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ビジネス・復興/解説

ミサイルの設計局から宇宙ロケットへ、ドニプロの「ピウデンネ」

ドニプロの設計局「ピウデンネ」は、1954年に工場の中につくられ、ソ連の戦略ミサイルから宇宙ロケット「コスモス」「ツィクロン」「ゼニート」、米国のロケット「アンタレス」の第1段までを手がけてきました。設計局と工場の成り立ち、宇宙ロケットの系譜、ブラジルとの計画の中止をたどります。

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オリュカのひとこと

工場が生まれた年と、設計局ができた年は、違うようです。経緯を最初の見出しで見てみましょう。

ドニプロには、70年あまりロケットを設計してきた国営の設計局があります。「ピウデンネ設計局」(Конструкторське бюро «Південне» ім. М. К. Янгеля。ピウデンネは「南の」の意味)です。すぐそばの国営工場「ピウデンマシュ」(Південмаш、正式には南部機械製作工場)が、設計局の設計したロケットをつくってきました。

ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所の『ウクライナ史百科事典』(2021年)は、この二つをウクライナの宇宙産業の中心に挙げ、ここで設計・製造された人工衛星は400基を超えるとしています。以下、同じアカデミーの『現代ウクライナ百科事典』と工場の年表、各国の公的機関の発表をもとに、2026年9月時点で確かめられる歩みをまとめます。当時の町の名はドニプロペトロウシクで、2016年に改称されました(二つの地名法の記事を参照)。

1951年は工場、1954年は設計局

工場の年表によれば、始まりは1944年、ソ連の国家防衛委員会がドニプロペトロウシクに自動車工場を建てると決めたことでした。1951年、建設中だったこの工場は「第586工場」としてミサイルの量産を始めます。『ウクライナ史百科事典』は、つくったのはソ連のミサイルР-1だったと書いています。

設計局ができたのは、その3年後です。同じ事典によれば、新しいミサイルР-12をつくるため、1954年に工場の敷地の中に独立した設計局が設けられ、ミハイロ・ヤンヘリが主任設計者に任じられました。1966年に工場は「南部機械製作工場」、設計局は「ピウデンネ」と名前を改めています。つまり、1951年は工場がミサイルをつくり始めた年、1954年は設計局が生まれた年です。

  1. オリュカ

    この設計局を率いた人は、ずっとここで働いていたのかな。

  2. タブリ

    モスクワ近郊で働いていた時期も、この見出しの下に書いてあるよ。

  3. ヨリクネ

    率いたロケットの名前も、この見出しの下に並んでいるよ。

主任設計者ミハイロ・ヤンヘリ

『現代ウクライナ百科事典』によれば、ヤンヘリは1911年にロシアのイルクーツク県の村に生まれ、1971年にモスクワで亡くなりました。モスクワの航空大学を出て航空機の設計局で働いたのち、1950〜54年はモスクワ近郊のロケット設計局(OKB-1)で、コロリョフの副主任設計者などを務めています。1954年からピウデンネの長・主任設計者となり、1991年からは設計局に彼の名が付けられています。

同じ事典は、ヤンヘリが設計を率いたミサイルとしてР-12、Р-14、Р-16、Р-36を挙げ、これらが長くソ連の戦略ロケット軍の土台だったと書いています。

戦闘用のロケットから宇宙ロケットへ

『現代ウクライナ百科事典』は、1954〜71年の戦闘用のロケットをもとに、人工衛星を打ち上げる「コスモス」「ツィクロン」「インテルコスモス」などのロケットがつくられた、と書いています。二つの事典と工場の年表から、主なものを並べると次のようになります。

年出来事典拠
1957年Р-12をもとにした衛星打ち上げ用ロケット「コスモス」の開発が始まる工場の年表、ЕІУ
1962年コスモスが、ドニプロペトロウシクで設計した最初の衛星DS-2を軌道に乗せる工場の年表、ЕІУ
1965年〜Р-36をもとにしたロケット「ツィクロン」と、小型の科学衛星の開発が始まるЕІУ
1969年国際計画「インテルコスモス」の最初の衛星「インテルコスモス1号」を打ち上げるЕІУ
1971〜82年フランスの宇宙機関と協力した科学衛星「オレオール」を打ち上げるЕІУ
1976年〜ヴォロディーミル・ウトキンのもとでロケット「ゼニート」の開発が始まる(約10年)ЕІУ
出典:ウクライナ国立科学アカデミー『ウクライナ史百科事典』補巻1(2021年)の「ウクライナの宇宙産業」(表ではЕІУ)、南部機械製作工場の年表(2026年9月に参照)。ロケットの初飛行の年は含めていない。

独立後:シーチ1号、海上からの打ち上げ、ドニプロ

ソ連の崩壊で、ウクライナはソ連の宇宙産業のおよそ3分の1を引き継いだ、と『ウクライナ史百科事典』は書いています。1992年2月29日には国の宇宙機関(いまの国家宇宙機関)が設けられました。

同じ事典によれば、1995年、設計局と工場は米国・ロシア・ノルウェーの企業と組んで、海上の台船から打ち上げる計画「シー・ローンチ」に取りかかりました。同じ年、ロシア北部のプレセツク基地からツィクロン3が、ウクライナの管轄のもとで初めての人工衛星「シーチ1号」を打ち上げています。1997年には、大陸間弾道ミサイルРС-20(NATOの呼び名ではSS-18)をもとにしたロケット「ドニプロ」の開発を、ロシアとウクライナの企業と協力して始めました。事典は、2010年代半ばまで宇宙分野の最大の協力相手はロシアだったとも書いています。

2022年1月13日には、設計局が設計・組み立て・試験をした地球観測衛星「シーチ2-30」が、米国ケープカナベラルからスペースX社のファルコン9で打ち上げられました(国家宇宙機関の発表)。

