記録に残る7年と、語り継がれた話。オプリシュキの頭領ドウブシュ
18世紀の前半、カルパティアの山地で領主や商人を襲ったオプリシュキの頭領オレクサ・ドウブシュ。「ウクライナのロビン・フッド」とも呼ばれる彼について、事典が記録から書く1738〜1745年の出来事と、1910年に集められた言い伝え、「義賊」という見方の分かれ方を、二つの事典と民俗学の集成から分けてたどります。
オリュカのひとこと
オプリシュキとは、どんな人たちだったのでしょう。最初の見出しで確かめられます。
オレクサ・ドウブシュ(Олекса Довбуш)は、18世紀の前半にカルパティアの山地で動いたオプリシュキ(опришки)の頭領です。カナダ・アルバータ大学のウクライナ研究所(CIUS)が発行する『Internet Encyclopedia of Ukraine』(IEU)は、彼を「ウクライナのロビン・フッド」と呼び、領主や商人から奪ったものを貧しい人に分けたと書いています。
一方で、ドウブシュの話を集めた人たちは、はじめから用心していました。1910年に言い伝えの集成を出した民俗学者ヴォロディーミル・フナチューク(Володимир Гнатюк)は、その序文で、先に記録を調べた歴史家ユリヤン・ツェレヴィチ(Юліян Целевич)の言葉を引いています。言い伝えを評価するときは注意が要る、ほかの頭領の記憶の上に育った話が多く、ドウブシュの姿は時とともに大きくなり、史実の人物や作り話の出来事をたくさん取りこんでしまった、というものです。ここでは、事典が記録から書いていることと、歌や言い伝えが語ることを分けて見ていきます。
オプリシュキとは
ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所の『ウクライナ歴史百科事典』(ЕІУ)の「オプリシュキ」の項(2010年、2021年改訂)は、オプリシュキを、16〜19世紀にハリチナ(ガリツィア)、ブコヴィナ、ザカルパッチャで動いた盗賊団と書いています。最初の記録は1529年で、名前はおそらくラテン語の「opressor」(破る者、壊す者)から来ている、としています。領主の取り立てから逃れた農民や町の人が人の少ない山に入り、小さな組をつくって襲ったこと、銃や槍のほかに手斧(топірець)を持ち、組に入るときはその手斧にかけて誓ったことも書かれています。
IEUの「Opryshoks」の項(1993年)は、似た動きの記録は15世紀半ばからあり、この呼び名は16世紀の初めに使われ始めたとし、ポーランド、ハンガリー、モルドヴァの三つの国の境の山地だったことが、彼らに有利に働いたと書いています。
「義賊」は誰の見方か
オプリシュキを貧しい人の味方とみるかどうかは、資料で書き方が違います。
- IEUの「Dovbush, Oleksa」の項(1984年初出):ドウブシュを「ウクライナのロビン・フッド」とし、地元の農民に慕われた、と書きます
- IEUの「Opryshoks」の項:ほかの国の「気高い追いはぎ」に似て、民間の伝承やロマン主義の文学で理想化された、とします。そのうえで、奪ったものの大半は自分たちで持ち、一部の者が貧しい農民に分けた、と書いています
- ЕІУの「オプリシュキ」の項:ソ連の歴史学はオプリシュキを社会的・民族的な解放の運動の担い手とみなし、いまもそう考える研究者がいる一方、民族や宗教の動機は無く、よくて社会的な争いの一部、悪ければ犯罪にすぎないとみる研究者もいる(歴史家ゼノン・コフトなど)、と二つの見方を並べています
- ЕІУの「ドウブシュ」の項(2004年):奪ったものの多くを貧しい人に分けたと書く一方、襲った相手を、あるときは手にかけ、あるときは屋敷を焼き、財産を奪った、とも書いています
記録からたどる7年(1738〜1745年)
ЕІУの「ドウブシュ」の項(執筆 オレクサンドル・フルジー)によれば、ドウブシュは1700年、ペチェニジン村(いまのイヴァーノ=フランキーウシク州)の、土地を持たない農家に生まれ、子どものころは村の家畜の番をしていました。IEUも1700年、ペチェニジン生まれとしています。事典が挙げる出来事を年ごとに並べると、次のようになります。
| 年 | 出来事 | 典拠 |
|---|---|---|
| 1700年 | ペチェニジンに生まれる | ЕІУ、IEU |
| 1738〜1739年 | 兄弟のイヴァンと小さな組をつくり、チョルニー・オスラヴィ、ルーチキ、ウトロピなどの村で領主や借地人を襲う | ЕІУ |
| 1739年春 | 兄弟と別れ、自分の組で動くようになる | ЕІУ |
| 1740年から | チョルノホラの山に退き、スティフ山に拠点を置く。ここからプリカルパッチャ、ザカルパッチャ、ブコヴィナへ出る | ЕІУ、IEU |
| 1740年代前半 | ポーランドの王冠領の大ヘーチマン、ユゼフ・ポトツキが、ドウブシュを追う兵を送る | ЕІУ、IEU |
| 1744年秋 | リヴィウ州のトゥルカのあたりで、オプリシュキの蜂起を起こす | IEU「Turka」 |
