. В. クリリ、2022年12月)、ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所の『ウクライナ歴史百科事典』(ЕІУ。同じ名の項、執筆 О. А. バチンシカ、2010年)、カナダ・ウクライナ研究所の Internet Encyclopedia of Ukraine(IEU)の「オデーサ」の項、オデーサ国立大学の地下保護区の案内、オデーサ市議会が公開している市の発展戦略の案、ユネスコ世界遺産センターの頁から、坑道のでき方と数字の出どころを並べます。坑道への入り方や見学の案内は扱いません。

町を建てた石の跡

ЕСУ によれば、坑道はオデーサ市内と、ウサトヴェ、ネルバイシケ、イヴァノヴェ、ヴェルィーキー・ダリヌィクなど周辺の村々の地下にあります。できたのは19世紀前半、町が急いで建てられていった時期です(ЕСУ、ЕІУ)。オデーサの町の成り立ちはオデーサの始まりの記事で扱っています。

切り出したのは、ウクライナ語で「ラクシニャク」(ракушняк)と呼ばれる貝殻の多い石灰岩です。ЕСУ は、かつてのポントス海でできたこの石(ポントス階の石灰岩)を地下へ掘り進み、「イギリスのこぎり」などで切れ目を入れ、バールで割り取って、売り物の大きさの石材に切り分けたと書いています。形のゆがんだ屑石は塀に使われました。ЕІУ は、坑道のおよそ95%が建築用の石を取った石切り場の跡だとしています。

ЕСУ によれば、坑道の深さは1.5mから40mまであり、断面は平均で高さ1.8m、幅3.5mほどです。町の中心の浅いところ(10mより浅い層)には、黄土に似た粘土層を掘った別の坑道もあります。ソ連の時代には、市内で石を掘ることが禁じられました(ЕСУ、ЕІУ。禁止の年は書かれていません)。

  1. オリュカ

    「カタコンベ」という呼び名は、この坑道に合っているのかな。

  2. ヨリクネ

    ローマなどのカタコンベとの違いと、別の呼び方のほうが正確だという見方が、この見出しの下にあるよ。

  3. タブリ

    坑道で使われた独特の呼び名も、この見出しの下の二つ目の段落に並んでいるよ。

「カタコンベ」と「地下の石切り場」

「カタコンベ」は、もとはローマなどの地下墓地を指す言葉です。ЕСУ は、ローマやウィーンのカタコンベが埋葬や祈りの場だったのに対し、オデーサの坑道は粘土や石材を取るため、また隠れ場所や避難所をつくるために掘られたと書き、「カタコンベ」という言い方は実態を表しておらず、「地下の石切り場」(підземні каменоломні)のほうが正確だという見方を紹介しています。

坑道にまつわる言葉にも、独特の呼び名があります。ЕСУ は、黄土に似た粘土層の浅い坑道を「ミーヌィ」(міни)、切り出して売る石材を「シトゥカ」(штука)、ゆがんだ屑石を「ブト」(бут)と呼んだと書いています。

オリュカのひとこと

よく聞く長さの数字は、誰が出したものなのでしょう。この見出しで確かめられます。

2,500kmは誰の数字か

総延長の数字は、資料によって書き方が違います。

資料総延長についての書き方測った長さについての書き方
ЕІУ(2010年)「坑道の総延長は2.5千kmとされる」記載なし
ЕСУ(2022年)「さまざまなデータによって2.5〜3.0千kmと見積もられている」記述され地図にされた坑道は1.5千km余り
IEU(「オデーサ」の項)数字なし。建築用の白亜(chalk)の採掘が「地下のトンネルの迷路」を生んだと書く記載なし
オデーサ市の発展戦略の案(2026年)「総延長は最大3千km」記載なし
各資料の記載から作成(2026年9月28日確認)。どの資料も、2.5千kmや3千kmの見積もりを誰が、いつ出したのかは書いていない。

二つのウクライナの事典は、どちらも2,500kmを「測った長さ」としてではなく、見積もりとして書いています。ЕСУ によれば、実際に記述され、地図に描かれた坑道は1,500km余りです。見積もりを出した人や年は、どちらの事典にも書かれていません。オデーサ市議会が公開している市の発展戦略(2027年まで)の案は、貝殻石灰岩の採掘でできた坑道の総延長を「最大3千km」と書いていますが、こちらも数字の出どころは示していません。

「世界最大の地下迷路」という言い方

オデーサの坑道を「世界最大の地下迷路」と紹介する文章もあります。ここで挙げた三つの事典には、世界やヨーロッパの中で比べた順位は書かれていません。オデーサ市の発展戦略の案は、坑道を「世界で最も大きいものの一つ」と書いていますが、何と何を比べたのかは示していません。ЕСУ が比べているのは、長さではなく、ローマやウィーンの地下墓地との成り立ちの違いです。

自然の記念物と大学の地下保護区

坑道の一部は、国の自然の記念物になっています。ЕСУ によれば、オデーサのマリノウシキー地区の地下、深さおよそ15mにある坑道と、鮮新世の動物の化石が残るカルストの洞窟「ザポヴィドナ」は、1963年から全国的な意義をもつ地質の自然記念物「オデーサのカタコンベ」(4.67ha)とされ、オデーサ国立大学が使っています。ЕСУ は、このほかにも坑道の一部が地方的な意義をもつ歴史・科学・技術の記念物になっているとしています。ウクライナの保護区と自然記念物の全体は保護区の記事で読めます。

