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文化・歴史/解説

200フリヴニャ紙幣の詩人レーシャ・ウクラインカと、戯曲『森の歌』

ウクライナの200フリヴニャ紙幣に描かれているのは、詩人で劇作家のレーシャ・ウクラインカ(1871〜1913年)です。本名ラリーサ・コサチ。30年にわたって病と闘いながら、20の劇作品を残しました。ヴォリーニ地方の森の言い伝えから生まれた『森の歌』(1911年)を中心に、作品と生涯、紙幣の図柄、日本語で読める訳書をまとめます。

オリュカのひとこと

「レーシャ・ウクラインカ」は、本名ではなかったのでしょうか。ラリーサ・コサチという名前の節から読んでみましょう。

ウクライナの200フリヴニャ紙幣の表には、ひとりの女性の肖像があります。詩人で劇作家のレーシャ・ウクラインカ(Леся Українка、1871〜1913年)です。裏には、ヴォリーニ州の州都ルツィクにあるルツィク城の門の塔が描かれています。

ウクライナ国立銀行(NBU)は紙幣の解説で、彼女をタラス・シェウチェンコ、イヴァン・フランコと並べて語られる作家とし、フランコが彼女を「わが文学でただひとりの男」と呼んだことを紹介しています。

ラリーサ・コサチという名前

本名はラリーサ・コサチ=クヴィトカ(Лариса Косач-Квітка)、結婚前の姓はコサチです。Internet Encyclopedia of Ukraine(IEU、カナダ・ウクライナ研究所発行)によれば、1871年2月25日、ヴォリーニ県のズヴャヘリ(Звягель)で生まれました。ウクライナ歴史百科事典(ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所)は、同じ町を改称前の名ノヴォフラド=ヴォルィンシキーで書いています。この町は2022年11月16日の最高会議の決議(第2779-IX号)で、ズヴャヘリの名に戻りました。

母は作家オレーナ・プチルカ(本名オリハ・コサチ)、母の兄は思想家ミハイロ・ドラホマノフです。ウクライナ歴史百科事典によれば、「レーシャ・ウクラインカ」という筆名は母が選んだもので、ドラホマノフが一部の著作に使った「ウクライネツ(ウクライナ人)」という署名にならった可能性があるとされています。

幼いころはヴォリーニのズヴャヘリ、ルツィク、コロジャージネ村で過ごし、のちにキーウに移りました。同事典によれば、1881年、川で行われた神現祭の儀式を見ていて体を冷やしたのをきっかけに脚の痛みが始まり、そこから「30年戦争」と呼ばれる結核との闘いが続きます。学校には通わず、母や家庭教師のもとで学びました。IEUは、西欧の主な言語に加えてギリシャ語・ラテン語・スラヴ諸語を身につけ、ゴーゴリ、ミツキェヴィチ、ハイネ、ユゴー、ホメロスを訳したとしています。

13歳で最初の詩が載る

IEUによれば、9歳で詩「希望」を書き、1884年、リヴィウの雑誌『ゾーリャ』に「スズラン」と「サッフォー」が載りました。これが最初に活字になった詩です。最初の詩集『歌の翼に乗って』は1893年にリヴィウで出ています。ウクライナ歴史百科事典は、この詩集の刊行をイヴァン・フランコが手伝ったとしています。

リヴィウは当時オーストリア=ハンガリー領です。彼女が暮らしたロシア帝国では、1876年のエムス法令によってウクライナ語の本の印刷が禁じられていました(エムス法令の記事)。同事典によれば、1904年にキーウで『歌の翼に乗って』が出し直されたときには、いくつかの作品が検閲で削られています。

劇詩で描いたもの

IEUは、彼女の文学の頂点を劇詩(詩の形で書かれた劇)に置いています。ウクライナ歴史百科事典によれば、書いた劇作品は全部で20あります。

題材の多くはウクライナの外から取られました。旧約聖書のバビロン捕囚、古代のトロイア、ローマ帝国のキリスト教徒、ドン・ファン伝説などです。IEUは、バビロン捕囚を扱った劇詩群について、ロシア帝国のなかに閉じ込められたウクライナ人の象徴として書かれたものだと説明しています。

