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社会を知る/解説

早瀬を沈めた1932年のダムから、ドニプロ川は階段になった

ドニプロ川には、上流のキーウから下流のカホウカまで、水力発電所のダムと貯水池が六段に連なっていました。1932年にザポリッジャで動き出した最初のダムは、川の早瀬を水の下に沈めました。六つのダムと貯水池が造られた年と大きさ、失われた早瀬、2022年以降の被害を、事典と国営の水力発電会社の資料からまとめます。

画像:Ukrainavi

オリュカのひとこと

ドニプロ川で川幅が急に広がる区間は、何なのでしょう。六つのダムを上流から並べた表があります。

ドニプロ川を地図でたどると、キーウの北から黒海の手前まで、川幅が急に広がる区間がいくつも続きます。自然の湖ではありません。ソ連の時代に造られた水力発電所のダムと、その上流にできた貯水池です。キーウからカホウカまで、ダムは六つあり、川は六段の階段のようになりました。

アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所(CIUS)の『Internet Encyclopedia of Ukraine』(以下、IEU)は、これを「ドニプロ・カスケード」と呼んでいます。六つのダムと貯水池を、事典と、発電所を運営する国営の水力発電会社ウクルヒドロエネルホ(Укргідроенерго)の資料から見ていきます。川全体の水系はウクライナの川は三つの海へ向かうで扱っています。

上流から六つのダム

上流から順に並べると次のとおりです。建設の年は発電所の建設期間で、貯水池の完成の年とずれることがあります。

順ダム(水力発電所)建設貯水池の面積貯水池の長さ
1キーウ(キーウ州ヴィシュホロドの近く)1960〜68年922km²110km
2カニウ(チェルカーシ州)1963〜75年675km²162km
3クレメンチューク(キロヴォフラード州スヴィトロヴォツィク)1954〜60年2,250km²149km
4中ドニプロ(ドニプロペトロウシク州カミヤンシケ)1963〜65年(1956〜65年とする項目もある)567km²114km
5ドニプロ(ザポリッジャ)1927〜32年420km²(320km²とする項目もある)129km(約140kmとする項目もある)
6カホウカ(ヘルソン州)1950〜56年2,155km²240km
Internet Encyclopedia of Ukraine の各ダム・貯水池の項目と「Dnipro River」「Dnipro Cascade of Hydroelectric Stations」の項目をもとに作成(2026年9月24日確認)。所在地はウクルヒドロエネルホの発電所一覧(カホウカは IEU)による。カホウカのダムは2023年6月6日に破壊された。

いちばん広いのはクレメンチューク貯水池で、IEU によればドニプロ川で最大、ポルタヴァ・チェルカーシ・キロヴォフラードの3州にまたがります。発電所の名前はクレメンチュークですが、ウクルヒドロエネルホの一覧では、所在地はキロヴォフラード州のスヴィトロヴォツィクです。IEU は、この発電所を「ソ連で最初の、機械室を持たない発電所」と書いています。4番目の中ドニプロ水力発電所は2016年まで「ドニプロジェルジンシク水力発電所」、その貯水池は2017年まで「ドニプロジェルジンシク貯水池」と呼ばれていました。町の名前が変わったことに合わせた改称です(地名を改めた法律は987の町と村が名前を変えた、二つの地名法を参照)。

オリュカのひとこと

ダムができる前、ドニプロとザポリッジャの間の川はどんな姿だったのでしょう。九つの早瀬の記録をこの節でたどれます。

最初のダムが沈めた早瀬

六つのうち最初に造られたのは、いちばん下流から2番目の、ザポリッジャのドニプロ水力発電所です。IEU によれば、水力発電所の最初の計画は1905年にさかのぼり、ソ連の電化計画のもとで1927年に工事が始まりました。1932年までに9基の発電機のうち5基が動き出しています。工事には米国の技術者が加わり、建設機械と最初の電気設備はすべて米国から輸入されました。ウクルヒドロエネルホも、1927年の着工と1932年の最初の発電機の運転を、自社の沿革に書いています。

