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文化・歴史/解説

1574年、リヴィウで刷られた『アポストル』と『アズブカ』

1573年2月25日に刷り始め、1574年2月15日に刷り終えた。リヴィウで出た典礼書『アポストル』の奥付には、印刷者イヴァン・フェドロヴィチの来歴が書かれています。同じ年の小さな読み書きの本『アズブカ』とあわせて、中身と残った本、「ウクライナで最初の印刷本」という言い方の条件を見ます。

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オリュカのひとこと

リヴィウで刷られたその本は、「最初」と呼べるのでしょうか。最初の見出しで確かめられます。

「この本は1573年2月25日に刷り始め、74年の同じ月の15日に刷り終えた。名高い町リヴィウにて」。一冊の典礼書の末尾に、印刷者自身がそう書き残しています。ハーバード大学ホートン図書館の目録が写している奥付の文面で、署名は「イオアン・フェドロヴィチ、モスクワの印刷者」です。日付は当時の暦によるものです。

この本が、使徒たちの言行と手紙を収めた『アポストル』(Апостол)です。同じ1574年、同じ印刷者がリヴィウで、80ページほどの小さな読み書きの手ほどきの本『アズブカ』(Азбука)も出しました。以下は、ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所の『ウクライナ歴史百科事典』(以下ЕІУ)、カナダ・ウクライナ研究所(CIUS)の Internet Encyclopedia of Ukraine(以下IEU)、ハーバード大学図書館の目録による内容です(2026年9月時点)。

モスクワからザブウドゥフを経て、リヴィウへ

IEUによれば、印刷者はモスクワの教会の輔祭で、1553年からツァーリのイヴァン4世が命じた印刷所の建設を監督しました。ЕІУは、1564〜1565年にペトロ・ムスティスラヴェツとともにモスクワで『アポストル』と『時祷書』を刷り、これがロシアで日付の確かな最初の本だとしています。その後、異端の疑いをかけられ(ЕІУ)、リトアニア大公国の大貴族ホドケヴィチの領地ザブウドゥフ(いまのポーランド東部)に移って、1568〜1570年に『教訓福音書』と『詩編』を出しました。

IEUによれば、1572年にリヴィウへ移り、翌年、聖オヌフリー修道院で印刷を再開します。ЕІУは、リヴィウの印刷所は町のウクライナ人の町人の助けで開いたと書いています。IEUは、『アポストル』の仕事には彼の息子と、ザブウドゥフ出身のフルィン・イヴァノヴィチが加わったとしています。

名前の書き方:フョードロフとフェドロヴィチ

この人の名前は、資料によって書き方が違います。ЕІУは見出しを「フェドロウ(フェドロヴィチ)・イヴァン」とし、父の名から取った呼び名が、ロシアでは「フェドロウ」、ウクライナでは「フェドロヴィチ」「フヴェドロヴィチ」と書かれ、身分の高くない出であることを示すと説明しています。ロシア語の読み方では「フョードロフ」になります。

IEUは「フェドロヴィチ(フェドロウ)」を見出しにし、ザブウドゥフで姓をフェドロウからフェドロヴィチに変えたと書きます。リヴィウでは「モスクワの印刷者」と呼ばれましたが、IEUは、それは民族よりも来た土地を示す呼び名だったとしています。以下では、リヴィウの本の奥付の署名に合わせてイヴァン・フェドロヴィチと書きます。ウクライナの出版統計をまとめる「ウクライナ書籍会議所」はこの人の名前を冠しています(数字で見るウクライナの出版)。

  1. オリュカ

    この人の生まれた年は、資料によって同じなのかな。

  2. スウネ

    生まれた年は、この見出しの下の表で資料ごとに違うようだよ。

  3. タブリ

    亡くなった日も、この見出しの下の表で確かめられるよ。

生まれた年と亡くなった日は、事典で違う

資料生まれた年亡くなった日
ЕІУ(2013年の刊行)わからない。「1510年ごろベラルーシで生まれ、クラクフ大学で学んだ」という最近広まった説は文書で裏づけられないとする1583年12月15日(旧暦5日)、リヴィウ
IEU(1984年の紙版の再録)1525年ごろ1583年12月16日、リヴィウ
ハーバード大学図書館の典拠1510年ごろ1583年
ЕІУ「ФЕДОРОВ Іван」、IEU「Fedorovych (Fedorov), Ivan」、ハーバード大学図書館の目録(著者名の典拠)による。

