枕の下の贈り物と、冬と春の二人のミコラ ── ウクライナの聖ミコライの日
ウクライナでは、聖ミコライの日の前の夜に子どもの枕の下へ贈り物を置く家があります。二つの大きな教会の暦では、この日は2023年9月から12月19日ではなく12月6日になりました。4世紀の司教の伝説、冬と春の言い伝え、贈り物の習わしの由来をめぐる事典の書き方の違い、ソ連の時代のディド・モローズとの関係を、事典と教会の暦から見ていきます。
オリュカのひとこと
聖ミコライは、どんな人だと伝えられているのでしょう。最初の見出しで確かめられます。
ウクライナでは、12月の初めの夜に、子どもの枕の下へそっと贈り物を置く家があります。贈り主とされるのは聖ミコライ(Святий Миколай)、4世紀に小アジアのミラで司教を務めたと伝えられるニコラオスです。ウクライナ国立科学アカデミーの『現代ウクライナ百科事典』(ЕСУ)は、この日の祝いが独立後によみがえり、とくに子どもに好まれていると書いています。
この日は、2023年8月までは民間の暦で12月19日でした。ウクライナ正教会(ПЦУ、以下OCU)とウクライナ・ギリシャ・カトリック教会(УГКЦ、以下UGCC)が2023年9月1日に新しい暦へ移ってからは、二つの教会の暦で12月6日です。暦の改正そのものはクリスマスが1月7日から12月25日へ移った記事と名の日の記事で扱いました。ここでは、聖ミコライの言い伝えと、贈り物の習わしがどこから来たと説明されているのかを、事典と教会の暦から見ていきます(2026年10月時点)。
ミラの司教ニコラオス
カナダ・アルバータ大学のウクライナ研究所(CIUS)が発行する『Internet Encyclopedia of Ukraine』(IEU)の「Saint Nicholas」の項は、聖ミコライを東方と西方の教会でもっとも親しまれた聖人の一人とし、そのうえで「分かっていることは少ない」と書いています。分かるのは4世紀にミラ(いまのトルコ)の司教だったこと、おそらくパタラの生まれだということくらいで、子どもへの施しと奇跡の伝説がヨーロッパ中に広まった、という説明です。
ЕСУの「ミコラヤ(Миколая)」の項(2018年)は、よく知られた話として、貧しくなった家の三人の娘のために、ミコライが夜ひそかに金の袋を三つ窓から投げ入れ、娘たちが無事に嫁ぐことができたという話を挙げています。そして、聖ミコライの夜に子どもへ贈り物をする習わしは、どうやらこの話から来ているようだ、と書いています(原文は «Очевидно»)。
同じ項目によれば、ミコライの遺骨は1087年にイタリア南部のバーリへ移され、それを記念する春の祝日が定められました。IEUも、遺骨が1087年にイタリアの船乗りによってバーリへ運ばれたと書いています。ウクライナでの崇敬は古く、IEUは年代記にもとづき、イーホル公(945年没)の時代にはキーウにすでに聖ミコライの教会があったとしています。
生まれた年と亡くなった年は、資料で違う
聖ミコライの生涯の年は、資料によって書き方が違います。どれか一つに決められる記録は残っていません。
| 資料 | 生まれ | 亡くなった年 |
|---|---|---|
| IEU「Saint Nicholas」 | おそらくパタラの生まれ(年は書かない) | 書かない(4世紀にミラの司教) |
| ЕСУ「ミコラヤ」(2018年) | 270年、パタラ | 343年の12月6日(民間の暦で19日) |
| 『大ウクライナ百科事典』(ВУЕ)「ミコライ・チュドトヴォレツィ」 | 270〜275年ごろ | 326年より後 |
| OCU『教会暦 2026年』の12月6日の項 | — | 345年ごろ |
オリュカのひとこと
聖ミコライの日の日付は、なぜ動いたのでしょう。この見出しで確かめられます。
12月19日から12月6日へ
教会の暦の上で、聖ミコライの日はずっと12月6日でした。IEUの「Calendar」の項によれば、民間の暦は1918年3月1日にグレゴリオ暦に切り替わりましたが、教会はユリウス暦(旧暦)を使い続けました。このため2023年まで、冬の聖ミコライは民間の暦で12月19日、春の聖ミコライは5月22日にあたっていました。IEUの「Saint Nicholas」の項も、冬を12月19日(旧暦12月6日)、春を5月22日(旧暦5月9日)と書いています。
UGCCは2023年2月6日、主教シノドの決定を発表し、9月1日から日付の決まった祝日をすべて新しい暦で祝うと説明しました。発表は例として、クリスマス(12月25日)や神現祭(1月6日)と並べて「聖ミコライ ── 12月6日」を挙げています。OCUの主教会議も2023年5月24日、9月1日から新ユリウス暦を使うと決めました。
