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社会を知る/解説

南極のヴェルナツキー基地、「1ポンドで譲られた」は本当か

ウクライナの南極観測基地アカデミク・ヴェルナツキーは、1996年2月6日までイギリスのファラデー基地でした。運営する国立南極科学センターによれば、覚書のうえでは基地は無償で渡され、よく語られる「1ポンド」は引き渡しの日の冗談から生まれたものです。1947年からの年表、名前の移り変わり、南極条約の協議国入り、2026年の越冬隊までをたどります。

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オリュカのひとこと

南極にあるウクライナの基地は、どこにあるのでしょう。最初の見出しで確かめられます。

南極半島の沖、アルゼンチン諸島のガリンデス島に、ウクライナの南極観測基地「アカデミク・ヴェルナツキー」があります。1996年2月6日まではイギリスの基地で、ファラデー基地と呼ばれていました。

この基地は「1ポンドで譲られた」とよく紹介されます。基地を運営するウクライナの国立南極科学センター自身は、譲渡を決めた覚書のうえでは基地は無償で渡され、1ポンドは引き渡しの日の冗談から生まれたやりとりだった、と説明しています。イギリスの基地として始まった1947年から、2026年に31回目の越冬隊が入るまでを、両国の機関の記録で追います。

基地のある場所

英国南極観測局(BAS)の記録によれば、基地の位置は南緯65度15分、西経64度16分で、アルゼンチン諸島のガリンデス島のマリナ岬にあります。『現代ウクライナ百科事典』(ЕСУ)の項目「アカデミク・ヴェルナツキー」(P・ホジク、2001年)は、ガリンデス島は南極半島と深いペノラ海峡で隔てられ、大陸までいちばん近い所で7kmだと書いています。

年表:イギリスの基地からウクライナの基地へ

年月日出来事典拠
1934〜1937年イギリスのグレアムランド探検隊がアルゼンチン諸島に研究の拠点を置く国立南極科学センター
1947年1月7日ウィンター島で常設の基地として観測を始める(最初の小屋はのちの「ワーディー・ハウス」)BAS
1954年基地をガリンデス島のマリナ岬へ移す(2月に新しい建物、5月30日にウィンター島の小屋を閉じる)BAS、ЕСУ
1977年8月15日それまでの「アルゼンチン諸島」基地がファラデー基地と呼ばれるようになるBAS
1992年10月28日南極条約がウクライナについて効力を持つ南極条約事務局
1995年7月20日ロンドンで、基地をウクライナに渡す外交公文の交換と覚書の署名国立南極科学センター
1996年2月6日イギリスの旗を降ろしてウクライナの国旗を揚げ、アカデミク・ヴェルナツキー基地になる国立南極科学センター、BAS
2004年6月4日ウクライナが南極条約の協議国になる南極条約事務局
2026年3月31回目のウクライナ南極観測隊が基地で活動を始める国立南極科学センター
BAS は英国南極観測局「History of Faraday (Station F)」(Wayback 保存版、2026年2月17日)、ЕСУ は『現代ウクライナ百科事典』の項目「Академік Вернадський」、国立南極科学センターは同センターのサイトの沿革とお知らせ、南極条約事務局は締約国の一覧による。2026年9月確認。
  1. オリュカ

    この基地は、これまでどんな名前で呼ばれてきたのかな。

  2. タブリ

    呼び名が変わってきた順番は、この見出しの下の表でたどれるよ。

  3. ヨリクネ

    新しい名前のもとになった人のことは、この見出しの下のリンク先へ寄り道できるよ。

昔の呼び名/今の呼び名

基地の名前は2度変わっています。BAS の記録によれば、1977年8月15日までは「アルゼンチン諸島」と呼ばれていました。国の公式オンライン百科事典『ウクライナ大百科』(ВУЕ)は、1977年の「ファラデー基地」の名はイギリスの物理学者・化学者マイケル・ファラデーにちなむと書いています。1996年にウクライナの基地になったとき、ウクライナ科学アカデミーの初代総裁ヴォロディーミル・ヴェルナツキーの名が付けられました(国立南極科学センター)。科学アカデミーとヴェルナツキーについては1918年の科学アカデミーの記事にあります。

時期呼び名運営
1947〜1977年アルゼンチン諸島(Station F)イギリス(フォークランド諸島属領調査所、のちBAS)
1977〜1996年ファラデー(Faraday)イギリス(BAS)
1996年〜アカデミク・ヴェルナツキー(Академік Вернадський)ウクライナ(国立南極科学センター)
BAS「History of Faraday (Station F)」と国立南極科学センターの沿革から作成。2026年9月確認。