『アポストル』:奥付に書いた自分の来歴

『アポストル』は、礼拝で読む使徒行伝と使徒の手紙を収めた本です(IEU)。ЕІУによれば、本文は1564年にモスクワで刷ったものと同じ教会スラヴ語の訳ですが、誤りを直し、綴りをウクライナで広く使われていた書き方に近づけました。ハーバード大学の目録では、本文264葉に前付け14葉、高さ31cmの大型本で、赤と黒の2色で刷られています。

ЕІУが一番の違いとするのは、巻末です。モスクワ版の公式の後書きの代わりに、フェドロヴィチは「この印刷所がどこから始まり、どのように成し遂げられたかの物語」を書きました。モスクワでは「多くの長や聖職の長たち」から迫害を受けたこと、リヴィウで助けてくれたのは身分の高くない人たちだったことを書き、印刷という仕事の値打ちを訴えた文章だ、とЕІУは説明しています。

冒頭にはリトアニアの大貴族ホドケヴィチの紋章、巻末にはリヴィウの市の紋章と印刷者自身の印を組み合わせた印刷者の標章が刷られています。使徒ルカの像は、当時のウクライナ西部のイコンを手本にしたとされます(ЕІУ)。ЕІУ(2003年)によれば、知られている現存本は90冊を超えます。

『アズブカ』:80ページの手ほどきの本

ЕІУは、同じ1574年の『アズブカ』を「ウクライナで刷られた最初の読み書きの本」とし、刷られたのは『アポストル』のあとか、その終わりの部分と同じころだとしています。ハーバード大学の目録では、全80ページ(最後のページは白紙)、高さ17cmの小型本で、奥付に「リヴィウにて刷る、1574年」とあります。

ЕІУによれば、中身は次の順に並んでいます。

  • 文字の一覧、二文字・三文字の音節の練習
  • 文字の名前と、動詞の変化の例
  • アクセントだけが違う語、略し方の記号を使う語など、綴りの注意
  • 頭の文字が文字の順に並ぶ祈りの文(最初のまとまった読み物)
  • 祈りの文、ソロモンの箴言(22〜24章)、使徒パウロの手紙の抜粋

祈りの中には、『過ぎし年月の物語』に入っているヴォロディーミル・モノマフの祈りの前半にあたる文も入っています(ЕІУ)。年代記については『過ぎし年月の物語』の写本の記事で扱っています。箴言の部分は、スコルィナの版かそれに近いベラルーシ・ウクライナの訳から取られており、ЕІУは、リヴィウの書き手が本文の用意に加わった可能性を示すものだとしています。後書きは「キリスト教徒のルーシの民」に宛てて書かれています。

ЕІУは、この本を、1572年に王権から息子たちをギムナジウムや学校に通わせる権利を得たリヴィウのウクライナ人の町人の、教育の動きと結びつける研究者の見方を紹介しています。

昔の呼び名「アズブカ」「グラマティカ」、いまの呼び名「ブクヴァル」

ЕІУによれば、この本はいまの言い方では「ブクヴァル」(буквар、読み書きの入門書)ですが、当時は「アズブカ」(азбука)または「グラマティカ」(граматика)と呼ばれていました。ハーバード大学の目録も、題を「A B V」、別の題を『アズブカ』、統一した書名を「ブクヴァル」としています。