OCUの『教会暦 2026年』では、12月6日(日曜日)が「聖師父ミコライ、ミラの大主教、奇跡者」の日、5月9日(土曜日)が「奇跡者聖ミコライの遺骨のミラからバーリへの移送(1087年)」の日です。二つの教会の暦の上では、冬の聖ミコライは12月6日、春の聖ミコライは5月9日になりました。
ただし、OCUの決定は、構成員の3分の2以上が賛成すれば旧暦を続けることを教区と修道院に認めています。旧暦を使う教区やほかの教会では、聖ミコライの日はいまも民間の暦の12月19日にあたります。
国の祝日ではない
聖ミコライの日は、ウクライナの国の祝日(休日)ではありません。祝日を並べた労働法典第73条(2026年10月23日の版)は、1月1日の新年から12月25日のクリスマスまでの9日を祝日とし、仕事をしない宗教上の祝日として復活祭、三位一体祭、クリスマスの3つを挙げていますが、12月6日も12月19日も入っていません。祝日の一覧と、戒厳令のもとでこの条が適用されていないことは、ウクライナの祝日の記事にまとめています。
冬のミコラと春のミコラ
民間の暦では、聖ミコライは一年に二度現れます。IEUは、ウクライナの民間の伝承には「聖ミコライ」と呼ばれる二つの姿があり、春に祝われる「暖かいミコラ」と、冬に記念される「年老いたミコラ」がいた、と書いています(英語からの訳)。ЕСУも「冬のミコラ」「春のミコラ」の二つの祝日を挙げています。ウクライナ語では、聖人の名前は Миколай(ミコライ)とも Микола(ミコラ)とも書かれます。
以下は事典が記録している言い伝えと習わしです。いまの家庭でどれだけ続いているかを示すものではありません。
- 春のミコラは農業の守り手とされ、冬のあとの畑を歩いて「湿りすぎた所は乾かし、乾きすぎた所は湿らせる」と言われた(IEU)。この日には馬を初めて夜の放牧に出し、羊の毛を刈り、そばの種をまいたという。キーウ地方とポジッリャでは、5月22日に「ニコリシチナ」と呼ばれる祝いが開かれた(IEU)。
- 冬のミコラは「ひげを振って」最初の雪を降らせると言われ、糸紡ぎの守り手とされた。祝日には糸や撚り糸を教会へ持っていき、「ひげに足す」とした(IEU)。
- フツルの人々は、冬を聖ミコラ、春を聖ユーリー、夏を聖ペトロ、秋を聖ドミトロと呼んだ(ЕСУ)。ハルキウ地方では12月17〜19日の三日間を「ミコラの祝日」と呼び、クチャと果物の煮込みをつくった(ЕСУ)。カルパティアでは「ミコラの日の天気は、クリスマスの天気」と言った(ЕСУ)。
枕の下の贈り物
ЕСУによれば、独立後に祝いがよみがえった聖ミコライの日は、ウクライナのすべての地域で親しまれるようになり、とくにこの日に贈り物を受け取る子どもたちに好まれています。子どもたちは聖ミコライに手紙を書き、多くの町ではこの日にクリスマスと新年の祝いの季節が始まって、もみの木に明かりがともされる、とЕСУは書いています。この項目が書かれた2018年には、その日は12月19日でした。
オリュカ
枕の下の贈り物の習わしは、どこから来たのかな。
スウネ
二つの事典の書き方が違うところは、この見出しの下で並べてあるね。
ヨリクネ
「右岸ウクライナ」と「西ウクライナ」が同じ範囲ではないことは、この見出しの最後の段落にあるよ。
贈り物の習わしは、どこから来たのか
この習わしの由来と広がった地域について、二つの事典は少し違う書き方をしています。
ЕСУは、聖ミコライの日に子どもに何かを贈る習わしは「ウクライナには以前はなかった」とし、中世のドイツで生まれたと書いています。ドイツでは、子どもたちは磨いた靴の中にくるみや干した果物、甘いパンなどを入れてもらい、言うことを聞かなかった子は小枝をもらったといいます。習わしはドイツからオーストリア、オランダ、チェコ、スロヴァキア、ポーランドへ広がり、「おそらく」そこからウクライナの地へ移った、というのがЕСУの説明です。その裏付けとしてЕСУが挙げるのが、子どもに贈り物を枕の下に置く習わしが、長くポーランド・リトアニア共和国(Річ Посполита)に属していた右岸ウクライナ(ドニプロ川の西側)に主に残ったことです。
IEUは、西ウクライナでは祝日の前夜に子どもに贈り物が渡された、と書いています。同じ項目は、ウクライナのギリシャ・カトリック教会が、聖ミコライと天使と悪魔が登場して子どもに善い行いを勧める劇や遊びを後押しし、プロの作家が書いた台本もあって、しばしば素人の劇団が上演した、とも記しています。
「右岸ウクライナ」と「西ウクライナ」は重なる部分がありますが、同じ範囲ではありません。どちらの事典も、何年ごろから行われたのかを示す具体的な記録は挙げていません。
ソ連の時代と、新年のディド・モローズ
ЕСУの「ミコラヤ」の項は、戦闘的な無神論の続いたソ連の時代には聖ミコライの日は祝われなかったが、農村、とくにソ連に属した期間がずっと短かった西ウクライナでは、この伝統がよく残った、と書いています。
