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社会を知る/解説

青と黄の国旗、三叉戟の国章、2003年に歌詞が決まった国歌

ウクライナ憲法第20条は、国旗・国章・国歌を国家の象徴と定めています。青と黄の国旗と三叉戟の国章は1992年の最高会議の決定で定まり、国歌は1992年に曲だけが承認され、歌詞が法律で決まったのは2003年でした。三叉戟がキーウ・ルーシの貨幣にさかのぼることを含め、それぞれの根拠と由来を説明します。

1996年6月28日に採択されたウクライナ憲法の第20条は、国家の象徴を三つと定めています。国旗(Державний Прапор)、国章(Державний Герб)、国歌(Державний Гімн)です。首都をキーウとする規定も、同じ第20条にあります。

条文は三つの中身にも触れています。国旗は「青と黄の、同じ幅の横二本の帯」。国章は、大きな国章(大国章)の主な要素を「ヴォロディーミル大公の公国の印」、つまり小さな国章(小国章)とする。国歌は「M・ヴェルビツキーの音楽に、法律で定めた歌詞をつけた国民の歌」。ただ、三つの形が決まった時期はそれぞれ違い、国歌の歌詞がようやく法律で決まったのは2003年でした。

国旗は、上が青、下が黄

独立の翌年の1992年1月28日、最高会議(議会)は決定 № 2067-XII で国旗を定めました。「上が青、下が黄の、幅の等しい二本の横帯からなる長方形の布で、縦と横の比は2対3」という内容です。1996年の憲法は、青と黄の同じ幅の横二本の帯という形を条文に書き込みました。

8月23日は「国旗の日」です。2004年8月23日の大統領令 № 987/2004 が定めたもので、毎年この日の午前9時に、キーウをはじめ州や地区の中心都市などで国旗の掲揚式を行う、としています。

国章の三叉戟は、キーウ・ルーシの貨幣にさかのぼる

最高会議は1992年2月19日、決定 № 2137-XII で三叉戟(トルィズーブ、тризуб)を小国章とし、大国章の主な要素と位置づけました。この決定は、国章を国家機関の印章、通貨、郵便切手、職務上の証明書、公的機関の書式などに、定められた図の比率を守って載せるとしています。

三叉戟の由来について、アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所(CIUS)が発行するインターネット版ウクライナ百科事典(IEU)の Trident 項目(執筆はアルカディー・ジュコウシキー、紙版は1993年刊行の第5巻が初出)は、次のように説明しています。国家の標章としての三叉戟はキーウ・ルーシの時代にさかのぼり、リューリク朝の紋章でした。起源と意味には諸説があります。三叉戟はギリシア神話の海の神ポセイドンの象徴でもあり、黒海北岸のギリシア植民市、ビザンツ、スカンディナヴィアなど、さまざまな社会で宗教や軍事の標章、紋章、組み合わせ文字、装飾として使われてきました。ウクライナの地で考古学者が見つけた最も古い例は、紀元1世紀のものです。

同じ項目によれば、ヴォロディーミル大公(980〜1015年)は、三叉戟を刻んだ金貨と銀貨を発行しました。おそらく祖先から王朝の紋章として受け継いだもので、息子のスヴャトポルク1世とヤロスラフ賢公に伝えています。三叉戟はキーウの十分の一教会(986〜996年)のれんがにも刻まれました。広く使われるうちに形は枝分かれし、中世の変種は200近く見つかっています。国家の標章としては、12世紀に大天使ミカエルの像に置き換えられました。

近代の国家の紋章になったのは1918年です。IEUによれば、ミハイロ・フルシェウシキーの勧めで、小ラーダが1918年2月12日に、中央ラーダが3月22日に、ヴォロディーミル大公の三叉戟をウクライナ人民共和国の国章として採用しました。IEUは、これによって近代のウクライナ国家と中世のキーウ・ルーシの国家が結びつけられた、と書いています。大小の国章の図案を描いたのはヴァシル・クリチェウシキーです。

ソビエト期のウクライナ・ソビエト社会主義共和国の紋章は、鎌とハンマーを中心とするものでした。IEUの Coat of arms 項目(執筆 Mykhailo Miller、紙版は1984年刊行の第1巻が初出)は、そこには「伝統的なウクライナの要素はなかった」と書いています。独立後の1992年2月19日の決定で、三叉戟はふたたび国章の中心になりました。

1992年の決定が定めたのは小国章です。大国章については、憲法第20条が、「小国章とザポリッジャ軍(Військо Запорізьке)の紋章を考慮して」法律で定めるとし、その法律には最高会議の定数450の3分の2以上の賛成が要ると書いています。IEUの Coat of arms 項目によれば、ザポリッジャ軍の紋章は16世紀から知られ、武装したコサックを描いたものでした。最高会議の定数と、3分の2の多数が要る場面については、ウクライナの大統領、最高会議、内閣はそれぞれ何を決めるのかで扱っています。

