20万件の登録から判決まで、ウクライナで戦争犯罪を裁く手順
ウクライナ検事総長室によれば、全面侵攻から2025年末までに刑法第438条(戦争犯罪)で捜査が始まった事件は20万3,382件です。一方、2025年にこの分類で有罪判決を受けたのは102人でした。登録、疑いの通知、起訴、判決の違いと、国外にいる被疑者を裁く手続き、国際刑事裁判所との分担をまとめます。
ウクライナ検事総長室が公表した2025年の年次報告によれば、ロシアによるウクライナへの全面侵攻が始まった2022年2月24日から2025年12月31日までに、法執行機関は武力紛争に関連する23万2,499件の犯罪について捜査を始めました。このうち20万3,382件は、刑法第438条(戦争犯罪)にもとづく事件です。
同じ報告書は、2025年の1年間に、この分類の事件で疑いの通知が429件出され、起訴状171件(被告296人)が裁判所に送られ、有罪判決が77件(102人)言い渡されたとしています。20万件という数と102人という数の差は、捜査と裁判の段階の違いから生まれています。
20万件は「捜査を始めた記録」の数
ウクライナの刑事訴訟法第214条は、犯罪の届け出を受けたとき、または捜査官や検察官が自ら犯罪をうかがわせる事情を見つけたときは、24時間以内に「統一公判前捜査登録簿」(Єдиний реєстр досудових розслідувань)に記録し、捜査を始めるよう定めています。捜査はこの記録の時点から始まったことになります。
したがって、ニュースで伝えられる「登録された戦争犯罪」の数は、捜査を始めた事件の数です。誰が行ったかが特定された数でも、裁判で犯罪と認められた数でもありません。
検事総長室の報告書は、刑事事件の資料にもとづいて、戦争犯罪による民間人の死者を1万6,445人(うち子ども677人)、負傷者を3万9,003人(うち子ども2,313人)、壊されたり損傷したりした民間の施設を29万2,649か所と集計しています。施設の内訳は、住宅と建物23万5,803、教育・保育施設4,801、医療施設1,363、文化施設905、宗教施設301などです。2026年に承認された検察の「国際犯罪の訴追戦略(2026〜2028年)」も、2026年初めの時点の登録を「20万3千件を超える」と書いています。
刑法第438条が罰していること
第438条の見出しは「戦争犯罪」(Воєнні злочини)です。第1項は、罰する行為を次のように並べています。
- 捕虜や民間人への残虐な取り扱い
- 民間人を強制労働のために追放すること
- 占領地で国の文化財を略奪すること
- 国際法が禁じる戦争の手段を使うこと
- 子どもを不法に移送・追放すること、子どもの帰還を不当に遅らせること、子どもを武力紛争に加わらせるために勧誘・使用すること
- そのほか、最高会議が同意した国際条約が定める戦争の法規と慣例への違反
- これらの行為を命令すること
刑罰は8年から12年の自由刑で、人を死なせた場合(第2項)は10年から15年の自由刑または終身刑です。条文には、2024年10月9日の法律第4012-IX号と2025年6月17日の法律第4499-IX号による改正の注記があります。
同じ章には、侵略戦争の遂行(第437条)、生態系の大規模な破壊などを罰する「エコサイド」(第441条)、ジェノサイド(第442条)が並んでいます。2024年の法律第4012-IX号は、ここに「人道に対する犯罪」(第442-1条)を加えました。この法律は、国際刑事裁判所(ICC)のローマ規程の批准に合わせて刑法と刑事訴訟法を改めたものです。
疑い、起訴、判決は別の段階
ウクライナの報道では「疑いを通知した」(повідомили про підозру)という表現がよく出てきます。これは刑事訴訟法第276〜278条の手続きで、被疑者として扱う段階に入ったことを意味します。通知書は検察官、または検察官の同意を得た捜査官が作り、罪名にあたる刑法の条文と事実の概要を書きます。
捜査が終わると、捜査官が起訴状(обвинувальний акт)を作り、検察官が承認して裁判所に送ります(第291条)。有罪かどうかを決めるのは裁判所です。
刑事訴訟法第17条は、確定した有罪判決によって罪が証明されるまで、人は無罪と推定されると定めています。検察が合理的な疑いを超えて罪を証明できなければ、無罪になります。「疑いの通知」や「起訴」を伝えるニュースは、有罪が決まったという意味ではありません。
| 段階 | 根拠(刑事訴訟法) | 2025年の件数(検事総長室) |
|---|---|---|
| 捜査の開始(登録) | 第214条 | 侵攻からの累計で20万3,382件(第438条) |
| 疑いの通知 | 第276〜278条 | 429件 |
