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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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日本とのつながり/解説

『羅生門』から『羊をめぐる冒険』まで。日本の小説のウクライナ語訳

1971年、キーウで芥川龍之介の短編集が日本語からウクライナ語に訳されて出ました。1920年代のハルキウの日本研究から、物理学者で翻訳者のイヴァン・ジューブ、辞書をつくったイヴァン・ボンダレンコまで、日本の文学をウクライナ語にしてきた人たちを百科事典と図書館の目録からたどります。

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オリュカのひとこと

日本の小説は、どうやってウクライナ語に訳されてきたのでしょう。最初の見出しで確かめられます。

1971年、キーウの出版社ドニプロから、芥川龍之介の短編集『羅生門とその他の短編』(Расьомон та інші новели)が出ました。ハーバード大学図書館の目録によれば245ページで、訳者はイヴァン・ジューブとヘンナージー・トゥルコウ。目録の責任表示には「日本語から訳した」とあります。

日本の文学は、いつから、誰の手でウクライナ語になってきたのでしょうか。以下は、ウクライナ国立科学アカデミーの『ウクライナ現代百科事典』(ЕСУ)、カナダ・ウクライナ研究所(CIUS)の Internet Encyclopedia of Ukraine(以下IEU)、ハーバード大学図書館の目録、国際交流基金の資料による内容です(2026年9月時点)。向きが逆の、ウクライナ文学の日本語訳については、ウクライナ文学は何から読むかの記事にまとめています。

年表で見る日本の文学とウクライナ語

年出来事典拠
1926年アンティン・ロトツィキーの『日本の昔話』(Iapons’ki kazky)IEU「Japan」
1926年フェージル・プシチェンコが日本語の教科書「日本語 理論と実践の課程」を書く(ハルキウ)ЕСУ、IEU「Japan」
1931年オレクサンドル・クレメナの『封建時代の日本の抒情詩』(ハルキウ)ЕСУ、IEU「Japan」
1932年・1954年徳永直の作品2点のウクライナ語訳(IEUは英語の題で「Street without Sunshine」「Silent Mountains」とする)IEU「Japan」
1934年小林多喜二『蟹工船』のウクライナ語訳IEU「Japan」
1944年ハルビンで、ウクライナ語・日本語の辞書が出るIEU「Japan」
1961年『東洋文学選集』(ハルキウ)に日本文学の訳が入るIEU「Japan」「Kovalivsky, Andrii」、ЕСУ
1971年芥川龍之介『羅生門とその他の短編』(訳:ジューブ、トゥルコウ)ハーバード大学図書館の目録、ЕСУ
1997年『ウクライナ語・日本語辞典』(キーウ。ボンダレンコらの共編)ЕСУ
2004年・2006年村上春樹の2作のウクライナ語訳(ハルキウ。訳:ジューブ)ЕСУ
ЕСУ・IEUの各項目とハーバード大学図書館の目録による(2026年9月に確認)。作品名の日本語はIEU・ЕСУが挙げる題から記事で当てたもの。網羅した一覧ではない。

1920年代のハルキウ

IEUの「Japan」の項目(アルカージー・ジュコウシキー執筆、1988年の紙版の再録)によれば、1920年代にはハルキウの大学で日本語と日本文学が教えられ、1926年にハルキウで設立された全ウクライナ東洋学協会には日本部門がありました。部門の長はフェージル・プシチェンコです。協会の紀要と、雑誌『東方世界』(Східний світ、1927〜1931年)に、日本研究と翻訳が載りました。

ЕСУによれば、プシチェンコは1879年にいまのハルキウ州のチュフイウで生まれ、日露戦争のときに日本の捕虜になって日本語を学びました。その後、パリの東洋語学校の日本語科を1907年に卒業し、1908〜1909年には東京で語学を教えています。1920年代からはハルキウの学校で語学を教え、ウクライナの国立出版所の翻訳者としても働きました。

  1. オリュカ

    プシチェンコの日本語の教科書は、印刷された本だったのかな。

  2. スウネ

    二つの事典の書き方の違いが、この見出しの下にあるよ。どちらかは、記事で決めていないね。

  3. タブリ

    教科書が書かれたころの流れは、記事の初めの年表に戻るとたどれるよ。

1926年の日本語の教科書は、本になったのか

プシチェンコの1926年の日本語の教科書について、二つの事典は書き方が違います。IEUは、ハルキウの大学が1926年にプシチェンコの日本語文法を「出版した」と書いています。ЕСУは同じ1926年の「日本語 理論と実践の課程」(Японська мова: Теоретично-практичний курс)を「手書きの教科書」としています。印刷された本だったのかどうかは、この記事では決めていません。

同じころ、ハルキウで東洋語を学んだオレクサンドル・クレメナ(1903〜1938年)は、1931年に『封建時代の日本の抒情詩』を出しました。ЕСУによれば、自分の序文と、日本の古典の詩のウクライナ語訳を収めた本で、その一部はのちに1961年の『東洋文学選集』(ハルキウ)に入りました。IEUは、この1931年の本を、日本の古典の詩26編を訳し、クレメナの序文を付けた選集と説明しています。

昔の綴り「Япанська」、いまの綴り「Японська」

1931年のクレメナの本の題は、ЕСУの表記では «Япанська лірика февдальної доби» です。いまのウクライナ語なら「日本の」は «японська»、「封建的な」は «феодальна» と書くので、題の綴りは当時のものです。古い本を目録で探すときは、題の綴りも当時のままで引く必要があります。

