トロイアの英雄がコサックになる、コトリャレウシキー『エネイーダ』
ウェルギリウスの叙事詩の英雄アエネアスを、ウクライナの話し言葉でしゃべるコサックの若者に書き換えた『エネイーダ』。ハルーシュキやボルシチが並ぶ宴の場面、10行の連という新しい詩の形、そしてこの作品がウクライナ語を文学の言葉にしていった意味を、事典と本文からたどります。2026年には初めての日本語訳が出ました。
オリュカのひとこと
トロイアの英雄が、なぜコサックの若者として話し出すのでしょう。「トラヴェスティ」という書き換えを本文で確かめられます。
Еней був парубок моторний / І хлопець хоть куди козак(アエネアスは元気な若者で、どこへ出しても恥ずかしくないコサックだった)
イヴァン・コトリャレウシキー『エネイーダ』第1部 第1連の冒頭(日本語は本記事の訳)
古代ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』では、トロイアの英雄アエネアスは神々の意志に従い、ローマの礎を築く使命を背負った人物です。18世紀の終わり、ポルタヴァの詩人イヴァン・コトリャレウシキー(Іван Котляревський、1769〜1838年)は、この英雄を、ウクライナの村の言葉でしゃべるコサックの若者に書き換えました。それが『エネイーダ』(Енеїда)です。
2026年、この作品の初めての日本語訳が、幻戯書房のルリユール叢書から出ました。『エネイーダ』は元の叙事詩の何を変え、なぜウクライナ語の歴史の中で特別な位置にあるのか。事典の記述と作品の本文からたどります。
刊行までの40年余り
作者の生没年は、アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所(CIUS)の Internet Encyclopedia of Ukraine(IEU)では1769年9月9日生まれ、1838年11月10日没です。ウクライナの国の事典『大ウクライナ百科事典』(ВУЕ)は当時の暦で8月29日生まれ、10月29日没としています。どちらもポルタヴァで生まれ、ポルタヴァで亡くなりました。
書き始めたのは1794年ごろです。最初の3部が1798年にサンクトペテルブルクで出版され、全6部がそろった版が出たのは、作者が亡くなったあとの1842年、ハルキウでした。1798年の版は、マクシム・パルプラが費用を出し、作者の許しを得ないまま出したものでした(ВУЕ、『ウクライナ文学百科事典』)。刊行の経緯と、その後にロシア帝国がウクライナ語の出版を禁じた歴史は、エムス法令の記事とウクライナ文学は何から読むかで扱っています。
英雄を「村の若者」に書き換える
筋はそのまま、神々と英雄を引き下ろす
IEUは『エネイーダ』を、まじめな、あるいは英雄的な作品を笑いの作品に作り替える「トラヴェスティ」(травестія)の、ウクライナ文学での代表例としています。神々も英雄も、ウクライナの民族衣装を着せられ、ウクライナの日々の暮らしを背景に、おかしく描かれている、というのがIEUの説明です。
ウクライナの国の科学アカデミーの文学研究所が編んだ『ウクライナ文学百科事典』(1988〜1995年刊)は、作者はウェルギリウスの筋書きの骨組みを保ったまま、神々と英雄を引き下ろし、暮らしの場面を広げたと書いています。元の叙事詩の人物がローマ的な敬虔さと市民の義務の象徴で、神々の意志をただ実行する存在だったのに対し、コトリャレウシキーはそれを、広い読者に向けた、民衆の「おとぎ話」に変えた、という評価です。
本文を開くと、その書き換えは冒頭から始まっています。第1部第1連で、ギリシャ人がトロイアを焼き払ったあと、アエネアスは「袋をかついで逃げ出し」、焦げた仲間を連れて「かかとでトロイアから逃げた」と書かれます。第3連では、女神ユノがアエネアスを嫌う理由として、トロイアで生まれたこと、ウェヌスを「お母さん」と呼ぶこと、そして亡くなった「おじさん」のパリスが、ウェヌスに(黄金の)リンゴを渡したことが挙げられます。神話の因縁が、親戚づきあいの恨みのように語られています。
先行するパロディとの関係
ウェルギリウスをもじった作品は、それ以前にもヨーロッパにありました。IEUは、フランスのポール・スカロン、オーストリアのアロイス・ブルーマウアー、ロシアのニコライ・オシポフとアレクサンドル・コテリニツキーの作品を挙げ、オシポフとコテリニツキーの戯作が手本になったとしながらも、コトリャレウシキーの作品は「まったく独創的な作品」で、芸術としてもはるかに優れていると評価しています。
オリュカのひとこと
嵐を逃れた一行は、ハルーシュキと一緒に何をかき込んだのでしょう。第1部第13連の宴の場面を読んでみましょう。
宴の場面に並ぶ料理
『エネイーダ』には、飲み食いの場面が何度も出てきます。第1部第13連、嵐を逃れたトロイアの一行の食事はこうです。
Тут з салом галушки лигали, / Лемішку і куліш глитали / І брагу кухликом тягли(ここで脂身と一緒にハルーシュキを飲み込み、レミシカとクリシをかき込み、ブラハをカップであおった)
『エネイーダ』第1部第13連(日本語は本記事の訳)
ハルーシュキ(галушки)は小麦粉の生地をちぎってゆでたもの、レミシカ(лемішка)とクリシ(куліш)はそば粉や穀物の粥、ブラハ(брага)は発酵させた飲み物です。第2部第13連では、アエネアスの父アンキセスを弔う宴として、スープ(юшка)の鍋が5つ、ハルーシュキの鍋が4つ、ボルシチ(борщ)が6つ近く、ゆでた羊、焼いた鶏やガチョウやアヒルが並びます。