始まりの年は1947年か1956年か

BAS の基地の沿革は、基地がウィンター島で使われ始めたのを1947年1月7日とし、1996年2月6日までの「49年と31日」を、イギリスの基地として最も長く続けて人がいた記録だと書いています。一方、BAS の地磁気のデータのページは「ファラデー基地は国際地球観測年へのイギリスの参加の一部として1956年に設けられた」と書いています。1954年にガリンデス島へ移ったあとの観測の拠点を指しているのか、どの意味で「設けられた」と書いているのかは、そのページからは分かりません。国立南極科学センターと ЕСУ は、常設の観測が1947年にウィンター島で始まったとしています。

オリュカのひとこと

よく語られる譲り渡しの話は、どこから生まれたのでしょう。この見出しで確かめられます。

覚書のうえでは無償、1ポンドは冗談だった

国立南極科学センターによれば、譲渡の話は1993年春、在英ウクライナ大使だったセルヒー・コミサレンコが、イギリスがファラデー基地を売りに出すという知らせを受け取ったことから始まりました。交渉はおよそ2年続き、イギリスは基地を無償でウクライナに渡すと決めました。条件は、イギリスが続けてきた観測と測定を、少なくとも10年は続けることでした。

同センターが基地の30周年(2026年2月)に掲載した記事は、「基地は象徴的な1ポンドでウクライナのものになった」という見出しの項目で、次のように書いています。覚書のうえでは、ウクライナは基地を無償で受け取り、オゾン層・地磁気・気候の観測を続けることが「支払い」にあたった。ところが1996年2月6日の引き渡しのとき、イギリス側の観測隊の責任者ダンカン・ヘイグが冗談で象徴的な支払いを求めた。第1次ウクライナ南極観測隊の隊長ヘンナディー・ミリネウシキーがポケットにあった1ポンドを渡し、ヘイグはその硬貨を基地のバーのカウンターに埋め込んだ。硬貨はいまもそこにある。

つまり「1ポンドで買った」のではなく、無償の譲渡のあとに1ポンドのやりとりがあった、というのが運営者の説明です。

覚書に署名したのは誰か

1995年7月20日の署名について、ウクライナ側の二つの機関の書き方は少し違います。国立南極科学センターの沿革は、コミサレンコ大使とイギリスのデイヴィッド・デイヴィスが外交公文を交換し、同じ日に南極研究センターの所長ペトロ・ホジクと BAS の長バリー・ヘイウッドが覚書に署名した、と書いています。ウクライナ国立科学アカデミーの2025年7月の記事は、覚書に署名したのはイギリスのヨーロッパ担当の国務大臣デイヴィスとコミサレンコ大使で、場所は外務省の建物だったとしています。ЕСУ は「イギリスとウクライナの政府のあいだの覚書にもとづいて」渡されたと書いています。

  1. オリュカ

    オゾンの減少は、この基地のデータで見つかったのかな。

  2. スウネ

    論文の要旨にどの基地のデータかが書かれていないことが、この見出しの下にあるよ。

  3. タブリ

    前の時代の観測の報告が参考文献に挙がっていることも、同じ段落にあるよ。

オゾン層の観測と1985年の論文

この基地は、南極上空のオゾンの観測とあわせて紹介されることが多い場所です。国立南極科学センターは英語のページで、オゾンホールは「1980年代にファラデー基地でイギリス人によって初めて見つかった現象」で、ウクライナの研究者がその研究を続けていると書いています。

BAS がオゾンのページで「南極のオゾン減少の発見の論文」として挙げているのは、BAS のJ・C・ファーマン、B・G・ガーディナー、J・D・シャンクリンが1985年5月に『ネイチャー』に発表した論文「南極の全オゾン量の大きな減少は、季節的な ClOx/NOx の相互作用を示す」です。論文の要旨は、南極の春の全オゾン量が大きく減ったという観測を示していますが、どの基地のデータかは要旨には書かれていません。論文の参考文献には、ファーマンとハミルトンによる1975年の BAS の報告「アルゼンチン諸島とハリー湾での大気オゾンの測定、1957〜72年」が挙がっています。BAS はいまも、ハリー、ロザラ、ヴェルナツキー/ファラデーの3か所のオゾンのデータを公開しており、ヴェルナツキー基地は国立南極科学センターが運営していると書いています。

ウクライナと南極条約

南極条約事務局の締約国の一覧によれば、条約は1992年10月28日にウクライナについて効力を持ち、ウクライナは2004年6月4日に協議国(南極条約協議会議で決定に加わる国)になりました。事務局は、協議国になるには南極で「実質的な研究活動」を行って関心を示すことが条件だと説明しています。2026年9月時点で、協議国は29か国です。

