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文化・歴史/解説

ウクライナの国花はひまわりか。18世紀に来た花と、歌われてきたカリーナ

ウクライナの憲法が定める国家の象徴は国旗・国章・国歌の三つで、法律で決めた「国花」はありません。それでもひまわりとカリーナはウクライナを表す植物です。18世紀に入った畑の作物、民謡で娘をあらわす木、シーチ銃兵隊の歌「赤いカリーナ」、1996年のミサイル跡地、2022年の映像から、二つが象徴になった経緯を見ていきます。

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オリュカのひとこと

ウクライナの国花は、法律で決まっているのでしょうか。最初の見出しで確かめられます。

ウクライナには、法律で定めた「国花」はありません。憲法第20条が国家の象徴として定めているのは、国旗・国章・国歌の三つです。ひまわりは英語の報道で「ウクライナの国花(national flower)」と書かれることがあり、日本語でも国花として紹介する文章を見かけますが、法律上の指定ではありません。

それでも、ひまわりとカリーナ(калина)は、ウクライナを表す植物として広く使われています。ひまわりは18世紀にウクライナへ入った畑の作物で、カリーナは古くから民謡に歌われてきた木です。二つがどのようにして象徴になったのかを、事典と記録から見ていきます(2026年10月時点)。

ウクライナの国花は、法律では決まっていない

1996年に採択されたウクライナ憲法の第20条は、次の一文で始まります。

Державними символами України є Державний Прапор України, Державний Герб України і Державний Гімн України.
(ウクライナの国家の象徴は、ウクライナの国旗、ウクライナの国章、ウクライナの国歌である。)

ウクライナ憲法第20条第1段。日本語訳は本記事による

条文はこのあと、国旗の色、大国章と小国章、国歌の曲と歌詞の決め方、首都をキーウとすることを定めています。花や木、鳥は出てきません。三つの象徴が決まった経緯は国旗・国章・国歌の記事で、カリーナやコウノトリを「国花」「国鳥」と呼ぶ文章と法律の関係は動植物の名前を日本語にする記事で扱っています。

一方で、報道は早くからひまわりを「国花」と書いてきました。2022年2月25日の米ニュースサイト Daily Beast は、ひまわりを「ウクライナの国花」と説明し、3月1日に South China Morning Post が転載した Business Insider の記事は「ひまわりはすでにウクライナの国花だった」と書いています。ただ、こうした記事はどれも、何によって国花と決まったのかを示していません。

オリュカのひとこと

ひまわりは、昔からウクライナにあった花なのでしょうか。この見出しで確かめられます。

ひまわりは、18世紀に入ってきた畑の作物

ひまわりは、ウクライナにもともと生えていた植物ではありません。アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所(CIUS)の『Internet Encyclopedia of Ukraine』(IEU)の「油料作物(Oil plants)」の項(1993年刊行の第3巻が初出)は、ウクライナで最も古い油料作物を亜麻と麻とし、ひまわりとからしは18世紀に、カメリナと菜種は19世紀に入ってきた、と書いています。

同じ項目は、1987年に、ひまわり・亜麻・麻の三つの作物に175万ヘクタールの畑が使われたとしています。IEUの「ステップ(Steppe)」の項は、ステップ地帯の工芸作物のうち重要なものとしてひまわりを挙げ、「伝統的な食べもの(Traditional foods)」の項は、炒ったひまわりの種や、料理に使うひまわり油を、ふだんの食卓のものとして記しています。

いまのひまわりの種の収穫量は三大作物の記事に、油と輸出の関税はひまわり油の記事にまとめています。畑一面のひまわりは、こうした農業の広がりとともに見慣れた景色になりました。

カリーナは、民謡で娘をあらわす木

カリーナは、学名を Viburnum opulus というガマズミ属の木で、和名はセイヨウカンボクです。IEUの「植物相(Flora)」の項は、森林ステップ地帯の谷あいの森の下草として、この木を挙げています。秋に赤い実をつけます。

カリーナが象徴として語られるのは、まず民謡の中です。IEUの「民謡(Folk songs)」の項(1984年刊行の第1巻が初出)は、植物から来た象徴の例として「カリーナの木は娘を、樫の木は若者をあらわす」と書き、歌の中では娘が星や赤いカリーナ、松、ケシにたとえられる、としています。

リヴィウの中東欧都市史センターが公開している教育用の資料集は、さらに別の意味も挙げています。血のしずくに似た赤い実は、コサックの流した血の象徴とされてきたこと、家族を歌うバラードではカリーナが若くして迎える死や若者の墓を、コサックのバラードでは花の咲く茂みが英雄の墓を表すこと、です。

「草地の赤いカリーナ」と、ウクライナ・シーチ銃兵隊

カリーナと国とのつながりを広く知らせた歌の一つが、20世紀初めに生まれた歌です。題は「オイ・ウ・ルズィ・チェルヴォナ・カルィナ(Ой у лузі червона калина)」、「ああ、草地の赤いカリーナ」という意味です。

