焼けた博物館から運び出された14点、画家マリア・プリマチェンコ
キーウ州の村で空想の動物や花を描き続けた画家マリア・プリマチェンコ。全面侵攻の直後、その作品を収めたイヴァンキウの博物館が焼け、職員と住民が運び出した14点が2022年9月にキーウで公開されました。生涯と作品、ユネスコが関わった生誕100年、博物館の再建計画をまとめます。
オリュカのひとこと
空想の動物や花の絵は、どんな主題を描いたものとされているのでしょう。事典の説明を引いた節から読んでみましょう。
2022年2月28日、ウクライナ文化・情報政策省は、キーウ州イヴァンキウの郷土史博物館が2月26日に焼けたと発表しました。ロシア軍がキーウ州に攻め込むなかでのことで、町はまだ占領されていました。博物館の収蔵品には、画家マリア・プリマチェンコ(1909〜1997)の作品がおよそ20点含まれていました。
同じ発表で文化省は、記者や活動家に向けて、博物館や住民が収蔵品をどう守ったか、どこへ移したかを広めないよう求めました。作品が無事かどうかが公に語られたのは、キーウ州が解放されたあとのことです。
ボロトニャ村で描き続けた人
ウクライナの国立百科事典「大ウクライナ百科事典(ВУЕ)」によれば、プリマチェンコは1909年1月12日、キーウ州のボロトニャ村(現在はヴィシュホロド地区)で、大工の父と刺繍をする母のもとに生まれました。1935〜36年にキーウの工房で学び働いたほかは、生涯をこの村で過ごし、1997年8月18日に同じ村で亡くなっています。
カナダ・アルバータ大学のウクライナ研究所(CIUS)が発行するInternet Encyclopedia of Ukraine(IEU)は、生年月日を1908年12月30日としています。1月12日との差は13日で、当時のロシア帝国で使われていたユリウス暦と現在の暦の差にあたります。2008年7月の大統領令が生誕100年を「2008年12月」と書いているのも、この数え方によるとみられます。
名前の綴りにも二つの形があります。ウクライナ語でПримаченко(プリマチェンコ)とПриймаченко(プルィイマチェンコ)で、最高会議の2008年12月の決議は両方を併記し、2008年の大統領令は後者を使っています。日本語では「プリマチェンコ」と書かれることが多いため、この記事もそれに合わせました。
動物と花と、戦争への言葉
プリマチェンコの絵は、素朴派(ナイーブ・アート)と呼ばれます。大ウクライナ百科事典は、主題の中心を善と悪の戦いとし、空想の動物や花、農村の暮らしを描き、絵に言い回しのような題を自分で書き添えたと説明しています。作品は1,000点を超えるとしていますが、1993年刊行の巻をもとにしたIEUの項目は「500点以上」と書いており、数え方と時点によって違いがあります。
代表作として挙げられているのは、次のような作品です。
- 連作「ボロトニャの動物たち(Звірі в Болотні)」(1935〜41年)
- 連作「人々の喜びのために(Людям на радість)」(1960〜66年)。1966年にウクライナ・ソビエト社会主義共和国のシェウチェンコ国家賞を受けた
- 「戦争よ、呪われよ!(Будь проклята війна!)」(1984年)
- チョルノービリ原発事故を題材にした連作(IEU)
詩人タラス・シェウチェンコの生涯と作品を題材にした絵も何点も描いています(シェウチェンコについては描くことも書くことも皇帝に禁じられた詩人、タラス・シェウチェンコ)。IEUによれば、作家ミハイロ・ステリマフの子ども向けの詩集にも挿絵を描きました。1988年にはウクライナ・ソビエト社会主義共和国の人民芸術家の称号を受けています。
作品を最も多く持っているのは、キーウの国立ウクライナ民衆装飾美術館で、大ウクライナ百科事典によれば約650点です。イヴァンキウの博物館が焼けても、作品の大半はここに残っています。
オリュカのひとこと
ユネスコが関わった「プリマチェンコの年」は、どんな決定から生まれたのでしょう。この節で確かめましょう。
ユネスコの「プリマチェンコの年」とは
ウクライナの公的な資料には、「ユネスコが2009年をプリマチェンコの年と宣言した」という書き方がよく出てきます。大ウクライナ百科事典もそう書いています。
ユネスコの側の文書を見ると、中身は少し違います。2007年3月9日付の執行委員会の文書(176 EX/47)は、各国が提案した2008〜2009年の記念日のうち、ユネスコが「関わる(associated)」ものを並べたものです。そこには、ウクライナのユネスコ国内委員会が「画家マリア・プリマチェンコの生誕100年」への関与を求め、事務局長が基準を満たすとして関与を提案した、と書かれています。ユネスコが自ら記念の年を定めたのではなく、ウクライナが申し出た生誕100年の記念行事にユネスコが名を連ねる仕組みです。
ウクライナ国内では、ユシチェンコ大統領が2008年7月21日の大統領令第636号で、生誕100年の記念行事を準備する委員会づくりを内閣に命じました。展覧会、作品集の刊行、記録映画、記念硬貨と記念切手の発行、キーウの通りへの命名や記念碑の建立の検討が並んでいます。最高会議も2008年12月25日の決議で、2009年に国として祝う記念日の一つに1月12日の生誕100年を入れました。2009年にはキーウの国立美術建築アカデミーの敷地に記念碑が建てられています。
焼けた博物館と、救い出された14点
イヴァンキウの博物館は、文化省の復興支援サイトによれば、1980年に地元の郷土史家が創設したもので、410点の収蔵品がありました。マンモスの骨の一部や古い貨幣、コサックの武器、第二次世界大戦やチョルノービリ事故に関する品と並んで、プリマチェンコの絵が収蔵品の誇りでした。
2022年9月21日、キーウで展覧会「マリア・プリマチェンコ。救い出されたもの」が開かれました。文化省の発表によれば、展示されたのは救い出された14点で、全面侵攻の後に公開されるのは初めてでした。ロシアのミサイルが博物館の建物を壊したものの、博物館の職員と住民が絵を運び出し、キーウ州が解放されるまでそのことを明かさなかったといいます。展示は9月22日から25日まで、キーウのフレシチャティク通りにある「ウクライナの家」で一般に公開されました。