長さ760メートル、高さ60メートルのコンクリートのダムは、川の水位を37.8メートル引き上げました。その結果、水の下に沈んだのが「ドニプロの早瀬」です。IEU の「Dnipro Rapids」の項目によれば、ドニプロとザポリッジャの間のおよそ70キロメートルに、川を横切る早瀬が九つあり、その区間で川底は35.5メートル下がっていました。川の一部をふさぐ岩礁は、上流のクレメンチュークとドニプロの間の6つを含めて30ありました。

早瀬は古い記録にたびたび出てきます。同じ項目は、1世紀のギリシャの著述家がすでに触れていたこと、10世紀半ばにビザンツ皇帝コンスタンティノス7世が『帝国の統治について』で正確に書き残したことを挙げています。キーウ・ルーシの商人は、ここで船を陸に上げて運ばなければならず、草原のペチェネグがそこを待ち伏せしました。キーウのスヴャトスラウ公は972年、ホルティツャ島の近くでペチェネグとの戦いで命を落としています。16世紀にこの島に築かれたのが、「早瀬の向こう」を意味するザポリッジャのシーチでした(シーチが築かれてから壊されるまでの220年を参照)。

1932年のダムで、早瀬は90キロメートルにわたって水の下になり、ドニプロとザポリッジャの間を一年中船で行き来できるようになりました。

二度壊されたダム

ドニプロ水力発電所のダムは、第二次世界大戦で二度壊されています。IEU によれば、1941年に退却するソ連軍がダムを爆破し、発電機や設備を運び出すか壊しました。占領したドイツ軍は一部を直しましたが、1943年に退却するときに再び破壊しました。1944〜47年に3基が再建され、残りは1950年代に直されています。1969年には、隣に2番目の発電所(ドニプロ水力発電所第2)の建設が始まりました。

戦後に続いた五つのダム

戦後、ダムは下流と上流の両側に増えていきました。1950〜56年にカホウカ、1954〜60年にクレメンチューク、1960〜68年にキーウ、1963〜65年に中ドニプロ、1963〜75年にカニウです。IEU の「Dnipro Cascade」の項目によれば、貯水池は川の水位の調節、南部の乾いた地域の灌漑、ドニプロ川沿いやドンバスの工業地帯への給水に使われ、黒海からプリピャチ川の河口まで、深い船の通り道ができました。

IEU の「Kyiv Hydroelectric Station」の項目(2019年更新)は、キーウ水力発電所には、ソ連の経済政策と民族政策に対する働き手の抵抗の歴史がある、と書いています。1960年代はじめの工事現場の働き手の70〜75%はウクライナ人でしたが、工事の責任者や技術者などの上の職はほとんどロシア人が占め、主な施設のロシア人の管理職127人は、ほぼ全員がロシアから来ていて、ウクライナ生まれは11人だけだったといいます。1968年には元作業員がロシア化に抵抗を呼びかけるビラを配って国家保安委員会(KGB)に逮捕され、1969年5月には大きなストライキが起きました。のちに知られる反体制派のヴャチェスラウ・チョルノヴィルも、この工事現場でコムソモール委員会の書記と記者を務めていた、と同じ項目は記しています。

川はどう変わったか

IEU の「Dnipro River」の項目(1984年の紙の事典が初出)は、貯水池の効果と損失の両方を書いています。水位が安定し、夏と冬の渇水期の水位が上がった一方で、多くの川の魚がいなくなり、湖に住む種類に入れ替わりました。有用な土地およそ9,000平方キロメートル、当時のウクライナの土地の2%が水の下になった、ともしています。キーウ貯水池の項目は、流れが遅くなって水にとける酸素が減り、水の中の生きものの釣り合いに悪い影響が出ていることを挙げています。

事典の数字は1980年代のもので、ダムで沈んだ村の数や移り住んだ人の数は、この記事で使った資料には出てきません。

2022年からの被害

六つのダムのうち、いちばん下流のカホウカは、2022年2月24日にロシア軍に占拠され、2023年6月6日に破壊されました。ウクルヒドロエネルホは沿革のなかで、ロシアの軍が内部から爆破したと書いています。貯水池はこの破壊で水を失いました。何が起きたかはロシア軍が支配していたダムが壊れた日、カホウカで起きたことに詳しく書いています。