同じころ、贈り物の場面は新年の祝いに現れます。ЕСУの「新年」の項(2021年)によれば、新年はソ連の公式の祝日の暦に入れられ、教会のクリスマスに代わるものとして、政治的・思想的な教育の行事として組み立てられました。1930年代半ば、ウクライナ共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会の書記ポスティシェフが方針を示す記事を出したあと、新年のもみの木を公の場で使うことが許されます。新年の贈り物の交換や子ども向けの会、仮装舞踏会が広まり、そこにディド・モローズ(Дід Мороз、「霜のおじいさん」)やスニフーロンカ(Снігуронька、雪娘)が登場しました。
IEUの「New Year」の項(1993年の紙版の再録)も、新年の集会にディド・モローズと雪の精が登場したと書いていますが、もみの木が持ち込まれたのは1930年代の初めとしていて、ЕСУの「半ば」と分かれます。
二つの事典を並べると、ソ連の時代に、子どもへの贈り物の場面が聖人の祝日から新年へ移ったように読めます。ただ、聖ミコライがディド・モローズに「置き換えられた」とはっきり書いた記述は、この記事で確かめた事典の項目にはありませんでした。新年の祝いの古い習わしについてはマランカの記事にあります。
聖ミコライ、ディド・モローズ、サンタクロース
オリュカ
聖ミコライ、ディド・モローズ、サンタクロースは、同じ人物なのかな。
タブリ
聖人の呼び名、民間の呼び名、新年の人物の呼び名は、この見出しの下に分けて並んでいるよ。
シメロ
三つの人物を見比べるなら、まずこの見出しの下の表から読もう。
昔の呼び名と今の呼び名
- 聖人としての呼び名:ВУЕの見出しは「ミコライ・チュドトヴォレツィ」(Миколай Чудотворець、奇跡者ミコライ)で、別名に「聖ミコライ」「ミコライ・ウホドニク」(Миколай Угодник)「聖師父ミコライ」(святитель Миколай)を挙げています。
- 民間の呼び名:IEUは冬の「年老いたミコラ」と春の「暖かいミコラ」、ЕСУは「冬のミコラ」と「春のミコラ」と書いています。フツルの人々は冬そのものを聖ミコラと呼びました(ЕСУ)。
- 祝日の呼び名:ЕСУの見出しは「ミコラヤ」(Миколая)で、聖ミコライの日を指す言い方です。
- ソ連の新年の人物:ディド・モローズ(Дід Мороз)とスニフーロンカ(Снігуронька)。
- 英語圏の人物:サンタクロース。ЕСУは、英語圏、とくにアメリカ合衆国では聖ミコライがサンタクロースと同一視されると書いています。
三つの人物を並べると、次のようになります。
| 聖ミコライ | ディド・モローズ | サンタクロース | |
|---|---|---|---|
| 現れる日 | 12月6日(OCU・UGCCの暦。2023年8月までは民間の暦で12月19日)の前の夜 | 新年 | クリスマス・イブ |
| もとになったもの | 4世紀のミラの司教とされる聖人(IEU・ЕСУ) | ソ連の時代の新年の行事に登場(ЕСУ・IEU) | 聖ニコラオス(シンタクラース)の伝説。12月6日に子どもに贈り物をする習わしとともに、オランダの人々がニューアムステルダム(いまのニューヨーク)へ持ち込んだ(ブリタニカ) |
| 贈り物の置き場所として資料に出てくるもの | 子どもの枕の下(ЕСУ) | —(資料に記述なし) | 煙突から入って贈り物を置く、という言い伝え(ブリタニカ) |
年表:聖ミコライの日の移り変わり
| 年 | 出来事 | 典拠 |
|---|---|---|
| 4世紀 | ニコラオスがミラの司教を務めたとされる(生没年は資料で違う) | IEU、ЕСУ、ВУЕ |
| 1087年 | 遺骨がミラからバーリへ移される。春の祝日(旧暦5月9日)はこれを記念する | IEU、ЕСУ、OCU『教会暦 2026年』 |
| 1918年3月1日 | 中央ラーダが民間の暦をグレゴリオ暦に切り替える。教会はユリウス暦を続け、冬の聖ミコライは民間の暦で12月19日、春は5月22日に | IEU「Calendar」 |
| 1930年代 | 新年のもみの木が公の場に持ち込まれ、新年の行事にディド・モローズが登場する(始まりはIEUが1930年代初め、ЕСУが1930年代半ば) | IEU「New Year」、ЕСУ「新年」 |
| 1991年以後 | 独立後、聖ミコライの日の祝いがよみがえり、すべての地域に広がる | ЕСУ「ミコラヤ」 |
| 2023年2月1〜2日 | UGCCの主教シノドが、9月1日から日付の決まった祝日を新しい暦で祝うと決める(2月6日の発表で「聖ミコライ ── 12月6日」) | UGCCの発表 |
| 2023年9月1日 | 二つの教会が新しい暦へ移る。冬の聖ミコライは12月6日、春は5月9日に | UGCCの発表、OCUの決定文 |
