ウクライナの国勢調査は2001年が最後。予定は5回動いて取り消された
ウクライナで最後に国勢調査が行われたのは2001年12月5日です。次の調査の予定は、内閣の決定で2011年から2012年、2013年、2016年、2020年、2023年と5回動き、2023年10月に取り消されました。1897年からの国勢調査の年表と、戒厳令のあいだは行わないと定めた法律の条文を並べます。
オリュカのひとこと
ウクライナの国勢調査は、いつが最後だったのでしょう。最初の見出しで確かめられます。
ウクライナで最後に国勢調査が行われたのは、2001年12月5日です。独立後はじめての、そしていまのところただ一度の全ウクライナ国勢調査でした。次の調査は2011年に予定されていましたが、内閣の決定で予定の年は2012年、2013年、2016年、2020年、2023年と5回動き、2023年10月にはその予定そのものが取り消されました。2026年9月時点で、次の国勢調査の日付は決まっていません。
いまのウクライナの土地で行われてきた国勢調査を、1897年のロシア帝国の調査から年の順にたどり、2001年のあと予定がどう動いたかを、内閣の決定と国勢調査法の本文で確かめます。国勢調査がないあいだの人口の推計と、その数字の食い違いはウクライナの人口の公式推計は、2022年1月1日で止まっているで扱っています。
同じ土地を、どの国が数えてきたか
国勢調査は、決めた時点に国の中にいる人を一人ずつ数える調査です。いまのウクライナの土地は20世紀の半ばまでいくつもの国に分かれていたので、地方によって、数えた国も回数も違います。ウクライナ国家統計委員会(当時の名前。いまの国家統計局)が2001年の国勢調査のサイトに載せている沿革と、ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所の『ウクライナ史百科事典』第8巻(2011年)の項目「国勢調査」(執筆 V・ステシェンコ)から、主な回を並べます。
| 年(調査の時点) | 調査 | 数えた範囲 | 典拠 |
|---|---|---|---|
| 1897年2月9日(当時の暦で1月28日) | ロシア帝国の第1回全国調査 | ロシア帝国領だった東部・中部・南部と、いまのヴォリーニ州・リウネ州など | 事典、統計委員会 |
| 1857〜1910年に6回 | オーストリアの調査 | いまのリヴィウ州・テルノーピリ州・イヴァーノ=フランキーウシク州・チェルニウツィー州の大部分。ザカルパッチャはハンガリーの調査 | 統計委員会 |
| 1920年8月28日 | ソヴィエト共和国の調査 | ヴォリーニ県とポジッリャ県では行われなかった | 事典 |
| 1921年、1931年 | ポーランドの調査 | いまのヴォリーニ州・リウネ州・リヴィウ州・テルノーピリ州・イヴァーノ=フランキーウシク州 | 統計委員会 |
| 1921年、1930年 | チェコスロバキアの調査 | いまのザカルパッチャ州 | 統計委員会 |
| 1930年 | ルーマニアの調査 | いまのチェルニウツィー州 | 統計委員会 |
| 1926年12月17日 | ソ連の第1回全連邦調査 | ソ連のウクライナ | 事典 |
| 1937年1月5日から6日にかけての夜0時 | ソ連の調査(のちに無効とされた) | ソ連のウクライナ | 事典 |
| 1939年1月17日 | ソ連の調査 | ソ連のウクライナ | 事典 |
| 1941年 | ハンガリーの調査 | いまのザカルパッチャ州 | 統計委員会 |
| 1959年1月15日 | ソ連の調査 | 戦後の国境のソ連のウクライナ | 事典 |
| 1970年1月15日 | ソ連の調査 | 同上 | 事典 |
| 1979年1月17日 | ソ連の調査 | 同上 | 事典 |
| 1989年1月12日 | ソ連で最後の調査 | 同上 | 事典 |
| 2001年12月5日 | 独立後はじめての全ウクライナ国勢調査 | ウクライナ全土 | 事典、統計委員会 |
西の地方の人口を20世紀前半について知るには、ウクライナの外で作られた調査に当たる必要があります。統計委員会の沿革によれば、リヴィウ州・テルノーピリ州・イヴァーノ=フランキーウシク州にあたる土地を数えたのは、オーストリアとポーランドの調査でした。ヴォリーニ州・リウネ州にあたる土地は、1897年にはロシア帝国に、戦間期にはポーランドに数えられています。どの地方がどの歴史的な地域にあたるかは州の名前とは別の地域名の記事にまとめてあります。
数え方がそろわない回
表の回は、どれも同じ精度で国じゅうを数えたわけではありません。『ウクライナ史百科事典』は、次の点を挙げています。
- 1920年の調査は、内戦とポーランド・ソヴィエト戦争のさなかに行われ、調査を率いたV・ミハイロフスキーの見積もりで人口の72%しか数えられなかった。事典は、これを全国の調査とは呼べないと書いている
- 1939年の調査では、ソ連全体の人口が少なくとも290万人、人為的に上乗せされた
- 次の調査は1949年に行われるはずだったが、戦争の人口の損失を隠す方針のもとで行われず、戦後最初の調査は1959年になった
人口の変化を回と回のあいだで比べるときは、その回が何を、どこまで数えたのかを先に確かめる必要があります。
1937年の調査と、調査を率いた人々の逮捕
1937年1月の調査は、同年9月25日のソ連人民委員会議の決定で「学問と政府の指示に対する重大な違反」があったとされ、資料はほぼすべて廃棄されました。『ウクライナ史百科事典』によれば、全連邦の調査局の局長O・クヴィトキンは処刑され、ソ連ウクライナの人口統計を組織したA・ホメンコも弾圧を受けています(この時代の飢饉と人口の数字はホロドモールの記事)。
2001年12月5日、独立後はじめての調査