ほかの発電所も、全面侵攻のあと繰り返しミサイルやドローンで攻撃されてきました。ウクルヒドロエネルホによれば、ミサイル攻撃とカホウカの破壊で同社は2,500メガワットの発電能力を失い、2023年12月の時点で約1,500メガワットを取り戻しました。2024年については、水力発電の能力の40%超を失い、全面侵攻の始まりから同社の発電所への攻撃は150回にのぼった、としています(同社の沿革、2026年9月確認)。国全体の発電能力の変化は発電所が狙われ続ける国で、電気を小さく分けてつくるで扱っています。

ウクルヒドロエネルホは国が株式の100%を持つ会社で、ドニプロ川とドニステル川にある10の大きな水力発電所と揚水発電所を運営しています。六段の階段のうち五つは、いまもこの会社が動かしています。

出典と記事の記録出典 16件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Dnipro Cascade of Hydroelectric Stations六つの発電所の建設年と出力、貯水池の用途、黒海からプリピャチ川河口までの深水航路。初出『Encyclopedia of Ukraine』vol.1, 1984
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所) 確認日:2026-09-24
  2. Dnipro Hydroelectric Station1905年の最初の計画、1927年の着工、1932年までに9基のうち5基が運転、米国の技術者と機械、堤長760m・高さ60m・水位37.8mの上昇、1941年と1943年の破壊、戦後の復旧、1969年のドニプロ水力発電所第2の着工。執筆 A. Popliuiko、2018年更新
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  3. Dnipro Rapids九つの早瀬と30の岩礁、70kmで35.5mの落差、10世紀のコンスタンティノス7世の記述、972年のスヴャトスラウの死、1932年の水没。執筆 V. Kubijovyč、初出1984
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  4. Dnipro River六つの貯水池の面積、魚の種類の変化、水の下になった土地の面積。執筆 V. Kubijovyč, I. Teslia、初出1984
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  5. Kyiv Reservoir1960〜66年、長さ110km、922km²、流れが遅くなることの影響。初出1989
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  6. Kyiv Hydroelectric Station1960〜68年の建設、ヴィシュホロド、1968〜69年の逮捕・ストライキ・請願、チョルノヴィル、管理職の出身。執筆 Lubomyr Szuch、2019年更新
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  7. Kaniv Reservoir1972年、長さ162km、675km²、海の船がプリピャチ川まで上れること。初出1989
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  8. Kaniv Hydroelectric Station1963〜75年の建設。初出1988
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  9. Kremenchuk Reservoirドニプロ川で最大、2,250km²、長さ149km、ポルタヴァ・チェルカーシ・キロヴォフラードの3州。初出1989
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  10. Kremenchuk Hydroelectric Station1954〜60年の建設、機械室のない発電所。初出1989
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  11. Kamianske Reservoir2017年までの旧名、長さ114km、567km²、建設年。2018年更新
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  12. Middle Dnipro Hydroelectric Station1963〜65年の建設、2016年までの旧名。2018年執筆
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  13. Dnipro Reservoir1932年、長さ129km。2018年更新
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  14. Kakhovka Reservoir / Kakhovka Hydroelectric Station1950〜56年、2,155km²、長さ240km、用水の供給先、2023年6月6日の破壊。2025年更新
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  15. Історія компанії国が株式の100%を持つこと、ドニプロ川とドニステル川の10の発電所、発電所の所在地、カホウカ水力発電所の占拠と破壊、2023年の2,500MWの喪失と1,500MWの回復、2024年の40%超の喪失と150回の攻撃
    発行:ПрАТ «Укргідроенерго» 確認日:2026-09-24
  16. Гідроенергетикаドニプロ水力発電所の1927年の着工と1932年の最初の発電機の運転
    発行:ПрАТ «Укргідроенерго» 確認日:2026-09-24

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