オリュカのひとこと

米国のロケットの部品を、ドニプロの工場がいつまで手がけていたのでしょう。この節で確かめられます。

米国のロケット「アンタレス」の第1段

国際宇宙ステーションに物資を運ぶ米国のロケット「アンタレス」は、第1段の主な構造をウクライナが担ってきました。在米ウクライナ大使館の2014年の発表によれば、第1段はピウデンネ設計局が設計し、ピウデンマシュが製造したもので、両社は2008年に米オービタル・サイエンシズ社と2018年までの長期契約を結んでいました。燃料タンクや高圧タンク、弁、配管などの設計と製造管理を設計局が受け持ち、ハルキウ、キーウ、ザポリッジャ、チェルニーヒウの企業も加わっていた、と大使館は説明しています。

工場によれば、第1段の主構造の製造は2009年に始まりました。工場は2022年2月19日の17回目の飛行(NG-17)も、自社が第1段をつくったロケットの打ち上げとして伝えています。

現在アンタレスを運用するノースロップ・グラマン社は、この型(アンタレス230+)の最後の飛行が2023年8月だったとし、後継の「アンタレス330」では第1段を米ファイアフライ・エアロスペース社が新たに開発すると説明しています。

ブラジルと進めたツィクロン4は2016年に終わる

ブラジル宇宙機関によれば、両国の宇宙協力は1995年に始まり、2003年10月21日、ブラジル北部のアルカンタラ打ち上げ基地でウクライナのロケット「ツィクロン4」を使う長期協力の条約が結ばれました。ブラジルが基地と設備を出し、ウクライナがロケットを開発する分担で、両国の合弁会社「アルカンタラ・ツィクロン・スペース」がつくられています。工場の説明では、ツィクロン4はツィクロン3をもとにしたロケットで、工場はその製造を受け持っていました。

ブラジルは2015年7月24日の大統領令第8.494号でこの条約を廃棄すると公表し、条約は2016年7月16日に効力を失いました。ブラジル宇宙機関は理由として、条約を進めるうちに、協力の前提だった技術面と商業面の釣り合いが崩れたことを挙げています。

2024年11月の攻撃

2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの全面侵攻のもとで、ドニプロは繰り返し攻撃を受けてきました。2024年11月21日、ロシアのプーチン大統領は声明で、同日にドニプロペトロウシク(ドニプロ)の「ソ連時代からの最大級の工業コンビナート」をミサイルで攻撃したと主張しました。声明は企業名を挙げておらず、設計局や工場の被害について、ウクライナの公的機関の詳しい発表はこの記事の時点で確認できていません。

出典と記事の記録出典 11件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Янгель Михайло Кузьмич生没年と生地、1950〜54年のOKB-1での経歴、1954年から「ピウデンネ」の長・主任設計者、1991年から設計局にヤンヘリの名、設計を率いたミサイルとロケット
    発行:Енциклопедія Сучасної України(НАН України、執筆 В. В. Пилипенко、2022年、2025年更新) 確認日:2026-09-24
  2. Космічна промисловість України1951年の第586工場、1954年の設計局、1966年の改称、コスモス、DS-2、ツィクロン、インテルコスモス、オレオール、ゼニート、1992年の宇宙機関、シー・ローンチ、シーチ1号、ドニプロ、400基を超える衛星
    発行:Енциклопедія історії України(НАН України Інститут історії України、執筆 В. І. Онопрієнко、2021年) 確認日:2026-09-24
  3. Milestones1944年の自動車工場の建設決定、1951年の戦略ミサイルの量産開始、1957年の衛星打ち上げ用ロケットの設計開始、1962年のDS-2、1966年の改称
    発行:ДП «Виробниче об’єднання Південний машинобудівний завод імені О.М. Макарова» 確認日:2026-09-24
  4. Successful launch of the Antares LV2022年2月19日のNG-17、2009年から第1段の主構造の製造
    発行:ДП «Виробниче об’єднання Південний машинобудівний завод імені О.М. Макарова» 確認日:2026-09-24
  5. Antares LV launch2019年4月17日のNG-11、2008年からの協力、第1段の主構造の設計と製造の分担
    発行:ДП «Виробниче об’єднання Південний машинобудівний завод імені О.М. Макарова» 確認日:2026-09-24
  6. Cyclone-4ツィクロン3をもとにした開発、ブラジルとの共同の商業打ち上げ、工場の分担
    発行:ДП «Виробниче об’єднання Південний машинобудівний завод імені О.М. Макарова» 確認日:2026-09-24
  7. Antares space rocket, partly designed in Ukraine, successfully launched in the U.S.2014年1月9日の3回目の打ち上げ、第1段の設計と製造、2008年の長期契約、協力企業
    発行:Embassy of Ukraine in the United States of America 確認日:2026-09-24
  8. Antares Rocketアンタレス230+の最後の飛行は2023年8月、330の第1段はファイアフライ・エアロスペースが開発
    発行:Northrop Grumman 確認日:2026-09-24
  9. Ucrânia1995年からの協力、2003年10月21日の条約、ツィクロン4とアルカンタラ、2015年7月24日の大統領令第8.494号、2016年7月16日の失効、理由の説明
    発行:Agência Espacial Brasileira 確認日:2026-09-24
  10. Український супутник «Січ-2-30» успішно виведено на орбіту2022年1月13日の打ち上げ、設計・組み立て・試験を設計局が行ったこと
    発行:Державне космічне агентство України 確認日:2026-09-24
  11. Statement by Vladimir Putin2024年11月21日。ドニプロの工業コンビナートを攻撃したとする主張
    発行:President of Russia(ロシア大統領府) 確認日:2026-09-24

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