987の町と村が名前を変えた、ウクライナの二つの地名法
ウクライナでは2015年の法律で共産党の指導者などにちなむ地名が、2023年の法律でロシア帝国やロシアの支配を記念する地名が、改称の対象になりました。最初の法律では987の居住地と25の地区が、2024年9月の最高会議の決議では327の居住地と4の地区が名前を変えています。改称の根拠と手続きをまとめます。
オリュカのひとこと
町や村の名前を変えると決めるのは、どの機関なのでしょう。改称の手続きを、根拠の法律から順に追ってみましょう。
ドニプロ川に面した工業都市ドニプロは、2016年5月まで「ドニプロペトロウシク」という名前でした。もとはロシア帝国のエカテリーナ2世にちなんで「カテリノスラウ」と名付けられ、1926年に、ソ連のウクライナで要職にあった共産党の指導者フリホリー・ペトロウシキーをたたえて改名された名前です(Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS)による)。
ウクライナではこの10年あまり、二つの法律にもとづいて、国じゅうの町や村、通りの名前が改められてきました。共産主義体制を記念する名前を対象にした2015年の法律と、ロシア帝国とロシアの支配を記念する名前を対象にした2023年の法律です。地名をラテン文字や日本語でどう書くか(「キエフ」と「キーウ」の違いなど)は、「キエフ」が「キーウ」になった日と、地名の綴りの決まり方で扱いました。ここでは、名前そのものが変わった理由と手続きを見ていきます。
町の名前を決めるのは最高会議
ウクライナ憲法第85条第1項第29号は、居住地と地区の命名と改称を最高会議の権限としています。市や村の名前は、議会の決議で変わります。これに対して、街路や広場、公園の名前は、市町村の議会などが決めます。
州の名前は、憲法第133条が一つずつ列挙しています。この条文には、2026年9月24日時点でも「ドニプロペトロウシク州」「キロヴォフラード州」の名が載っています。市がドニプロ、クロプィウヌィツィクィイと改称されたあとも、州の名前は変わっていません。
2015年の法律と、987の居住地
2015年4月9日、最高会議は法律 № 317-VIII「共産主義と国家社会主義(ナチズム)の全体主義体制を非難し、その象徴の宣伝を禁止することについて」を採択しました。5月20日に公布され、翌日に施行されています。
法律は「共産主義体制の象徴」の一つとして、共産党で地区委員会書記以上の要職にあった人、ソ連やソビエト・ウクライナの最高機関の指導者、ソ連の国家保安機関で働いた人の名前や、十月革命の記念日、ソビエト権力の樹立などにちなむ地名を挙げています。ただし、ナチスの占領者への抵抗や、ウクライナの学術・文化の発展にかかわる名前は除くとしています(第1条)。
手続きには期限が付いていました。自治体などは施行から6か月以内に住民への公聴会を開いて居住地の改称案を最高会議に出し、最高会議はその期限から3か月以内に改称を決める。案が出されなかった場所は、ウクライナ国家記憶院の勧告にもとづいて最高会議が決める、という流れです(第7条第7項・第8項)。
国家記憶院の2016年の年次報告によれば、最高会議はこの勧告をもとに13の決議を採択し、987の居住地と25の地区の名前を改めました。内訳は市が32、都市型集落が58、村や集落が897です。街路や広場などは、2016年12月時点で5万1,493か所が名前を変えたと報告しています。
報告は、改称で300を超える歴史的な名前が戻り、そのうち約70はクリミア・タタールやブルガリア、ギリシャ、ユダヤの人びとなど、先住民族と民族共同体の文化にかかわる名前だとしています。クリミア自治共和国での改称の多くは、1944年のクリミア・タタール人の強制移住のあとにスターリン体制が地図から消した地名を戻すものだった、とも書いています。ブルガリア共産党の指導者にちなむ村の名前が、19世紀のブルガリアの民族的英雄の名前に替わった例も紹介されています(オデーサ州の「ブラホイェヴェ」が「フリスト=ボテヴェ」に)。
オリュカのひとこと
よく耳にする「ドニプロ」は、どんな根拠で今の名前になったのでしょう。二つの町の例から見てみましょう。
ドニプロとクロプィウヌィツィクィイ
大きな市の改称も、この時期に続きました。
| 改称後 | 改称前 | 最高会議の決議 |
|---|---|---|
| ドニプロ(Дніпро) | ドニプロペトロウシク(Дніпропетровськ) | 2016年5月19日 № 1375-VIII |
| クロプィウヌィツィクィイ(Кропивницький) | キロヴォフラード(Кіровоград) | 2016年7月14日 № 1468-VIII |
二つの決議の書き方は同じではありません。クロプィウヌィツィクィイの決議は、2015年の法律の第7条第8項にもとづくと明記しています。ドニプロの決議は「ドニプロペトロウシク市をドニプロ市に改める」という一文だけで、根拠の法律に触れていません。
クロプィウヌィツィクィイは、Internet Encyclopedia of Ukraine によれば、1775年から1924年までイェリサヴェトフラード、その後1934年にキロヴェ、1939年にキロヴォフラードと名を変えてきた市です。2016年の改称で、この市ゆかりの劇作家・演出家マルコ・クロプィウヌィツィクィイの名前が付けられました。
2023年の法律が加えた「ロシア帝国の政策」
ロシアによる全面侵攻のあと、2023年3月21日に最高会議は法律 № 3005-IX「ウクライナにおけるロシア帝国主義政策の宣伝の非難と禁止、および地名の脱植民地化について」を採択しました。4月27日に公布され、3か月後の7月27日に施行されています。
前文は、ロシアの武力侵略の目的を、ウクライナの人びとから独立と主権を奪い、ロシア帝国とソ連の時代のような従属の状態に戻すことだと書いています。そのうえで法律は、モスクワ大公国からロシア帝国、ソ連、ロシア連邦までの国家がウクライナの人びとを従わせ、同化させるために行った政策を「ロシア帝国主義政策」と定め、それを記念する名前を地名に使うことを禁じました(第2条、第4条)。
対象になる地名は、たとえば次のようなものです(第2条第1項第4号)。
- ロシアの国家や軍の要職にあってロシア帝国主義政策を進めた人、それを公に支持・賛美した人の名前
- ロシア帝国主義政策の実行にかかわる出来事の名前
- ロシアの都市など、ロシア連邦の地理的・歴史的・文化的な名所の名前
除かれるものも書かれています。ウクライナの人びとの権利の擁護や、ウクライナの国家・学術・文化の発展にかかわる人や出来事、そして「ロシア連邦に隷属させられた諸民族の文化」にかかわる名前です。
