本文へ移動

ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

Ukrainavi Ukrainavi

文化・歴史/解説

ほとんど台詞のない三人のコサック。アニメ『コサックたち』

フライ、オコ、トゥルの三人のコサックが、粥を煮て、サッカーをして、花嫁を救い出す。1967年にキーウの撮影所で始まったヴォロディーミル・ダフノ監督のアニメーション『コサックたち』の作品一覧、資料で食い違う本数と最終作の年、編集台帳に残る言葉、撮影所の名前の移り変わりを、ドヴジェンコ・センターの資料と事典からまとめました。

イメージ画像

オリュカのひとこと

台詞がほとんど無いアニメだとしたら、何で笑いを伝えるのでしょう。手がかりはこの見出しにあります。

三人のザポリッジャのコサック、フライ(Грай)、オコ(Око)、トゥル(Тур)が、粥を煮たり、サッカーやホッケーの試合に出たり、海賊を打ち負かして花嫁たちを救い出したりする。キーウで作られたアニメーションのシリーズ『コサックたち』(原題は各話とも「Як козаки…」=「コサックたちが…した話」で始まる)です。

ウクライナ最大の映画アーカイブ、ドヴジェンコ・センターは、自館が選ぶ「ウクライナ映画トップ100」にこのシリーズを入れ、シリーズの人物は「ウクライナの大衆文化のアイコン」になったと紹介しています(2026年9月時点)。以下は、センターの紹介と、センターが公開している当時の編集台帳、『現代ウクライナ百科事典』(ЕСУ)の記述による内容です。

監督ヴォロディーミル・ダフノ

ЕСУによれば、監督のヴォロディーミル・ダフノ(Володимир Дахно)は1932年3月7日にザポリッジャで生まれ、2006年7月28日にキーウで亡くなりました。1955年にキーウ建築工学大学を卒業し、キーウで建築家として働いたあと、1960年からアニメーターになり、1967年からは監督を務めました。『コサックたち』の第1作が、その1967年の作品です。

シリーズの美術監督はエドゥアルド・キリチ(Едуард Кирич)で、センターは作曲者としてイーホル・ポクラド、ミロスラウ・スコリク、ヴォロディーミル・フバの名を挙げています。ダフノは1988年にシェウチェンコ国家賞を受け、1996年に「ウクライナ人民芸術家」の称号を受けました(ЕСУ)。ダフノはシリーズのほかに、コトリャレウシキーの叙事詩をもとにしたアニメーション『エネイーダ』(1991年)も監督しています。作品そのものは『エネイーダ』の記事で扱っています。

何本あるのか、最後はいつか

ドヴジェンコ・センターは、シリーズを「9話」とし、第1作は1967年、最後の作品は1995年に完成したと書いています。一方、ЕСУのダフノの項目は、監督作として次の9本を挙げています。

年(ЕСУ)原題意味ЕСУが挙げる受賞
1967Як козаки куліш варилиコサックたちがクリーシュ(粥)を煮た話1968年、エレバンの地域アニメーション映画祭で1等
1969Як козаки щастя шукалиコサックたちが幸せを探した話
1970Як козаки у футбол гралиコサックたちがサッカーをした話
1973Як козаки наречених визволялиコサックたちが花嫁を救い出した話1973年、ニヨンの国際映画祭で「銀のセステルティウス」(2等)
1975Як козаки сіль купувалиコサックたちが塩を買った話
1978Як козаки олімпійцями сталиコサックたちがオリンピック選手になった話1978年、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の全ソ連スポーツ映画祭で銅メダル
1979Як козаки мушкетерам допомагалиコサックたちが銃士を助けた話
1984Як козаки на весіллі гулялиコサックたちが婚礼で浮かれた話
1996Як козаки у хокей гралиコサックたちがホッケーをした話
『現代ウクライナ百科事典』(ЕСУ)第7巻(2007年)「Дахно Володимир Авксентійович」の作品一覧から作成。1996年の作品についてЕСУは「共同監督」と記す。題の日本語は意味を示すための訳で、公式の日本語題ではない。