中東欧都市史センターの資料集によれば、この歌のもとは、17世紀半ばのボフダン・フメリニツキーの戦争を歌った民謡「ロズルィルィシャ・クルティ・ベレジェチキ(Розлилися круті бережечки)」です。演出家のステパン・チャルネツィキー(Степан Чарнецький、1881〜1944年)が、ヴァシル・パチョウシキー(Василь Пачовський)の戯曲『廃墟の太陽(Сонце руїни)』の上演にこの民謡の最後の部分を取り入れ、「ああ、草地の赤いカリーナ」で始まる自分の詞をつけました。旋律は劇場の指揮者ミハイロ・コッサク(Михайло Коссак)が編曲しています。IEUは、戯曲『廃墟の太陽』を1911年の作としています。

第一次世界大戦が始まった1914年、ストルィイでの上演でこの歌を聞いたのが、オーストリア=ハンガリー軍の中のウクライナ人義勇部隊、ウクライナ・シーチ銃兵隊のフルィホリー・トルフ(Григорій Трух、1894〜1959年)です。トルフは新しく三つの連を書き足し、これが銃兵隊の歌として歌われるようになりました。詞と旋律は1915年にウィーンで出た歌集『兵士のための七つの歌(Сім пісень для вояків)』に初めて載った、と資料集は書いています。銃兵隊についてはコサックと二つの帝国の時代の記事で触れています。

  1. オリュカ

    この歌は、いつできたのかな。

  2. タブリ

    資料ごとの書き方は、この見出しの表で見比べられるよ。

  3. ヨリクネ

    表のあとの段落には、歌の作者についての断り書きもあるね。

歌ができたのは1913年か、1914年か

この歌がいつ生まれたかは、資料によって書き方が違います。

資料チャルネツィキーが歌を作った年トルフが歌を聞いた時期
中東欧都市史センターの資料集1913年(戯曲に取り入れた年)1914年9月、ストルィイでの上演
ウクライナ公共放送(2022年4月の記事。郷土史家マクスィム・オホロドニクの話として)1914年1914年8月、ストルィイ
IEU「チャルネツィキー」(2011年更新)記述なし(1913〜14年にリヴィウの劇団「ルスカ・ベシーダ」を率いたとある)記述なし
各資料の該当箇所(2026年10月31日確認)。公共放送の記事は、チャルネツィキーを作者とするのは「一つの説」だと断っている。

ウクライナ公共放送の記事は、チャルネツィキーを銃兵隊の歌の作者とするのは「説の一つ」だとしています。民謡を土台にして、何人もの手で詞が足されてきた歌なので、作者と年を一つに決めることは難しいといえます。

銃兵隊の名前を付けた出版社

IEUの「チェルヴォナ・カルィナ(Chervona Kalyna)」の項によれば、1921年、元銃兵隊員とウクライナ・ハリチナ軍の元兵士がリヴィウに、歌と同じ「赤いカリーナ」の名の出版協同組合をつくりました。独立をめざした1917〜21年の戦いの資料や回想録を出し、銃兵隊の歌の歌集も残しています。組合は1939年にソ連の当局に閉鎖され、1949年にニューヨークで再建されました。IEUの「ウクライナ・シーチ銃兵隊の歌」の項は、こうした歌がソ連時代のウクライナで「民族主義的」とされて禁じられ、1980年代末から再び広く歌われるようになったと書いています。

2022年2月28日、バンド「ブームボックス」のアンドリー・フルィウニューク(Андрій Хливнюк)がキーウの聖ソフィア広場でこの歌の第1連を歌い、その映像が世界に広がりました。ピンク・フロイドもフルィウニュークを迎えた曲「Hey! Hey! Rise Up!」を出しています(中東欧都市史センターの資料集による)。

1996年、ミサイルの跡地にまいたひまわり

ひまわりが、国の出来事の場面に出てきた記録もあります。米国防総省が公開している写真の説明によれば、1996年6月4日、ペルヴォマイシク(Первомайськ)近くで、米国のウィリアム・ペリー国防長官、ウクライナのヴァレリー・シュマロウ国防相、ロシアのパーヴェル・グラチョフ国防相が、解体を終えたミサイル・サイロ(110号)の跡地にひまわりを植えました。このサイロは、米国の協調的脅威削減計画で解体されていたウクライナの160のサイロの一つでした。ウクライナが核兵器を手放した経緯は戦後から1990年代までの記事にあります。