残っているのは2冊

ЕІУによれば、1574年の『アズブカ』で残っているのは、ハーバード大学の図書館とロンドンの英国図書館の2冊です。ハーバード大学の目録は、ホートン図書館の本の前の持ち主として、ロシアの貴族グリゴリー・ストロガノフ(1829〜1910年)、バレエ興行主のセルゲイ・ディアギレフ(1872〜1929年)、ボリス・コフノの名を挙げています。1955年には言語学者ロマン・ヤコブソンの解説つきの複製が、ハーバード大学から出ました。

オリュカのひとこと

「最初」と呼ぶには、どんな条件が要るのでしょう。この見出しで確かめられます。

「ウクライナで最初の印刷本」の条件

ЕІУは1574年の『アポストル』を「ウクライナで刷られた最初の本」と書き、フェドロヴィチの項目では「ウクライナで刷られた本のうち、いま知られている最も古いもの」と書いています。IEUは、ウクライナの民族の地で最初の印刷所をつくったのがフェドロヴィチだとしています。

「最初」と言うには条件があります。キリル文字の本は、それより前から刷られていました。

  • 1483年:ウクライナ出身の著者の本として知られる最も古い印刷本、ユーリー・ドロホブィチの論文がローマで出る(ЕІУ)
  • 1491年:クラクフでシュヴァイポルト・フィオルがキリル文字の本を刷る(日付のない2点と、1491年の日付のある2点。ЕІУ)。IEUは、教会スラヴ語のウクライナの書き方による最初の本とする。ЕІУは、注文したのはウクライナの文化人だった可能性が高いとする
  • 1517〜1525年:フランツィスク・スコルィナが、ベラルーシとウクライナ向けの本をプラハとヴィリニュスで刷る(ЕІУ)

つまり1574年の『アポストル』は、ウクライナの地で刷られ、刷った場所と日付がわかり、いまも残っている本として最も古い、という意味での「最初」です。事典の言い方も「いま知られている」という限定つきです。

年表

年出来事典拠
1491年クラクフでフィオルがキリル文字の本を刷るЕІУ・IEU
1564〜1565年モスクワでムスティスラヴェツと『アポストル』『時祷書』を刷るЕІУ・IEU
1568〜1570年ザブウドゥフで『教訓福音書』『詩編』ЕІУ・IEU
1572年リヴィウへ移るIEU
1573年2月25日リヴィウで『アポストル』を刷り始める奥付(ハーバード大学の目録)・ЕІУ
1574年2月15日『アポストル』を刷り終える奥付(同)・ЕІУ
1574年『アズブカ』を刷る奥付(同)・ЕІУ
1575年オストロジシキー公に仕え、デルマニ修道院を任されるIEU
1578年オストロフで『アズブカ』の第2版(ギリシャ文字の手引きなどを加える)ЕІУ・IEU
1580〜1581年オストロフで新約聖書とオストロフ聖書ЕІУ・IEU
1583年12月リヴィウで亡くなる(15日か16日か)ЕІУ・IEU
1591年印刷所の設備を受け継いだリヴィウの生神女就寝兄弟団の印刷所の、現存する最も古い刊行物IEU
ЕІУ「ФЕДОРОВ Іван」「«АПОСТОЛ» ЛЬВІВСЬКИЙ 1574」「«БУКВАР» ЛЬВІВСЬКИЙ」「ДРУКАРСТВО І КНИГОВИДАННЯ В УКРАЇНІ」、IEU「Fedorovych (Fedorov), Ivan」「Printing」「Ostroh Press」「Lviv Dormition Brotherhood Press」、ハーバード大学図書館の目録による。日付は当時の暦。

オストロフへ、そしてリヴィウに戻る

IEUによれば、1575年からヴォリーニの大貴族コスチャンティン・ヴァスィリ・オストロジシキー公に仕え、1577〜1579年にオストロフに印刷所を開きました。ここで1581年に出たオストロフ聖書を、IEUは旧約・新約をそろえた教会スラヴ語の最初の完全な聖書と説明しています。オストロフの学校についてはキーウ・モヒラ・アカデミーの記事で触れています。

