北極海から2,820km、終点はドナウ河口の村。シュトルーヴェの測地弧
ノルウェーの北の岬から黒海に近いドナウ河口の村まで、2,820キロ余りの子午線を三角形の鎖で測った「シュトルーヴェの測地弧」。1816年から1855年にかけての測量の目的と、2005年に10か国の世界遺産として記載された34地点のうち、ウクライナにある4地点の標識をまとめます。
オリュカのひとこと
地球の大きさを測るのに、なぜ三角形をつないでいくのでしょう。三角測量の考え方は最初の節にあります。
北緯45度19分54秒。オデーサ州のイズマイルの東、ドナウ川の河口に近いスタラ・ネクラシウカ村の丘に、19世紀半ばに建てられたオベリスクが立っています。北極海に面したノルウェーのハンメルフェスト近くから南へ、2,820キロ余り続いた測量の南の端の点です。この測量の点の連なりは「シュトルーヴェの測地弧」(Struve Geodetic Arc)と呼ばれ、2005年にユネスコの世界遺産に記載されました。
ウクライナの世界遺産の一覧は「ウクライナの街と世界遺産」にあります。ここでは、この測量が何のためのものだったのか、そしてウクライナにある4つの地点に何が残っているのかを見ていきます。
地球の大きさと形を、三角形の鎖で測る
ユネスコの世界遺産センターの説明によると、地球の大きさと形を決めることは、少なくとも紀元前4世紀から自然哲学の大きな問題でした。そのための方法として発達したのが「三角測量」です。長い距離をじかに測るかわりに、基準にする短い辺だけを正確に測り、あとは三角形の角度をつないで距離を求めていきます。三角形を鎖のようにつなぐと、数百キロ、数千キロの「弧」になります。
この測地弧は、ドルパト大学(いまのエストニアのタルトゥ大学)で働いていた天文学者フリードリヒ・ゲオルク・ヴィルヘルム・シュトルーヴェ(1793〜1864年。推薦書による)が、大学の天文台を通る子午線(経線)に沿って計画したものです。1816年から1855年にかけて、複数の測量者がシュトルーヴェのもとで測りました。南の区間には、ロシア帝国の軍の測量官カール・テンナーがリトアニアで先に測っていた弧がつながれています。ウクライナの百科事典『大ウクライナ百科事典』(ВУЕ)によると、二人は1828年に分担を取り決めました。
推薦書がまとめた全体の数字は次のとおりです。北の端はハンメルフェスト近くのフグレネス、南の端はイズマイル近くのスタラ・ネクラシウカで、緯度の差は25度20分余り。主な三角形は258、主な点は265でした。ユネスコは、この測量が子午線の長い区間を初めて正確に測ったもので、地球の正確な大きさと形を定める助けになったと説明しています。
なぜこれほどの測量に資源が注がれたのか。ユネスコの諮問機関ICOMOS(国際記念物遺跡会議)の評価書は、ナポレオンが敗れたあとのヨーロッパで国境を定めるために正確な地図が必要になり、支配者たちが軍事のためにも地図を求めたことを挙げています。ВУЕも、国がこの研究を支えたのは、成果が軍の地形図づくりに広く使われたためだと書いています。
2005年、10か国で一つの世界遺産に
世界遺産委員会は2005年7月、南アフリカのダーバンで開いた第29回会合で、この測地弧を世界遺産に記載しました(決定29 COM 8B.35)。申請したのは、ベラルーシ、エストニア、フィンランド、ラトビア、リトアニア、ノルウェー、モルドバ、ロシア、スウェーデン、ウクライナの10か国です。決定が認めた基準は三つあります。
- (ii):子午線の長い区間を初めて正確に測り、地球科学の発展の重要な一歩を示すこと。国の違う科学者たちの協力、そして異なる国の君主たちが科学のために協力した例であること
- (iv):子午線の測量に使われた三角点が、測量技術のうち動かせず形のない部分を示す、技術の集合の顕著な例であること
- (vi):測量とその結果が、世界の形と大きさへの人の問いに結びつき、地球が完全な球ではないというニュートンの理論に関わること
元の265の主な点のうち、世界遺産に含まれたのは34地点です。ユネスコの説明による内訳は、ノルウェー4、スウェーデン4、フィンランド6、ロシア2、エストニア3、ラトビア2、リトアニア3、ベラルーシ5、モルドバ1、ウクライナ4。34地点を合わせた面積は0.6ヘクタールで、緩衝地帯は合計11ヘクタールです。標識の形は地点によって違い、岩に開けた小さな穴(鉛を詰めたものもある)、岩に刻んだ十字、目印を埋め込んだ石やれんが、石を積んだ塚、記念のために建てた碑などがあります。
決定は同時に、南アフリカで測られた三角点の弧を加える拡張を検討するよう、10か国に促しています。
オリュカのひとこと
ウクライナの4地点には、それぞれどんな標識が残っているのでしょう。れんがの十字から記念碑まで、表で見比べられます。
ウクライナにある4地点
| 番号 | 地点(測量の記録での名) | 所在 | 標識と経緯(推薦書による) |
|---|---|---|---|
| 31 | カテルィニウカ(Katerinowka) | フメリニツキー州、カテルィニウカ村の北 | 1835〜40年、テンナーがれんがに十字を刻む。1928〜32年、赤軍の軍事地形局が鉄の標識を埋め込む |
