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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

Ukrainavi Ukrainavi

文化・歴史/解説

コサックの自治が終わり、ウクライナ語の出版が禁じられるまで

1648年のフメリニツキーの蜂起から、原本が残っていない1654年のペレヤスラウ協定、1764年のヘーチマン職廃止と1775年のシーチ破壊、1863年と1876年のウクライナ語出版の禁止を経て、第一次世界大戦の直前までをたどります。蜂起のなかでユダヤ人共同体が受けた被害は、推計の違いをそのまま示しています。

ウクライナの地の歴史を四本に分けてたどる、その二本目です。15世紀末にコサックの集団が現れてから、ヘーチマンの自治が解体され、ロシアとハプスブルクの二つの帝国に分かれた土地でそれぞれに民族運動が育ち、第一次世界大戦を迎えるまでを扱います。

コサックは誰だったのか

『Internet Encyclopedia of Ukraine』(アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所=CIUS発行)は、人口の少ない草原へ逃れた農民や町人が「自由な人々=コサック」と自称した、と書いています。Encyclopaedia Britannica は「逃亡農奴、盗賊、商人から発展した半軍事的共同体」と表現します。

貴族の出身者がいたのは、組織者や指導者の側です。ボフダン・フメリニツキー自身も小貴族の出でした。

ザポリッジャのシーチには合議の仕組みがありました。同事典の「シーチ会議」の項目は、会議が将校団(スタルシナ)とその長であるキシュ・オタマンを選出し、議決は多数決で行われたと記します。ヘーチマンは全軍会議で選ばれました。ただしこれは身分制社会のなかの軍事共同体の慣行であって、近代の民主主義と重ねて読めるものではありません。

1648年——蜂起と、そのなかで起きたこと

同事典(項目名は「コサック・ポーランド戦争」)は、1648年1月21日にフメリニツキーが登録コサックの小部隊を率い、ヘーチマンに選ばれたと書きます。Britannica は彼を1648年から1657年までの指導者とし、1648年4月にポーランド側へ進軍したとしています。背景には、賦役の拡大、正教会に対する抑圧、カトリック化の政策がありました。

この蜂起は、ユダヤ人共同体に対する大規模な暴力を伴いました。ここは数字の扱いがいちばん難しい部分です。YIVO Encyclopedia of Jews in Eastern Europe の「ウクライナ」の項目(ヘンリー・エイブラムソン執筆)は、ドニプロ右岸一帯で虐殺が起き、ユダヤ人人口の最大で半数の死をもたらしたと書きます。同事典の「グゼイレス・タフ・ヴェタト」の項目(シャウル・シュタンプフェル執筆)は、影響を受けた地域のユダヤ人は約4万人で、死者は半数未満、すなわち2万人未満、おそらくは半数よりずっと少ない、と推計しています。同項目は、同時代の記録として長く使われてきたナタン・ノテ・ハンノーヴァーの記述について、近年の研究はその描写がしばしば不正確で、死傷者の推計は大きく誇張されていたことを示している、とも述べています。

この記事は、犠牲者数を一つの数字では書きません。上の二つの推計は、同じ YIVO Encyclopedia の別々の執筆者によるものです。国家形成の物語としてだけ書くと、この被害が記述から消えます。

1654年ペレヤスラウ——原本が残っていない協定

『Internet Encyclopedia of Ukraine』は、この協定について「原本の文書は保存されていないが、ツァーリの勅許の翻訳と草案は残っている」と書いています。何を取り決めたのかを、完全な形で読める文書がありません。

理解も一致していません。同事典は、ウクライナ側の政府がこれを一時的な政治的・軍事的同盟とみなしたのに対し、モスクワ国家はこれを自らの干渉を強める根拠として用いた、と記します。歴史家の側でも、臣従関係、保護国、同君連合など複数の解釈が並んでいます。

ソ連の歴史学は、これを「二つの兄弟民族が単一のロシア国家に統合されることを望んだ、その到達点」として描いた、と同事典は書きます。

分割と「破滅の時代」

1667年1月13日にポーランドとモスクワ国家の間で署名されたアンドルソヴォ講和条約で、ドニプロ左岸はモスクワ国家の支配下に残り、右岸はポーランドへ移りました。同事典はこれを「ウクライナの最初の分割」と呼んでいます。この前後の混乱は「破滅(ルイーナ)」と呼ばれますが、その期間の区切りは歴史家によって異なり、1663年から1687年までとする説と、1657年から1687年までとする説があります。日付と期間の区切りは、いずれも『Internet Encyclopedia of Ukraine』の記述です。

