テーマ
キーウ
首都キーウとキーウ州の記事です。聖ソフィア大聖堂から、空襲警報、姉妹都市の京都まで。
記事25本
-

キーウで生まれ、本社をマルタへ。『メトロ』の4A Games
ゲーム『メトロ2033』をつくった4A Gamesは、2005年にキーウで設立され、2014年に本社をマルタへ移しました。いまも200人あまりのうち約150人がウクライナにいると会社は説明しています。GSC出身の創業者たち、マルタへ移った理由、別会社になったキーウのスタジオ、原作者への判決、次の作品までを、会社の発表と報道から見ていきます。
-

ホームズのゲームを11本つくった、キーウのFrogwares
キーウのゲーム会社Frogwaresは2000年に設立され、会社の作品一覧には題に「シャーロック・ホームズ」が入るゲームが11本あります。アイルランドの子会社、数え方で変わる作品の数、『The Sinking City』の権利をめぐる発売元との争い、全面侵攻のあとの開発を、会社の発表と報道から見ていきます。
-

ウクライナ映画ベスト100の18位、キーウのアニメ『ヴルンゲリ船長の冒険』
『ヴルンゲリ船長の冒険』は、キーウの撮影所キーウナウクフィルムのアニメーション部門で作られた全13話のシリーズです。監督ダヴィド・チェルカスキーの経歴、監督が足したギャングの筋、資料ごとに違う作品の年、日本では『ほらふき船長航海記』の題で訳された原作、ロシア語の言葉遊びを見ていきます。
-

キーウの黄金の門と、1982年の「1500年祭」
キーウの黄金の門は、年代記の1037年の項に初めて現れるヤロスラウ賢公の町の正門です。いま見える塔と教会は、1982年の「キーウ建設1500年」に合わせて廃墟の上に建てられた覆い屋です。事典ごとの呼び方と、「1500年」が何を数えたのかを見ます。
-

33本の学生映画から始まった、キーウの映画祭「モロジスト」
キーウの国際映画祭「モロジスト」は、1970年に演劇大学の映画学部の学生作品を2日間で33本見せる上映会として始まりました。1993年に国際映画製作者連盟(FIAPF)に国際映画祭として登録され、2025年秋に第54回を開いています。始まりの経緯、「国際」になった時期、2020年の延期と2022年12月の開催まで、主催者と事典の記録から並べます。
-

1051年、洞窟から始まった修道院。キーウ・ペチェールシク大修道院
年代記は1051年の項に、キーウの丘の小さな洞窟から修道院が始まった物語を置いています。「ラヴラ」の称号を得た年、1615年の印刷所、1718年の火事、1926年の保護区、1941年の大聖堂の爆破まで、事典によって食い違う年も並べながら、年表でたどります。
-

原発で働く人のために1986年に計画された町、スラヴティチ
スラヴティチは、チョルノービリ原発の事故のあと、発電所の職員と家族が暮らす町として1986年10月に建設が決まりました。ソ連の八つの共和国が建設に加わり、町は14の街区に分かれています。発電所への通勤、人口の移り変わり、2022年3月の占領までを、市と発電所、統計局の資料でたどります。
-

「Chernobyl」を「Chornobyl」に改めたゲーム会社、GSCと『S.T.A.L.K.E.R.』
『S.T.A.L.K.E.R.』シリーズをつくったGSCゲームワールドは、1995年にキーウで生まれた会社です。第2作は延期を重ね、題名の綴りを変え、開発の拠点の一部をプラハへ移したあと、2024年11月20日に発売されました。発売の段階、会社が発表した数字、持ち主の変化を、会社の発表と報道で並べます。
-

1934年に生まれたキーウの溶接研究所と、全溶接のパトン橋
キーウのドニプロ川に架かるパトン橋は、1953年11月5日に開通した長さ約1.5kmの全溶接の橋です。橋の名は、溶接の研究所を1934年に立ち上げた橋の技師イェウヘン・パトンから来ています。研究所の歩み、「世界初」という言い方の出どころ、研究から生まれた事業、70年を過ぎた橋の状態を並べます。
-

国の映画アーカイブ、ドヴジェンコ・センターの30年
キーウのドヴジェンコ・センターは、1994年の大統領令で生まれたウクライナ最大の映画アーカイブで、2025年1月時点で6万2千点あまりのフィルムを預かっています。何を保管し、何を取り戻してきたか、2022年の「再編」命令と裁判がどう終わったか、2025年に国立の地位が与えられるまでをまとめます。
-