| 1744〜1745年 | ドロホビチ、トゥルカ、ソロトヴィン、ナドヴィルナ、ロハティンの近くを襲い、ボホロドチャヌィの砦をとる | ЕІУ |
ЕІУの項は文献として、ツェレヴィチの『オプリシュキ』(1897年)、歴史家ヴォロディーミル・フラボヴェツィキーの『オレクサ・ドウブシュ(1700〜1745)』(1994年)、言い伝えを集めた『ドウブシュについて民衆は語る』(Народ про Довбуша、キーウ、1965年)などを挙げています。
組は何人、追う兵は何人か
IEUは、ドウブシュの組を30〜50人とし、ポトツキの送った討伐の兵を「最大2,000人」と書いています。ЕІУの「オプリシュキ」の項は、動きが最も大きかった1740年代前半に、王の兵2,500人がプリカルパッチャへ送られたとしています。兵の数は、事典によって違います。
オリュカのひとこと
記録とは別に、歌や言い伝えも残っているそうです。この見出しで確かめられます。
歌と言い伝えの中のドウブシュ
ドウブシュの話は、歌と言い伝えの形で山の村に残りました。IEUの「Hutsuls」の項は、フツルの民謡の多くがオプリシュキ、とくにドウブシュの行いをたたえていると書き、「Historical songs」の項は、ドウブシュの歌を、社会の問題を扱う歴史の歌の一群に数えています。フツルの人々と地域については、フツル・ボイコ・レムコの記事で扱っています。
言い伝えをまとめて本にしたのが、シェウチェンコ学術協会の『民族誌集成』第26巻『オプリシュキについての民衆の話』(フナチューク編、リヴィウ、1910年)です。フナチュークの序文によれば、それ以前に活字になった記録は、イヴァン・フランコが1895年に出したドウブシュの話4編や、ヴォロディーミル・シュヘヴィチの『フツル地方』第5部(1908年)のドウブシュの話8編など、わずかでした。フナチュークは、山の村々へ100を超える宛先に記録を頼む呼びかけを送り、本に載せた258の番号のうち、104はコシウ郡ホロヴィ村のペトロ・シェケリク=ドニキウ、69はナドヴィルナ郡ゼレニツャ村の教師アンティン・オヌィシチューク(Антін Онищук)の記録だった、と書いています。
オリュカ
ドウブシュやオプリシュキは、昔は別の名前でも呼ばれていたのかな。
タブリ
昔の呼び名と、それが出てくる資料が、この見出しの下に並んでいるよ。
スウネ
いまの事典の見出しがどの名前にそろっているかは、この見出しの下の終わりにあるね。
「ドウブシチューク」「ボレツィ」――昔の呼び名
- ドウブシチューク(Довбущук):IEUは、ドウブシュがこの名でも知られるとし、ツェレヴィチの1888年の論文の題もこの名を使っています
- ボレツィ(борці):フナチュークの集成に載った、ブコヴィナの村の教師の手紙によれば、その村では「オプリシュキ」という語はあまり使われず、「ハイダマキ」のほうがよく聞かれ、昔話の英雄のような一人で動く強い者を「ボレツィ」と呼んでいた、ということです
いまの事典の見出しは、ドウブシュ(Довбуш)とオプリシュキ(опришки)にそろっています。
オリュカ
ドウブシュの名前は、山のどんな所に残っているのかな。
ヨリクネ
名前が付いた岩や洞窟のことは、この見出しの下で事典の書き方ごとに読めるよ。
スウネ
一つ一つの名前と場所までは確かめていないと、記事の終わりの「この記事で確認できていないこと」にあるよ。
名前の付いた岩と洞窟
ЕІУは、カルパティアの洞窟や岩、ほかの土地にドウブシュの名が付いていると書き、IEUも、カルパティアの山や低地や川の多くに、名のあるオプリシュキ、とりわけドウブシュの名が付いているとしています。IEUの「Yaremche」の項は、1738〜1745年にドウブシュたちがヤレムチェのあたりで動いたこと、「Pechenizhyn」の項は、生まれた町の郷土博物館がドウブシュに捧げられていることを書いています。
文学、絵、舞台、映画の題材として
- 文学:IEUはイヴァン・ヴァヒレヴィチ、ユーリー・フェドコヴィチ、ミハイロ・パウリク、イヴァン・フランコ、ボフダン=イホル・アントニチ、ヴォロディーミル・ジツキー、レオニード・ペルヴォマイシキーの名を挙げています。ЕІУは、ジツキーの長編『オプリシュキ』、イヴァン・イェロフェイエウの中編『オレクサ・ドウブシュ』などを挙げています
- 絵:IEUによれば、画家オレクサ・ノヴァキウシキーがドウブシュの肖像を描き(1931年)、オレーナ・クルチツカもドウブシュを描いています
- 舞台:IEUは、アナトリー・コス=アナトリシキーのバレエ『ドウブシュのスカーフ』を挙げています
- 映画:ドヴジェンコ記念国立撮影所の作品目録によれば、ヴィクトル・イヴァノウ監督の『オレクサ・ドウブシュ』(1959年)があります。2023年には、オレシ・サニン監督の『ドウブシュ』が、国家映画庁の支援を受けて制作され、8月24日にウクライナとドイツで公開されました。国家映画庁は、この映画の筋が伝説と民間の話にもとづいていると紹介しています
