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文化・歴史/解説

1818年のパウロウシキーの文法書は「最初のウクライナ語文法」か

1818年にサンクトペテルブルクで刊行されたオレクシー・パウロウシキーの『小ロシア方言の文法』は、ウクライナ語の百科事典で「最初の、生きた民衆のウクライナ語の印刷された文法」とされます。16世紀からの文法書と並べ、「最初」の条件、扉と中身、文字 і の使い方、序文に表れた「方言」と「言語」のあいだの揺れをまとめました。

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オリュカのひとこと

古い文法書の扉には、どんな書名があるのでしょう。最初の見出しで確かめられます。

1818年、サンクトペテルブルクで、本文114ページの小さな本が刷られました。書いたのは、いまのスームィ州の村に生まれたオレクシー・パウロウシキー(Олексій Павловський)です。ウクライナ語の百科事典は、この本を「ウクライナの言語学で最初の、生きた民衆のウクライナ語の印刷された文法」と呼んでいます。

ただ、この「最初」には条件が付いています。それより前にも、ウクライナで書かれ、刷られた文法書はありました。何を数えると1818年が「最初」になるのか。この本の扉と中身、事典の書き方を、2026年9月時点で読める資料から整理します。

扉に書かれた書名

オデーサ国立大学(I. I. メチニコフ記念)の学術図書館が公開している刊本のスキャンの扉には、次のようにあります。

ГРАММАТИКА МАЛОРОССІЙСКАГО НАРѢЧІЯ, или Грамматическое показаніе существеннѣйшихъ отличій, отдалившихъ Малороссійское нарѣчіе отъ чистаго Россійскаго языка, сопровождаемое разными по сему предмѣту замѣчаніями и сочиненіями. Сочин. Ал. Павловскій. … Въ Санктпетербургѣ. … 1818 года.

『Грамматика малороссійскаго нарѣчія』(1818年)の扉。綴りは刊本のまま

日本語にすると「小ロシア方言の文法、または、小ロシア方言を純粋なロシア語から隔てた、最も本質的な違いの文法による提示。この題材についてのさまざまな注と作品を添える」です。印刷したのは В. Плавильщиков(プラヴィリシチコフ)の印刷所で、扉の裏には1818年5月14日付の検閲の許可が刷られています。

  1. オリュカ

    書名の「小ロシア方言」は、どういう呼び名なのかな。

  2. タブリ

    刊本の昔の言葉と、事典のいまの呼び方が、この見出しの下に並んでいるよ。

  3. ヨリクネ

    ウクライナ語を「方言」とする主張がどう使われてきたかは、この見出しの下のリンク先へ寄り道できるよ。

昔の書名の言葉、いまの呼び名

書名の「Малороссійское нарѣчіе」(小ロシア方言)は、刊本の言葉です。「小ロシア」は、ロシア帝国がいまのウクライナの地を呼んだ名前でした。書名は、ロシア語を基準にして、そこから「隔たった」方言として説明する形をとっています。一方、2004年刊のウクライナ語百科事典は、この本を「живої народної української мови」(生きた民衆のウクライナ語)の文法と呼んでいます。以下、書名は刊本のまま書き、言語の名前はウクライナ語と書きます。ウクライナ語を「ロシア語の方言」とする主張がどう使われてきたかはウクライナ語とロシア語はどこが違うのかで扱っています。

中身:20ページほどの文法と、ことばの小辞典

巻末の目次によれば、本は二つの部分に分かれています。

部分章と節ページ
第1部「文字と語の成り立ち」第1章 文字(文字の数、発音)、第2章 品詞(名詞、代名詞、動詞、分詞、そのほかの品詞)1〜21
第2部「小ロシアの文と詩作」第1章 小ロシア語小辞典(ふつうの語、博物の語、洗礼名、言い回しとことわざ)24〜85
第2章 文の例(簡単な例、会話、歌、ある小ロシア人の物語の抜粋、「ヴァクラ・チムィル」)86〜105
総括106〜114
『Грамматика малороссійскаго нарѣчія』(1818年)巻末の「Показаніе содержаній」から作成。章の名前の日本語訳は編集部による。

