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文化・歴史/解説

モルダヴァンカのギャング、ベーニャ・クリーク。バーベリ『オデッサ物語』

ギャングの頭目ベーニャ・クリークが、20世紀の初めのオデーサの下町を舞台に動き回る。オデーサ生まれのイサーク・バーベリがロシア語で書いた短編の連作『オデッサ物語』の成り立ち、舞台になった地区モルダヴァンカ、主人公のモデルとされる人物、映画と日本語訳を、ウクライナの事典とYIVOのユダヤ百科事典からまとめました。

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オリュカのひとこと

オデーサの下町のギャングを描いた連作は、誰の目線で書かれたのでしょう。最初の見出しから読めます。

ギャングの頭目ベーニャ・クリーク(Беня Крик)と、オデーサの下町に生きる人々。イサーク・バーベリ(1894〜1940年)の短編の連作『オデッサ物語』(Одесские рассказы)は、20世紀の初めのオデーサのユダヤ人の街を舞台にしています。日本では、中村唯史の訳で群像社から『オデッサ物語』の題で出ています(書名は原書の日本語訳の題のまま。この記事の本文では、町の名はウクライナ語に基づいてオデーサと書きます)。

以下は、ウクライナの三つの事典、『現代ウクライナ百科事典』(ЕСУ)、『ウクライナ歴史百科事典』(ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所)、『大ウクライナ百科事典』(ВУЕ)と、東ヨーロッパのユダヤ人の歴史を扱う『YIVO Encyclopedia of Jews in Eastern Europe』(米国のYIVO研究所)の記述による内容です(2026年9月時点)。

オデーサに生まれ、ロシア語で書いた作家

ЕСУとウクライナ歴史百科事典によれば、バーベリは1894年7月13日(新暦。旧暦では1日)、オデーサのユダヤ人の商人の家に生まれました(ВУЕは7月12日としています)。オデーサの商業学校を出て、キーウ商業大学を卒業しています(卒業の年は、ЕСУと歴史百科事典が1915年、ВУЕが1917年と書き、一致しません)。ВУЕは、バーベリがロシア語で書いた作家であること、イディッシュ語とフランス語、タルムードと聖書も身につけていたことを記しています。

YIVOの事典は、バーベリのイディッシュ語への愛着が、ロシア語の散文の下地に表れていると書きます。1916年には、「イディッシュ文学の祖父」と呼ばれるメンデレ・モイヘル=スフォリムに会っています。

作家として広く知られるようになったのは1920年代です。1920年、ソ連の第1騎兵軍に従軍記者として加わった体験から、短編集『騎兵軍』(Конармия、1926年)が生まれました(ЕСУ、YIVO)。ЕСУは、この短編集と『オデッサ物語』が20以上の言語に訳されたと書いています。

オリュカのひとこと

主人公のモデルとされる人物は、本当に実在したのでしょうか。この節の書き方で確かめましょう。

『オデッサ物語』に描かれたもの

ВУЕによれば、『オデッサ物語』の各編は1923〜1924年にいろいろな定期刊行物に載り、1931年に一冊の本にまとめられました。YIVOの事典は、オデーサを舞台にした物語が1921年から1937年にかけて書かれたとしています。ВУЕは、この短編集の中身を1904年から1919年のオデーサの犯罪の世界だとし、ЕСУは「オデーサのユダヤ人の貧しい人々と、ギャングの一族の暮らし」を描いたものだと説明しています。

YIVOの事典は、ギャングのベーニャ・クリークという人物が、失われたユダヤ人の力と、オデーサのユダヤ人の生きる喜びを表していると書きます。後に書かれた「フロイム・グラーチ」「養老院の最期」(1932年)などの作品は、社会主義の未来の名のもとに終わらされた、活気のあるユダヤ人の共同体を描いた、とも説明しています。

  1. オリュカ

    モルダヴァンカという地区には、どんな人たちが暮らしていたのかな。

  2. タブリ

    この見出しの下に、地区ができたころの説明があるよ。

  3. ヨリクネ

    オデーサの町の始まりは、この節のリンク先の記事でも読めるよ。

モルダヴァンカという地区

物語の多くの舞台になったのが、オデーサの地区モルダヴァンカ(Молдаванка)です。『Internet Encyclopedia of Ukraine』は、町が急に大きくなった19世紀の後半に、オデーサの北にペレスィプ、西にスロビトカ、ロマニウカ、モルダヴァンカといった工業と労働者の地区が生まれたと書いています。

YIVOの事典の「Odessa」の項は、20世紀に入るころ、オデーサのユダヤ人の約3分の1が過越祭の施しを受けるために登録していたこと、1881年にユダヤ人は市の人口の3分の1を超えていたのに、家の持ち主の8分の1にも満たなかったことを挙げ、「ユダヤ人の貧しい人々はモルダヴァンカ地区に集まっていた。舗装されていない通りの地区で、1920年代の初めにイサーク・バーベリのオデーサの物語によって広く知られるようになった」と書いています。