二つの資料のあいだには、少なくとも二つのずれがあります。一つは最後の作品の年で、センターは1995年、ЕСУはホッケーの回を1996年としています。センターが公開しているホッケーの回の編集台帳(ウクライナ語)の表紙には、1996年の日付の入った承認の印が押されています。もう一つは本数の数え方で、センターの紹介文は、コサックたちが「宇宙人と出会う」話にも触れていますが、ЕСУの一覧にはその題の作品がありません。どちらの数え方が正しいかは、この二つの資料だけでは決められません。

オリュカのひとこと

台詞をほとんど使わずに、どうやって物語を進めるのでしょう。この節で確かめられます。

ほとんど台詞がない

センターは、このシリーズが「ほとんど台詞も字幕もないまま」作られ、国際映画祭で評価されたと書いています。筋は、人物の動きと音楽で運ばれます。センターが公開している当時の編集台帳(場面ごとの長さと内容を書き出した記録)を見ると、その様子がわかります。

  • 「塩」の回(1975年)の台帳(ロシア語、8ミリ版に編集し直すためのもの):鍋を囲んだ三人が順にボルシチを味見し、フライが吐き出す。ボルシチに塩が入っていない、という場面から始まり、場面の説明は動作で続く
  • 「サッカー」の回(ЕСУでは1970年)の台帳(ロシア語、8ミリ版):添えられた作品紹介は、三人がサッカーの大会に出かけ、騎士や英国人、フランス人のチームに勝ってカップを持ち帰る話だと説明し、「上級生の年齢の子どもに向けた映画」と書いている
  • 「花嫁」の回(ЕСУでは1973年)の台帳(ロシア語):冒頭の題字に続けて、ナレーターの語りとして「この映画は、ウクライナの民間伝承の人物である三人のコサックの冒険を描いた人気シリーズの一本」というロシア語の文が書き込まれている
  • ホッケーの回の台帳(ウクライナ語):題字は「Як козаки в хокей грали」、撮影所の名は「ウクライナ・アニメーション映画撮影所」と書かれている

ソ連の時代の台帳がロシア語で書かれ、1973年の回の台帳にロシア語の語りが入っていることは、少なくとも当時ロシア語で語りを入れた版が作られていたことを示します。ただし、各話がはじめに作られたときの音声(語りの有無と言語)が、どの言語だったのかは、この記事で見た資料だけでは確かめられません。台帳の題字の写し方も、ロシア語の台帳ではロシア語、独立後の台帳ではウクライナ語になっています。

  1. オリュカ

    アニメを作った撮影所の名前は、ずっと同じだったのかな。

  2. タブリ

    名前が変わってきた順番は、この見出しの下でたどれるよ。

  3. ヨリクネ

    統合されたそのあとの経緯は、リンク先の記事でも読めるよ。

撮影所の名前の移り変わり

シリーズを作ったのは、キーウの科学・教育映画の撮影所の中に置かれたアニメーションの部門です。ЕСУによれば、撮影所は1940年に教育映画の撮影所として作られ、1944年から「キーウテフフィルム」、1954年から「キーウ科学普及映画撮影所」(キーウナウクフィルム、Київнаукфільм)と名乗りました。1959年にその中に「芸術アニメーション創作部」が置かれ、この部門が1990年から「ウクライナ・アニメーション映画撮影所」(ウクラニマフィルム、Укранімафільм)になります。

ドヴジェンコ・センターの説明では、アニメーション部門は1959年から1991年までキーウナウクフィルムの創作部として、1991年から2019年まで国営の撮影所として存在し、2019年6月30日、文化省の2019年3月29日の命令第256号にもとづいてセンターに統合されました。センターは撮影所の財産と権利を引き継ぎ、作品の保存を担っています。独立の年を1990年とする書き方(ЕСУ)と1991年とする書き方(センター)が並んでいます。統合のその後と2022年の「再編」命令をめぐる経緯は、ドヴジェンコ・センターの記事で扱っています。