国歌は、曲が先に決まり、歌詞は11年後だった

1992年1月15日、最高会議幹部会の布告 № 2042-XII は、M・M・ヴェルビツキー作曲の国歌の「音楽の版」を承認し、翌16日から各地で演奏するよう定めました。同じ布告は、1978年3月22日のウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国歌についての布告を失効させています。このとき承認されたのは曲だけで、歌詞は定められていません。

1996年の憲法は、国歌の歌詞を、最高会議の定数の3分の2以上の賛成で成立する法律で定めるとしました。その法律「国歌について」(№ 602-IV)が成立したのは2003年3月6日です。法律は、パウロ・チュビンシキーの詩の第1連と繰り返しの部分を、「次の文言で」国歌の歌詞とすると定めました。

Ще не вмерла України і слава, і воля,
Ще нам, браття молодії, усміхнеться доля.
Згинуть наші воріженьки, як роса на сонці.
Запануєм і ми, браття, у своїй сторонці.
Приспів:
Душу й тіло ми положим за нашу свободу,
І покажем, що ми, браття, козацького роду.

法律「国歌について」(2003年3月6日 № 602-IV)第1条。訳:ウクライナの栄光も自由も、まだ滅びてはいない。若き兄弟たちよ、運命はまだ私たちにほほえむ。私たちの敵は、日を浴びた露のように消える。兄弟たちよ、私たちも自分の土地の主となる。(繰り返し)自由のために魂も体も捧げよう。そして示そう、兄弟たちよ、私たちがコサックの一族であることを。日本語訳は本記事による。

法律は、国全体にとって意義のある式典を国歌の演奏で始め、国歌の演奏で終えるとも定めています(第2条)。国旗・国章・国歌を公然と侮辱する行為は、刑法第338条により、罰金、3年以下の保護観察、または3年以下の自由刑の対象になります。

作曲者と作詞者について、IEUは次のように書いています。ミハイロ・ヴェルビツキー(1815〜1870年)はガリツィアの作曲家・指揮者で、カトリックの司祭でした。合唱曲や18の劇のための音楽を書き、最もよく知られているのがこの国歌で、IEUは1862〜63年の作としています。パウロ・チュビンシキー(1839〜1884年)はボルィスピリ生まれの民族誌学者で、1869〜70年にウクライナ、ベラルーシ、モルドヴァで民族誌と統計の調査隊を率いました。彼が詞を書いた「Shche ne vmerla Ukraïna」(ウクライナはまだ死なず)は、のちにウクライナ人民共和国の、そして現在のウクライナの国歌になりました。

IEUが挙げるこの題名と、2003年の法律が定めた1行目「ウクライナの栄光も自由も、まだ滅びてはいない」は、同じ文言ではありません。国歌の歌詞として法律が定めているのは、後者の文言です。

三つの象徴が決まった順番

日付決まったこと根拠
1992年1月15日国歌の曲(ヴェルビツキー作曲)を承認。翌16日から演奏最高会議幹部会の布告 № 2042-XII
1992年1月28日国旗(上が青、下が黄、縦横比2対3)最高会議の決定 № 2067-XII
1992年2月19日三叉戟を小国章とし、大国章の主な要素とする最高会議の決定 № 2137-XII
1996年6月28日国旗・国章・国歌を国家の象徴と定める。大国章と国歌の歌詞は、3分の2以上の賛成による法律で定めるとするウクライナ憲法第20条
2003年3月6日国歌の歌詞(チュビンシキーの詩の第1連と繰り返し)法律 № 602-IV
2004年8月23日8月23日を国旗の日とする大統領令 № 987/2004
出典:最高会議の法令データベース(zakon.rada.gov.ua)掲載の各文書。2026年9月23日確認。

三叉戟が使われていたキーウ・ルーシの時代については、キーウ・ルーシから16世紀までの記事で扱っています。

出典・参考資料

  1. Конституція України № 254к/96-ВР(1996年6月28日。第20条)
    発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-23
  2. Постанова Верховної Ради України «Про Державний прапор України» № 2067-XII(1992年1月28日)
    発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-23
  3. Постанова Верховної Ради України «Про Державний герб України» № 2137-XII(1992年2月19日)
    発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-23
  4. Указ Президії Верховної Ради України «Про Державний гімн України» № 2042-XII(1992年1月15日)
    発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-23
  5. Закон України «Про Державний Гімн України» № 602-IV(2003年3月6日。第1〜4条)
    発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-23
  6. Указ Президента України «Про День Державного Прапора України» № 987/2004(2004年8月23日。第1・2項)
    発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-23
  7. Кримінальний кодекс України № 2341-III(第338条)
    発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-23
  8. Trident(紙版は1993年刊行の第5巻が初出。執筆:Arkadii Zhukovsky)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所=CIUS) 確認日:2026-09-23
  9. Coat of arms(紙版は1984年刊行の第1巻が初出。執筆:Mykhailo Miller)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所=CIUS) 確認日:2026-09-23
  10. Verbytsky, Mykhailo(2018年更新)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所=CIUS) 確認日:2026-09-23
  11. Chubynsky, Pavlo(紙版は1984年刊行の第1巻が初出。執筆:Petro Odarchenko)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所=CIUS) 確認日:2026-09-23

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