独立したウクライナで国勢調査の土台になったのは、最高会議が2000年10月19日に採択した「全ウクライナ国勢調査法」(№ 2058-III)です。統計委員会は、1995年7月19日の国連経済社会理事会の決議が各国に1995〜2004年の国勢調査を呼びかけたことに沿って、2001年12月5日に調査を行ったと説明しています。1989年のソ連の調査から12年がたっていました。
統計委員会の発表では、その時点にウクライナにいた人(現在人口)は4,845万7千人、ふだん住んでいる人(常住人口)は4,824万1千人でした。130を超える民族の人が数えられています。『ウクライナ史百科事典』によれば、全体の結果は2002〜2004年に14の分野別の集計(17冊)として公表されました。いま少数民族や地域の人口を扱う記事の多くが2001年の数字を使うのは、これより新しい全数の調査がないからです。
オリュカのひとこと
次の調査の予定は、何度も動いてきたようです。この見出しで確かめられます。
予定の年は、5回書き換えられた
次の調査を最初に決めたのは、2008年4月9日の内閣命令第581-р号です。国家統計委員会の提案を受けて、2011年に全ウクライナ国勢調査を、その準備として2009年に試験の調査を行うと定めました。この命令は、その後の命令で予定の年を書き換えられていきます。
| 内閣の決定 | 番号 | 決めたこと |
|---|---|---|
| 2008年4月9日 | 581-р | 2011年に国勢調査を行う(試験の調査は2009年) |
| 2010年7月28日 | 1565-р | 2012年に改める(試験の調査は2010年) |
| 2012年10月24日 | 799-р | 2013年に改める |
| 2013年9月4日 | 699-р | 2016年に改める |
| 2015年12月16日 | 1323-р | 2020年に改める |
| 2020年12月9日 | 1542-р | 2023年に国勢調査を行う。2008年の命令とその改正をすべて廃止 |
| 2023年10月20日 | 962-р | 2020年の命令を廃止。戒厳令が終わったあと、国家統計局が国勢調査の実施を提案する |
2019年の試験の調査と、2020年の「3,728万9千人」
予定が動くあいだにも、準備の作業は行われました。2018年7月18日の内閣命令第504-р号は、国家統計局に、2019年12月にキーウのオボロン地区とキーウ州ボロディャンカ地区で、新しい集め方を使った試験の調査を行うよう命じています。国家統計局の指示書によれば、数える時点は2019年11月30日から12月1日にかけての夜0時で、同局はオボロン地区の一部とボロディャンカ地区の一部での結果を公表しています。
これとは別に、2020年1月23日、内閣担当相ドミトロ・ドゥビレトは、2019年12月1日時点のウクライナの「現在人口の推計」を3,728万9千人と発表しました。内閣の発表によれば、携帯電話会社から得た番号の数、世帯の標本調査、年金や子どもの登録の数などを組み合わせて計算した値で、ロシアに占領された地域の人口は含んでいません。内閣はこの方法を、費用が少なく、国勢調査より短い間隔で行える点が利点だと説明しました。
この数字は国勢調査の結果ではありません。国勢調査法は国勢調査を「定期的な全数の国家統計調査」と定めていますが、2020年の数字は、一人ずつ数えずに他のデータから計算した推計です。国家統計局自身の人口の推計とも別の数字です。
戒厳令のもとでは行わない、と法律が定める
2022年7月19日の法律(№ 2438-IX)は国勢調査法を書き改め、同年9月1日から次の決まりが効力を持っています。
- 国勢調査は少なくとも10年に1回行う(第3条。2000年の公布時の条文に、この回数の定めはなかった)
- 国勢調査は内閣の決定で行い、その決定は調査の始まる3年以上前に出す(第3条)
- 戒厳令のあいだと、戒厳令が終わってから6か月のあいだは、国勢調査を行わない。予定の期限はその分延びる(第VI章1-1項)
- 一時的に占領された地域では、その法的な状態が続くあいだ国勢調査を行わない(同)
ロシアによる全面侵攻の日、2022年2月24日に出された戒厳令は、その後も延長が続いています。いちばん新しい延長は2026年7月13日の大統領令(№ 596/2026)で、8月2日から90日間でした。2023年10月の内閣命令が国家統計局に求めているのも、戒厳令が終わってから実施を提案することです。2025年10月1日には、2018年に設けられた「全ウクライナ国勢調査を支える省庁間委員会」も、内閣の決定(№ 1225)で廃止されました。
国勢調査がない年が続くほど、少数民族の人数や地域ごとの人口を示す数字は、2001年の調査か、そこから計算した推計に頼ることになります。たとえばロマの人々と国の戦略の記事では、政府の戦略そのものが、次の国勢調査への参加を目標の一つに挙げています。
出典と記事の記録
出典・参考資料
- Закон України «Про Всеукраїнський перепис населення» № 2058-III2000年10月19日。現行版〈2023年1月1日の版〉の第1条・第3条・第VI章1-1項
発行:Верховна Рада України(法令データベース) 確認日:2026-09-27 - Закон України «Про Всеукраїнський перепис населення» № 2058-III 公布時の版第3条に回数の定めがないこと
発行:Верховна Рада України 確認日:2026-09-27 - Закон України № 2438-IX «Про внесення змін до деяких законів України щодо державної статистичної діяльності»2022年7月19日。施行日2022年9月1日