  • 『カッサンドラー』(1907年):滅びるトロイアの予言者を通して、ウクライナの運命を描いた(IEU)
  • 『貴族の妻』(1910年):17世紀後半の「荒廃」の時代が舞台。IEUは、ロシアの帝国主義への敵意が最もはっきり表れた作品とする
  • 『森の歌』(1911年):ヴォリーニ地方の北、ポリーシャの言い伝えにもとづく
  • 『石の主』(1912年):ドン・ファンの物語を、社会への順応と個人の自由の対立として描いた(IEU)

ウクライナ歴史百科事典によれば、20の劇作品のうちウクライナを題材にしたのは『貴族の妻』と『森の歌』の二つだけです。

ポリーシャの森から生まれた『森の歌』

『森の歌』(Лісова пісня)は1911年の作品です。ウクライナ歴史百科事典は、その土台をポリーシャ(ウクライナ北西部からベラルーシ南部に広がる森と沼の地方)の民間伝承としています。IEUは、崇高な理想と日々の暮らしの散文的な細部との衝突を描いた作品としています。

作品の書誌をまとめたウェブサイト「レーシャ・ウクラインカ・ポータル」によれば、下書きは1911年の夏、療養先のジョージアのクタイシで10〜12日で書かれ、手直しは同じ年の10月まで続きました。発表は1912年、雑誌『文学・学術通報』の第3号です。同じサイトは、同年12月20日付の母への手紙の一節を紹介しています。かつてコロジャージネで、月夜にひとり森へ走っていき、森の精マウカが現れるのを待った、という思い出です。

ヴォリーニ州では、2001年にコーヴェリで始まった文学の祭り「森の歌」が、毎年8月の初めに開かれています。ウクライナ現代百科事典(ЕСУ)によれば、祭りは作品が書かれた時期に合わせたもので、参加する周辺の村々は、レーシャ・ウクラインカが言い伝えを聞き、民謡を書き取った土地です。

初演は作者の死後、1918年11月22日にキーウの劇場で行われたと、同じポータルは記しています。

スラミでの死と、見張られた葬儀

ウクライナ歴史百科事典によれば、1903年の秋から、彼女は夫で民俗学者のクリメント・クヴィトカと、ほとんどジョージアで暮らしました。二人が正式に結婚したのは1907年です。1913年8月1日、保養地スラミで亡くなりました。42歳でした。

遺体は1週間後に鉄道でキーウに運ばれ、翌日、バイコヴェ墓地に葬られました。同事典によれば、駅から墓地までの葬列には憲兵が付き、脇道を通るよう誘導されました。歌うことも弔辞を読むことも、花を手に持つことまで禁じられ、花輪からは赤いリボンや当局が疑わしいとみた文字が切り取られました。彼女は長く秘密警察の監視の対象になっていたと、同事典は書いています。

200フリヴニャ紙幣の肖像

NBUの紙幣一覧によれば、レーシャ・ウクラインカの肖像とルツィク城の門の塔を描いた200フリヴニャ紙幣は、2001年8月22日に流通が始まった版からあります。いまの主な版は2019年の図案で、2020年2月25日から出回っています。肖像は右側から中央に移りました。2007年の図案の紙幣は、2026年9月時点で「徐々に回収中」とされています。

2026年2月25日には、裏面に「ウクライナに栄光を!英雄たちに栄光を!」の標語を加えた版も流通を始めました。

オリュカのひとこと

レーシャ・ウクラインカの作品は、どんな邦訳で読めるのでしょう。この節の一覧で確かめましょう。

日本語で読める作品

国立国会図書館の書誌によれば、2026年9月時点で日本語で読める作品には次のものがあります。

  • 『石の主』法木綾子訳、群像社、2023年。原題 Камінний Господар
  • 「カッサンドラー」村田真一訳。村田真一編訳『ウクライナ戯曲集』(国書刊行会、2025年)に収録
  • 『ウクライナの心 ウクライーンカの詩劇 スコヴォロダの寓話』中澤英彦、インナ・ガジェンコ編訳、ドニエプル出版、2021年

