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文化・歴史/解説

バンドゥーラを弾いて座るコサック。民画「コサック・ママイ」

あぐらをかいてバンドゥーラを弾くコサックと、そばの馬、樫の木、武器。17〜19世紀のウクライナで家の壁や戸、長持ちを飾った民画「コサック・ママイ」です。決まった構図、18世紀の半ばから加わった人物と「ママイ」という名前、18世紀末にできあがった姿を、ウクライナの歴史百科事典の記述からまとめました。

画像:Ukrainavi

オリュカのひとこと

バンドゥーラを弾くコサックに、いつから「ママイ」という名前が付いたのでしょう。事典の説明を本文でたどれます。

草原の真ん中で、あぐらをかいて座ったコサックがバンドゥーラを弾いている。そばには馬と樫の木、武器、パイプ、酒の瓶。こうした絵は「コサック・ママイ」(Козак Мамай)、あるいは「コサック・バンドゥーラ弾き」(козак-бандурист)と呼ばれ、17〜19世紀のウクライナで家の中を飾った民衆の絵です。

以下は、ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所の『ウクライナ歴史百科事典』(Енциклопедія історії України)第4巻(2007年)の項目「“Козак Мамай”, “козак-бандурист”」(執筆 イリーナ・ラスカ)による内容です(2026年9月時点)。

決まった型で描かれる

事典によれば、この絵は伝統的な構図で描かれます。中心にはバンドゥーラを持ったコサックが、動かない姿勢で座っています。時代が下るにつれて絵には脇の場面や人物が加わっていきますが、主人公の座った姿勢だけは変わりません。研究者は、このように一人だけを描く構図のほうが古い形だとみています。

座り方の由来について、研究者は東方の図像(イコノグラフィー)から来たとし、スキタイの時代の美術や、さらに古い時代の作例との似かよいも指摘している、と事典は書いています。これは研究者の見方として紹介されているものです。

18世紀の末にできあがった姿

事典は、「コサック・ママイ」の姿が最終的にできあがったのは18世紀の終わりだとしています。その姿は次のとおりです。

  • 若い顔、大きく見開いた目、長い口ひげ、頭頂に一房だけ残した髪(オセレデツ)、豪華な服
  • 足を組んで座り、草原の中でひとり物思いに沈みながらバンドゥーラを弾く
  • そばに描かれるもの:軍馬、緑の樫の木、コサックの武器、帽子、パイプ、酒の瓶と杯

色は赤が中心で、黒、黄土色、緑の濃淡と組み合わされます。事典は、線はなめらかで丸みを帯び、表現は簡素で、バロックの時代の気分が表れていると説明します。

「ママイ」という名前が付くまで

事典によれば、18世紀の半ばから、ハイダマキ(18世紀の武装した民衆の運動)の影響で、絵にほかの人物が描き込まれるようになりました。人物の多くは小さく描かれ、主人公とはあまり関わらずに、酒を飲む、踊る、殴り合う、銃を撃つ、魚のスープを煮るといった場面を演じます。

それと同じころ、それまでの絵に特徴的だった下の部分の詩の書き込みが消え、コサックに「ママイ」という名前が付けられたと事典は書いています。その詩の多くはユーモラスなもので、人形劇ヴェルテプの喜劇に出てくるコサックの独白に、いろいろな言葉を足したものでした。

「ママイ」という名前の由来について、事典は「一つの説によれば、ハイダマキの頭目の一人の姓だった」と書くだけで、断定していません。このあと、この名前は古い「コサック・バンドゥーラ弾き」の絵の写しにも移り、すべての型の絵に定着しました。

民衆の意識の中で、コリーイウシチナと呼ばれる蜂起の頭目や参加者は英雄だった、と事典は書き、蜂起の頭目の一人マクシム・ザリズニャクを「コサック・ママイ」と同じ姿勢で、バンドゥーラとともに描いた絵(1858年)の例を挙げています。

家の壁、戸、長持ちに描かれた

事典によれば、コサック・バンドゥーラ弾きの絵は17〜19世紀のウクライナの地でもっとも好まれた絵でした。とくにポルタヴァ、チェルニーヒウ、ハルキウの地方で多く、右岸(ドニプロ川の西)では少なかったとされます。

普通のコサックの子孫である農民たちはこの絵で家を飾り、さらに家の戸や壁、長持ち(衣類を入れる箱)、暖炉のタイル、器にもコサック・バンドゥーラ弾きの姿を描いた、と事典は書いています。

時期事典が書いている変化
17〜19世紀ウクライナの地でもっとも好まれた絵。ポルタヴァ、チェルニーヒウ、ハルキウの地方に多い
18世紀半ば〜ハイダマキの運動の影響で、脇の人物や場面が加わる。下の詩の書き込みが消え、「ママイ」の名前が付く
18世紀の終わり若い顔、長い口ひげ、あぐらでバンドゥーラを弾くひとりの姿ができあがる
19世紀の初めコサックの横で町の服を着た小領主が酒を勧める絵、娘たちが踊る絵などが描かれる
『ウクライナ歴史百科事典』第4巻(2007年)「“Козак Мамай”, “козак-бандурист”」をもとに作成。

オリュカのひとこと

武器を持ちながら、なぜ戦わずに物思いにふけっているのでしょう。研究者の見方をこの節で確かめられます。

なぜ、ひとりで座って弾いているのか

事典は、この絵が強い一般化によって象徴の意味を持ち、民衆の歴史の記憶をとどめ、自分の土地を守る穏やかな番人という理想を表している、と評価しています。武器を持ちながら戦っておらず、物思いにふけっている姿になった理由について、研究者は、この姿ができあがったのがコサックの自由な時代がすでに過去になったころだったからだ、とみている、と事典は書いています。

コサックの時代とその終わりはコサックの自治が終わり、ウクライナ語の出版が禁じられるまで、楽器バンドゥーラと歌い手については旅をした目の見えない歌い手コブザールと、楽器バンドゥーラで扱っています。

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出典・参考資料

  1. “Козак Мамай”, “козак-бандурист”構図、姿勢の由来の見方、18世紀半ばからの変化、詩の書き込み、名前の由来の一説、18世紀末の姿、色、17〜19世紀の広がり、描かれた場所。執筆 Ласка І. М.、『Енциклопедія історії України』第4巻、2007年
    発行:ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所 確認日:2026-09-24

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