  1. オリュカ

    化石の洞窟は、いつ見つかって、どう守られてきたのかな。

  2. タブリ

    見つかってから調査が始まるまでの順番は、この見出しの下の年表でたどれるよ。

  3. ヨリクネ

    見つかった動物の化石の話は、年表のすぐ後の段落へ寄り道できるよ。

化石の洞窟の年表

年出来事典拠
19世紀前半町の建設のために石切り場が掘られ始めるЕСУ、ЕІУ
1929年Т. Г. フルィツァイの調査隊が坑道を調べ、化石を含むカルストの洞窟を見つけるオデーサ国立大学
1932年洞窟で化石の発掘が始まるオデーサ国立大学
1963年地質の自然記念物「オデーサのカタコンベ」になるЕСУ、ЕІУ、オデーサ国立大学
1968年オデーサ国立大学の地下古生物保護区ができるオデーサ国立大学
1980年洞窟が「ザポヴィドナ」と名づけられるオデーサ国立大学
2001年骨の年代が約370万年前と定まるオデーサ国立大学
2017年地盤・地下水・環境の総合的な調査が始まる(観測用の井戸2本)オデーサ国立大学
ЕСУ(2022年)、ЕІУ(2010年)、オデーサ国立大学の地下古生物保護区の案内(2022年2月14日掲載)から作成(2026年9月27日確認)。

大学の案内によれば、洞窟からはこれまでに46種、5万点を超える動物の骨が見つかっています。マストドン、エトルリアサイ、2種のサーベルタイガー、ヒトコブラクダ、大型のダチョウなどです。

地盤と建物への影響

坑道は、町の地盤にも関わっています。ЕСУ は、坑道の上の地層に水がしみ込んだり、坑道が水につかったりすると、石灰岩が溶けて土が流れ出す現象が強まり、地面が沈んだり陥没したりして、建物がゆがむことが多いと書いています。陥没が起きやすいのは、主に坑道が深さ4mまでの浅いところにある場合です。ЕІУ も、石切り場の存在が地面の沈下と建物の崩れを招くようになったと書いています。ЕСУ は、ルーマニアのヴランチャ地域に近く、地震が比較的多いことが、陥没の危険を強めているとも指摘しています。

オデーサ市の発展戦略の案も、坑道が古くなったことと町への負荷の高まりで、ここ数十年のあいだに坑道の状態が悪くなっていると書いています。案は、住宅の下の坑道と「ミーヌィ」を補強する量の目標を、2025年の年1,558立方メートルから、2027年に年2,000立方メートルへ増やすとしています。

第二次世界大戦のあいだ

第二次世界大戦のあいだ、坑道はルーマニアの占領に抵抗したソ連のパルチザンの隠れ場所になり、ЕІУ によれば、その多くが逮捕され処刑されました(ЕСУ、ЕІУ)。

世界遺産の町の地下で

ユネスコ世界遺産センターの頁によれば、オデーサの歴史地区は2023年に世界遺産一覧表と危機遺産リストに記載されました。その経緯はウクライナの街と世界遺産の記事、町の歌劇場の建物はオデーサの歌劇場の記事で扱っています。地上の町並みと、その石を切り出した地下の坑道は、同じ19世紀の建設の二つの面です。

出典と記事の記録出典 6件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Одеські катакомби所在の村、19世紀前半の成立、深さと断面、記述・地図化された1.5千km余りと2.5〜3.0千kmの見積もり、「地下の石切り場」という呼び方、石の切り出し方と呼び名、地盤の沈下・陥没、ソ連時代の採掘禁止、第二次世界大戦中の避難所、地方的な記念物、1963年からの地質の自然記念物〈4.67ha〉。執筆 Т. В. Кріль、第24巻、2022年12月。2025年12月12日の保存版で閲覧。照合時〈2026-09-28〉も現行の頁は429
    発行:Енциклопедія Сучасної України(НАН України, НТШ) 確認日:2026-09-27
  2. ОДЕСЬКІ КАТАКОМБИ総延長2.5千km、約95%が石切り場、19世紀前半の成立、地盤沈下、ソ連時代の採掘禁止、パルチザン、1963年からの自然記念物。執筆 О. А. Бачинська、Т. 7、2010年
    発行:Енциклопедія історії України(Інститут історії України НАН України) 確認日:2026-09-27
  3. Odesa地理の節:建築用の白亜の採掘が地下のトンネルの迷路を生んだこと
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-27
  4. Підземний палеонтологічний заповідник (Одеські катакомби)1963年の自然記念物、1968年の保護区の設置、1929年のフルィツァイの調査隊、1932年からの発掘、46種・5万点超の骨、1980年の洞窟の命名、2001年の年代測定、2017年からの調査。2022年2月14日掲載
    発行:Одеський національний університет імені І. І. Мечникова 確認日:2026-09-27
  5. Стратегія розвитку територіальної громади міста Одеси до 2027 рокуПроєкт。PDF の作成は2026年1月15日。市内の国の意義の自然保護区域3件に「Одеські катакомби」、坑道は「одними з найбільших у світі」、「загальною довжиною до 3 тис. км」、住宅の下の「мін」と坑道の補強量 2025年1,558㎥→2027年2,000㎥
    発行:Одеська міська рада 確認日:2026-09-28
  6. Historic Centre of Odesa登録2023年、基準(ii)(iv)、資産618.54ha、危機遺産リスト 2023年〜現在
    発行:UNESCO World Heritage Centre 確認日:2026-09-28

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