2022年2月24日、ヘニチェスクの映像

Business Insider の記事によれば、ひまわりが抵抗の象徴として広まったきっかけは、全面侵攻の初日に投稿された映像でした。ウクライナのメディア UkraineWorld は2022年2月24日、ヘルソン州のヘニチェスク(Генічеськ)で女性がロシア兵に詰め寄り、ひまわりの種をポケットに入れるよう求める映像を投稿しました。Business Insider の記事(South China Morning Post の転載、2022年3月1日)は、女性の言葉を英BBCの訳で「この種を持っていけ。ここで死んだとき、ひまわりが育つように」と伝えています。Business Insider は映像を、そうした場面を「映しているように見える」と書いています。どちらの報道も、女性の名前は出していません。

年表:ひまわりとカリーナが象徴になるまで

年出来事典拠
18世紀ひまわりがウクライナに入る(油料作物として)IEU「Oil plants」
1911年パチョウシキーの戯曲『廃墟の太陽』IEU「Pachovsky, Vasyl」
1913年または1914年チャルネツィキーが民謡をもとに「ああ、草地の赤いカリーナ」の詞をつける中東欧都市史センター、ウクライナ公共放送
1914年8月または9月ストルィイで歌を聞いたトルフが連を書き足し、銃兵隊の歌に同上
1915年ウィーンの歌集に詞と旋律が初めて載る中東欧都市史センター
1921年リヴィウに出版協同組合「チェルヴォナ・カルィナ」IEU「Chervona Kalyna」
1939年協同組合がソ連の当局に閉鎖される(1949年にニューヨークで再建)IEU「Chervona Kalyna」
1996年6月4日ペルヴォマイシク近くのミサイル跡地に、米・ウクライナ・ロシアの国防相がひまわりを植える米国防総省の写真説明
1996年6月28日憲法第20条が国旗・国章・国歌を国家の象徴と定める(花は含まない)ウクライナ憲法
2022年2月24日ヘニチェスクの映像が投稿され、ひまわりが抵抗の象徴として広まるUkraineWorld の投稿(Business Insider による)
2022年2月28日フルィウニュークが聖ソフィア広場で「赤いカリーナ」を歌う中東欧都市史センター
本記事の各節の典拠から作成(2026年10月31日確認)。年が二つある行は、資料によって書き方が違うもの。

ひまわりは畑の作物として、カリーナは歌の中の木として、それぞれ別の道をたどって象徴になりました。どちらも、国が法律で決めたものではなく、使う人が選んできた象徴です。

出典と記事の記録出典 16件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Конституція України1996年6月28日 № 254к/96-ВР。第20条:国家の象徴
    発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-10-31
  2. Oil plantsひまわりとからしが18世紀に入ったこと、1987年の作付175万ha。紙版は1993年刊行の第3巻が初出
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-31
  3. Steppeステップ地帯の工芸作物としてのひまわり
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-31
  4. Traditional foods炒ったひまわりの種、料理用のひまわり油
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-31
  5. Flora谷あいの森の下草の Viburnum opulus
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-31
  6. Folk songsカリーナの木は娘、樫は若者をあらわす。紙版は1984年刊行の第1巻が初出
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-31
  7. Chervona Kalyna1921年リヴィウの出版協同組合、1939年の閉鎖、1949年ニューヨークで再建
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-31
  8. Songs of the Ukrainian Sich Riflemenソ連時代の禁止と1980年代末からの広がり。紙版は1993年刊行の第4巻が初出
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-31
  9. Charnetsky, Stepan生没年、1913〜14年のルスカ・ベシーダ劇場。2011年更新
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-31
  10. Pachovsky, Vasyl戯曲 Sontse ruïny〈1911年〉
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-31
  11. Trukh, Hryhorii Andrii生没年、ウクライナ・シーチ銃兵隊への参加。紙版は1993年刊行の第5巻が初出
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-31
  12. Oh, in the meadow blooms the red viburnum: a Ukrainian resistance song歌のもとになった民謡、1913年、コッサクの編曲、1914年9月のストルィイ、1915年ウィーンの歌集、カリーナの象徴、2022年2月28日の演奏
    発行:Center for Urban History of East Central Europe(リヴィウ) 確認日:2026-10-31
  13. Автор пісні «Ой у лузі червона калина» Степан Чарнецький родом з Тернопільщини郷土史家の話として1914年、1914年8月のストルィイ、作者は「一つの説」
    発行:Суспільне Мовлення(suspilne.media) 確認日:2026-10-31
  14. Perry, Shmarov and Grachev plant sunflowers at a former Ukraine missile site1996年6月4日、ペルヴォマイシク近く、サイロ110号、160のサイロ
    発行:U.S. Department of Defense 確認日:2026-10-31
  15. How sunflowers became a symbol of Ukraine's resistance amid Russia's invasionBusiness Insider の配信記事。UkraineWorld の2022年2月24日の投稿、BBCの訳、「すでに国花だった」
    発行:South China Morning Post 確認日:2026-10-31
  16. Ukrainian Woman Gives Russian Soldiers in Henichesk a Glorious Earful as Invasion Continues2022年2月25日、ヘニチェスク、ひまわりを「国花」とする記述
    発行:The Daily Beast 確認日:2026-10-31

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