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文化・歴史/解説

旅をした目の見えない歌い手コブザールと、楽器バンドゥーラ

ウクライナの民族楽器バンドゥーラは、フレットがなく1本の弦で1つの音を出す楽器です。この楽器で叙事詩を語り歩いたコブザールは帝政ロシアとソ連の双方で弾圧され、伝統は1930年代に途絶えかけました。2024年、その伝統を守る取り組みはユネスコに選ばれています。

膝の上に斜めに置き、右手で旋律を、左手で伴奏をはじく。ウクライナの民族楽器バンドゥーラ(бандура)は、形も見た目もリュートに近い弦楽器です。ただし、弦の張り方と音の出し方はリュートとまったく違います。

この楽器には、演奏した人々の歴史が重なっています。村から村へ歩いて歌った、多くは目の見えない歌い手たち。帝政ロシアとソ連の両方で弾圧された人々。そして2024年、その伝統を守る取り組みはユネスコに選ばれました。

弦は32本から55本、1本で1音

Internet Encyclopedia of Ukraine(アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所=CIUS発行。以下IEU)の「Bandura」の項目(1984年刊行の紙版第1巻が初出)によれば、バンドゥーラの弦は32〜55本あります。そのうち8〜14本の低音弦(ブンティ)はネックに沿って張られ、24〜43本の高音弦(プルィストルンキ)は共鳴板の脇を走ります。旋律は高音弦で弾き、低音弦は伴奏にだけ使います。

同じ項目は、ほかのリュート系の楽器との違いを二つ挙げています。高音弦があること、そしてフレットがないことです。1本の弦からは1つの音しか出ません。弦を押さえて音の高さを変えるギターとは、この点で仕組みがまったく違います。

20世紀以前は形も調律もさまざまで、基本は全音階でしたが、近年は標準化が進み、現代の楽器はたいてい半音階が出せるようになっています。広く使われるチェルニーヒウ型のバンドゥーラは、同項目によれば109センチ×51センチの大きさです。胴にはカエデやサクラなど、共鳴板にはトウヒが使われます。

弾き方には流儀があります。チェルニーヒウ型では楽器を体に対して斜めに膝に置き、右手で旋律、左手で伴奏を弾きます。ハルキウ式(ジンキウ式)では楽器を体と平行に置き、左手が上から回りこんで高音弦を、右手が低音弦を弾きます。流儀によって楽器の作りも少しずつ違います。

コブザからバンドゥーラへ

よく似た名前の楽器にコブザ(кобза)があります。IEUの「Kobza」の項目(2026年改訂)によれば、コブザは東方に起源をもつリュート系の古い楽器で、最初の記録は1303年の『クマン語写本(Codex Cumanicus)』です。初期の弦は3本だったとみられ、弦を押さえて音を変えて弾きます。つまり、フレットのない「1本で1音」のバンドゥーラとは奏法が違います。

「Bandura」の項目は、キーウの聖ソフィア大聖堂にある11世紀のフレスコ画に描かれたリュート状の楽器を、ウクライナで最も古いバンドゥーラ系の楽器の記録としています。16世紀ごろに高音弦が加わり、17〜18世紀にはザポリッジャのシーチ(コサックの本拠地)でも、庶民のあいだでも、貴族の屋敷でも好まれました。18世紀にはバンドゥーラがコブザに取って代わり、いまでは二つの名前がほとんど同じ意味で使われる、と同項目は書いています。

1894年には、作家で演奏家のフナト・ホトケヴィチが左右非対称のバンドゥーラを設計し、音域を広げました。20世紀には半音を出すための追加の弦や、弦の音を半音ずつ変える機構が工夫され、合奏用に高音から低音までの大きさの違う楽器も作られています。

コブザールと呼ばれた歌い手

この楽器を抱えて旅をした歌い手を、コブザール(кобзар、複数形コブザリ)と呼びます。IEUの「Kobzars」の項目(2026年改訂)は、厳密には、決まった徒弟修業を終えて特定のレパートリーを身につけたバンドゥーラ奏者を指し、その多くは目が見えなかったと説明しています。

彼らが歌ったのが、ドゥーマ(дума)と呼ばれる叙事的な歌です。IEUの「Duma」の項目によれば、ドゥーマは16〜17世紀のコサック時代の出来事を題材にし、決まった節の形をもたず、歌うというより語るように、バンドゥーラやコブザ、リラの伴奏で演じられました。トルコやタタールの捕虜になったコサックの逃亡、戦場での死、故郷への帰還などが歌われています。