同じフツル地方の工芸と楽器は、コシウの彩色陶器の記事や木の角笛トレンビタの記事で読めます。山の精霊の話はウクライナの精霊たちの記事にあります。
1745年8月、コスマチ村で
ЕІУによれば、ドウブシュは1745年8月23日、コスマチ村(いまのイヴァーノ=フランキーウシク州)で裕福な農民ズヴィンチューク(ズヴィンカとも)に致命傷を負わされ、IEUとЕІУはともに8月24日を没日としています。IEUは、仲間のオプリシュキに裏切られた、と書いています。
出典と記事の記録
出典・参考資料
- ДОВБУШ Олекса Васильович1700〜24.08.1745、ペチェニジン、土地を持たない農家、1738〜1739年の兄弟との襲撃と村の名、1739年春の別行動、1740年からチョルノホラ・スティフ山、1744〜1745年の襲撃とボホロドチャヌィ、コスマチでの死、名の付いた洞窟と岩、文学作品。執筆 О. І. Гуржій、2004年
発行:Енциклопедія історії України, т. 2(ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所) 確認日:2026-09-27 - ОПРИШКИ16〜19世紀、1529年の初出、語源、手斧の誓い、ソ連の歴史学とコフトらの見方、1740年代前半の2,500人、1745年8月23日の致命傷、1878年の最後の頭領、文学。執筆 О. І. Муравський、2010年、2021年改訂
発行:Енциклопедія історії України, т. 7 確認日:2026-09-27 - Dovbush, Oleksab 1700 Pechenizhyn, d 24 August 1745 Kosmach、「Ukrainian Robin Hood」、30〜50人、スティフ山、最大2,000人、仲間の裏切り、文学・絵・バレエ・映画。初出1984年
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-27 - Opryshoks15世紀半ばの記録、16世紀初めの呼び名、三国の境、理想化と戦利品の扱い、フナチュークらの採録、地名。執筆 Yaroslav Isaievych、初出1993年
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-27 - Hutsulsフツルの民謡がオプリシュキ、とくにドウブシュをたたえる
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-27 - Historical songs社会の問題を扱う歌の一群にドウブシュ
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-27 - Turka(1744年秋の蜂起)/Yaremche(1738〜1745年の活動)/Pechenizhyn(郷土博物館)/Novakivsky, Oleksa肖像『Dovbush』1931年
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-27 - Етноґрафічний збірник, т. XXVI. Народні оповіданя про опришків. Зібрав Володимир Гнатюк序文:ツェレヴィチの1888年の論文の引用、1895年のフランコ、1908年のシュヘヴィチ、呼びかけと258の番号、記録者ごとの数、ブコヴィナの「борці」。インターネット・アーカイブの画像と文字起こしで確認
発行:Наукове товариство імені Шевченка(リヴィウ、1910年) 確認日:2026-09-27 - Олекса Довбуш監督 Віктор Іванов、撮影 Вадим Іллєнко、制作年1959年
発行:Національна кіностудія художніх фільмів імені О. Довженка(作品目録) 確認日:2026-09-27 - В Німеччині стартує кінопрокат фільму Олеся Саніна «Довбуш»2023年8月22日。8月24日にドイツとウクライナで公開、Pronto Film、国家映画庁の支援
発行:Державне агентство України з питань кіно(usfa.gov.ua) 確認日:2026-09-27 - До Дня Незалежності на телеканалі ICTV2 відбудеться прем'єра фільму «Довбуш»2024年8月10日。筋は伝説と民間の話にもとづく
発行:Державне агентство України з питань кіно(usfa.gov.ua) 確認日:2026-09-27
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