自治の解体——1708年から1783年まで

1708年、ヘーチマンのイヴァン・マゼーパはスウェーデン王カール12世と反モスクワの連合を組み、1709年7月8日のポルタヴァの戦いで敗れました。

その後、1764年にヘーチマン職が廃止され、1775年6月15日から16日にかけてザポリッジャのシーチがロシア軍によって破壊され、1783年にロシア帝国がクリミア・ハン国を併合しました。

ロシア帝国は、併合した南部を「ノヴォロシア(新ロシア)」と呼びました。同事典はこれを、1764年以降、ザポリッジャ・コサック、ヘーチマン国家、クリミア・ハン国、オスマン帝国からロシア帝国が獲得した南ウクライナの地域に対する行政上の呼称だと説明しています。帝国の行政区分の名前であって、それ以前にそこに人が住んでいなかったことを意味しません。

同じ時期、ポーランドは1772年、1793年、1795年の三度にわたって分割されました。『Internet Encyclopedia of Ukraine』の「ポーランド」の項目は、この分割でロシアがガリツィアとブコヴィナを除くポーランド領のウクライナをすべて得て、ガリツィアとブコヴィナはオーストリア帝国に併合された、と書いています。ただし同事典の「ブコヴィナ」の項目によれば、ブコヴィナは1774年までモルドヴァに属しており、オーストリアが1768〜74年の露土戦争に乗じて併合した土地です。ガリツィアがオーストリア領になったのは1772年の第一次分割で、その支配は1918年まで続きました。ポジーリャは、西部が1772年にオーストリアへ、東部が1793年の第二次分割でロシアへ移っています。

19世紀——農奴制、港、石炭

農奴制の廃止は、ロシア帝国で1861年、ハプスブルク帝国のガリツィア、ブコヴィナ、ザカルパッチャで1848年でした。1848年の月日は、資料によって4月16日と4月22日の二通りの記述があるため、ここでは書きません。

オデーサは黒海最大の小麦輸出港となり、『Internet Encyclopedia of Ukraine』は1874年までにヨーロッパ全体で最大になったと記しています。ドンバスの重工業化では、ウェールズ出身のジョン・ヒューズが現在のドネツィクにあたる地に製鉄所を建てました。同事典と Britannica はいずれもこれを1872年としています。

読み書きの広がりについては、同事典の「識字」の項目(ヴォロディーミル・クビヨヴィチ執筆、1993年)が1897年のロシア帝国国勢調査の数字を挙げています。ウクライナ諸県の9歳以上の人口のうち読み書きができたのは26パーセントで、ウクライナ人に限ると23.6パーセント(男性38.6パーセント、女性12.4パーセント)でした。同項目は、学校の拡大によって1914年までに全人口の約42パーセントに達したとも書いていますが、こちらは分母が「全人口」で、1897年の数字とは取り方が違います。

帝国は、言語に対して具体的に何をしたか

1863年のヴァルーエフ通達は、『Internet Encyclopedia of Ukraine』と Britannica の双方によれば、文学作品(belles lettres)を除くウクライナ語の出版をほぼ全面的に禁じるものでした。

1876年のエムス法は、同事典によれば、ウクライナ語出版物の印刷と国外からの輸入、ウクライナ語による演劇の上演と公開朗読、ウクライナ語歌詞の印刷を禁じました。Britannica は、これが教育にも及んだとしています。

タラス・シェウチェンコは1814年3月9日に生まれ、1861年3月10日に亡くなりました(新暦)。Britannica は、彼が農奴として生まれ、1838年に自由の身になったと記しています。『Internet Encyclopedia of Ukraine』によれば、1840年に最初の詩集『コブザール』(8編の詩を収める)がサンクトペテルブルクで刊行されました。それより前の1798年には、イヴァン・コトリャレウシキーがウェルギリウスの『アエネーイス』を戯作に書き換えた『エネイーダ』の最初の3部が、同じサンクトペテルブルクで刊行されています。

ハプスブルク領では何が違ったか

ガリツィアでは1848年の革命と農奴制の廃止があり、議会政治、結社、出版の余地が生まれました。ただ、「ルーシ人」から「ウクライナ人」への自己定義の移り変わりは、滑らかではありませんでした。『Internet Encyclopedia of Ukraine』の「ガリツィア」の項目は、それが保守的な「古ルーシ派(Old Ruthenians)」と、ウクライナ派の民衆派(ナロドウツィ)との党派対立として現れたことを記しています。

文化と学術の団体も、この時期に生まれています。プロスヴィタは1868年12月8日にリヴィウで設立され、シェウチェンコ学術協会は1873年12月11日に設立されて、1893年に学術団体へ改組されました。

