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出来事を日付順に並べた記事と、同じ時代の日本史と並べて読む記事です。
記事29本
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『はだしのゲン』から『チーズスイートホーム』へ、ウクライナ語の漫画
出版専門メディア Chytomo によれば、ウクライナ語の日本の漫画の最初は2009年の『はだしのゲン』第1巻です。日本の版元の許諾を得た翻訳が続くようになったのは、2019年にドニプロの Nasha Idea が出した『チーズスイートホーム』からです。出版社の人たちが語った許諾の壁、刊行一覧の数、日本語の音をキリル文字でどう書くかの議論を見ていきます。
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ウクライナ語の声で配給証明を受けた、宮崎駿の9作品と『天気の子』
2019年から2021年にかけて、宮崎駿監督の9作品がウクライナ語の音声つきで映画館の配給証明書を受けました。『天気の子』は「吹き替え」、『ONE PIECE FILM RED』は「字幕」。国立映画庁の証明書の記録から、日本のアニメが映画館・テレビ・ビデオでどう届いてきたか、作品の題名の変化とあわせて見ていきます。
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11月21日は「尊厳と自由の日」。2004年と2013年、二つの広場の始まり
ウクライナの「尊厳と自由の日」(11月21日)は、2014年11月13日の大統領令で定められた記念日です。2004年のオレンジ革命と、2013〜2014年の尊厳の革命は、どちらも11月21日に独立広場に人が集まったことから始まりました。令の文言と名前の移り変わり、二つの11月21日の出来事を原文と判決から並べます。
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日本の祝日は16日。振替休日のきまりと、前の年に決まる春分の日
日本の「国民の祝日」は祝日法で年16日と決まっています。日曜日と重なったときの休日、祝日にはさまれた日の休日、前の年の2月に決まる春分の日と秋分の日、1948年の9日から16日になるまでの改正、役所・学校・会社で祝日の扱いがどう違うかをまとめました(2026年9月時点)。
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スィネヴィル湖、水位で4.45haから7.58haまで変わるカルパティアの湖
ウクライナ西部ザカルパッチャ州の山の中にあるスィネヴィル湖は、ウクライナのカルパティアで最大の湖とされます。ただし湖の面積は水位によって4.45haから7.58haまで変わり、ラムサール条約の登録地の「29ha」が湖の面積として紹介されることもあります。数字の出どころ、湖のでき方の説明、名前の伝説をまとめます。
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延長は資料で200km超から260km超。石膏の迷路、オプティミスティチナ洞窟
ウクライナ西部テルノーピリ州の地下にあるオプティミスティチナ洞窟は、石膏の割れ目に沿って通路が網の目に広がる迷路型の洞窟です。延長は1996年の論文で200km超、2013年の国の規程で240km超、2022年の事典で260km超とされ、「世界最長の石膏洞窟」という言い方にも比べ方の条件があります。数字の出どころと、近くの洞窟、保護の仕組みをまとめます。
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2026年は西方より1週間遅い4月12日。ウクライナの復活祭の決まり方
2026年の復活祭は、ローマ・カトリックが4月5日、ウクライナ正教会とギリシャ・カトリック教会が4月12日でした。2023年の暦の改正でクリスマスは12月25日に移りましたが、二つの教会は復活祭の計算を変えていません。春分と満月の決め方、年ごとのずれ、復活祭から数える祝日、国の祝日としての扱いを、教会の決定と教会暦から見ていきます。
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会員の2段階の投票で選ぶ「ゾロタ・ジガ」とウクライナ映画アカデミー
ウクライナの国民映画賞「ゾロタ・ジガ」は、映画の作り手の団体ウクライナ映画アカデミーの会員の投票で、多くの部門の受賞者が決まります。2026年7月には第10回が開かれました。会員の資格、2段階の投票、全面侵攻で遅れた回、米国アカデミー賞に出す作品を選ぶ委員会の決まりを、アカデミーの規程と発表から並べます。
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チェルニーヒウの救世主変容大聖堂と、1036年の年代記
チェルニーヒウ公ムスティスラウが建て始めた救世主変容大聖堂は、1036年の年代記の項に「馬上で手の届く高さ」まで積み上がっていたと書かれています。仕上がった年、「最も古い」という言い方の条件、18世紀の改築と20世紀の保護を、事典と年代記から見ます。
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1920年、敦賀に着いた「未来派の父」。画家ブルリュークの日本の2年
