ウクライナ語とロシア語はどこが違うのか
ウクライナ語とロシア語は同じキリル文字を使いますが、ウクライナ語には і、ї、є、ґ があり、ы、э、ъ、ё がありません。「г」の音、「はい」「いいえ」の語、ポーランド語からの借用にも違いが出ます。帝政期に「方言だ」とされた経緯とあわせて、二つの言語の近さと遠さを説明します。
ウクライナの首都の名前は、ウクライナ語で Київ と書きます。ウクライナ政府が定めたラテン文字への転写表では、これが Kyiv になります。二文字目の ї は、ロシア語の文字にはありません。
ウクライナ語とロシア語は、どちらもキリル文字で書かれ、どちらも東スラヴ語に分類されます。見た目が似ているぶん、日本からは「同じ言葉の地方差」のように見えることがあります。けれども文字、音、語彙を並べると、二つが別々の言語として形づくられてきたことがわかります。
文字 ── і、ї、є、ґ があり、ы、э、ъ、ё がない
カナダのアルバータ大学ウクライナ研究所が編む『Internet Encyclopedia of Ukraine』(IEU)の「Alphabet」の項によれば、現代ウクライナ語のアルファベットは33文字です。ウクライナ閣僚会議が2010年に定めたラテン文字転写表(決議第55号)には、その文字が一つずつ並んでいます。
その中には、ロシア語で使われない文字が四つあります。
- і ── 転写表では i。例:Іванків(Ivankiv)
- ї ── 語頭では yi、それ以外では i。例:Київ(Kyiv)
- є ── 語頭では ye、それ以外では ie。例:Єнакієве(Yenakiieve)
- ґ ── 転写表では g。例:Ґорґани(Gorgany)
逆に、ウクライナ語の文字表には ы、э、ъ、ё がありません。このうち ы について、IEUは「ロシア語の文字」と呼んでいます。
この違いは、文字の好みの問題にとどまりません。IEUの「Yaryzhka alphabet」の項によれば、1876年のエムス法令のもとで、ロシア帝国内のウクライナ語の出版物はロシア語のアルファベットで印刷しなければならなくなりました。この書き方は蔑称で「ヤルィシュカ」と呼ばれ、その名前はロシア語の文字 ы の名称(yery)から来ています。規制は1905年まで続きました。
ґ にも曲折があります。IEUの「Orthography」の項によれば、スターリン体制は1930年代にウクライナ語の正書法をロシア語に近づける方向で改め、1933年には外来語や外国の人名での ґ の使用を全面的に禁じました。1990年の正書法で、限られた語に ґ が戻されています。
音 ── 「г」は h に近く、o と i が入れ替わる
同じキリル文字でも、読み方が違うものがあります。わかりやすいのが г です。先の転写表は、ウクライナ語の г を h、ґ を g と書き分けています(Гадяч=Hadiach、Ґалаґан=Galagan)。IEUの「Ukrainian language」の項は、g が h に変わる変化が1200年ごろ、ウクライナ語の地域全体で起きたと説明し、noha(足)を例に挙げています。
IEUが「現代ウクライナ語の最も目立つ特徴の一つ」と呼ぶのが、o と i の交替です。「猫」は kit(кіт)ですが、「猫の」(生格)になると kota(кота)に戻ります。同項目によれば、この交替が文書に現れる最も早い例は1653年です。
強勢のない母音の扱いも、IEUは東スラヴ語どうしを分ける特徴に挙げています。ウクライナ語の祖先にあたる方言は、強勢のない音節でも o と a を区別し続けた点で、ベラルーシ語の祖先にあたる方言と分かれた、という説明です。
さらに、ウクライナ語には и と і という二つの文字があり、別の音を表します。IEUによれば、и は i と y の中間の音で、13世紀以降の変化を経て生まれました。カナで書くとどちらも「イ」になってしまうので、日本語で読むときには区別が消えやすい点に注意がいります。
語彙 ── 同じ形の言い回し、違う単語
語彙はどうでしょう。ブリタニカ百科事典の「Ukrainian language」の項は、ウクライナ語にはポーランド語からの借用語が多く、教会スラヴ語からの借用はロシア語より少ないと書いています。IEUはさらに踏み込み、14世紀末から16世紀にかけてポーランド語などからの借用が進んだ結果、ウクライナ語の語彙はロシア語や教会スラヴ語より西スラヴ語に近くなった、としています。
日常の短い言葉で比べてみます。ウクライナ語の欄は、ウクライナ語の辞書(СУМ)の記述にもとづく表記で、カナの「ー」は長さではなく強勢の位置を示します。ロシア語の欄は、ロシア語正書法辞典(ロパーチン編)の見出しです。