文法そのものは20ページあまりで、本の多くは語彙と文の例です。百科事典の「Граматика малоросійського наріччя」の項(В. Б. Задорожний 執筆)は、この本がウクライナ語の主な音と形の特徴をロシア語と比べて短く述べ、あわせて語の見本と口承文芸を収めていて、その言葉はおもに北東部の地域のものだと書いています。アルバータ大学のカナダ・ウクライナ研究所(CIUS)が出す Internet Encyclopedia of Ukraine(IEU)も、ドニプロ川左岸の北部の方言にもとづく、としています。

序文でパウロウシキーは、発音の強勢を知らずに話すとおかしいことを経験から知っているので、語に強勢の位置を示す記号を付けた、と書いています。

  1. オリュカ

    本に収められた辞典の語の数は、資料で違うのかな。

  2. スウネ

    二つの事典の数と、どの辞典を指すか決められないことが、この見出しの下にあるよ。

  3. タブリ

    刊本の中で辞典がどこにあるかは、ひとつ上の見出しの目次の表に戻れば分かるよ。

辞典は1,130語か、1,131語か

辞典の語の数は、資料によって1違います。

  • IEU「Pavlovsky, Oleksii」(1993年刊の紙版の再録):ことわざ、格言、詩から採った1,130の語と言い回しの辞典
  • 百科事典「Граматика малоросійського наріччя」:強勢を付けた1,131語の見出しを持つ「Краткій малороссійскій словарь」

同じ百科事典の「Павловський Олексій」の項は、1,130という数を、この本とは別の、パウロウシキーが1826年にまとめたウクライナ語・ロシア語の辞典(А〜Б の文字だけ。刊行は1972年)の語数として書いています。どの数がどの辞典を指すのかは、事典の記述だけでは決められません。

文字 і を使い、聞こえるとおりに書く

この本は、つづりの歴史でもよく名前が挙がります。百科事典の「Правопис」(正書法)の項は、一つの音を一つの文字で書く「音にもとづく正書法」を定着させようとした最初の試みがこの本だとし、音 i を、語の由来にかかわらず文字 і で書くことを取り入れた、と書いています。同じ百科事典の「Український алфавіт」の項は、いまのウクライナ語のアルファベットに残った文字として、і(パウロウシキー、1818年)、є(1837年)、ї(1873年)を挙げています。

刊本の第1章を開くと、実際にそう書いてあります。「О」は一音節の語で і のように発音されるとして сімъ、піпъ、бігъ を、「Ѣ」はロシア語の柔らかい і のように発音されるとして ніжный、літо、слідъ、тінь、сіно を挙げています。また、г の二つの音を書き分けるため、ラテン文字の g のように発音する語は「кг」の2文字で кгуля、кгрона、кгвалтъ と書く、とも書いています。

オリュカのひとこと

「最初の文法」という言い方には、条件があるようです。この見出しで確かめられます。

それより前の文法書

ウクライナの地で書かれ、刷られた文法書は、16世紀からありました。二つの事典が挙げるものを年順に並べます。

年出来事典拠
1574年リヴィウで、イヴァン・フェドロヴィチの『アズブカ』。第2部に文法の知識を含む百科事典「Граматики української мови」、IEU「Grammar」
1586年ヴィリニュスで「Кграматика словеньска язика」。百科事典は東スラヴで最初に刷られた文法の著作とする百科事典「Граматики української мови」
1591年リヴィウで、兄弟団学校の生徒が編んだギリシャ語・教会スラヴ語の文法『Адельфотес』同上、IEU「Grammar」
1596年ヴィリニュスで、ラウレンティー・ズィザニーの教会スラヴ語の文法同上
1619年ヴィリニュス近くのエヴィエで、メレティー・スモトリツキーの教会スラヴ語の文法同上
1643年パリで、イヴァン・ウジェヴィチがラテン語で文法を書く(手稿。刊行は1970年)百科事典「Ужевич Іван」「Граматики української мови」
1790年代パウロウシキーがウクライナ語の概説を書き始めるIEU「Pavlovsky, Oleksii」
1805年パウロウシキーが文法を書き上げる(IEU は1805年に完成、百科事典は1805年までに書かれたとする)IEU、百科事典
1818年サンクトペテルブルクでパウロウシキーの文法が刊行される刊本、IEU、百科事典
1822年パウロウシキーが『Прибавленіе къ грамматикѣ малороссійскаго нарѣчія』を出す。IEU によれば、書評への返答百科事典、IEU
1822〜24年ガリツィアのイヴァン・モヒリニツキーが文法を書く(1910年まで刊行されない)百科事典「Граматики української мови」
1830年ブダ(いまのブダペスト)で、ミハイロ・ルチカイのラテン語の文法『Grammatica Slavo-Ruthena』百科事典、IEU「Luchkai, Mykhailo」
1834年ペレムィシュリで、ヨスィプ・レヴィツキーのドイツ語の文法百科事典、IEU「Levytsky, Yosyp」
1849年リヴィウで、ヤキウ・ホロヴァツキーの文法百科事典「Граматики української мови」
『Українська мова. Енциклопедія』(2004年)の各項と、Internet Encyclopedia of Ukraine の各項から作成。人名・書名のカナは編集部による。

