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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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ロシア帝国とハプスブルク帝国の時代

二つの帝国に分けられた18世紀末から第一次世界大戦まで。言葉の禁止と、そのなかで育った文学・音楽の記事です。

記事29本

  1. 文化・歴史/解説

    1818年のパウロウシキーの文法書は「最初のウクライナ語文法」か

    1818年にサンクトペテルブルクで刊行されたオレクシー・パウロウシキーの『小ロシア方言の文法』は、ウクライナ語の百科事典で「最初の、生きた民衆のウクライナ語の印刷された文法」とされます。16世紀からの文法書と並べ、「最初」の条件、扉と中身、文字 і の使い方、序文に表れた「方言」と「言語」のあいだの揺れをまとめました。

  2. 文化・歴史/解説

    1812年、クリミアの南岸に始まったニキータ植物園

    クリミア半島の南の海岸、ヤルタの東にあるニキータ植物園は、1812年に始まった植物の研究機関です。初代の園長スティーヴンの経歴、果樹やぶどうの学校を開いた19世紀から、ソ連の時代、独立後のウクライナ農業科学アカデミーまでの年表と名前の移り変わりをまとめます。

  3. 文化・歴史/解説

    フルーヒウからボローニャへ。18世紀ウクライナの作曲家3人

    1771年、フルーヒウ生まれのベレゾウシキーはボローニャのアカデミア・フィラルモニカの試験に通りました。同じ町に生まれたボルトニャンシキーもイタリアでオペラを上演し、キーウのヴェデリは合唱協奏曲を書きました。宮廷聖歌隊へ少年を送った歌の学校から、事典ごとに違う生年や作品の数まで、3人の歩みを三つの事典と学校の記録からたどります。

  4. 社会を知る/解説

    地図にあるのは1,500km余り。オデーサの地下の石切り場

    オデーサの地下に広がる「カタコンベ」は、19世紀前半から町を建てる石を切り出した跡です。よく聞く総延長2,500kmは事典でも見積もりとして書かれ、記述され地図にされた坑道は1,500km余りとされます。呼び名、数字の出どころ、1963年からの自然記念物と化石の洞窟を事典と大学、市の資料から並べます。

  5. 社会を知る/解説

    ルメイとウルム、マリウポリに住みついたクリミアのギリシャ系の人々

    マリウポリとその周りの村は、1778年にクリミアを出たキリスト教徒が住みついてできました。子孫のギリシャ系の人々は、ギリシャ語の流れをくむ言葉を話すルメイと、テュルク系の言葉を話すウルムに分かれます。移住の年と人数、二つの呼び名、1920年代の言語政策、2001年の国勢調査の数字を、事典と統計で並べます。

  6. 文化・歴史/解説

    1896年9月、ハルキウの行列を撮った1分半。写真家フェデツキー

    1896年9月30日、ハルキウの写真家アルフレッド・フェデツキーは、町を進むイコンの行列を約1分半のフィルムに収めました。12月2日には歌劇場で自作の映像を上映しています。ジトーミル生まれの写真家が映画に関わった1年あまりの記録と、「ウクライナで最初の映画」という言い方が何を数えているのかを、事典と研究書からたどります。

  7. 文化・歴史/解説

    1661年か、1784年か。リヴィウ大学はいつ始まったのか

    リヴィウ大学は、1661年にポーランド王がイエズス会の学院に「大学の称号」を与えた年を始まりとし、カナダのウクライナ百科事典は1784年にオーストリア皇帝が開いた年を始まりとします。二つの年の中身と、名前と授業の言葉の移り変わりを、事典と大学の沿革から並べます。

  8. 文化・歴史/解説

    1883年、ガスプリンスキーが出した新聞『テルジュマン』

    1883年4月10日、クリミアのバフチサライで新聞『テルジュマン』の第1号が出ました。出したのはイスマイル・ガスプリンスキー。クリミア・タタール語とロシア語の紙面は、ロシア帝国のテュルク系の人々にも読まれ、学校の改革の運動とも結びつきました。二つの呼び名、終刊の年、ノーベル賞の推薦の話まで、資料ごとに見ていきます。

  9. 社会を知る/解説

    ヴォリーニ地方に来たチェコ人。6万5千人から5,917人へ

    19世紀の後半、ロシア帝国で農奴制が廃止されたあと、チェコの農民がウクライナ北西部のヴォリーニ地方に村をつくりました。20世紀の初めに約6万5千人いたウクライナのチェコ人は、2001年の国勢調査では5,917人です。移住の経過と人数の移り変わり、1947年と1990年代の移住を、二つの事典とチェコの統計局・議会の記録で追います。

  10. 文化・歴史/解説

    「マルーシャ」とハルキウの劇場。クヴィトカ=オスノヴヤネンコ

    1834年の『小ロシアの物語』に収められた「マルーシャ」などの物語は、ウクライナ語でまじめな題材が書けることを示したと事典は説明します。作者のクヴィトカ=オスノヴヤネンコは、ハルキウで劇場の支配人も務めた地主でした。生涯と作品の年、ゴーゴリ『検察官』との関係をめぐる説を、二つの事典から見ます。