ウクライナ文学のほかの邦訳はウクライナ文学の邦訳の記事にまとめています。

年表

出来事
1871年2月25日(旧暦2月13日)、ズヴャヘリに生まれる
1881年体を冷やしたのをきっかけに病が始まる
1884年リヴィウの雑誌『ゾーリャ』に詩が初めて載る
1893年最初の詩集『歌の翼に乗って』(リヴィウ)
1896年最初の劇『青いバラ』
1903年秋からおもにジョージアで暮らす
1907年『カッサンドラー』。クリメント・クヴィトカと結婚
1911年『森の歌』
1912年『石の主』。『森の歌』が雑誌に載る
1913年8月1日(旧暦7月19日)、ジョージアのスラミで死去
1918年11月22日、『森の歌』初演(ポータルの記載)
2001年8月22日、肖像入りの200フリヴニャ紙幣が流通を始める
2022年11月16日、生地がズヴャヘリの名に戻る
出典:IEU「Ukrainka, Lesia」(1993年刊行の第5巻の項目)、ウクライナ歴史百科事典「Українка Леся」、レーシャ・ウクラインカ・ポータル、ウクライナ国立銀行、最高会議決議第2779-IX号

出典・参考資料

  1. Ukrainka, Lesia(筆名と本名、1871年2月25日ズヴャヘリ生・1913年8月1日スラミ没、ヴォリーニでの幼少期、独学と言語、翻訳、9歳の「希望」、1884年『ゾーリャ』、1893年の詩集、劇詩の作品と年、バビロン捕囚の象徴性、『貴族の妻』とロシアの帝国主義、『森の歌』『石の主』の主題。1993年刊行の第5巻の項目)
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-24
  2. Українка Леся(本名、新旧暦の生没年月日、ノヴォフラド=ヴォルィンシキー生、1881年の発病と「30年戦争」、コロジャージネ、1903年秋からジョージア、1907年の結婚、葬儀と憲兵、秘密警察の監視、筆名の由来、1893年の詩集とフランコ、1904年の検閲、20の劇作品、ウクライナを題材にした2作、『森の歌』とポリーシャの民間伝承)
    発行:Енциклопедія історії України(Інститут історії України НАН України) 確認日:2026-09-24
  3. Лісова пісня(1911年夏クタイシで10〜12日の下書き、10月までの手直し、1912年『文学・学術通報』第3号、1911年12月20日付の母への手紙、1918年11月22日の初演、下書きの日付1911年7月25日)
    発行:Портал Лесі Українки 確認日:2026-09-24
  4. «Лісова Пісня»(コーヴェリでの文学の祭り、2001年開始、8月初め、周辺の村と民謡の採集。2016年)
    発行:Енциклопедія Сучасної України(Інститут енциклопедичних досліджень НАН України) 確認日:2026-09-24
  5. Банкнота номіналом 200 грн(肖像、ルツィク城の門の塔、2020年2月25日流通、肖像を中央に移動、フランコの言葉)
    発行:Національний банк України 確認日:2026-09-24
  6. Банкнота номіналом 200 гривень(各版の流通開始日:2001年8月22日・2007年5月28日・2020年2月25日・2026年2月25日の標語入り版、2007年図案は徐々に回収中)
    発行:Національний банк України 確認日:2026-09-24
  7. Постанова Верховної Ради України № 2779-IX «Про перейменування міста Новоград-Волинський Новоград-Волинського району Житомирської області»(2022年11月16日)
    発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24
  8. 石の主(法木綾子訳、群像社、2023年、原タイトル Камінний Господар)
    発行:国立国会図書館サーチ 確認日:2026-09-24
  9. ウクライナ戯曲集(村田真一編訳、国書刊行会、2025年3月)
    発行:国立国会図書館サーチ 確認日:2026-09-24
  10. カッサンドラー(レーシャ・ウクラインカ著、村田真一訳)
    発行:国立国会図書館サーチ 確認日:2026-09-24
  11. ウクライナの心 : ウクライーンカの詩劇 スコヴォロダの寓話(中澤英彦、インナ・ガジェンコ編訳、ドニエプル出版、2021年、日本・ウクライナ国交樹立30周年記念出版)
    発行:国立国会図書館サーチ 確認日:2026-09-24

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