2026年、OCUの暦では12月6日は日曜日です。12月6日と12月19日のどちらの前の夜に枕の下へ贈り物を置くかは、通う教会と家庭によって違いえます。
出典と記事の記録
出典・参考資料
- Історичне рішення: УГКЦ в Україні переходить на новий календар2023年2月6日。第93回会期〈2023年2月1〜2日、リヴィウ=ブリュホヴィチ〉第5決定第1項、9月1日から動かない祝日を新暦で、例示「Святого Миколая — 6 грудня」
発行:Українська Греко-Католицька Церква(ugcc.ua) 確認日:2026-10-24 - Постанова Архієрейського Собору ПЦУ від 24 травня 2023 р. «Про врегулювання календарного питання в Православній Церкві України»第1項・第2項、旧暦を続ける教区の3分の2の条件
発行:Православна Церква України(pomisna.info) 確認日:2026-10-24 - Церковний календар на 2026 рік12月6日「Святителя Миколая, архієпископа Мир Лікійських, чудотворця (бл. 345)」、5月9日「Перенесення мощів святителя і чудотворця Миколая з Мир Лікійських у м. Бар (1087)」
発行:Православна Церква України(pomisna.info) 確認日:2026-10-24 - Кодекс законів про працю України 第73条祝日と、仕事をしない宗教上の祝日。2026年10月23日版
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-10-24 - Saint Nicholas4世紀のミラの司教、パタラ、イーホル公の時代のキーウの教会、「暖かいミコラ」5月22日〈旧暦5月9日〉と「年老いたミコラ」12月19日〈旧暦12月6日〉、西ウクライナで前夜に子どもへ贈り物、ギリシャ・カトリック教会の劇、1087年のバーリ。執筆 M. Mushynka
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-24 - New Yearソ連の当局による禁止、1930年代初めのもみの木、ディド・モローズと雪の精。執筆 Mykola Mushynka、初出1993年
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-24 - Calendar1918年3月1日の中央ラーダの新暦導入、教会はユリウス暦を継続。初出1984年
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-10-24 - Миколая270年パタラ生まれ、343年12月6日〈19日〉没、三人の娘の話、1087年のバーリ、冬と春の祝日、フツル・ハルキウ地方・カルパティアの習わし、中世ドイツ起源の贈り物の習わし、右岸ウクライナの枕の下、ソ連期と独立後。執筆 Л. В. Іванникова, О. В. Давиденко、2018年、第20巻
発行:Енциклопедія Сучасної України(Інститут енциклопедичних досліджень НАН України) 確認日:2026-10-24 - Новий рікソ連の公式の祝日としての新年、1930年代半ばのもみの木の許可、ディド・モローズとスニフーロンカ。執筆 О. В. Курочкін、2021年、第23巻
発行:Енциклопедія Сучасної України(Інститут енциклопедичних досліджень НАН України) 確認日:2026-10-24 - Миколай Чудотворець別名、270〜275年ごろ〜326年より後、ミラの大主教
発行:Велика українська енциклопедія(Державна наукова установа «Енциклопедичне видавництво») 確認日:2026-10-24 - Santa Clausシンタクラースとニューアムステルダム、12月6日、クリスマス・イブ、煙突
発行:Encyclopaedia Britannica 確認日:2026-10-24
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