  11. 文化・歴史/解説

    火事から14年、ウィーンの設計で建て直されたオデーサの歌劇場

    オデーサの劇場は1810年に最初の上演の季節を迎え、1873年に焼けました。いまの建物はウィーンのフェルナーとヘルマーの設計で1887年に開き、沈む地盤と補強の工事を繰り返してきました。三つの事典とユネスコの記載から、年の食い違いも含めてたどります。

  12. 文化・歴史/解説

    モルダヴァンカのギャング、ベーニャ・クリーク。バーベリ『オデッサ物語』

    ギャングの頭目ベーニャ・クリークが、20世紀の初めのオデーサの下町を舞台に動き回る。オデーサ生まれのイサーク・バーベリがロシア語で書いた短編の連作『オデッサ物語』の成り立ち、舞台になった地区モルダヴァンカ、主人公のモデルとされる人物、映画と日本語訳を、ウクライナの事典とYIVOのユダヤ百科事典からまとめました。

  13. 社会を知る/解説

    ブジャクの草原に移り住んだ、ブルガリア系とガガウズの人々

    オデーサ州の南西部には、19世紀にドナウの南から移ってきたブルガリア系の人々と、トルコ系の言葉を話す正教徒のガガウズの人々がまとまって暮らしています。2001年の国勢調査では、旧ボルフラド地区の住民の6割がブルガリア人でした。2020年の地区の再編では、この地区の扱いをめぐってブルガリア議会とウクライナ外務省が応酬しました。

  14. 文化・歴史/解説

    貴族と商人の寄付で1805年に開いた、ハルキウのカラジン大学

    ハルキウ国立大学は、1804年に設立が認められ、1805年に開学した、ロシア帝国が支配したウクライナの土地で最初の大学です。貴族と商人に寄付を説いた創設者カラジン、自治と検閲の揺れ、ウクライナ語の講義、名前の移り変わり、「最も古い」をめぐる書き方の違い、2022年からの被害をまとめます。

  15. 文化・歴史/解説

    1794年9月2日に港の工事が始まった町、オデーサと自由港の時代

    オデーサは、トルコの要塞があったハジベイに1794年、港として造り直された町です。碁盤の目の計画、リシュリュー公の統治、関税のかからない自由港の時代に、小麦の輸出で大きく育ちました。事典の記述と数字、自由港の期間の食い違い、2022年に「創建者たち」の記念碑が下ろされた経緯をまとめます。

  16. 文化・歴史/解説

    諮問機関は「記載の延期」を勧めた。チェルニウツィーの府主教の邸宅

    チェルニウツィー大学の本館は、1864年から1882年にかけて建てられたブコヴィナとダルマチアの正教会の府主教の邸宅です。2011年、ユネスコの諮問機関は世界遺産への記載の延期を勧めましたが、世界遺産委員会は記載を決めました。建築家フラーヴカ、邸宅が大学になった経緯、評価が分かれた点をまとめます。

  17. 文化・歴史/解説

    1817年に閉じられ、1991年に戻った学校。キーウ・モヒラ・アカデミー

    1615年に寄進された屋敷で始まった兄弟団の学校は、1632年にペトロ・モヒラのもとで学院になり、ヘーチマンや聖職者を育てました。ロシア帝国のもとで衰え1817年に閉じられた学校は、独立直後の1991年に大学として再興されます。その歩みを、事典と法令でたどります。

  18. 文化・歴史/解説

    1814年の巣枠の巣箱。養蜂家ペトロ・プロコポヴィチ

    ウクライナの事典は、蜂を殺さずに蜜を取る巣枠の巣箱を1814年に作った人として、ペトロ・プロコポヴィチの名を挙げます。丸太の巣から巣箱への移り変わり、1828年に開いた養蜂学校、「世界初」という評価の読み方、事典で食い違う巣箱の数、FAOSTATに見るいまの蜂蜜の生産量をまとめます。

  19. 文化・歴史/解説

    北極海から2,820km、終点はドナウ河口の村。シュトルーヴェの測地弧

    ノルウェーの北の岬から黒海に近いドナウ河口の村まで、2,820キロ余りの子午線を三角形の鎖で測った「シュトルーヴェの測地弧」。1816年から1855年にかけての測量の目的と、2005年に10か国の世界遺産として記載された34地点のうち、ウクライナにある4地点の標識をまとめます。

  20. 文化・歴史/解説

    1万4千のことわざをどう並べたか。ノミスとフランコの集成

    ウクライナのことわざは、19世紀に番号をつけた本にまとめられました。1864年のノミスの集成はテーマごとに、1901〜10年のフランコの集成は見出し語のアルファベット順に、何万ものことわざを並べています。筆名の主、並べ方の違い、原本の番号とページつきのことわざ7例を紹介します。

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