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オデーサ

黒海の港町オデーサとオデーサ州の記事です。世界遺産の歴史地区、穀物の港、姉妹都市の横浜。

記事15本

  1. 文化・歴史/解説

    公開まで20年待った『短い出会い』と、監督キーラ・ムラトワ

    1967年にオデーサ映画撮影所で完成した『短い出会い』は、およそ20年ほとんど上映されず、1971年の『長い見送り』とともに1987年に公開されました。監督キーラ・ムラトワの生涯を、事典、大統領令、ベルリン国際映画祭の記録で追い、資料ごとに違う年も並べます。

  2. 社会を知る/解説

    地図にあるのは1,500km余り。オデーサの地下の石切り場

    オデーサの地下に広がる「カタコンベ」は、19世紀前半から町を建てる石を切り出した跡です。よく聞く総延長2,500kmは事典でも見積もりとして書かれ、記述され地図にされた坑道は1,500km余りとされます。呼び名、数字の出どころ、1963年からの自然記念物と化石の洞窟を事典と大学、市の資料から並べます。

  3. 文化・歴史/解説

    火事から14年、ウィーンの設計で建て直されたオデーサの歌劇場

    オデーサの劇場は1810年に最初の上演の季節を迎え、1873年に焼けました。いまの建物はウィーンのフェルナーとヘルマーの設計で1887年に開き、沈む地盤と補強の工事を繰り返してきました。三つの事典とユネスコの記載から、年の食い違いも含めてたどります。

  4. ビジネス・復興/解説

    「半導体用ネオンの約半分」の出どころ。オデーサとマリウポリの2社

    2022年3月、ウクライナの2社が半導体用ネオンの生産を止め、「世界の約半分」が失われると報じられました。この数字は会社と業界調査会社の数字をもとにした報道機関の計算で、精製されたネオンについての侵攻前の推計です。ネオンが製鉄所の副産物であること、マリウポリからオデーサ州へ移った会社のその後を、2026年9月時点の資料で見ます。

  5. 文化・歴史/解説

    モルダヴァンカのギャング、ベーニャ・クリーク。バーベリ『オデッサ物語』

    ギャングの頭目ベーニャ・クリークが、20世紀の初めのオデーサの下町を舞台に動き回る。オデーサ生まれのイサーク・バーベリがロシア語で書いた短編の連作『オデッサ物語』の成り立ち、舞台になった地区モルダヴァンカ、主人公のモデルとされる人物、映画と日本語訳を、ウクライナの事典とYIVOのユダヤ百科事典からまとめました。

  6. 社会を知る/解説

    ブジャクの草原に移り住んだ、ブルガリア系とガガウズの人々

    オデーサ州の南西部には、19世紀にドナウの南から移ってきたブルガリア系の人々と、トルコ系の言葉を話す正教徒のガガウズの人々がまとまって暮らしています。2001年の国勢調査では、旧ボルフラド地区の住民の6割がブルガリア人でした。2020年の地区の再編では、この地区の扱いをめぐってブルガリア議会とウクライナ外務省が応酬しました。

  7. 社会を知る/解説

    ドナウ・デルタの保護区と、ブィストレ運河をめぐる20年

    ウクライナ側のドナウ・デルタには、1998年の大統領令で生物圏保護区が設けられ、302種の鳥が記録されています。2004年に保護区の中を通るブィストレ運河が開かれると、ルーマニアがエスポー条約の調査手続きを求め、2006年に調査委員会は重大な悪影響の可能性が高いと結論しました。この案件は2024年12月に締約国会議で終結しました。

  8. ビジネス・復興/データ・資料

    ぶどう畑の3分の2はオデーサ州に。ウクライナのワインの産地と地理的表示

    ウクライナのぶどう畑は2024年に2万7千ヘクタールで、約3分の2がオデーサ州にあります。19世紀にスイスの人々が開いたシャボの入植地、2026年1月に施行された新しいワインの法律、2023年から登録が始まったワインの地理的表示6件を、統計と法令、知的財産庁の登録一覧で見ます。

  9. ビジネス・復興/解説

    岸壁は国のもの、荷役は会社のもの。ウクライナの港とコンセッション

    ウクライナの港の岸壁や水面は国のもので、2013年にできた海港庁が管理します。2020年にはヘルソン港とオリヴィア港で初めてコンセッションが結ばれましたが、全面侵攻で止まりました。2025年12月にはチョルノモルシク港の入札が始まっています。法律の仕組みと案件の状態を、2026年9月時点の発表で見ます。

  10. 文化・歴史/解説

    ドヴジェンコが映画を撮り始めた、オデーサ映画撮影所

    オデーサ映画撮影所は1919年に生まれ、1920年代にはウクライナ映画の中心でした。ドヴジェンコが最初の作品を撮ったのもここです。1930年代以降はモスクワの撮影所の拠点として使われた時期があり、いまは非公開の株式会社で、国の持ち分をめぐる裁判もありました。名前の変遷、主な作品、いまの所有をたどります。

  11. 文化・歴史/解説

    1794年9月2日に港の工事が始まった町、オデーサと自由港の時代

    オデーサは、トルコの要塞があったハジベイに1794年、港として造り直された町です。碁盤の目の計画、リシュリュー公の統治、関税のかからない自由港の時代に、小麦の輸出で大きく育ちました。事典の記述と数字、自由港の期間の食い違い、2022年に「創建者たち」の記念碑が下ろされた経緯をまとめます。

  12. 文化・歴史/解説

    北極海から2,820km、終点はドナウ河口の村。シュトルーヴェの測地弧

    ノルウェーの北の岬から黒海に近いドナウ河口の村まで、2,820キロ余りの子午線を三角形の鎖で測った「シュトルーヴェの測地弧」。1816年から1855年にかけての測量の目的と、2005年に10か国の世界遺産として記載された34地点のうち、ウクライナにある4地点の標識をまとめます。

  13. クレーンが並ぶ港の岸壁と停泊する貨物船を対岸から見たパノラマ写真

    ビジネス・復興/解説

    オデーサの港が攻撃で止まった夏、ウクライナの穀物はどこから出ていくか

    2026年7月、ロシアによる港と船への攻撃が続き、オデーサなど黒海の港に商船が事実上入らなくなりました。ウクライナの農産物輸出の約9割を担ってきた港です。ドナウ川の港、鉄道、トラックに振り向けた9月の輸出は、農業政策・食料省の見積もりで本来の4割台にとどまっています。2022年からの経路の移り変わりと、いまの数字をたどります。

  14. 日本とのつながり/解説

    横浜とオデーサ、京都とキーウの姉妹都市は何を約束したのか

    姉妹都市には法律上の定義がなく、提携書の本文に書かれるのは多くの場合、友好親善と相互理解の促進です。横浜市とオデーサ市、京都市とキーウ市の提携は、どんな文書で結ばれ、誰が担い、何が続いてきたのか。2023年に横浜とオデーサが結んだ覚書は、目的と期限を書き込んだ、もう一段具体的な文書でした。

  15. 朝の光を受けるキーウの聖ソフィア大聖堂

    文化・歴史/解説

    ウクライナの街と世界遺産

    キーウ、リヴィウ、オデーサ、ハルキウ、ドニプロ。ユネスコの世界遺産8件と、そのうち危機遺産リストに載った3件、無形文化遺産7件、そして2026年7月29日時点で545件と確認された文化財被害。ウクライナの街と文化遺産を、ユネスコの公表資料からたどります。

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