| 32 | フェリシュティン(Felschtin) | フメリニツキー州(推薦書の村名はフヴァルディイスケ) | 岩の地点。1935年に同じ地形局が鉄の標識を入れ、1961年に鉄筋コンクリートの柱を入れる |
| 33 | バラニウカ(Baranowka) | フメリニツキー州、バラニウカ村の西 | 岩の地点。1935年に鉄の標識、1961年に塚と鉄筋コンクリートの柱 |
| 34 | スタラ・ネクラシウカ(Staro-Nekrassowka) | オデーサ州、イズマイルの東 | 1851年、テンナーが岩に鉄の標識を入れる。1852〜55年に記念碑、1994年に改修 |
北の3地点は、テンナーが1835〜40年にロシア帝国のポジーリャ県で三角網を作ったときに最初に観測されました。推薦書によると、3地点とも当時ほかの点が見えていた眺めは失われていますが、2003年に衛星測位(GPS)で辺の長さを測り直したところ、テンナーの値とよく合い、同じ地点であることが確かめられました。3地点には2003年に、その役割を説明する記念の碑や銘板が置かれています。
スタラ・ネクラシウカは、1851年にテンナーが初めて観測した弧の南の端です。推薦書によると、1852〜55年に測量の完成を記念する碑が北の端のフグレネスとともに建てられ、南の碑はテンナーの標識の真上に中心を合わせて据えられました。1994年10月には、ロシア・ウクライナ・ノルウェーの共同の再測量の事業で4日間の衛星測位が行われています。
推薦書が書かれた時点で、4地点はいずれもウクライナの国家測地網の点として使われていました。ВУЕによると、ウクライナの国内には測地弧の三角点が51あり、北からヴォリーニ州、リウネ州、テルノーピリ州、フメリニツキー州、チェルニウツィー州、オデーサ州を通っていました。世界遺産になったのは、そのうち保存のよい4地点です。4地点はいずれも、2026年9月時点でロシアに占領されている地域の外にあります。
帝国の測量が、いまは10か国の遺産に
測量が行われた19世紀前半、ウクライナの4地点があった土地はロシア帝国の県に属していました。ВУЕは、この事業がロシア帝国、ノルウェー、スウェーデンの協力で進み、ロシアの皇帝アレクサンドル1世とニコライ1世、スウェーデン・ノルウェーの国王オスカル1世の支えを受けたと書いています。ICOMOSの評価書は、この測地弧を、作られた当時で最も正確で、1世紀以上にわたって最も長く、いくつもの国をまたいだ最初の弧だったと評価しています。
いま34地点を守るのは、それぞれの国です。ユネスコの説明では、多くの国で地図作成を担う国の機関が地元の行政とともに管理し、10か国の調整委員会が2年に一度会合を開いています。調整委員会の決議にもとづいて、ウクライナを含む8か国が測地弧の切手や封筒を発行しました。帝国の軍の測量として始まった点の連なりが、10の国が共同で守る一つの世界遺産になっています。
出典と記事の記録
出典・参考資料
- Struve Geodetic Arc概要、10か国・2,820km余り、1816〜1855年、258の三角形と265の主要点、34地点の国別の内訳、面積0.6ha・緩衝地帯11ha、標識の種類、調整委員会、切手を発行した国
発行:UNESCO World Heritage Centre 確認日:2026-09-24 - Decisions adopted at the 29th session of the World Heritage Committee (Durban, 2005), WHC-05/29.COM/22, Decision 29 COM 8B.35記載の決定、基準(ii)(iv)(vi)の文言、南アフリカの弧への拡張の奨励
発行:UNESCO World Heritage Committee 確認日:2026-09-24 - Advisory Body Evaluation No 1187: Struve Geodetic Arc2005年4月。推薦の受理日、ナポレオン戦争後の測量の必要、比較評価、34地点の一覧
発行:ICOMOS(UNESCO掲載) 確認日:2026-09-24 - Nomination file 1187: Struve Geodetic Arcウクライナの4地点の所在・標識・設置年・2003年と1994年の調査、テンナーの測量、南北の端点の緯度、シュトルーヴェの生没年
発行:推薦10か国(UNESCO掲載) 確認日:2026-09-24 - Геодезична дуга СтрувеВ. В. Вечерський執筆、2024年8月26日公開。ウクライナ国内の51の三角点と6州、4地点の村名、テンナーの生没年、1828年の分担の取り決め、軍用地図との関係
発行:Велика українська енциклопедія 確認日:2026-09-24
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