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宗教と教会
正教会、ギリシャ・カトリック教会、木造教会や大聖堂。ウクライナの信仰と教会の歴史をたどります。
記事8本
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諮問機関は「記載の延期」を勧めた。チェルニウツィーの府主教の邸宅
チェルニウツィー大学の本館は、1864年から1882年にかけて建てられたブコヴィナとダルマチアの正教会の府主教の邸宅です。2011年、ユネスコの諮問機関は世界遺産への記載の延期を勧めましたが、世界遺産委員会は記載を決めました。建築家フラーヴカ、邸宅が大学になった経緯、評価が分かれた点をまとめます。
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1946年に消され、43年後に地上へ戻ったギリシャ・カトリック教会
東方の典礼を守りながらローマ教皇と結ぶウクライナ・ギリシャ・カトリック教会は、1596年の合同から始まりました。1946年のソ連による「公会」で解体され、地下で礼拝を続け、1989年に再び認められるまでの歩みと、2025年の調査に表れた信徒の広がりをまとめます。
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16棟のうち8棟がウクライナに。カルパティアの木造教会
丸太を水平に積み、屋根と壁を木のこけら板で覆ったカルパティア山地の木造教会「ツェルクヴァ」。2013年にポーランドと共同でユネスコの世界遺産に記載された16棟のうち、8棟がウクライナにあります。四つの建築の型と8棟の顔ぶれ、2024年の報告が書く戦時下の保全の課題をまとめます。
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1011年か1037年か。キーウの聖ソフィア大聖堂が建った年
キーウの聖ソフィア大聖堂は、ヤロスラウ賢公の時代に建てられ、11世紀のモザイクとフレスコを今に残しています。ただし建った年は、1037年とする事典と、2011年に創建1000年を祝ったウクライナ政府とで26年違います。バロックの外観の由来、1934年の博物館化、2023年の危機遺産入り、2025年の損傷までをたどります。
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どちらも直訳は「ウクライナ正教会」。OCUとUOC、そして2024年の法律
ウクライナには、どちらも直訳すれば「ウクライナ正教会」になる二つの教会があります。2019年にコンスタンティノープルから独立を認められたOCUと、モスクワ総主教庁に属してきたUOCです。1686年の書簡を取り消した2018年の決定から、2024年の法律によるUOCキーウ府主教区への手続きまでをたどります。
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ウクライナのクリスマスは1月7日から12月25日へ
ウクライナでは2023年7月の法律で、国の祝日の一覧から1月7日のクリスマスが外れ、12月25日だけが残りました。同じ年の9月には、二つの大きな教会が12月25日に祝う暦へ移っています。法律、教会の暦、家庭の祝い方を分けて、聖夜の12品やコリャードカまで説明します。
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キーウ・ルーシから16世紀まで ── ハールィチ・ヴォルィーニと二つの合同
紀元前5000年ごろのトリピッリャ文化から、黒海沿岸のギリシャ植民市、キーウ・ルーシ、リトアニア大公国、1569年のルブリン合同と1596年のブレスト合同まで、コサックが現れる前のウクライナの地の歴史をたどります。キーウ・ルーシを「単一の古ルーシ民族」の国とする見方は、1930年代にソ連共産党が委嘱した歴史家のパネルが示した公式の枠組みです。フルシェフスキー以来のウクライナ史学は、ハールィチ・ヴォルィーニ公国をキーウ国家の後継とみてきました。
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平安京から応仁の乱まで、キーウでは何が起きていたか
794年の平安京遷都から1477年に応仁の乱が終わるまで、同じ年月にキーウとその周辺で何が起きていたかを並べます。キーウ・ルーシの始まりとされる882年は、出来事から二百数十年あとに編まれた年代記に依る年号です。日本史の時代区分も、資料によって始まりの年が違います。