手続きは2015年の法律と同じ形をとっています。自治体や軍政機関は施行から6か月以内に住民と協議して居住地の改称案を最高会議に出し、最高会議はその期限から3か月以内に決めます。クリミア半島の居住地については、内閣が先住民族の代表機関と協議して改称案を出すとされています(第8条第7項)。
ロシアが占領している地域では、記念碑の撤去は占領が終わってから行い、それまでに改称されなかった街路などは、ウクライナの行政が戻った日から改称の期限を数え始めると定められています。そのあいだ、国家記憶院は学者や郷土史家、国内避難民などの協力を得て、占領地の地名の改称案を集めます(第8条第10項)。2025年8月の法改正(№ 4579-IX、8月30日施行)では、改称の決議案に国家記憶院の意見書を付けて公開することも定められました(第4条第3項)。
2024年9月の決議で変わった327の居住地
2023年の法律にもとづく最高会議の大きな決議は、2024年9月19日の № 3984-IX「個別の居住地と地区の改称について」です。前日の18日に採決された333の居住地の改称案は可決に届かず、案を組み直して翌日に採択されました。決議は根拠として、2023年の法律の第8条第8項(ロシア帝国主義政策の象徴)と第13項(国家語の基準に合わない名前)を挙げています。
決議の本文を数えると、改称されたのは市10、都市型集落(селище)56、村261の計327の居住地と、4つの地区です。5月1日のメーデーにちなむペルヴォマイシケ(Первомайське)という名前の村と集落だけで、20か所がそれぞれ別の名前に変わっています。
| 改称後 | 改称前 | 州 |
|---|---|---|
| サマル(Самар) | ノヴォモスコウシク(Новомосковськ) | ドニプロペトロウシク州 |
| シェプティツィクィイ(Шептицький) | チェルヴォノフラード(Червоноград) | リヴィウ州 |
| ベレスティン(Берестин) | クラスノフラード(Красноград) | ハルキウ州 |
| ズラトピリ(Златопіль) | ペルヴォマイシキー(Первомайський) | ハルキウ州 |
| シヴェルシクドネツィク(Сіверськодонецьк) | シェヴェロドネツィク(Сєвєродонецьк) | ルハンシク州 |
市の名前が変わると、同じ名前を持つ地区の名前も改められました。サマルのある地区はノヴォモスコウシク地区からサマリウシキー地区に、シェプティツィクィイのある地区はチェルヴォノフラード地区からシェプティツィクィイ地区になっています。
国家記憶院は2024年の年次報告で、専門委員会がこの年に6回開かれ、地名の改称や記念碑の撤去について14の意見を出したと報告しています。行政区の再編で生まれた地区や自治体の枠組みについては、24の州、136の地区、1,469のフロマーダで分かれるウクライナで扱いました。
出典・参考資料
- Конституція України(第85条第1項第29号、第133条の州の列挙)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Закон України № 317-VIII «Про засудження комуністичного та націонал-соціалістичного (нацистського) тоталітарних режимів в Україні та заборону пропаганди їхньої символіки»(2015年4月9日。第1条の地名の定義と除外、第7条第6〜8項、公布 2015年5月20日)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Закон України № 3005-IX «Про засудження та заборону пропаганди російської імперської політики в Україні і деколонізацію топонімії»(2023年3月21日。前文、第2条、第4条、第8条第6〜10項、公布 2023年4月27日、施行 7月27日、4579-IX による改正)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Постанова ВРУ № 1375-VIII «Про перейменування міста Дніпропетровськ Дніпропетровської області»(2016年5月19日)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Постанова ВРУ № 1468-VIII «Про приведення назви міста Кіровоград … у відповідність із вимогами Закону…»(2016年7月14日。第7条第8項に基づく改称)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Постанова ВРУ № 3984-IX «Про перейменування окремих населених пунктів та районів»(2024年9月19日。根拠の条項、改称の一覧)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Звіт 2016 рік(13の決議、987の居住地と25の地区、市32・都市型集落58・村897、51,493の地名、歴史的名称の回復、クリミアの改称、ブルガリアの例)
発行:Український інститут національної пам'яті 確認日:2026-09-24 - Звіт за 2024 рік(専門委員会の6回の会合と14の意見)
発行:Український інститут національної пам'яті 確認日:2026-09-24 - Dnipro;Kropyvnytskyi;Petrovsky, Hryhorii(旧名と改称の年、改名の由来)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24 - Верховна Рада підтримала нову постанову про перейменування 327 населених пунктів(2024年9月19日。前日の333か所の案が可決に届かなかった経緯)
発行:РБК-Україна 確認日:2026-09-24
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