『ウクライナ文学百科事典』は、『エネイーダ』だけで衣服、家の中の道具、建物、農作業、食べ物、植物、動物などにわたる7,000語が使われているとし、作者はウクライナ語が高い芸術の文学を生み出せることを証明した、と書いています。ウクライナの料理そのものについては、ウクライナの食卓で扱っています。
10行の連と、話し言葉
IEUは、この作品の新しさを二つ挙げています。一つは、ウクライナの話し言葉で書いたこと。もう一つは、当時よく使われた音節の数をそろえる詩(音節詩)ではなく、四歩格の弱強格(ヤンブ)を使い、規則的に韻を踏む10行の連という新しい形式を使ったことです。『ウクライナ文学百科事典』も、この作品がウクライナ文学に、強弱のリズムと音節を組み合わせた詩の書き方(音節アクセント詩)を根付かせたとしています。
話し言葉で書いたことの意味について、IEUは、コサックの国(ヘーチマン国家)の記憶がまだ生きていて、農奴制の抑圧が最も強かった時代に書かれた作品が、同時代の人々に広く読まれ、まねる作品を生み、ウクライナの話し言葉が文学の言葉の地位を得ていく過程を始めた、と説明しています。ВУЕは、この作品が「新しいウクライナ文学の始まりを築いた」とし、ウクライナの文章語の形成で一つの段階になったと書いています。『ウクライナ文学百科事典』は、コトリャレウシキーの時からウクライナの文学は近代文学の性格を持ち始めた、というイヴァン・フランコの言葉を引いています。
影響はウクライナの外にも及びました。IEUと『ウクライナ文学百科事典』によれば、作者不明のベラルーシ語の戯作『裏返しのエネイーダ』(Энеіда навыварат)も、この作品の影響のもとで書かれました。
笑いをどう読むか
この作品の笑いが何を笑っているのかについては、読み方が一つではありません。
『ウクライナ文学百科事典』によれば、「コトリャレウシチナ」(котляревщина)という言葉は、1861年に作家パンテレイモン・クリーシが使い始めたもので、クリーシは『エネイーダ』の笑いを、民衆の暮らしをあざ笑うものと解釈しました。この言葉は19世紀後半から20世紀前半のウクライナの文学研究で、この作品をまねた一連の滑稽な作品を指すのに使われました。
IEUの項目(1988年の事典の再録)は、作者の世界の見方は社会や政治ではなく道徳の基準に導かれており、抑圧された農民への共感は、帝政への忠誠の下に置かれていた、と書いています。一方で、この作品を正面から論じた文章も書かれてきました。IEUとВУЕはどちらも、評論家イェウヘン・スヴェルスチュークの「コトリャレウシキーは笑っている」を文献に挙げています。ВУЕの文献一覧には、この作品と「小ロシア」という呼び名をめぐる植民地の言説を論じた、タマラ・フンドロヴァの論文も入っています。
日本語訳
日本語訳は、上村正之訳『エネイーダ』(幻戯書房、ルリユール叢書)です。版元は刊行年月を2026年7月とし、本邦初訳としています。国立国会図書館の書誌では、刊行は2026年8月、624ページで、原題の欄には『全集』(Повне зібрання творів)とあり、年譜と文献が付いています。版元の紹介文は、この作品を、古代の英雄をコサックに見立てた『アエネーイス』のパロディで、帝政ロシアの支配下で失われていく民衆の自由な世界と風俗を描いた叙事詩としています。
訳書での作者名の表記は「イワン・コトリャレウシキー」です。図書館や書店で探すときは、この表記で検索できます。
出典と記事の記録
出典・参考資料
- Kotliarevsky, IvanPavlo Petrenko 執筆、Encyclopedia of Ukraine 第2巻〔1988年〕の再録。生没年月日、1794年の執筆開始、1798・1809・1842年の刊行とパルプラ、先行するパロディ、話し言葉と10行の連、同時代の人気と模倣、ベラルーシの『エネイーダ』、道徳の基準と帝政への忠誠、文献
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-24 - TravestyEncyclopedia of Ukraine 第5巻〔1993年〕の再録。トラヴェスティの定義と『エネイーダ』
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-24 - Burlesqueブルレスクの定義
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-24 - Котляревський, Іван Петрович生没年月日〔旧暦〕、1798年の刊行と作者の許しのない出版、新しいウクライナ文学の始まり、文献一覧
発行:Велика українська енциклопедія 確認日:2026-09-24 - Котляревський Іван Петрович/КотляревщинаМ. Т. Яценко ほか執筆。生没年月日〔新旧両暦〕、1798年の版とパルプラ、ウェルギリウスとの違い、7,000語、音節アクセント詩、フランコの評価、ベラルーシの『エネイーダ』、クリーシの「コトリャレウシチナ」〔1861年〕
発行:Українська літературна енциклопедія(Інститут літератури ім. Т. Г. Шевченка АН УРСР, 1988–1995)、電子版「Ізборник」 確認日:2026-09-24 - 『エネイーダ』書誌ページイワン・コトリャレウシキー著、上村正之訳、ルリユール叢書、2026年7月、本邦初訳、紹介文
発行:幻戯書房 確認日:2026-09-24 - エネイーダ書誌。2026年8月、624p、原タイトル: Повне зібрання творів、文献あり 年譜あり
発行:国立国会図書館サーチ 確認日:2026-09-24
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