| 起訴状を裁判所へ | 第291条 | 171件(被告296人) |
| 有罪判決 | 第17条(無罪の推定) | 77件(102人) |
国外にいる被疑者を裁く「特別な手続き」
戦争犯罪の被疑者の多くは、ロシアや占領地にいて、ウクライナの捜査機関の手が届きません。そのためウクライナの刑事訴訟法は、被疑者が出頭しないまま捜査と裁判を進める手続きを設けています。
第297-1条の「特別公判前捜査」(in absentia)は、第437〜442-1条などの罪について、被疑者が一時的に占領された領域や、最高会議が侵略国と認めた国の領域に隠れて責任を逃れようとしている場合、または国際手配されている場合に、捜査判事の決定で行うことができます。未成年者は対象外です。2022年の改正で、捕虜交換で相手側に引き渡された人も対象に加わりました。
裁判の段階では、第323条第3項が同じ罪について被告人がいないまま審理する「特別公判手続き」を認めています。この場合、弁護人がつくことが必ず求められ、呼出状は全国向けの報道機関と裁判所のウェブサイトに掲載されます。被告人があとで出頭したり身柄が引き渡されたりした場合は、通常の手続きで審理が続き、弁護側の求めがあれば、本人のいないところで調べた証拠をもう一度調べます(第4項)。
検事総長室の報告書は、2025年にロシア軍の指揮官46人を特定し、集めた証拠にもとづいて責任を問う手続きをとったとしています。戦争犯罪を命じた、または防ぐ義務があったのに防がなかったとされる人たちで、階級は上級大将2人、中将5人などです。
国際刑事裁判所との分担
ICCは2022年3月2日に「ウクライナの事態」の捜査を始めました。日本もこの捜査を求めた国の一つです(経緯は媒体の記事プーチン大統領への逮捕状は、子どもの連れ去りの容疑だったにまとめています)。
ウクライナは2024年8月21日にローマ規程の批准法(第3909-IX号)を定め、10月25日に批准書を寄託し、2025年1月1日に締約国になりました。批准の際、第124条にもとづき、ローマ規程の発効から7年間は、自国民が行ったとされる戦争犯罪についてICCの管轄を認めないと宣言しています。ロシアはICCの締約国ではなく、2016年11月30日に国連事務総長に対して、締約国にならない意思を通知しました。
2026年9月時点で、ICCの「ウクライナの事態」のページには、逮捕状が出た6人が載っています。
| 逮捕状の日付 | 対象(当時の地位) | 容疑 |
|---|---|---|
| 2023年3月17日 | ウラジーミル・プーチン(ロシア大統領)、マリヤ・リヴォワ=ベロワ(ロシア大統領府の子どもの権利担当全権代表) | 占領地域からロシアへの子どもの不法な追放と移送(戦争犯罪) |
| 2024年3月5日 | セルゲイ・コブィラシュ(航空宇宙軍の長距離航空隊司令官)、ヴィクトル・ソコロフ(黒海艦隊司令官) | 民間物への攻撃、民間人への過度の付随的被害(戦争犯罪)、非人道的行為(人道に対する犯罪) |
| 2024年6月24日 | セルゲイ・ショイグ(国防相)、ワレリー・ゲラシモフ(参謀総長) | 同上 |
ICCとウクライナの国内裁判には、大きな違いがあります。ローマ規程は、逮捕状を出す基準を「罪を犯したと信じるに足りる合理的な理由」(第58条)とし、有罪とするには「合理的な疑いを超える」証明を求めます(第66条)。そして第63条は「被告人は公判に出席しなければならない」と定めています。ICCは被告人のいない公判を開けないため、裁判が進むには逮捕と引き渡しが必要です。
検事総長室によれば、全面侵攻の開始以来、ICC検察局から受けた協力要請175件のうち163件に対応しました。事件の数で比べると、戦争犯罪の捜査の大部分はウクライナの国内で行われています。なお、ICCはこの事態について侵略犯罪そのものを裁けません。これを扱うために、欧州評議会とウクライナが別の特別法廷の設置を進めています。
数字を読むときの注意
- 「登録された戦争犯罪」は、捜査を始めた事件の数です。
- 「疑いの通知」「起訴」は、有罪が決まったことを意味しません。
- 検事総長室の報告書には、侵攻の開始から2025年末までに、第一審で8,476人が「武力紛争に関連する犯罪」で有罪になったという数もあります。これは第438条の戦争犯罪に限らない、より広い分類の数で、上の表の102人とは範囲が違います。
- ICCの逮捕状は、容疑者を逮捕するための命令です。有罪の判決ではありません。
ニュースの数字の一般的な読み方はウクライナのニュースを読むとき、最初に確認する五つのこと、捕虜の扱いについては帰還した捕虜129人のうち124人が拷問・虐待を証言。捕虜交換と国際人道法も参照してください。