公と仲たがいしてリヴィウに戻りましたが、印刷所を開き直すことはできませんでした(IEU)。IEUによれば、リヴィウの墓石には「途絶えていた印刷を新たにした」と刻まれています。印刷所の設備はリヴィウの生神女就寝兄弟団のものになり、兄弟団は19世紀の初めまで彼の図案を使い続けました。

名前が残るもの

ЕІУによれば、記念碑はモスクワ(1909年)とリヴィウ(1977年)に建ちました。1976年にはリヴィウの聖オヌフリー修道院に記念の博物館ができ、いまはリヴィウ美術館の古いウクライナの本の博物館になっています。リヴィウの印刷の専門の大学(いまのウクライナ印刷アカデミー)は、1994年から彼の名前を冠しています。

出典と記事の記録出典 13件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. ФЕДОРОВ Іван生年は不明とする記述、没年月日(新旧暦)、呼び名の書き分け、モスクワ・ザブウドゥフ・リヴィウ・オストロフの刊本、リヴィウの町人の支援、記念碑・博物館・印刷アカデミー。執筆 Я. Д. Ісаєвич
    発行:Енциклопедія історії України(Інститут історії України НАН України) 確認日:2026-09-27
  2. "АПОСТОЛ" ЛЬВІВСЬКИЙ 1574刷り始めと刷り終えの日付、モスクワ版との違い、後書き、装飾、現存本90冊超。執筆 Я. Д. Ісаєвич、第1巻、2003年
    発行:Енциклопедія історії України(Інститут історії України НАН України) 確認日:2026-09-27
  3. "БУКВАР" ЛЬВІВСЬКИЙ最初の読み書きの本、中身の順、呼び名、奥付、現存2冊と所蔵、1578年の第2版、複製。執筆 Я. Д. Ісаєвич、第1巻、2003年
    発行:Енциклопедія історії України(Інститут історії України НАН України) 確認日:2026-09-27
  4. ДРУКАРСТВО І КНИГОВИДАННЯ В УКРАЇНІ1483年のドロホブィチ、1491年のフィオル、スコルィナ、オストロフの刊本。執筆 Я. Д. Ісаєвич、第2巻、2004年
    発行:Енциклопедія історії України(Інститут історії України НАН України) 確認日:2026-09-27
  5. Fedorovych (Fedorov), Ivan生没、モスクワの印刷所、ザブウドゥフでの改姓、1572年のリヴィウ、聖オヌフリー修道院、1574年の2冊と協力者、「モスクワの印刷者」、デルマニ、オストロフ、墓石の文、兄弟団。執筆 Bohdan Struminsky、紙版は1984年の第1巻
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  6. Printing1491年のフィオル、ウクライナの民族の地で最初の印刷所
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  7. Apostolos使徒行伝と手紙を収める典礼書、1574年のリヴィウ版。2008年改訂
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  8. Ostroh Press1578年の開設、1578年の『アズブカ』とブクヴァルの第2刷、1580年の新約、1581年の聖書
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  9. Ostroh Bible1580〜1581年、最初の完全な教会スラヴ語の聖書
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  10. Lviv Dormition Brotherhood Pressフェドロヴィチの設備、現存する最古の刊行物1591年
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  11. Bukvarʹ. A B V ... Azbuka. Vydrukovano vo Lvovi͡e : [Ivan Fedorov], roku 1574[80] p.、17 cm、前の持ち主、請求記号 *RC5.F3195.574b
    発行:Houghton Library, Harvard University(HOLLIS) 確認日:2026-09-27
  12. Skazanīe svi͡atogo Epifanīę ... Apostol. [Lʹviv: Ivan Fedorov, 25 Feb. 1573-15 Feb. 1574]奥付の文面、[14], 264 leaves、31 cm、赤と黒の刷り、請求記号 *RC5.R9205A.1574
    発行:Houghton Library, Harvard University(HOLLIS) 確認日:2026-09-27
  13. Ivan Fedorov's Primer of 1574ヤコブソンの解説つき複製、1955年
    発行:Harvard Library(LibraryCloud の書誌) 確認日:2026-09-27

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