| 意味 | ウクライナ語 | ロシア語 |
|---|---|---|
| ありがとう | дякую(ジャークユ)/спасибі(スパスィービ) | спасибо |
| はい | так(タク) | да |
| いいえ | ні(ニ) | нет |
| さようなら | до побачення(ド・ポバーチェンニャ) | до свидания |
「はい」「いいえ」は単語そのものが違います。一方、「ありがとう」の спасибі は、ウクライナ語の辞書が дякую と同じ意味の語として載せているもので、ロシア語の спасибо と形が近い語もウクライナ語の中にあることがわかります。
「さようなら」は、組み立て方が同じで単語が違う例です。до побачення も до свидания も、「〜まで」にあたる前置詞 до に、「会うこと」を意味する名詞(побачення/свидание)を付けた形です。どちらの言語でも間に形容詞を挟んで「до скорого побачення」「до скорого свидания」(また近いうちに)と言えます。骨組みが同じでも、中に入る語が違う。二つの言語の近さと遠さが、この一語によく出ています。
「方言だ」とされてきた歴史
ウクライナ語はロシア語の方言だ ── という主張は、言語学の結論として出てきたものではありません。ロシア帝国が、ウクライナ語の出版を止める理由として持ち出したものです。
IEUの「Valuev, Petr」の項によれば、ロシア帝国の内務大臣ピョートル・ヴァルーエフは、1863年7月30日付の秘密の指示で、ウクライナ語の出版物を(文芸作品を除いて)禁じました。そこに書かれた理由は次のようなものでした。
独立した小ロシア語など、存在したこともなく、存在してもおらず、存在しうることもない。庶民が使う方言は、ポーランド語の影響で崩れただけの、まさにロシア語そのものである
ヴァルーエフの指示(1863年)。Internet Encyclopedia of Ukraine「Valuev, Petr」項の英訳からの重訳
「小ロシア」は、帝政期にウクライナを指して使われた呼び名です。この主張は、1876年のエムス法令によるさらに広い禁止へとつながります。その中身と、同じ時期の日本の出来事はロシア帝国でウクライナ語の出版が禁じられた翌年、日本では東京大学が開かれたで詳しく書いています。
この主張を、帝国の学術機関自身が退けています。IEUの「Revolution of 1905」の項によれば、1905年3月、サンクトペテルブルクの科学アカデミーは、ウクライナ語はロシア語の方言ではなく独立したスラヴ語であると表明し、ヴァルーエフの通達とエムス法令による制限を撤廃するよう勧めました。
ソビエト期には、別の形の圧力がかかりました。IEUの「Russification」の項は、ソビエト政権の確立後にロシア語が党と行政の言葉になったこと、1932〜33年に党が極端な反ウクライナの方針に転じたこと、戦後に学校や大学、学術出版でロシア語への切り替えが進んだことを、数字とともに記録しています。先に見た1933年の ґ の禁止も、この流れの中にあります。
言語学はどう扱っているか
現在の学術的な事典は、ウクライナ語を独立した言語として扱っています。IEUの「Ukrainian language」の項(言語学者ジョージ・シェヴェリョウ執筆)は、ウクライナ語をスラヴ語派の12の現存言語の一つとし、6世紀から11世紀半ばの「祖ウクライナ語」の時期に、隣り合う方言と共有しない特徴が積み重なって、ウクライナ語が別の言語として生まれたと説明しています。
ただし、いつから別の言語と言えるかについては、資料によって書き方が違います。ブリタニカは、ウクライナ語はロシア語やベラルーシ語と12世紀か13世紀まで区別がつかなかったと書き、13世紀のキーウ・ルーシの崩壊のあとに、ウクライナ語を姉妹語から分ける方言的な特徴が現れたとしています。どちらの資料も、ウクライナ語が独立した言語であることは前提にしています。違うのは、分かれ始めた時期の置き方です。
どのくらい通じるのか
ブリタニカは、ウクライナ語はベラルーシ語ほどロシア語に似ておらず、三つの言語は「部分的に」相互に理解できる、と書いています。
「部分的に」の中身は、人によってかなり違うはずです。二つの言語を日常的に聞いて育った人と、片方だけで育った人とでは、同じ文章を前にしても理解できる度合いが違います。ウクライナ語とロシア語の語彙が「何割共通する」という数字もよく見かけますが、どの資料で、どう数えたのかを原典までたどれなかったため、ここでは挙げていません。