トカチェンコ文化相(当時)はこの場で、救出にあたった住民の名前を挙げて感謝し、「ロシア人は私たちの建物を狙うことはできても、私たちのアイデンティティを狙うことはできない」と述べました。同じ場では、博物館の再建と、プリマチェンコの家が残るボロトニャ村に芸術家の滞在施設をつくる計画も示されています。
ゼレンスキー大統領は2022年8月20日の大統領令第588号で、プリマチェンコに「ウクライナの国民的伝説」の称号を死後に贈りました。
再建は2026年9月時点でこれから
博物館はまだ建て直されていません。文化省は2025年に「ウクライナ文化遺産基金」を設け、戦争で壊れた文化施設の修復に各国の資金を集めています。2026年8月5日の政府の発表によれば、ベレジナ副首相兼文化相は、この基金の次の総合的な事業がイヴァンキウの郷土史博物館の再建になると説明しました。
焼けた建物の跡から運び出された14点と、キーウの美術館に残る数百点の作品は、1909年に生まれた村の画家の仕事を、全面侵攻のあとも伝えています。ウクライナの民衆芸術のほかの例はピサンカやヴィシヴァンカの記事でも紹介しています。
出典・参考資料
- Російські війська під час наступу територією Київщини спалили Іванківський історико-краєзнавчий музей(2022年2月28日の文化・情報政策省の発表。2月26日に焼けた、約20点、情報を広めないよう求めた、町は占領下)
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-24 - В Києві вперше можна побачити врятовані картини Марії Приймаченко(2022年9月21日。展覧会、14点、ミサイル、解放まで明かさなかった、9月22〜25日「ウクライナの家」、大臣の発言、博物館の再建とボロトニャの滞在施設)
発行:Міністерство культури та інформаційної політики України 確認日:2026-09-24 - Іванківський районний історико-краєзнавчий музей(1980年創設、410点、収蔵品の内容)
発行:Міністерство культури та інформаційної політики України(Збережіть українську культуру) 確認日:2026-09-24 - Примаченко, Марія Овксентіївна(生年月日、ボロトニャ村、両親、1935〜36年の工房、主題、1,000点超、作品名と年、シェウチェンコ国家賞1966年、人民芸術家1988年、約650点の所蔵、ユネスコ、記念碑2009年、称号2022年)
発行:Велика українська енциклопедія(Державна наукова установа «Енциклопедичне видавництво») 確認日:2026-09-24 - Pryimachenko, Mariia(1908年12月30日生、1997年8月18日没、500点以上、連作と壁画、ステリマフの詩集の挿絵、チョルノービリの連作。1993年刊行の第4巻の項目)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-24 - Proposals by Member States for the celebration of anniversaries in 2008-2009 with which UNESCO could be associated(176 EX/47、2007年3月9日。第65段落)
発行:UNESCO Executive Board 確認日:2026-09-24 - Указ Президента України № 636/2008 «Про відзначення 100-річчя від дня народження Марії Приймаченко»(2008年7月21日。組織委員会、記念行事の内容、「2008年12月」の生誕100年)
発行:Президент України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Постанова Верховної Ради України № 825-VI «Про відзначення пам'ятних дат і ювілеїв у 2009 році»(2008年12月25日。1月12日の生誕100年、Примаченко (Приймаченко) の併記)
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Указ Президента України № 588/2022 «Про нагородження відзнакою Президента України "Національна легенда України"»(2022年8月20日。死後の授与)
発行:Президент України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Литва долучається до Українського фонду культурної спадщини(2026年8月5日。次の総合的な事業はイヴァンキウの博物館の再建)
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-24 - Запуск реформи меценатства, створення Українського фонду культурної спадщини та посилення інституцій культури: ключові результати Мінкульту 2025 року(2026年1月1日。2025年の基金の創設)
発行:Кабінет Міністрів України 確認日:2026-09-24
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