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ロシア帝国とハプスブルク帝国の時代
二つの帝国に分けられた18世紀末から第一次世界大戦まで。言葉の禁止と、そのなかで育った文学・音楽の記事です。
記事29本
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400編のうちキツネが55編。1916年に一冊になった動物の昔話
ウクライナ語で動物が主役の民衆の話は「バイカ」と呼ばれ、人が主役の「カズカ」と区別されてきました。1916年、民俗学者フナチュークはこの話を400編集め、動物ごとに並べた2巻本にしました。誰がどこで記録したか、キツネやオオカミの話がどう分けられたか、戦争で刊行が遅れた経緯を、本の序文と目次からたどります。
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トロイアの英雄がコサックになる、コトリャレウシキー『エネイーダ』
ウェルギリウスの叙事詩の英雄アエネアスを、ウクライナの話し言葉でしゃべるコサックの若者に書き換えた『エネイーダ』。ハルーシュキやボルシチが並ぶ宴の場面、10行の連という新しい詩の形、そしてこの作品がウクライナ語を文学の言葉にしていった意味を、事典と本文からたどります。2026年には初めての日本語訳が出ました。
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ノーベル賞に推薦された年に亡くなった作家、イヴァン・フランコ
ノーベル賞の推薦の記録には、1916年の文学賞の候補としてイヴァン・フランコ(1856〜1916年)の名が残っています。その年の5月、フランコはリヴィウで亡くなりました。鍛冶屋の息子として生まれ、3度逮捕され、小説・詩・戯曲・翻訳・学術に約6,000の著作を残した人の生涯と、名前が付けられた大学と町をたどります。
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200フリヴニャ紙幣の詩人レーシャ・ウクラインカと、戯曲『森の歌』
ウクライナの200フリヴニャ紙幣に描かれているのは、詩人で劇作家のレーシャ・ウクラインカ(1871〜1913年)です。本名ラリーサ・コサチ。30年にわたって病と闘いながら、20の劇作品を残しました。ヴォリーニ地方の森の言い伝えから生まれた『森の歌』(1911年)を中心に、作品と生涯、紙幣の図柄、日本語で読める訳書をまとめます。
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作曲家ミコラ・ルィセンコと、生前に上演されなかった『タラス・ブーリバ』
ウクライナの近代音楽の土台を築いた作曲家ミコラ・ルィセンコ(1842〜1912年)。代表作のオペラ『タラス・ブーリバ』は、ロシア語での上演の話はあっても原語での上演が実現せず、初演は死後12年の1924年、ハルキウでした。民謡の採集、シェウチェンコの詩による歌、1885年の「ウクライナのための祈り」、1904年に開いた学校までをたどります。
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987の町と村が名前を変えた、ウクライナの二つの地名法
ウクライナでは2015年の法律で共産党の指導者などにちなむ地名が、2023年の法律でロシア帝国やロシアの支配を記念する地名が、改称の対象になりました。最初の法律では987の居住地と25の地区が、2024年9月の最高会議の決議では327の居住地と4の地区が名前を変えています。改称の根拠と手続きをまとめます。
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描くことも書くことも皇帝に禁じられた詩人、タラス・シェウチェンコ
農奴に生まれたシェウチェンコは、1枚の肖像画の抽選で自由を買い取られ、美術アカデミーで学んだ画家でもありました。1847年の逮捕後は皇帝の命で書くことも描くことも禁じられた10年を送り、それでも詩を書き、絵を描きました。ウクライナ語を近代文学の言葉にした詩人の生涯です。
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コサックの自治が終わり、ウクライナ語の出版が禁じられるまで
1648年のフメリニツキーの蜂起から、原本が残っていない1654年のペレヤスラウ協定、1764年のヘーチマン職廃止と1775年のシーチ破壊、1863年と1876年のウクライナ語出版の禁止を経て、第一次世界大戦の直前までをたどります。蜂起のなかでユダヤ人共同体が受けた被害は、推計の違いをそのまま示しています。
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ロシア帝国でウクライナ語の出版が禁じられた翌年、日本では東京大学が開かれた
1876年のエムス法令は、ロシア帝国の中でウクライナ語の本の印刷を禁じました。翌1877年の4月、日本では東京大学が開設されています。禁じられる前に出ていた『エネイーダ』(1798年)と『コブザール』(1840年)から書き起こし、ペリー来航から1919年までを、二つの国の暦の違いに注意しながら並べます。