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社会を知る/解説

ヘロドトスが「ボリュステネス」と書いた川、ドニプロ

キーウを流れるドニプロ川は、紀元前5世紀のヘロドトスには「ボリュステネス」、4世紀のラテン語では「ダナプリス」、テュルク系の言葉では「オズィ」などと呼ばれてきました。一つの川の名前を古い順にたどり、日本語の「ドニエプル」と英語の Dnieper の書き方がどう変わってきたかも見ていきます。

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オリュカのひとこと

あの川には、いくつもの名前があったそうです。最初の見出しで確かめられます。

キーウの町を東西に分けて流れる大きな川を、この媒体は「ドニプロ川」と書いています。日本の国語辞典や百科事典では、いまも「ドニエプル川」を見出しにしたものがあります。けれども、この川の名前はその二つだけではありません。古代ギリシャの歴史家は「ボリュステネス」と呼び、ローマの時代には「ダナプリス」、テュルク系の言葉では「オズィ」などと呼ばれてきました。

ここでは、一つの川がどんな名前で記録されてきたかを、古い順にたどります。最後に、日本語と英語での書き方がどう変わってきたかも見ます。

ヘロドトスの「ボリュステネス」

ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所の『ウクライナ史百科事典』(以下、歴史研究所の事典)の「ドニプロ(川)」の項(2021年改訂、ヴィシュネウシキーとヴォルトマン執筆)によれば、この川について書かれた最初の記録は、紀元前5世紀のヘロドトスがスキタイの地を描いた部分にあります。古代ギリシャ語の名前はボリュステネス(Βορυσθένης)です。

ヘロドトス『歴史』の第4巻53節を、米国タフツ大学の古典のデジタル図書館「ペルセウス」が載せる英訳(A. D. ゴドリー訳、1920年)で読むと、ボリュステネスはスキタイの川の4番目に挙げられ、イストロス(ドナウ)に次ぐ大きな川で、エジプトのナイルを除けば、スキタイだけでなくすべての川の中で最も恵みの多い川だと書かれています。家畜のためのよい牧草地があり、魚はとびぬけて多くておいしく、水は澄んで飲みやすい。川は北から流れてきて、40日の船旅の距離までは知られているが、その先の水源はヘロドトス自身も、ほかのギリシャ人も知らない、とも書いています。日本語では、松平千秋訳の『歴史』(岩波文庫、上・中・下、1971〜1972年)で読むことができます。

歴史研究所の事典の「ボリュステネス」の項(2003年、オレクシー・ヤシ執筆)は、この名前が川のほかに、古代の町オルビアや、同じ名前の川の神を指すこともあったと書いています。ベレジナ川やベレザニ島の名前をボリュステネスと結びつける研究者もいる、とも添えています。

ダナプリス、ドニェプル、オズィ

いまの名前につながる形は、紀元後4世紀から記録に現れます。アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所(CIUS)の『Internet Encyclopedia of Ukraine』(以下、IEU)の「Dnipro River」の項(紙の事典の第1巻、1984年が初出)は、見出しに「4世紀のラテン語でダナプリス(Danapris)」と添えています。歴史研究所の事典も、いまの名前は4世紀から知られ、古代末期の資料では「ダナプル」、キーウ・ルーシの資料では「ドニェプル」(ДънѢпрь)の形で出てくると書いています。

草原の側では、別の名前が使われてきました。歴史研究所の事典によれば、テュルク系の言葉では少なくとも13世紀から今日まで、オズィ(Özi)、オズュ(Özü)などの名前が使われています。

