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コサックの時代
ザポリッジャのシーチ、ヘーチマンの自治、コサックの歌。16世紀から18世紀のウクライナをたどります。
記事7本
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1817年に閉じられ、1991年に戻った学校。キーウ・モヒラ・アカデミー
1615年に寄進された屋敷で始まった兄弟団の学校は、1632年にペトロ・モヒラのもとで学院になり、ヘーチマンや聖職者を育てました。ロシア帝国のもとで衰え1817年に閉じられた学校は、独立直後の1991年に大学として再興されます。その歩みを、事典と法令でたどります。
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歌い出す人と高い声がいないと歌えない、ドニプロペトロウシク州のコサックの歌
一人が歌い出し、もう一人が高い声で旋律を導き、残りの人が中と低い声で支える。ドニプロペトロウシク州の村の合唱団が歌うコサックの歌は、2016年にユネスコの緊急保護一覧に載りました。担い手の年齢、声の役割、緊急とされた理由、2020年の報告の中身を、申請書と決定から読みます。
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トロイアの英雄がコサックになる、コトリャレウシキー『エネイーダ』
ウェルギリウスの叙事詩の英雄アエネアスを、ウクライナの話し言葉でしゃべるコサックの若者に書き換えた『エネイーダ』。ハルーシュキやボルシチが並ぶ宴の場面、10行の連という新しい詩の形、そしてこの作品がウクライナ語を文学の言葉にしていった意味を、事典と本文からたどります。2026年には初めての日本語訳が出ました。
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「世は私を捕えようとした、だが捕えなかった」哲学者スコヴォロダ
500フリヴニャ紙幣の肖像の人物、フルィホリー・スコヴォロダ(1722〜1794年)は、学院の職を解かれたあと25年にわたって各地を歩き、友人のもとで詩や対話を書いた哲学者です。生涯と著作、「生まれつき合った仕事」の考えを事典からたどり、生誕300年の2022年にロシアのミサイルで壊された博物館の記録をまとめます。
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コサックの自治が終わり、ウクライナ語の出版が禁じられるまで
1648年のフメリニツキーの蜂起から、原本が残っていない1654年のペレヤスラウ協定、1764年のヘーチマン職廃止と1775年のシーチ破壊、1863年と1876年のウクライナ語出版の禁止を経て、第一次世界大戦の直前までをたどります。蜂起のなかでユダヤ人共同体が受けた被害は、推計の違いをそのまま示しています。
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シーチが築かれてから壊されるまでの220年、日本は戦国から江戸へ
ドニプロ川にシーチが築かれた1552年ごろから、最後のシーチが破壊された1775年までの約220年を、同じ時期の日本と並べます。シーチは一つの場所ではなく八つありました。ペレヤスラウの合意は原本が残っていません。ポルタヴァの戦いには日付が二つあります。
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ウクライナってどんな国?文化や歴史について3分でおさらい
ウクライナについて、あなたはどのくらい知っていますか?ウクライナについて基本情報と文化や歴史を記事にまとめました。 ウクライナについての理解を深めましょう。 ウクライナってどんな国…
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