1920年10月、ハルキウ県生まれの画家ダヴィド・ブルリュークが船で敦賀に着きました。東京の「日本に於ける最初のロシア画展覧会」、小笠原での暮らし、日本の若い画家たちとの共著まで、約2年の足跡を当時の記録を調べた研究と百科事典からたどります。
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ウクライナの大統領選挙は7回、決選投票は5回。1991年から2019年まで
独立したウクライナの大統領選挙は、1991年から2019年までに7回行われました。1回目で決まったのは1991年と2014年だけで、2004年には最高裁判所の判決で決選投票がやり直されました。中央選挙管理委員会の数字の年表と、任期・連続2期・繰り上げ選挙の条文、戒厳令のもとで選挙が行われない根拠を並べます。
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ルガーノの七原則からタリンへ。ウクライナ復興会議の年表
ウクライナ復興会議は、2022年のルガーノから毎年開かれ、2026年6月のグダンスクで復興会議として5回目になりました。前身は2017年に始まった改革会議です。開催地と共催国、ルガーノ原則の七つの項目、回ごとの主題、足し算できない発表額の読み方を、各回の成果文書で見ます。
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約20年続いた農地の売買禁止。期限を延ばした法律は10本
ウクライナでは2001年から2021年7月まで、多くの農地を売ることができませんでした。1990年代に農民へ配られた土地の「持ち分」、期限を書き換え続けた法律、2018年に欧州人権裁判所が財産権の侵害と判断した判決、2020年の法律までを、法令と判決文でたどります。
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1918年、ヘーチマンの法律で生まれたウクライナの科学アカデミー
ウクライナ国立科学アカデミーは、1918年11月14日にヘーチマンのスコロパツキーが署名した法律から始まりました。13日後の最初の総会で、地質学者ヴェルナツキーが総裁に選ばれています。名前は4回変わり、2026年3月時点で159の研究機関を抱えます。設立の日の数え方、名前と総裁の年表、職員の数を並べます。
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ハルキウが生まれた1654年、日本は承応3年
ハルキウの始まりは、ふつう1654年とされます。草原のはずれに移り住んだコサックが川の合流点に砦を築き、町はやがてコサックの連隊の中心になりました。同じ年、江戸では玉川上水が通じ、長崎には隠元が着いています。二つの土地の出来事を一つの年表に並べ、「1654年」が何を数えた年なのかも資料ごとに見ていきます。
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ヘロドトスが「ボリュステネス」と書いた川、ドニプロ
キーウを流れるドニプロ川は、紀元前5世紀のヘロドトスには「ボリュステネス」、4世紀のラテン語では「ダナプリス」、テュルク系の言葉では「オズィ」などと呼ばれてきました。一つの川の名前を古い順にたどり、日本語の「ドニエプル」と英語の Dnieper の書き方がどう変わってきたかも見ていきます。
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ウクライナの国勢調査は2001年が最後。予定は5回動いて取り消された
ウクライナで最後に国勢調査が行われたのは2001年12月5日です。次の調査の予定は、内閣の決定で2011年から2012年、2013年、2016年、2020年、2023年と5回動き、2023年10月に取り消されました。1897年からの国勢調査の年表と、戒厳令のあいだは行わないと定めた法律の条文を並べます。
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1051年、洞窟から始まった修道院。キーウ・ペチェールシク大修道院
年代記は1051年の項に、キーウの丘の小さな洞窟から修道院が始まった物語を置いています。「ラヴラ」の称号を得た年、1615年の印刷所、1718年の火事、1926年の保護区、1941年の大聖堂の爆破まで、事典によって食い違う年も並べながら、年表でたどります。
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ヘーチマン・マゼーパの22年と、元禄の日本
1687年にヘーチマンに選ばれたイヴァン・マゼーパは、1709年まで22年間ウクライナのコサックの国を率い、教会と学校に多くの寄進をしました。同じ年月、日本は元禄から宝永へ。生類憐みの令や赤穂事件と同じ年表に並べ、「裏切り者」という呼び名が誰のものだったかも見ていきます。
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小選挙区から比例、また混合へ。最高会議の選挙 1990〜2019
ウクライナの最高会議450議席の選び方は、1990年から2019年までの9回の選挙で3回変わりました。小選挙区、名簿と小選挙区の混合、全員を名簿で選ぶ比例、そしてふたたび混合。阻止条項は4%、3%、5%と動き、投票率は70.78%から49.24%まで下がっています。選挙法の本文と中央選挙管理委員会の議定書で年表にしました。