1574年の『アズブカ』については1574年、リヴィウで刷られた『アポストル』と『アズブカ』で、1619年のスモトリツキーの文法書の用語については動詞の体の記事で扱っています。19世紀末以降の文法書の用語は名詞の格の記事にあります。

「最初のウクライナ語文法」は何を数えているのか

1818年を「最初」とする書き方と、それ以前の本との関係は、事典ごとに次のようになっています。

  • 百科事典「Граматика малоросійського наріччя」(Задорожний):「ウクライナの言語学で最初の、生きた民衆のウクライナ語の印刷された文法」。条件は「印刷された」と「生きた民衆の言葉」の二つ
  • 百科事典「Граматики української мови」(М. А. Жовтобрюх 執筆):パウロウシキーの1818年と1822年の本で「はじめて生きたウクライナ語の音の体系と形の組み立てが記述された」
  • IEU「Pavlovsky, Oleksii」:ドニプロ川左岸の北部の方言にもとづいて、話し言葉のウクライナ語の基本的な音と形を記述した最初の著作
  • IEU「Grammar」(ジョージ・シェヴェリョウ執筆、1989年刊の紙版の再録):1574年から1619年までの文法書は、どれも話し言葉ではなく、典礼と神学の文書の言葉だけを扱った
  • 百科事典「Ужевич Іван」(В. В. Німчук 執筆):1643年のウジェヴィチの文法は、17世紀半ばのウクライナ語の体系を主に記述していて、ウジェヴィチは「ウクライナ語を最初に言語学的に扱った学者」として歴史に入った。ただしラテン語で書かれた手稿で、刊行は1970年

整理すると、16〜17世紀の文法書は教会スラヴ語を対象にしていました。ウクライナ語そのものを最初に記述したのは1643年のウジェヴィチの手稿、とする事典の項があります。ただし、同じ百科事典の「Граматики української мови」の項は、ウジェヴィチの文法が記述したのを、当時の書き言葉「проста мова」(平易な言葉)としていて、話し言葉ではありません。「話し言葉のウクライナ語」を「印刷された本」で記述したのが1818年のパウロウシキー、ということになります。どの条件を重く見るかで、「最初」の年は変わります。

「方言」か「言語」か:序文の言葉

パウロウシキー自身は、この言葉をどう見ていたのか。百科事典の「Павловський Олексій」の項は、彼の見方は矛盾していたとし、「方言」と「言語」のあいだで迷いながら「ほとんど本当の言語である方言」という考えに傾き、この言葉は消えていく運命にあると考えながらも、学ぶ必要があると主張した、と書いています。序文には、その揺れがそのまま出ています。

  • 「消えていくこの方言の、かすかな影」(одну слабую тѣнь исчезающаго нарѣчія сего)を紙に書きとめれば足りる
  • いわば「死んだ言葉でも、生きた言葉でもない」(ни мертвымъ ни живымъ языкомъ)ものに取り組むのも無益ではない
  • 「ほとんど本当の言語をなしている方言」(нарѣчіемъ, которое составляетъ почти настоящій языкъ)に、少しでも取り組まない理由があるだろうか