『過ぎし年月の物語』は、1110年代のキーウで3度編まれた
キーウ・ルーシの歴史を伝える年代記『過ぎし年月の物語』は、12世紀の初めにキーウの修道院で編まれ、数年のうちに3度手を入れられました。原本は残っておらず、いま読めるのは14〜16世紀の写本です。誰が編んだとされるのか、写本はどこにあるのか、年の数え方、日本語訳の書名まで、事典と校訂本からまとめます。
-

1817年に閉じられ、1991年に戻った学校。キーウ・モヒラ・アカデミー
1615年に寄進された屋敷で始まった兄弟団の学校は、1632年にペトロ・モヒラのもとで学院になり、ヘーチマンや聖職者を育てました。ロシア帝国のもとで衰え1817年に閉じられた学校は、独立直後の1991年に大学として再興されます。その歩みを、事典と法令でたどります。
-

ウクライナで最初の紙幣と切手を描いた、ヘオルヒー・ナルブト
2026年3月9日は、グラフィック・デザイナーのヘオルヒー・ナルブト(1886〜1920年)の生誕140年でした。ウクライナ人民共和国の最初の紙幣と切手の図案を描き、1917年にキーウで開かれた美術アカデミーで教え、のちに学長を務めた人です。紙幣、国章、文字、本に残した仕事と、34年の生涯をまとめます。
-

碑にユダヤ人と刻まれなかった谷、キーウのバビン・ヤール
1941年9月29日と30日、占領下のキーウの谷バビン・ヤールで、ナチス・ドイツの部隊がユダヤ人を銃殺しました。殺害は2年続き、戦後のソ連は1976年に建てた碑でユダヤ人に触れませんでした。数の出どころ、独立後の保護区、2022年3月1日のロシアのミサイル攻撃までをたどります。
-

1011年か1037年か。キーウの聖ソフィア大聖堂が建った年
キーウの聖ソフィア大聖堂は、ヤロスラウ賢公の時代に建てられ、11世紀のモザイクとフレスコを今に残しています。ただし建った年は、1037年とする事典と、2011年に創建1000年を祝ったウクライナ政府とで26年違います。バロックの外観の由来、1934年の博物館化、2023年の危機遺産入り、2025年の損傷までをたどります。
-

焼けた博物館から運び出された14点、画家マリア・プリマチェンコ
キーウ州の村で空想の動物や花を描き続けた画家マリア・プリマチェンコ。全面侵攻の直後、その作品を収めたイヴァンキウの博物館が焼け、職員と住民が運び出した14点が2022年9月にキーウで公開されました。生涯と作品、ユネスコが関わった生誕100年、博物館の再建計画をまとめます。
-
ブチャで40分、首脳会談は2時間40分。岸田首相のキーウ訪問
2023年3月21日、岸田文雄首相はゼレンスキー大統領の招待でウクライナを訪れ、キーウ郊外のブチャで献花したあと、約2時間40分の首脳会談に臨みました。両国の関係は「特別なグローバル・パートナーシップ」に格上げされ、このとき調整開始で合意した情報保護協定は2025年6月に発効しています。外務省の記録から、その一日とその後を追います。
-

キーウとコロステンで子ども6万人を検診した、チョルノービリ後の日本の協力
1991年から1996年まで、日本の財団はキーウとコロステンで6万人を超える子どもを検診しました。政府は石棺を覆う基金に拠出し、福島の事故の翌年にはウクライナと協定を結んで、チョルノービリの経験に学ぶ側に回りました。2025年のドローン攻撃後の動きまでを、公表資料でたどります。
-

空襲警報のサイレンは3〜5分、キーウでは黄と赤の2段階に
ウクライナで危険を知らせるとき最初に鳴るのは「Увага всім」という3〜5分の警告音で、法令が定めています。2022年3月には警報アプリが1日で作られ、2026年9月からキーウでは警報が黄と赤に分かれました。避難所は法律上五つの種類があり、平時と戦時で扱いが変わります。
-

キーウの日本大使館は、いまパスポートを扱っていない
キーウの在ウクライナ日本国大使館は2026年9月時点で、パスポートの発給も証明書の発行もしておらず、査証も短期商用と親族訪問などに限っています。東京のウクライナ大使館は予約制で、18〜60歳の男性には兵役登録の電子書類が求められます。二つの大使館の窓口でできることと、できないことを並べます。