オリュカのひとこと

呼び名は、時代によって変わってきたようです。この見出しの一覧で見比べられます。

一つの川の名前の一覧

名前言葉いつの資料か出どころ
ボリュステネス(Βορυσθένης)古代ギリシャ語紀元前5世紀(ヘロドトス)歴史研究所の事典、IEU、ヘロドトス『歴史』4.53
ダナプリス(Danapris)、ダナペルラテン語紀元後4世紀からIEU、歴史研究所の事典
ドニェプル(ДънѢпрь)キーウ・ルーシの書き言葉キーウ・ルーシの時代歴史研究所の事典
オズィ、オズュ(Özi、Özü)などテュルク系の言葉少なくとも13世紀から今日まで歴史研究所の事典
スラヴタ、スラヴティチウクライナ語(詩の言葉)—歴史研究所の事典(2004年版)
ドニプロ(Дніпро)ウクライナ語いまの正式の名前歴史研究所の事典、IEU
ドニエプル(Днепр)ロシア語—コトバンク所収の辞典(日本語の見出しに残る形)
Dniproラテン文字(ウクライナの転写)2010年の内閣決定の転写表を当てはめた形ウクライナ内閣決定第55号、IEU
歴史研究所の事典はウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所『ウクライナ史百科事典』の「ドニプロ(川)」(2021年改訂版と2004年版)と「ボリュステネス」の項、IEU は Internet Encyclopedia of Ukraine「Dnipro River」、ヘロドトスはペルセウス・デジタル図書館のゴドリー訳による(2026年9月確認)。「—」は資料が時期を示していない欄。カナは原綴からの仮の表記。
  1. オリュカ

    川の名前には、どんな意味があったのかな。

  2. スウネ

    意味の説は一つの事典の古い版によるもので、定説ではないと、この見出しの下にあるよ。

  3. タブリ

    名前が記録された順番は、すぐ上の一覧の表に戻ればたどれるよ。

名前の意味には、いくつかの説がある

名前がどんな意味を持っていたかは、はっきり分かっていません。歴史研究所の事典の「ドニプロ(川)」の項の2004年版(マルコヴァ執筆)は、次のような説明を挙げていました。

  • ボリュステネスは、文字どおりには「北から流れてくるもの」という意味だとする
  • ドニプロは「ダナ」「ドナ」「ドン」(深い)に由来し、「深い川」を意味するとみられ、別の説では「西の川」を意味するとする
  • 詩の言葉のスラヴタ、スラヴティチは、辞書を編んだウラジーミル・ダーリが「美しい、絵のような土地」の意味で記した「スラヴトィン」から来ているとする

2021年の改訂版は、名前の移り変わりを書く一方で、この語源の説明は載せていません。ここに挙げたのは、一つの事典の古い版が紹介した説で、定説として決まったものではありません。

詩の名前スラヴティチ

ウクライナ語では、ドニプロ川を詩の中で「スラヴタ」「スラヴティチ」とも呼びます(歴史研究所の事典の2004年版)。IEU は、この川を「ウクライナの聖なる川」と呼び、歴史の始まりからウクライナの人々の暮らしと深く結びついてきたと書いています。チョルノービリ原発の職員の町として1980年代に建てられた町にも、同じ綴りのスラヴティチという名前が付いています(スラヴティチの記事)。

  1. オリュカ

    日本語の辞典では、この川をどう書いてきたのかな。

  2. ヨリクネ

    辞典ごとの書き方は、この見出しの下で見比べられるよ。首都の名前の話は、リンク先の記事へ寄り道できるね。

  3. タブリ

    英語の綴りの移り変わりは、次の見出しにあるよ。

日本語では「ドニエプル」から「ドニプロ」へ

日本語の辞典では、ロシア語の Днепр の読みにもとづく「ドニエプル川」が長く見出しになってきました。コトバンクに収められた辞典を見ると、『デジタル大辞泉』(小学館)は「ドニエプル川」を見出しにして「ウクライナ語名ドニプロ川」と添え、別に「ドニプロ川」の項目も立てています。『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社)は「ドニエプル[川]」の項で「ウクライナではドニープロ川 Dnipro と呼ぶ」と書き、『日本大百科全書』(小学館)の「ドニエプル川」の項は、ウクライナ語でドニプロ、古代ギリシャ語でボリステネスと呼ばれたと書いています。同じギリシャ語の名前でも、カナの書き方は辞典によって違います。

日本政府の呼び方が変わったのは2022年です。外務省は2022年3月31日、首都の呼び名をロシア語の読みにもとづく「キエフ」からウクライナ語の読みにもとづく「キーウ」に改め、「首都以外の地名についても、ウクライナ語による読み方に基づく呼称に変更することとしました」と発表しました。この発表には、個々の地名をどう書くかの一覧は付いていません。首都の名前が変わった経緯は、「キエフ」が「キーウ」になった日の記事で扱っています。