ユダヤ人社会

ハシディズムの起源は、YIVO Encyclopedia の「ハシディズム」の項目によれば、イスラエル・ベン・エリエゼル(1698/1700年—1760年、バアル・シェム・トヴ)と、ポーランド・リトアニア共和国の南東部、とくにポジーリャ地方に結びつけられます。生年そのものが1698年とも1700年とも記され、確定していません。

帝政末期のポグロムについて、同事典の「ポグロム」の項目(ジョン・クリア執筆)が挙げる主な発生地は、1881年から82年のエリザヴェトグラード、キーウ、バルタ、1905年のオデーサ、キーウなどです。死者の総数については、同項目自身が議論があるとしています。この記事では数字を書きません。

第一次世界大戦

『Internet Encyclopedia of Ukraine』の「第一次世界大戦」の項目(ジョン=ポール・ヒムカ執筆)によれば、ガリツィアではウクライナ人の義勇部隊「ウクライナ・シーチ銃兵隊」がオーストリア=ハンガリー軍のなかに編成され、ロシア帝国領のウクライナ人組織は帝国への忠誠を表明しました。

この続き、1917年の革命から第二次世界大戦までは、次の記事で扱います。

出典・参考資料

  1. Internet Encyclopedia of Ukraine「Cossacks」(草原へ逃れた農民・町人が「自由な人々」と自称したという記述、賦役の拡大とカトリック化政策を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  2. Internet Encyclopedia of Ukraine「Sich Council」(将校団とキシュ・オタマンの選出、多数決による議決を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  3. Internet Encyclopedia of Ukraine「Hetman」(ヘーチマンが全軍会議で選出されたことを確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  4. Internet Encyclopedia of Ukraine「Cossack-Polish War」(1648年1月21日、登録コサックの小部隊、ヘーチマン選出を確認。「Khmelnytsky Uprising」はこの項目へのリダイレクト)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  5. Encyclopaedia Britannica「Bohdan Khmelnytsky」(逃亡農奴・盗賊・商人から発展した半軍事的共同体という記述、1648年4月の進軍、指導期間1648–57年を確認)
    発行:Encyclopaedia Britannica, Inc. 確認日:2026-09-23
  6. YIVO Encyclopedia of Jews in Eastern Europe「Ukraine」(執筆: Henry Abramson。ドニプロ右岸での虐殺、ユダヤ人人口の最大で半数の死という推計を確認)
    発行:YIVO Institute for Jewish Research 確認日:2026-09-23
  7. YIVO Encyclopedia of Jews in Eastern Europe「Gzeyres Takh Vetat」(執筆: Shaul Stampfer。被害地域のユダヤ人約4万人、死者は2万人未満という推計と、ハンノーヴァーの記述が近年の研究で不正確・誇張とされている点を確認)
    発行:YIVO Institute for Jewish Research 確認日:2026-09-23
  8. Internet Encyclopedia of Ukraine「Pereiaslav Treaty of 1654」(原本が保存されていないこと、翻訳と草案のみ残ること、ウクライナ側とモスクワ側の理解の相違、ソ連史学の「兄弟民族の統合」という枠組みを確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  9. Internet Encyclopedia of Ukraine「Andrusovo, Treaty of」(1667年1月13日署名、左岸はモスクワ・右岸はポーランド、「ウクライナの最初の分割」という表現を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  10. Internet Encyclopedia of Ukraine「Ruin」(国家性の解体、ドニプロ川による分断、期間区分についてコストマーロフ説1663–87年とクルプヌィツキー説1657–87年の併存を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  11. Internet Encyclopedia of Ukraine「Mazepa, Ivan」(1708年の反モスクワ連合、1709年7月8日のポルタヴァの戦いを確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  12. Encyclopaedia Britannica「Ukraine: The autonomous hetman state and Sloboda Ukraine」(マゼーパとカール12世の同盟、1709年のポルタヴァの戦いでの敗北、1764年のヘーチマン職廃止を確認)
    発行:Encyclopaedia Britannica, Inc. 確認日:2026-09-23
  13. Internet Encyclopedia of Ukraine「Hetman state」(1764年のヘーチマン職廃止を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  14. Internet Encyclopedia of Ukraine「Zaporozhian Sich」(1775年6月15〜16日のロシア軍による破壊を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  15. Internet Encyclopedia of Ukraine「Crimean Khanate」(1783年のロシア帝国による併合を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  16. Internet Encyclopedia of Ukraine「New Russia gubernia」(1764年以降の行政上の呼称であること、獲得元がザポリッジャ・コサック、ヘーチマン国家、クリミア・ハン国、オスマン帝国であることを確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  17. Internet Encyclopedia of Ukraine「Serfdom」(ロシア帝国1861年、ハプスブルク領1848年の農奴制廃止を確認。ただし1848年の月日は同事典内でも記述が割れていた)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  18. Internet Encyclopedia of Ukraine「Odesa」(黒海最大の小麦輸出港、1874年までにヨーロッパ最大という記述を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  19. Internet Encyclopedia of Ukraine「Donets Basin」(ジョン・ヒューズの製鉄所を1872年とする記述を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  20. Encyclopaedia Britannica「Donetsk」(ジョン・ヒューズの製鉄所を1872年とする記述を確認)