出典・参考資料
- Annual Report of the Prosecutor General’s Office for 2025(英語版。2022年2月24日〜2025年12月31日の232,499件・第438条203,382件、死者16,445人・負傷者39,003人、民間施設292,649か所の内訳、2025年の疑いの通知429件・起訴状171件(296人)・有罪判決77件(102人)、累計の有罪8,476人、指揮官46人、ICC協力要請175件中163件)
発行:Офіс Генерального прокурора 確認日:2026-09-24 - Стратегія з реалізації повноважень органів прокуратури у сфері кримінального переслідування за вчинення міжнародних злочинів на 2026–2028 роки(2026年初めの登録「20万3千件超」)
発行:Офіс Генерального прокурора 確認日:2026-09-24 - Кримінальний кодекс України № 2341-III(第437〜442-1条、第438条の文言と改正注記、2026年9月24日時点の版)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Кримінальний процесуальний кодекс України № 4651-VI(第17条・第214条・第276〜278条・第291条・第297-1条・第323条)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Закон України № 3909-IX «Про ратифікацію Римського статуту…»(2024年8月21日、第124条の宣言、施行条件)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Закон України № 4012-IX(2024年10月9日。刑法・刑事訴訟法の改正、第442-1条の追加)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Situation in Ukraine, ICC-01/22(捜査開始日、付託国、ウクライナの批准書寄託と発効、逮捕状の対象6人と容疑)
発行:International Criminal Court 確認日:2026-09-24 - Situation in Ukraine: ICC judges issue arrest warrants against Sergei Ivanovich Kobylash and Viktor Nikolayevich Sokolov(2024年3月5日)
発行:International Criminal Court 確認日:2026-09-24 - Situation in Ukraine: ICC judges issue arrest warrants against Sergei Kuzhugetovich Shoigu and Valery Vasilyevich Gerasimov(2024年6月24日発付、25日発表)
発行:International Criminal Court 確認日:2026-09-24 - Rome Statute of the International Criminal Court(第58条・第63条・第66条)
発行:International Criminal Court 確認日:2026-09-24 - Угода між Україною та Радою Європи про створення Спеціального трибуналу щодо злочину агресії проти України(2025年6月25日。前文の、ICCがこの事態で侵略犯罪の管轄を行使できないという記述)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Rome Statute of the International Criminal Court: Status(ウクライナの批准2024年10月25日、ロシアの2016年11月30日の通知)
発行:United Nations Treaty Collection 確認日:2026-09-24
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