「Kobzars」の項目によれば、旅をするコブザールは16世紀に現在のポルタヴァ州のあたりで生まれたとみられます。コブザールはコサックに重んじられた、とよく言われますが、同項目はこれを「一般にそう考えられている」伝承として紹介し、目の見えないコサックや体の不自由なコサックを世話した教会の施療院で伝統が育ったという別の見方も挙げています。18世紀末には、コブザールはほぼ目の見えない人と体の不自由な人の仕事になり、仲間の利益を守るための兄弟団を作りました。

同じ項目は、詩人タラス・シェウチェンコが詩と絵でコブザールを描き、自分の詩集を『コブザール』と名づけたことにも触れています。

二つの体制のもとで

帝政ロシア

IEUの「Kobzars」の項目は、19〜20世紀、とくに1870年代から、コブザールがウクライナびいきの感情と歴史の記憶を広める者として帝政ロシア当局に迫害されたと書いています。流れが変わったのは1902年、ハルキウで開かれた第12回ロシア考古学大会でした。コブザールたちが演奏して大きな反響を呼び、大会は彼らの芸術の価値を認める決議を採択します。その後、各地でコブザールの演奏会が開かれるようになりました。

バンドゥーラは学校で教えられる楽器にもなっていきます。キーウのルィセンコ音楽演劇学校では、「Kobzars」の項目によれば1908年から、「Bandurysts」の項目によれば1909年から、バンドゥーラの授業が始まりました(二つの項目で年が一つずれています)。1909年にはホトケヴィチが初めてのバンドゥーラの歴史と教本を出版しています。

ソ連

「Kobzars」の項目によれば、1918年7月にキーウで最初のバンドゥーラ合奏団が生まれ、ソ連のもとで1923年に国立バンドゥーラ・カペラとして再建されました。1920年代には、科学アカデミーの研究者たちがコブザールの重要な調査を行っています。

1930年代に状況は一変します。同項目は、強制的な集団化、1932〜33年のホロドモール、スターリン体制によるウクライナ文化の抑圧のなかで、コブザールが再び弾圧されたとしています。宗教的・道徳的な伝統のレパートリーは抑えつけられ、演奏は制限され、逮捕されて処刑された人もいました。そして「1930年代の終わりまでに、伝統的な本来のコブザールは存在しなくなった」と書いています。

代わりに用意されたのが「ソビエトのコブザール」でした。1939年4月、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の科学アカデミーの研究所の主催で、第1回共和国コブザール・リルヌィク会議が開かれます。近代化された楽器を持つ演奏家たちが集められ、「共産党についてのドゥーマ」「レーニンについてのドゥーマ」といった新しい作品が作られて、閉会の演奏会で披露されました。

教本を書いたホトケヴィチ自身も犠牲者の一人です。IEUの「Khotkevych, Hnat」の項目(2001年改訂)によれば、彼は1938年2月末に逮捕され、3月29日にハルキウのNKVD(内務人民委員部)の法廷で銃殺刑を言い渡され、10月8日に刑が執行されました。死後の1956年に名誉を回復されています。

出来事
1303年コブザの最初の記録(『クマン語写本』)
1870年代〜コブザールが帝政ロシア当局の迫害を受ける
1894年ホトケヴィチが非対称のバンドゥーラを設計
1902年ハルキウの第12回ロシア考古学大会でコブザールが演奏
1908年または1909年キーウのルィセンコ音楽演劇学校でバンドゥーラの授業が始まる
1918年7月キーウで最初のバンドゥーラ合奏団
1923年国立バンドゥーラ・カペラとして再建
1930年代コブザールへの弾圧。伝統的なコブザールが途絶える
1938年10月8日ホトケヴィチ、銃殺される
1939年4月第1回共和国コブザール・リルヌィク会議
1949年国外に残った奏者たちの合唱団が米デトロイトへ移る
1970年代伝統的な奏法を守る非公式の運動が始まる
2024年コブザとリラの伝統の保護プログラムがユネスコの「グッド・プラクティス」に選ばれる
出典:IEU の Bandura、Kobza、Kobzars、Bandurysts、Khotkevych, Hnat、Ukrainian Bandurist Chorus 各項目、ユネスコ無形文化遺産のページ(2026年9月24日に確認)。1908年と1909年は IEU の項目間で異なる。

途絶えかけた伝統を戻す

ウクライナの外では、別の系譜が続きました。IEUの「Ukrainian Bandurist Chorus」の項目によれば、第二次世界大戦のあとドイツに残ったバンドゥーラ奏者の合唱団は、1949年にそろって米国のデトロイトへ移住し、昼は労働者として働きながら演奏を続けました。北米やオーストラリアには、バンドゥーラを教える学校もできています。