    発行:Encyclopaedia Britannica, Inc. 確認日:2026-09-23
  21. Internet Encyclopedia of Ukraine「Shevchenko, Taras」(生没年1814年3月9日—1861年3月10日、農奴として生まれたこと、農奴制と帝国支配への批判、1840年サンクトペテルブルクでの『コブザール』(8編)の刊行を確認。2004年改訂)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  22. Encyclopaedia Britannica「Taras Hryhorovych Shevchenko」(生没年、農奴として生まれ1838年に解放されたことを確認)
    発行:Encyclopaedia Britannica, Inc. 確認日:2026-09-23
  23. Internet Encyclopedia of Ukraine「Valuev, Petr」(1863年の通達が文学作品を除くウクライナ語出版を禁じたことを確認。独立項目「Valuev Circular」は存在せず、人物項目内の記述)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  24. Internet Encyclopedia of Ukraine「Ems Ukase」(1876年、印刷・輸入・演劇上演・公開朗読・歌詞印刷の禁止を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  25. Encyclopaedia Britannica「Ukraine: Ukraine under direct imperial Russian rule」(ヴァルーエフ通達が文学作品を除く出版を禁じたこと、エムス法が教育にも及んだことを確認)
    発行:Encyclopaedia Britannica, Inc. 確認日:2026-09-23
  26. Internet Encyclopedia of Ukraine「Galicia」(1848年の農奴制廃止、古ルーシ派と民衆派(ナロドウツィ)の党派対立を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  27. Internet Encyclopedia of Ukraine「Prosvita」(1868年12月8日、リヴィウでの設立を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  28. Internet Encyclopedia of Ukraine「Shevchenko Scientific Society」(1873年12月11日設立、1893年の学術団体への改組を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  29. YIVO Encyclopedia of Jews in Eastern Europe「Hasidism」の「Historical Overview」節(執筆: David Assaf。イスラエル・ベン・エリエゼル 1698/1700–1760年、ポーランド・リトアニア共和国南東部とくにポジーリャという記述を確認)
    発行:YIVO Institute for Jewish Research 確認日:2026-09-23
  30. YIVO Encyclopedia of Jews in Eastern Europe「Pogroms」(執筆: John Klier。1881–82年のエリザヴェトグラード・キーウ・バルタ、1905年のオデーサ・キーウ、死者総数に議論があるという記述を確認)
    発行:YIVO Institute for Jewish Research 確認日:2026-09-23
  31. Internet Encyclopedia of Ukraine「First World War」(執筆: John-Paul Himka。ウクライナ・シーチ銃兵隊の編成、ロシア帝国領のウクライナ人組織による忠誠表明を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  32. Internet Encyclopedia of Ukraine「Poland」(執筆: O. Ohloblyn, I. Lysiak Rudnytsky, M. Zhdan、初出1993年第4巻。1772・1793・1795年の分割でロシアがガリツィアとブコヴィナを除くポーランド領ウクライナを得たという記述を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  33. Internet Encyclopedia of Ukraine「Galicia」(2014年改訂。1772年の第一次分割でオーストリア領となり1918年まで続いたことを確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  34. Internet Encyclopedia of Ukraine「Podilia」(初出1993年第4巻、2020年一部改訂。西部が1772年にオーストリア、東部が1793年にロシアへ移ったことを確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  35. Internet Encyclopedia of Ukraine「Bukovyna」(執筆: Arkadii Zhukovsky、初出1984年第1巻。1774年までモルドヴァに属し、1768〜74年の露土戦争に乗じてオーストリアが併合したことを確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  36. Internet Encyclopedia of Ukraine「Literacy」(執筆: Volodymyr Kubijovyč、初出1993年第3巻。1897年国勢調査でウクライナ諸県の9歳以上人口の識字26%、ウクライナ人23.6%(男38.6%・女12.4%)、1914年に全人口の約42%を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23
  37. Internet Encyclopedia of Ukraine「Kotliarevsky, Ivan」(執筆: Pavlo Petrenko、初出1988年第2巻。『エネイーダ』第1〜3部の1798年サンクトペテルブルクでの刊行を確認)
    発行:Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta 確認日:2026-09-23

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