発行:Верховна Рада України 確認日:2026-09-27 - Розпорядження КМУ № 581-р «Про проведення у 2011 році Всеукраїнського перепису населення»2008年4月9日。公布時の版
発行:Кабінет Міністрів України(法令データベース) 確認日:2026-09-27 - Розпорядження КМУ № 1565-р2010年7月28日。2011年→2012年
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-27 - Розпорядження КМУ № 613-р2011年6月29日。機関名の変更のみ。公布時の版
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-27 - Розпорядження КМУ № 799-р2012年10月24日。2012年→2013年
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-27 - Розпорядження КМУ № 699-р2013年9月4日。2013年→2016年
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-27 - Розпорядження КМУ № 1323-р2015年12月16日。2016年→2020年
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-27 - Розпорядження КМУ № 1542-р «Про проведення у 2023 році Всеукраїнського перепису населення»2020年12月9日。廃止した6本の命令の一覧
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-27 - Розпорядження КМУ № 962-р2023年10月20日。1542-рの廃止と、戒厳令後の提案
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-27 - Розпорядження КМУ № 504-р «Про проведення пробного перепису населення»2018年7月18日
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-27 - Наказ Держстату № 3722019年11月19日。試験の調査の指示書、数える時点
発行:Державна служба статистики України(法令データベース) 確認日:2026-09-27 - Постанова КМУ № 1225 «Про ліквідацію Міжвідомчої комісії з питань сприяння проведенню Всеукраїнського перепису населення»2025年10月1日
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-27 - Указ Президента України № 596/2026 «Про продовження строку дії воєнного стану в Україні»2026年7月13日。8月2日から90日
発行:Верховна Рада України(法令データベース) 確認日:2026-09-27 - Всеукраїнський перепис населення 2001:Історія各国の調査の回数と範囲、1937年の調査
発行:Державний комітет статистики України 確認日:2026-09-27 - Всеукраїнський перепис населення 2001調査の日付、国連の決議、現在人口・常住人口
発行:Державний комітет статистики України 確認日:2026-09-27 - Офіційна сторінка Всеукраїнського перепису населення戒厳令のあいだは行わないこと、関係する法令の一覧
発行:Державна служба статистики України 確認日:2026-09-27 - Результати пробного перепису населення2019年12月、オボロン地区の一部とボロディャンカ地区の一部
発行:Державна служба статистики України 確認日:2026-09-27 - Оприлюднено результати оцінки чисельності наявного населення України2020年1月23日。3,728万9千人、計算の方法、占領地域を含まないこと
発行:Кабінет Міністрів України(Wayback Machine の保存版) 確認日:2026-09-27 - ПЕРЕПИСИ НАСЕЛЕННЯ各回の日付、1920年の範囲、1937年の決定と弾圧、1939年の上乗せ、1949年、2001年の結果の刊行。執筆 В. С. Стешенко
発行:Енциклопедія історії України, т. 8(Інститут історії України НАН України, 2011) 確認日:2026-09-27
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