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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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ロシア帝国とハプスブルク帝国の時代

二つの帝国に分けられた18世紀末から第一次世界大戦まで。言葉の禁止と、そのなかで育った文学・音楽の記事です。

記事14本

  1. 文化・歴史/解説

    諮問機関は「記載の延期」を勧めた。チェルニウツィーの府主教の邸宅

    チェルニウツィー大学の本館は、1864年から1882年にかけて建てられたブコヴィナとダルマチアの正教会の府主教の邸宅です。2011年、ユネスコの諮問機関は世界遺産への記載の延期を勧めましたが、世界遺産委員会は記載を決めました。建築家フラーヴカ、邸宅が大学になった経緯、評価が分かれた点をまとめます。

  2. 文化・歴史/解説

    1817年に閉じられ、1991年に戻った学校。キーウ・モヒラ・アカデミー

    1615年に寄進された屋敷で始まった兄弟団の学校は、1632年にペトロ・モヒラのもとで学院になり、ヘーチマンや聖職者を育てました。ロシア帝国のもとで衰え1817年に閉じられた学校は、独立直後の1991年に大学として再興されます。その歩みを、事典と法令でたどります。

  3. 文化・歴史/解説

    1814年の巣枠の巣箱。養蜂家ペトロ・プロコポヴィチ

    ウクライナの事典は、蜂を殺さずに蜜を取る巣枠の巣箱を1814年に作った人として、ペトロ・プロコポヴィチの名を挙げます。丸太の巣から巣箱への移り変わり、1828年に開いた養蜂学校、「世界初」という評価の読み方、事典で食い違う巣箱の数、FAOSTATに見るいまの蜂蜜の生産量をまとめます。

  4. 文化・歴史/解説

    北極海から2,820km、終点はドナウ河口の村。シュトルーヴェの測地弧

    ノルウェーの北の岬から黒海に近いドナウ河口の村まで、2,820キロ余りの子午線を三角形の鎖で測った「シュトルーヴェの測地弧」。1816年から1855年にかけての測量の目的と、2005年に10か国の世界遺産として記載された34地点のうち、ウクライナにある4地点の標識をまとめます。

  5. 文化・歴史/解説

    1万4千のことわざをどう並べたか。ノミスとフランコの集成

    ウクライナのことわざは、19世紀に番号をつけた本にまとめられました。1864年のノミスの集成はテーマごとに、1901〜10年のフランコの集成は見出し語のアルファベット順に、何万ものことわざを並べています。筆名の主、並べ方の違い、原本の番号とページつきのことわざ7例を紹介します。

  6. 文化・歴史/解説

    400編のうちキツネが55編。1916年に一冊になった動物の昔話

    ウクライナ語で動物が主役の民衆の話は「バイカ」と呼ばれ、人が主役の「カズカ」と区別されてきました。1916年、民俗学者フナチュークはこの話を400編集め、動物ごとに並べた2巻本にしました。誰がどこで記録したか、キツネやオオカミの話がどう分けられたか、戦争で刊行が遅れた経緯を、本の序文と目次からたどります。

  7. 文化・歴史/解説

    トロイアの英雄がコサックになる、コトリャレウシキー『エネイーダ』

    ウェルギリウスの叙事詩の英雄アエネアスを、ウクライナの話し言葉でしゃべるコサックの若者に書き換えた『エネイーダ』。ハルーシュキやボルシチが並ぶ宴の場面、10行の連という新しい詩の形、そしてこの作品がウクライナ語を文学の言葉にしていった意味を、事典と本文からたどります。2026年には初めての日本語訳が出ました。

  8. 口ひげをたくわえたイヴァン・フランコの肖像写真

    文化・歴史/解説

    ノーベル賞に推薦された年に亡くなった作家、イヴァン・フランコ

    ノーベル賞の推薦の記録には、1916年の文学賞の候補としてイヴァン・フランコ(1856〜1916年)の名が残っています。その年の5月、フランコはリヴィウで亡くなりました。鍛冶屋の息子として生まれ、3度逮捕され、小説・詩・戯曲・翻訳・学術に約6,000の著作を残した人の生涯と、名前が付けられた大学と町をたどります。

  9. レーシャ・ウクラインカの肖像写真

    文化・歴史/解説

    200フリヴニャ紙幣の詩人レーシャ・ウクラインカと、戯曲『森の歌』

    ウクライナの200フリヴニャ紙幣に描かれているのは、詩人で劇作家のレーシャ・ウクラインカ(1871〜1913年)です。本名ラリーサ・コサチ。30年にわたって病と闘いながら、20の劇作品を残しました。ヴォリーニ地方の森の言い伝えから生まれた『森の歌』(1911年)を中心に、作品と生涯、紙幣の図柄、日本語で読める訳書をまとめます。

  10. 口ひげのない若い男性の肖像写真。蝶ネクタイを着けている

    文化・歴史/解説

    作曲家ミコラ・ルィセンコと、生前に上演されなかった『タラス・ブーリバ』

    ウクライナの近代音楽の土台を築いた作曲家ミコラ・ルィセンコ(1842〜1912年)。代表作のオペラ『タラス・ブーリバ』は、ロシア語での上演の話はあっても原語での上演が実現せず、初演は死後12年の1924年、ハルキウでした。民謡の採集、シェウチェンコの詩による歌、1885年の「ウクライナのための祈り」、1904年に開いた学校までをたどります。

  11. ドニプロ川の岸辺に立つ「I ♥ Dnipro」のオブジェ

    社会を知る/解説

    987の町と村が名前を変えた、ウクライナの二つの地名法

    ウクライナでは2015年の法律で共産党の指導者などにちなむ地名が、2023年の法律でロシア帝国やロシアの支配を記念する地名が、改称の対象になりました。最初の法律では987の居住地と25の地区が、2024年9月の最高会議の決議では327の居住地と4の地区が名前を変えています。改称の根拠と手続きをまとめます。

  12. 若い男性の油彩の自画像

    文化・歴史/解説

    描くことも書くことも皇帝に禁じられた詩人、タラス・シェウチェンコ

    農奴に生まれたシェウチェンコは、1枚の肖像画の抽選で自由を買い取られ、美術アカデミーで学んだ画家でもありました。1847年の逮捕後は皇帝の命で書くことも描くことも禁じられた10年を送り、それでも詩を書き、絵を描きました。ウクライナ語を近代文学の言葉にした詩人の生涯です。

  13. 毛皮帽とマントをまとい、紋章の盾の前に立つヘーチマン、イヴァン・マゼーパの全身像。下部に署名の複製が添えられている

    文化・歴史/解説

    コサックの自治が終わり、ウクライナ語の出版が禁じられるまで

    1648年のフメリニツキーの蜂起から、原本が残っていない1654年のペレヤスラウ協定、1764年のヘーチマン職廃止と1775年のシーチ破壊、1863年と1876年のウクライナ語出版の禁止を経て、第一次世界大戦の直前までをたどります。蜂起のなかでユダヤ人共同体が受けた被害は、推計の違いをそのまま示しています。

  14. 古い本の見開き。左ページにコブザを弾く老人と少年の版画、右ページに詩の冒頭

    文化・歴史/解説

    ロシア帝国でウクライナ語の出版が禁じられた翌年、日本では東京大学が開かれた

    1876年のエムス法令は、ロシア帝国の中でウクライナ語の本の印刷を禁じました。翌1877年の4月、日本では東京大学が開設されています。禁じられる前に出ていた『エネイーダ』(1798年)と『コブザール』(1840年)から書き起こし、ペリー来航から1919年までを、二つの国の暦の違いに注意しながら並べます。

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