ソ連のウクライナでも、1970年代に、伝統的な作りの楽器で伝統的なレパートリーを伝統的な奏法で演奏しようとする非公式の運動が起きた、とIEUの「Kobzars」の項目は書いています。

その流れの先にあるのが、2024年のユネスコの決定です。ユネスコの無形文化遺産のページによれば、ウクライナの「コブザとリラ(ハーディ・ガーディ)の伝統の保護プログラム」は、2024年の第19回政府間委員会で「グッド・プラクティス(保護のための優れた取り組み)」の登録簿に選ばれました。代表一覧表への記載ではなく、伝統を守る取り組みそのものが評価されたものです。

ユネスコの説明によれば、演奏者たちは自分たちの活動を律し権利を守るために、ツェフ(цех)と呼ばれるギルドを作っていました。1920〜30年代に数多くの困難と訴追に直面しましたが、1980年代に残った担い手たちがツェフの仕組みを立て直し、講義や実技による長い徒弟修業で知識と技を伝えています。いまのツェフも、伝統に従って目の見えない人たちとともに活動し、資金はクラウドファンディングと寄付でまかなっているとされます。

ユネスコのほかのウクライナの要素については、ピサンカの記事で一覧にしています。

日本で聴けるバンドゥーラ

日本を拠点に活動しているバンドゥーラ奏者もいます。

歌手・バンドゥーラ奏者のナターシャ・グジーさんは、公式サイトのプロフィールによれば、6歳のときにチョルノービリ(チェルノブイリ)原発の事故で被災し、8歳から音楽学校でバンドゥーラを学びました。2000年から日本で本格的に活動しています。2005年7月にはウクライナ大統領の来日の際に首相官邸の夕食会で演奏しました。外務省の平成28年度(2016年度)外務大臣表彰の受賞者一覧には、「歌手兼バンドゥーラ(ウクライナの民族楽器)奏者」として、「音楽を通じた日本とウクライナとの相互理解の促進」の功績で名前が載っています。

バンドゥーラ奏者のカテリーナさんは、公式サイトによれば、原発から2.5キロの町プリピャチの生まれで、生後30日で事故に遭いました。6歳で、原発事故で被災した子どもたちの音楽団に入って海外公演に参加し、19歳のときに活動の拠点を東京に移しています。

演奏会の予定は、それぞれの公式サイトに掲載されています。

出典・参考資料

  1. Bandura(弦の数と構造・奏法・11世紀のフレスコ画・コブザとの関係・1894年の非対称型。紙版は1984年刊行の第1巻が初出。執筆:Andrij Hornjatkevyč)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  2. Kobza(1303年の初出・弦の数・奏法。2026年改訂。執筆:Victor Mishalow)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  3. Kobzars(定義・起源・兄弟団・帝政期の迫害・1902年・1908年の授業・1918年と1923年の合奏団・1930年代の弾圧・1939年4月の会議・1970年代の運動。2026年改訂。執筆:Victor Mishalow, Mykola Mushynka)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  4. Bandurysts(1909年の最初の正規の授業・ソ連期の弾圧・国外の学校。2026年改訂。執筆:Victor Mishalow, Wasyl Wytwycky)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  5. Duma(ドゥーマの形式・題材・伴奏。紙版は1984年刊行の第1巻が初出。執筆:Petro Odarchenko)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  6. Khotkevych, Hnat(1909年の教本・1938年の逮捕と処刑・1956年の名誉回復。2001年改訂。執筆:Ivan Koshelivets)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  7. Ukrainian Bandurist Chorus(1949年のデトロイト移住。紙版は1993年刊行の第5巻が初出。執筆:Wasyl Wytwycky)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  8. Safeguarding programme of kobza and wheel lyre tradition(2024年・19.COM・Register of Good Safeguarding Practices・ツェフの説明)
    発行:UNESCO Intangible Cultural Heritage 確認日:2026-09-24
  9. 平成28年度外務大臣表彰 受賞者(個人)(通番101:歌手兼バンドゥーラ奏者・功績)
    発行:外務省 確認日:2026-09-24
  10. ナターシャ・グジー プロフィール(被災・8歳から音楽学校・2000年から日本で活動・2005年7月の首相官邸での演奏)
    発行:オフィスジルカ(ナターシャ・グジー公式サイト) 確認日:2026-09-24
  11. プロフィール:カテリーナ(プリピャチ生まれ・生後30日で被災・6歳で音楽団に入団・19歳で東京へ)
    発行:kateryna-music(カテリーナ公式サイト) 確認日:2026-09-24

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