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先住民族と少数民族
クリミア・タタール、カライム、クリムチャク、ユダヤ人の社会。ウクライナに暮らしてきた人々の記事です。
記事16本
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ルメイとウルム、マリウポリに住みついたクリミアのギリシャ系の人々
マリウポリとその周りの村は、1778年にクリミアを出たキリスト教徒が住みついてできました。子孫のギリシャ系の人々は、ギリシャ語の流れをくむ言葉を話すルメイと、テュルク系の言葉を話すウルムに分かれます。移住の年と人数、二つの呼び名、1920年代の言語政策、2001年の国勢調査の数字を、事典と統計で並べます。
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リヴィウのアルメニア大聖堂と、町のアルメニア人
リヴィウのアルメニア大聖堂は1363年に建て始められ、何世紀にもわたって町のアルメニア人の共同体の中心でした。自分たちの法、ローマとの合同の年をめぐる三つの説、1945年の断絶と2003年の聖別までを、事典と国勢調査から見ます。
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1883年、ガスプリンスキーが出した新聞『テルジュマン』
1883年4月10日、クリミアのバフチサライで新聞『テルジュマン』の第1号が出ました。出したのはイスマイル・ガスプリンスキー。クリミア・タタール語とロシア語の紙面は、ロシア帝国のテュルク系の人々にも読まれ、学校の改革の運動とも結びつきました。二つの呼び名、終刊の年、ノーベル賞の推薦の話まで、資料ごとに見ていきます。
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ヴォリーニ地方に来たチェコ人。6万5千人から5,917人へ
19世紀の後半、ロシア帝国で農奴制が廃止されたあと、チェコの農民がウクライナ北西部のヴォリーニ地方に村をつくりました。20世紀の初めに約6万5千人いたウクライナのチェコ人は、2001年の国勢調査では5,917人です。移住の経過と人数の移り変わり、1947年と1990年代の移住を、二つの事典とチェコの統計局・議会の記録で追います。
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「世界最大」は誰の言葉か。ドニプロのユダヤ・センター「メノラー」
ドニプロに2012年に開いたユダヤ共同体のセンター「メノラー」には、シナゴーグ、博物館、研究所、領事館が入っています。運営する共同体はこれを「世界最大」と呼びますが、比べた基準は示されていません。センターの成り立ちと、カテリノスラウと呼ばれた町のユダヤ人の歴史を、共同体の公表と二つの事典で並べます。
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モルダヴァンカのギャング、ベーニャ・クリーク。バーベリ『オデッサ物語』
ギャングの頭目ベーニャ・クリークが、20世紀の初めのオデーサの下町を舞台に動き回る。オデーサ生まれのイサーク・バーベリがロシア語で書いた短編の連作『オデッサ物語』の成り立ち、舞台になった地区モルダヴァンカ、主人公のモデルとされる人物、映画と日本語訳を、ウクライナの事典とYIVOのユダヤ百科事典からまとめました。
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カルパティアの山のウクライナ人、フツル・ボイコ・レムコ
フツル、ボイコ、レムコは、カルパティア山地に暮らしてきたウクライナ人の民族誌的な集団です。東から西へ並んで住み、畑の少ないフツル地方は放牧で暮らしてきました。最も西のレムコ地方は大部分がいまのポーランドとスロバキアにあり、1944〜1947年の移住で多くの人がウクライナの平野部やポーランドの各地へ移されました。
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ブジャクの草原に移り住んだ、ブルガリア系とガガウズの人々
オデーサ州の南西部には、19世紀にドナウの南から移ってきたブルガリア系の人々と、トルコ系の言葉を話す正教徒のガガウズの人々がまとまって暮らしています。2001年の国勢調査では、旧ボルフラド地区の住民の6割がブルガリア人でした。2020年の地区の再編では、この地区の扱いをめぐってブルガリア議会とウクライナ外務省が応酬しました。
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ハンガリー語で学べるのは何年生までか。教育法第7条をめぐる6年
ザカルパッチャ州のハンガリー系の学校では、2017年の教育法で5年生から上の授業をウクライナ語に移すことになり、ハンガリー政府は強く反発しました。2020年の法律で割合が決まり、2023年12月の改正を経て、ハンガリー語などEUの公用語で学べる範囲は大きく広がりました。
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国勢調査では4万7千人、推計では最大40万人。ウクライナのロマと国の戦略
2001年の国勢調査でウクライナのロマは4万7,587人でしたが、政府の戦略は実際には20万〜40万人にのぼる可能性があると書いています。身分証を持たない人、学校、住まい、ロマ語の教育まで、2021年に承認された2030年までの戦略と行動計画が何を課題とし、何を決めたのかをたどります。
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1740年、メジビージに招かれた治療師。バアル・シェム・トーヴとハシディズム
ユダヤ教の信仰運動ハシディズムは、18世紀のポディッリャ地方で、治療師バアル・シェム・トーヴのまわりから生まれました。1740年から暮らした町メジビージ、禁欲ではなく喜びを説いた教え、弟子たちが広げた運動、ひ孫でウマニに眠るブラツラウのナフマンまでを、二つの事典の記述でたどります。
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Q、Ñ、Ğを含む31文字。クリミア・タタール語のラテン文字
ウクライナの内閣は2021年9月22日、クリミア・タタール語の字母を31文字のラテン文字で定め、学校の教育を2025年9月1日までに移すよう求めました。アラビア文字からラテン文字、キリル文字へと書き方を変えさせられてきた経緯と、ロシアの法律がキリル文字を強いる占領下のクリミアとの違いをまとめます。
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碑にユダヤ人と刻まれなかった谷、キーウのバビン・ヤール
1941年9月29日と30日、占領下のキーウの谷バビン・ヤールで、ナチス・ドイツの部隊がユダヤ人を銃殺しました。殺害は2年続き、戦後のソ連は1976年に建てた碑でユダヤ人に触れませんでした。数の出どころ、独立後の保護区、2022年3月1日のロシアのミサイル攻撃までをたどります。
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バラは女性、チューリップは男性。クリミア・タタールの文様オルネク
クリミア・タタールの人々が刺繍や織物、陶器、銀細工に使ってきた文様オルネクは、図柄の一つ一つに意味があり、並べると物語のように読めます。2021年にウクライナの申請でユネスコの無形文化遺産に記載された文様の中身と、ロシアの占領下にあるクリミアで受け継ぐ難しさをまとめます。
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クリミア・タタール、カライム、クリムチャク。ウクライナの先住民族法
ウクライナは2021年の法律で、クリミア半島で形づくられたクリミア・タタール、カライム、クリムチャクの三つの民族を先住民族と定めました。2026年4月には内閣が、クリミア・タタールの代表機関メジリスに法律上の地位を与えています。ロシアが禁じたメジリスをめぐって国際司法裁判所が何を認め、何を認めなかったかも合わせてまとめます。
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コサックの自治が終わり、ウクライナ語の出版が禁じられるまで
1648年のフメリニツキーの蜂起から、原本が残っていない1654年のペレヤスラウ協定、1764年のヘーチマン職廃止と1775年のシーチ破壊、1863年と1876年のウクライナ語出版の禁止を経て、第一次世界大戦の直前までをたどります。蜂起のなかでユダヤ人共同体が受けた被害は、推計の違いをそのまま示しています。