英語では Dnieper から Dnipro へ

英語では長く Dnieper という綴りが使われてきました。ウクライナの内閣は2010年1月27日の決定第55号で、ウクライナ語をラテン文字に書き換える表を定めており、その表を当てはめると Дніпро は Dnipro になります。ウクライナ外務省は2019年12月19日に掲げた地名の綴りの案内(#CorrectUA)で、2012年の第10回国連地名標準化会議(7月31日〜8月9日、ニューヨーク)の決議X/9が、ウクライナの転写の方式をウクライナの地名の国際的な方式として勧めていると説明し、ロシア語の形にもとづく綴りを改めるよう各国と国際機関に求めています。IEU も、見出しを「Dnipro River」とし、Dnieper は括弧の中に添えています。

川の名前と、町の名前

川の名前は、流域の町の名前にもなってきました。ドニプロ川の中流の町ドニプロは、2016年5月19日の最高会議の決定で、ドニプロペトロウシクからいまの名前に改められました。これは書き方ではなく名前そのものが変わった例で、その経緯は二つの地名法の記事にあります。州の名前はいまもドニプロペトロウシク州のままです。

川そのものの姿も、20世紀に大きく変わりました。キーウからカホウカまでの六つのダムと貯水池はドニプロ川の六つのダムの記事、流域の広さや長さはウクライナの川は三つの海へ向かうの記事で扱っています。ボリュステネスと呼ばれた時代から2,400年あまり、呼び名は変わっても、同じ川が北から南へ流れ続けています。

出典と記事の記録出典 11件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. ДНІПРО, річка2021年改訂版:最初の記録はヘロドトス、古代ギリシャの資料のボリュステネス、4世紀からのいまの名前、「Данапр」「ДънѢпрь」、13世紀からのテュルク語の Özi・Özü。2004年版:Данапріс・Данапер、Узу・Ексі、Дніпро-Славута・Славутич、語源の説、ダーリの「славутин」。執筆 Вишневський В.І., Вортман Д.Я.〔2021年〕、Маркова О.Є.〔2004年〕
    発行:Енциклопедія історії України(ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所) 確認日:2026-09-27
  2. БОРИСФЕН川・オルビア・川の神の三つの意味、ヘロドトスの記述、ベレジナ川・ベレザニ島との関係の説。執筆 Ясь О.В.、第1巻 2003年
    発行:Енциклопедія історії України(ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所) 確認日:2026-09-27
  3. Dnipro River見出しの Borysthenes・Danapris〔4世紀のラテン語〕・Dnieper、「holy river」。執筆 Volodymyr Kubijovyč, Ivan Teslia、紙の事典の第1巻 1984年
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所) 確認日:2026-09-27
  4. Herodotus, The Histories, Book 4, chapter 53A. D. Godley 英訳、1920年
    発行:Perseus Digital Library(Tufts University) 確認日:2026-09-27
  5. 歴史ヘロドトス著、松平千秋訳、岩波文庫、上 1971年・中 1972年・下 1972年
    発行:国立国会図書館サーチ 確認日:2026-09-27
  6. ドニエプル川デジタル大辞泉・改訂新版 世界大百科事典〔渡辺一夫執筆〕・日本大百科全書〔金窪敏知・須長博明執筆〕
    発行:コトバンク(小学館・平凡社) 確認日:2026-09-27
  7. ドニプロ川デジタル大辞泉
    発行:コトバンク(小学館) 確認日:2026-09-27
  8. ウクライナの首都等の呼称の変更令和4年3月31日。2022年4月4日のウェブアーカイブの保存版で全文を確認
    発行:外務省 確認日:2026-09-27
  9. #CorrectUA2019年12月19日。第10回国連地名標準化会議の決議X/9、内閣決定第55号
    発行:Ministry of Foreign Affairs of Ukraine 確認日:2026-09-27
  10. Sessions and Conferences第10回国連地名標準化会議、2012年7月31日〜8月9日、ニューヨークの国連本部
    発行:United Nations Group of Experts on Geographical Names(UNGEGN) 確認日:2026-09-27
  11. Про впорядкування транслітерації українського алфавіту латиницею内閣決定 2010年1月27日 第55号。転写表の Д→D、і→i、п→p、р→r など
    発行:Кабінет Міністрів України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-27

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