いまの運営と越冬隊

基地を運営するのは、教育科学省の国の研究機関である国立南極科学センターです(同センターの説明)。同センターによれば、ふだん越冬するのは12人で、隊の交代の時期には24人まで基地で働くことができます。

2026年3月には、31回目のウクライナ南極観測隊が前の隊と交代して活動を始めました。同センターの2026年2月12日の発表では、隊員は14人で、うち研究者は9人(気象4人、生物3人、地球物理2人)、ほかに生活を支える5人です。隊長は気象学者のアンジェリカ・ハンチュクで、女性が隊長になるのは初めてだとセンターは書いています。30回目の隊は2026年4月4日にキーウへ帰りました。

出典と記事の記録出典 16件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. History of Faraday (Station F)位置、1947年1月7日〜1996年2月6日、49年と31日、ウィンター島とワーディー・ハウス、1954年の移転、1977年8月15日までの名前、1996年2月6日の譲渡
    発行:British Antarctic Survey(Wayback 保存版 2026-02-17) 確認日:2026-09-27
  2. Station Information: Faraday「1956年に国際地球観測年の一部として設けられた」、1996年2月の改名
    発行:British Antarctic Survey(UASD の地磁気データのページ) 確認日:2026-09-27
  3. Ozone at Halley, Rothera and Vernadsky/Faraday3か所のデータ、ヴェルナツキーは国立南極科学センターが運営、BAS Scientific Report No 90、「The paper on the discovery of ozone depletion in Antarctica」
    発行:British Antarctic Survey 確認日:2026-09-27
  4. Farman, J. C., Gardiner, B. G. & Shanklin, J. D. Large losses of total ozone in Antarctica reveal seasonal ClOx/NOx interaction. Nature 315, 207–2101985年5月16日号。要旨と参考文献
    発行:Nature 確認日:2026-09-27
  5. Історія станції «Академік Вернадський»1934〜37年の探検隊、1947年のウィンター島、1954年の移転、1995年7月20日の外交公文と覚書、1996年2月6日、越冬の人数
    発行:Національний антарктичний науковий центр 確認日:2026-09-27
  6. «Вернадському» — 30覚書では無償、ダンカン・ヘイグ、ミリネウシキーの1ポンド、バーのカウンター。2026年2月
    発行:Національний антарктичний науковий центр 確認日:2026-09-27
  7. Історичне 20 липня: як Україна та Британія підписали Меморандум про передачу станції1993年春の知らせ、約2年の交渉、無償、10年以上の観測の継続。2022年7月20日
    発行:Національний антарктичний науковий центр 確認日:2026-09-27
  8. The beginning of the history. A memorandum on the transfer of the British station to Ukraine was signed 25 years agoオゾンホールは1980年代にファラデー基地でイギリス人が初めて見つけた、とする記述
    発行:National Antarctic Scientific Center 確認日:2026-09-27
  9. Затверджено склад 31-ї Української антарктичної експедиції14人、研究者9人、隊長アンジェリカ・ハンチュク。2026年2月12日
    発行:Національний антарктичний науковий центр 確認日:2026-09-27
  10. Перезмінка відбулася: на «Вернадському» почала роботу 31-ша експедиція2026年3月26日
    発行:Національний антарктичний науковий центр 確認日:2026-09-27
  11. 30-та Антарктична експедиція повернулася додому2026年4月4日にキーウへ
    発行:Національний антарктичний науковий центр 確認日:2026-09-27
  12. Про Центр教育科学省の国の研究機関
    発行:Національний антарктичний науковий центр 確認日:2026-09-27
  13. 30 років з дня передачі Україні антарктичної станції «Фарадей»1995年7月20日、外務省の建物、ヨーロッパ担当の国務大臣デイヴィスとコミサレンコ大使、無償。2025年7月18日
    発行:Національна академія наук України 確認日:2026-09-27
  14. Академік Вернадський1947年、1954年の移転、政府間の覚書による1996年2月6日の譲渡、ガリンデス島と大陸まで7km。執筆 П. Ф. Гожик、第1巻 2001年
    発行:Енциклопедія Сучасної України 確認日:2026-09-27
  15. Академік Вернадський1977年のファラデー基地の名とマイケル・ファラデー
    発行:Велика українська енциклопедія(ВУЕ) 確認日:2026-09-27
  16. Partiesウクライナ:効力 1992年10月28日、協議国 2004年6月4日。協議国29
    発行:Secretariat of the Antarctic Treaty 確認日:2026-09-27

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