序文の最後で彼は、この仕事が遅かれ早かれ、ロシアの熱心な息子たちと、広大な帝国に散らばるほかの民と言葉に、こうした記念物を守りたいという思いを吹き込むなら、それは自分にとって慰めであり誉れだ、と結んでいます。百科事典の項はこうした見方を示したうえで、それでも彼の仕事がウクライナの民衆の言葉の文法研究を始め、文章語の音・文法・語彙の規範を定める助けになった、と評価しています。

IEU は、この本がウクライナの人々とその歴史、言葉、文学を描いたことで、『ルーシ人の歴史』(Istoriia Rusov)の考えとウクライナのロマン主義の前段階とを結びつけた、と書いています。百科事典は、この本が新しいウクライナの文章語の発展の初めの段階に現れた、と位置づけています。そのころのウクライナ語の文学には、1798年に出たコトリャレウシキー『エネイーダ』がありました。

オレクシー・パウロウシキーについて

生涯について分かっていることは多くありません。二つの事典の書き方を並べます。

IEU「Pavlovsky, Oleksii」百科事典「Павловський Олексій」
生まれ1773年、フルーヒウの近く、ニージン連隊のシュティウカ(Shutivka。いまのソスニウカ)1773年、シュヒウカ村(Шугівка。いまのスームィ州のソスニウカ)
学んだところキーウ・モヒラ・アカデミーを1789年に卒業、ペテルブルクの教員養成学校を1793年に卒業キーウのアカデミーで1779〜1789年に学び、ペテルブルクの教員養成学校を1793年に卒業
仕事ノヴホロド=シーヴェルシキーの愛国的なサークルと関わり、おそらくペテルブルクでベズボロトコ公のもとで官職に就いたニージンのリツェイ(高等学校)で教えた。頌詩や短い物語も書いた
没年1826年より後1826年より後
Internet Encyclopedia of Ukraine(1993年刊の紙版の再録)と『Українська мова. Енциклопедія』(2004年)の項から作成。地名のカナは編集部による。

生まれた村の名は、IEU と百科事典で1文字違います。キーウのアカデミーについてはキーウ・モヒラ・アカデミーで扱っています。

出典と記事の記録出典 8件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Грамматика малороссійскаго нарѣчія1818。扉、扉の裏の検閲許可、序文 I〜VI、第1章 pp.1〜2、本文の最終ページ p.114、巻末の目次。刊本のスキャン
    発行:Ал. Павловскій(Санктпетербургъ, типографія В. Плавильщикова)/スキャンはオデーサ国立大学(I. I. メチニコフ記念)学術図書館の稀覯書リポジトリ 確認日:2026-09-28
  2. Pavlovsky, Oleksii1993年刊の Encyclopedia of Ukraine 第3巻の再録
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  3. GrammarGeorge Yurii Shevelov。1989年刊の Encyclopedia of Ukraine 第2巻の再録
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  4. Luchkai, Mykhailo1993年刊の第3巻の再録
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  5. Levytsky, Yosyp1993年刊の第3巻の再録
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  6. Tsertelev, Nikolai1993年刊の第5巻の再録。1822年の小冊子との関係の確認に使用
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  7. Українська мова. Енциклопедія, 2-ге вид.2004。「Граматика малоросійського наріччя» О. П. Павловського」〔В. Б. Задорожний〕、「Павловський Олексій Павлович」〔В. Б. Задорожний〕、「Граматики української мови」〔М. А. Жовтобрюх〕、「Ужевич Іван」〔В. В. Німчук〕、「Лучкай Михайло Михайлович」〔В. В. Німчук〕、「Правопис」、「Український алфавіт」、「Апостроф」
    発行:НАН України, Інститут мовознавства ім. О. О. Потебні, Інститут української мови(Вид-во «Українська енциклопедія» ім. М. П. Бажана) 確認日:2026-09-27
  8. Z istoriï ukraïnsʹkoï movy: do 150-richchia "Grammatiki" O. PavlovsʹkohoKyïv, 1972。書誌の確認
    発行:Harvard Library(HOLLIS。レコード 990037811860203941) 確認日:2026-09-27

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