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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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ドニプロ川

ウクライナを南北に流れるドニプロ川と、その流域の町や村の記事です。シーチの島、カホウカのダム、ペトリキウカ。

記事14本

  1. 社会を知る/解説

    ヘロドトスが「ボリュステネス」と書いた川、ドニプロ

    キーウを流れるドニプロ川は、紀元前5世紀のヘロドトスには「ボリュステネス」、4世紀のラテン語では「ダナプリス」、テュルク系の言葉では「オズィ」などと呼ばれてきました。一つの川の名前を古い順にたどり、日本語の「ドニエプル」と英語の Dnieper の書き方がどう変わってきたかも見ていきます。

  2. ビジネス・復興/解説

    6軒の食料品店から1,320店へ。ドニプロ生まれのスーパー「АТБ」

    ドニプロに本拠を置く食品スーパーのチェーン「АТБ」は、同社の説明では1993年に6軒の食料品店から始まり、2026年初めに22州で1,320店を持っていました。「ウクライナ最大」という自称の物差し、版によって食い違う店の数、登記簿に載る売上と利益を、2026年9月時点の資料で分けて見ます。

  3. 文化・歴史/解説

    コサックの舟「チャイカ」の寸法は、一冊の本から来ている

    ザポリッジャのコサックが黒海へ漕ぎ出した舟「チャイカ」。長さや乗員の数の多くは、1660年にルーアンで出たフランス人技師ボープランの本に行き着きます。その本は舟を「チャイカ」とは呼んでいません。舟の作り、事典どうしの数字の違い、ドニプロ川から引き揚げられた舟の扱いを見ていきます。

  4. 社会を知る/解説

    「世界最大」は誰の言葉か。ドニプロのユダヤ・センター「メノラー」

    ドニプロに2012年に開いたユダヤ共同体のセンター「メノラー」には、シナゴーグ、博物館、研究所、領事館が入っています。運営する共同体はこれを「世界最大」と呼びますが、比べた基準は示されていません。センターの成り立ちと、カテリノスラウと呼ばれた町のユダヤ人の歴史を、共同体の公表と二つの事典で並べます。

  5. ビジネス・復興/解説

    1934年に生まれたキーウの溶接研究所と、全溶接のパトン橋

    キーウのドニプロ川に架かるパトン橋は、1953年11月5日に開通した長さ約1.5kmの全溶接の橋です。橋の名は、溶接の研究所を1934年に立ち上げた橋の技師イェウヘン・パトンから来ています。研究所の歩み、「世界初」という言い方の出どころ、研究から生まれた事業、70年を過ぎた橋の状態を並べます。

  6. ビジネス・復興/解説

    閘門の通行は無料に。2020年の内陸水運法とドニプロ川の貨物

    2020年12月に採択され、2022年1月1日に施行された内陸水運法は、外国の旗の船にウクライナの川を開き、閘門の通行を無料にしました。川の貨物の量は、国家統計局とインフラ省で約4倍違います。法律の中身と施行の段階、全面侵攻のあとに減った輸送と止まった閘門を、2026年9月時点の条文と発表で見ます。

  7. ビジネス・復興/解説

    ミサイルの設計局から宇宙ロケットへ、ドニプロの「ピウデンネ」

    ドニプロの設計局「ピウデンネ」は、1954年に工場の中につくられ、ソ連の戦略ミサイルから宇宙ロケット「コスモス」「ツィクロン」「ゼニート」、米国のロケット「アンタレス」の第1段までを手がけてきました。設計局と工場の成り立ち、宇宙ロケットの系譜、ブラジルとの計画の中止をたどります。

  8. 社会を知る/解説

    早瀬を沈めた1932年のダムから、ドニプロ川は階段になった

    ドニプロ川には、上流のキーウから下流のカホウカまで、水力発電所のダムと貯水池が六段に連なっていました。1932年にザポリッジャで動き出した最初のダムは、川の早瀬を水の下に沈めました。六つのダムと貯水池が造られた年と大きさ、失われた早瀬、2022年以降の被害を、事典と国営の水力発電会社の資料からまとめます。

  9. 文化・歴史/解説

    歌い出す人と高い声がいないと歌えない、ドニプロペトロウシク州のコサックの歌

    一人が歌い出し、もう一人が高い声で旋律を導き、残りの人が中と低い声で支える。ドニプロペトロウシク州の村の合唱団が歌うコサックの歌は、2016年にユネスコの緊急保護一覧に載りました。担い手の年齢、声の役割、緊急とされた理由、2020年の報告の中身を、申請書と決定から読みます。

  10. 白い磁器の花瓶に、赤・黄・紫の大きな花を描いたペトリキウカ装飾画

    文化・歴史/解説

    猫の毛の筆で下絵なしに描く、ペトリキウカの花の装飾画

    ドニプロペトロウシク州の町ペトリキウカで育った装飾画は、農家の白壁の絵から始まり、紙の上の一枚の絵になりました。猫の毛の筆で下絵を描かずに花を置いていく技法は、2013年12月にユネスコの無形文化遺産の代表一覧に記載されています。ウクライナの要素として最初の記載でした。筆づかい、空想の花、描き手たちをまとめます。

  11. ドニプロ川の岸辺に立つ「I ♥ Dnipro」のオブジェ

    社会を知る/解説

    987の町と村が名前を変えた、ウクライナの二つの地名法

    ウクライナでは2015年の法律で共産党の指導者などにちなむ地名が、2023年の法律でロシア帝国やロシアの支配を記念する地名が、改称の対象になりました。最初の法律では987の居住地と25の地区が、2024年9月の最高会議の決議では327の居住地と4の地区が名前を変えています。改称の根拠と手続きをまとめます。

  12. 川をせき止める長い堤体。水門から放水されている

    社会を知る/解説

    ロシア軍が支配していたダムが壊れた日、カホウカで起きたこと

    2023年6月6日未明、2022年2月からロシア軍の支配下にあったドニプロ川のカホウカ水力発電所のダムが爆発で崩れました。下流では少なくとも80の集落が水につかり、上流では70万人を超える人の飲み水の源だった貯水池が干上がり始めました。国連とウクライナ政府は損害と損失を140億ドル近くと見積もっています。

  13. ドニプロ川に浮かぶ岩の多い島と川面

    文化・歴史/解説

    シーチが築かれてから壊されるまでの220年、日本は戦国から江戸へ

    ドニプロ川にシーチが築かれた1552年ごろから、最後のシーチが破壊された1775年までの約220年を、同じ時期の日本と並べます。シーチは一つの場所ではなく八つありました。ペレヤスラウの合意は原本が残っていません。ポルタヴァの戦いには日付が二つあります。

  14. 夕焼けの空の下、凍ったドニプロ川と対岸の街並み

    社会を知る/解説

    ウクライナの川は三つの海へ向かう──水系・気候・黒土

    ウクライナの川の水は、黒海だけでなくアゾフ海とバルト海にも向かいます。国家水台帳に載る主な河川の流域、自然帯と気候、黒土の広さとその劣化まで、数字ごとに出した機関と時点を添えて並べます。国土の面積は、日本の公的機関の間でも一致していません。

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