同じ項は、オデーサの通りではウクライナ語、ロシア語、そしてとくにイディッシュ語が混じり合って響き、それが当時よく言われたように、バーベリの作品に表れている、とも書いています。オデーサという町の成り立ちと、19世紀の住民の構成はオデーサと自由港の時代の記事で扱っています。

ベーニャ・クリークのモデル

ВУЕは、ベーニャ・クリークのモデル(プロトタイプ)を、ミシュコ・ヤポンチクと呼ばれたM・ヴィンニツキー(1891〜1919年)だとしています。ЕСУ、ウクライナ歴史百科事典、YIVOの事典のバーベリの項目は、モデルについて書いていません。

舞台と映画になった物語

YIVOの事典によれば、バーベリの最初の戯曲『日没』(Закат)は『オデッサ物語』をもとにしたもので、1928年に上演されましたが、長くは続きませんでした(ЕСУは戯曲の年を1927年としています)。

映画では、ЕСУとВУЕによれば、バーベリの脚本でオデーサ映画工場が『塩』(1925年)と、『オデッサ物語』をもとにした『ベーニャ・クリーク』(1927年)を撮りました。ショレム・アレイヘムの小説による『さまよう星』(1927年)の脚本も書いています。撮影所の歴史はオデーサ映画撮影所の記事で扱っています。

ウクライナ語と日本語で読む

ВУЕによれば、『オデッサ物語』はK・シンチェンコがウクライナ語に訳しており、2020年に出た東ヨーロッパのユダヤ人の散文の選集にも、そのうちの何編かが入っています。ЕСУは、ウクライナの作家への影響として、ユーリー・ヤノウシキーの初期の短編(文学研究者オレクサンドル・ビレツキーの言う「バーベリがそこにいる」)から、ユーリー・アンドルホヴィチの散文までを挙げています。

書名訳者出版社・叢書刊行
オデッサ物語中村唯史群像社(群像社ライブラリー1)初版1995年10月、第2版2022年7月。208ページ
群像社の書籍ページによる(2026年9月24日確認)。版元は、ユダヤ人街のギャングたちの時代、ポグロムの記憶、少年時代を描いた、黒海沿岸の国際都市を舞台にした短編集と紹介している。

1940年の銃殺

バーベリは1939年5月に逮捕され、1940年1月26日に死刑を言い渡されて翌27日に銃殺されました。1954年に名誉を回復されています(ウクライナ歴史百科事典、ВУЕ)。

出典と記事の記録出典 7件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Бабель Ісак Еммануїлович生没、キーウ商業大学1915年、『Конармия』1926年・『Одесские рассказы』1931年、20以上の言語、戯曲『Закат』1927年、オデーサ映画工場の『Сіль』『Беня Крик』、ウクライナの作家への影響、1939年5月の逮捕。執筆 В. В. Кравець、第2巻、2003年
    発行:Енциклопедія Сучасної України(ウクライナ国立科学アカデミー・シェウチェンコ学術協会) 確認日:2026-09-24
  2. БАБЕЛЬ Ісаак Еммануїлович13(01).07.1894〜27.01.1940、ユダヤ人の商人の家、オデーサの商業学校、1915年の卒業、『Одесские рассказы』1931年、『Закат』1928年、1939年5月の逮捕、1940年1月26日の判決と翌日の処刑、1954年の名誉回復。執筆 Л. О. Гаврилюк、第1巻、2003年
    発行:Енциклопедія історії України(ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所) 確認日:2026-09-24
  3. Бабель, Ісак Еммануїлович12.07.1894、ロシア語で書いたこと、イディッシュ語など、1917年の卒業、1923〜1924年の定期刊行物への掲載と1931年の単行本、1904〜1919年の犯罪の世界、ベーニャ・クリークのプロトタイプ、映画、ウクライナ語訳。執筆 О. В. Малаш、2021年7月15日公開
    発行:Велика українська енциклопедія(国立学術機関「百科事典出版所」) 確認日:2026-09-24
  4. Babel, Isaacイディッシュ語、メンデレとの面会、1921〜1937年に書かれたオデーサの物語、ベーニャ・クリークの人物像、後の作品、『Zakat』の1928年の上演、1939年5月15日の逮捕、1940年1月27日の処刑。執筆 Efraim Sicher
    発行:YIVO Encyclopedia of Jews in Eastern Europe(YIVO Institute for Jewish Research) 確認日:2026-09-24
  5. Odessa1881年の人口に占めるユダヤ人、過越祭の施し、モルダヴァンカとバーベリの物語、通りの言葉。執筆 Steven J. Zipperstein
    発行:YIVO Encyclopedia of Jews in Eastern Europe(YIVO Institute for Jewish Research) 確認日:2026-09-24
  6. Odesa19世紀後半の労働者の地区、モルダヴァンカ
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-24
  7. オデッサ物語(バーベリ著)訳者、叢書、初版1995年10月・第2版2022年7月、208ページ、版元の紹介文
    発行:群像社 確認日:2026-09-24

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