ウクライナでどちらの言葉が話されてきたかという言語事情は、ウクライナの言語事情の記事でも扱っています。話す言語だけで、その人の考えや立場を推し量ることはできません。
Київ の ї の一文字には、印刷を禁じられた時代も、文字を削られた時代もくぐり抜けてきた、この言語の歴史が入っています。
出典・参考資料
- Ukrainian language(紙版は1993年刊行の第5巻が初出。執筆:George Yurii Shevelov。東スラヴ語への分類、祖ウクライナ語、g→h、o:i の交替と1653年、и の成立、o と a の区別、ポーランド語などからの借用と西スラヴ語への接近)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所=CIUS) 確認日:2026-09-23 - Alphabet(33文字)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-23 - Yaryzhka alphabet(エムス法令下のロシア語アルファベットでの印刷、名称の由来 ы、1905年まで)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-23 - Orthography(紙版は1993年刊行の第3巻が初出。1933年の ґ の禁止、1990年の正書法)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-23 - Valuev, Petr(紙版は1993年刊行の第5巻が初出。1863年7月30日の秘密の指示とその理由の文言)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-23 - Ems Ukase(1876年5月30日の勅令)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-23 - Revolution of 1905(紙版は1993年刊行の第4巻が初出。1905年3月の科学アカデミーの表明)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-23 - Russification(ソビエト期のロシア語化政策)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-23 - Ukrainian language(東スラヴ語、12〜13世紀まで区別がつかなかったという記述、部分的な相互理解、ポーランド語・教会スラヴ語からの借用)
発行:Encyclopaedia Britannica 確認日:2026-09-23 - Постанова Кабінету Міністрів України від 27.01.2010 № 55「Про впорядкування транслітерації українського алфавіту латиницею」(文字の一覧と転写例)
発行:Кабінет Міністрів України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-23 - 『Русский орфографический словарь』(В. В. Лопатин, О. Е. Иванова 編)見出し спасибо、да、нет、до свидания/『Большой универсальный словарь русского языка』見出し свидание、до свидания
発行:Грамота.ру(辞典本文の掲載) 確認日:2026-09-23 - СУМ-11・СУМ-20 の見出し дякувати、спасибі、так、ні、побачення(ウクライナ語の語例と強勢)
発行:収録サイト Горох goroh.pp.ua/Словник.ua(辞典本文の二次掲載) 確認日:2026-09-23 - Словник української мови у 20 томах 見出し побачення(「До (скорого, швидкого, приємного і т. ін.) побачення — усталена форма прощання」)
発行:収録サイト slovnyk.me(辞典本文の二次掲載) 確認日:2026-09-23
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