どこの国の作品と書くか

このシリーズの大半は、ウクライナがソ連を構成する共和国だった時代に作られました。センターは作品情報の「国」の欄に「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国、ウクライナ」と二つを並べ、撮影所の欄に「キーウナウクフィルム、ウクラニマフィルム」と書いています。1973年の回の台帳には、ソ連の映画配給を検査する機関の「検査済み」の印も押されています。

旧ソ連期の作品を「どこの映画」と呼ぶかは、「ウクライナ映画」は五つのものを指すで、撮影所の所在地、作品の言語と素材、いまの保存機関、作り手の四つに分けて考える方法を示しています。この四つで見ると、『コサックたち』は、キーウの撮影所で、ザポリッジャ出身の監督が、ウクライナの民間伝承のコサックを主人公に作り、いまはキーウのドヴジェンコ・センターが保存している作品です。一方で、ソ連の時代にはロシア語の台帳と語りを持つ版が配給されていました。どれか一つの事実で全体を言い切らず、並べて書くことができます。

映画の国の支援の仕組みがいまアニメーションをどう扱っているかは、ウクライナの映画支援法の記事で扱っています。

出典と記事の記録出典 11件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Як козаки…トップ100の84〜85位、1967〜1995年、9話、国と撮影所の記載、ほとんど台詞も字幕もないこと、宇宙人と出会う話、美術・アニメーター・作曲者、編集台帳5点の公開。執筆 Міла Новікова
    発行:Довженко-Центр 確認日:2026-09-24
  2. Cossacks / Yak kozaky…英語版の同じ紹介
    発行:Dovzhenko Centre 確認日:2026-09-24
  3. 編集台帳「Как казаки соль покупали」1975年、8ミリ版への再編集用、ロシア語
    発行:Довженко-Центр 確認日:2026-09-24
  4. 編集台帳「Как казаки в футбол играли」8ミリ版、作品紹介を含む、ロシア語
    発行:Довженко-Центр 確認日:2026-09-24
  5. 編集台帳「Как казаки невест выручали」ナレーターの語り、配給検査の印、ロシア語
    発行:Довженко-Центр 確認日:2026-09-24
  6. 編集台帳「Як козаки в хокей грали」ウクライナ語、撮影所名、1996年の日付の印
    発行:Довженко-Центр 確認日:2026-09-24
  7. Дахно Володимир Авксентійович生没・学歴・経歴・作品一覧と年・受賞・称号。執筆 О. Б. Шупик、第7巻、2007年
    発行:Енциклопедія Сучасної України(ウクライナ国立科学アカデミー・シェウチェンコ学術協会) 確認日:2026-09-24
  8. Кінематека України Національна1940年の設立、1944年・1954年の改称、1959年のアニメーション創作部、1990年のウクラニマフィルム。執筆 В. В. Марченко、第13巻、2013年
    発行:Енциклопедія Сучасної України 確認日:2026-09-24
  9. Кіностудія анімаційних фільмів Українська1959年の創設、1990年からの名前、シリーズ「Як козаки…」(1967〜95年)。執筆 С. Я. Куценко、第13巻、2013年
    発行:Енциклопедія Сучасної України 確認日:2026-09-24
  10. Укранімафільм1959〜1991年の創作部、1991〜2019年の国営撮影所、2019年6月30日の統合と文化省命令第256号、権利の承継
    発行:Довженко-Центр 確認日:2026-09-24
  11. Укранімафільм та Довженко-Центр об'єднуються2019年4月17日の発表
    発行:Довженко-Центр 確認日:2026-09-24

記載内容に誤りを見つけた場合は、訂正のご連絡からお知らせください。確認のうえ、訂正した内容と経緯を記事に記載します。