1930年代に断たれた仕事

ЕСУによれば、プシチェンコは1933年12月に逮捕され、1934年に日本のための諜報の罪で5年の自由剥奪を言い渡されました。1937年のはじめに再び取り調べのためキーウへ移されたあとの消息はわかっていません。クレメナは1937年12月に逮捕されて銃殺の判決を受け、1938年2月に亡くなり、1960年に名誉を回復されています。1930年代の弾圧については、「処刑されたルネサンス」の記事で触れています。

オリュカのひとこと

訳し方にも、いくつか道筋があるようです。この見出しで確かめられます。

日本語から訳したのか、別の言語を通したのか

IEUは、ほかにも1930年代の翻訳として、徳永直の作品や小林多喜二の『蟹工船』(1934年)を挙げ、国外に移り住んだイーホル・シャンコウシキーが13世紀の日本の宮廷の歌100首をウクライナ語に訳したことも書いています。ただし、これらを日本語から直接訳したのか、ロシア語などほかの言語の訳を通したのかは、IEUの記述からはわかりません。

1960年代からの翻訳には、日本語から訳したことがはっきり書かれているものがあります。ЕСУは、次の節のジューブの訳書を「日本語から」と分けて挙げ、ハーバード大学図書館の目録も1971年の『羅生門とその他の短編』の訳者を「日本語から訳した」と記録しています。

「最初のウクライナ語訳」はどれか

この記事の年表でいちばん古いのは、IEUが挙げる1926年のロトツィキーの『日本の昔話』です。ただ、ЕСУのロトツィキーの項目はこの本に触れておらず、何語から訳したのかもわかりません。これより前の翻訳がないかどうかも確かめていないので、この記事では「最初のウクライナ語訳」という言い方をしません。

  1. オリュカ

    ジューブは、どんな作品を日本語から訳したのかな。

  2. タブリ

    事典が挙げる訳書が、この見出しの下の表に刊行の順で並んでいるよ。

  3. ヨリクネ

    表に入らなかった作品も、表のすぐ後にあるよ。

物理学者で翻訳者のイヴァン・ジューブ

ЕСУによれば、イヴァン・ジューブ(Іван Дзюб)は1934年にリヴィウ州の村で生まれた物理学者で、ウクライナ科学アカデミーの理論物理学研究所などで働くかたわら、スペイン語、イタリア語、日本語から文学を訳しました。1990〜1992年にはキーウ大学で日本語を教えています。日本の文化をウクライナに紹介した功績で、2006年に日本の旭日小綬章を受けました(ЕСУは勲章の名をウクライナ語で「旭日章、金線に花形章」と書いています)。

ЕСУが「日本語から」訳したものとして挙げる主な本は、次のとおりです。

刊行年作者ウクライナ語の題日本語の原作
1969年安部公房Спалена карта燃えつきた地図
1971年芥川龍之介Расьомон(短編集)羅生門ほか
1973年夏目漱石Ваш покірний слуга кіт吾輩は猫である
1975年安部公房Людина-коробка箱男
1976年川端康成Країна снігу(中短編集)雪国ほか
1977年北杜夫Родина Ніре楡家の人びと
1983年福永武彦Острів смерті死の島
1988年安部公房Жінка в пісках/Чуже обличчя砂の女/他人の顔
2004年・2006年村上春樹Погоня за вівцею/Танцюй, танцюй, танцюй羊をめぐる冒険/ダンス・ダンス・ダンス
2008年川端康成Давня столиця ほか古都ほか
ЕСУ「Дзюб Іван Петрович」による(2026年9月に確認)。刊行地は2004年・2006年がハルキウ、ほかはキーウ。日本語の原作は、ウクライナ語の題から記事で当てたもの。

ЕСУは、このほかに大江健三郎の短編(1967年)、早乙女勝元の作品(1978年)、『日本の民話』(1986年)も挙げています。

辞書と研究の側から:イヴァン・ボンダレンコ

日本語とウクライナ語をつなぐ道具として、辞書も作られてきました。IEUによれば、1944年に中国東北部のハルビンで、現地のウクライナ人と日本の言語学者の協力によるウクライナ語・日本語の辞書が出ています。

独立後には、言語学者のイヴァン・ボンダレンコ(Іван Бондаренко)が辞書をつくりました。ЕСУによれば、ボンダレンコは1955年にチェルニーヒウ州の町で生まれ、奈良の日本語学校で日本語を学び、1990年から天理大学でロシア語を教えたあと、2003年からキーウ大学の教授を務めています。共編で『ウクライナ語・日本語辞典』(キーウ、1997年)と、漢字を学ぶための『ウクライナ語・日本語、日本語・ウクライナ語学習辞典』(1998年)を出しました。国際交流基金の資料によれば、2012年11月、キーウ大学の日本語学科長として旭日中綬章を受けています。

2022年以降

国際交流基金の「国・地域別情報」(2025年度)は、ウクライナ語に訳された日本の本を売る書店が増え、とくにキーウでは日本の情報が手に入りやすくなったと書いています。2022年以降のウクライナの出版全体の動きは、ウクライナの出版統計の記事で紹介しています。

出典と記事の記録出典 10件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. Дзюб Іван Петрович生年と生地、物理学者としての経歴、1990〜92年のキーウ大学での日本語の授業、日本語からの訳書と刊行年・刊行地、2006年の叙勲
    発行:Енциклопедія Сучасної України(Інститут енциклопедичних досліджень НАН України) 確認日:2026-09-27
  2. Бондаренко Іван Петрович生年と生地、学歴と職歴、天理大学、キーウ大学、1997年と1998年の辞書
    発行:Енциклопедія Сучасної України(Інститут енциклопедичних досліджень НАН України) 確認日:2026-09-27
  3. Пущенко Федір Дем'янович生年と生地、日本語の学習、パリと東京、ハルキウでの教職、1926年の手書きの教科書、『東方世界』、1933年の逮捕と消息
    発行:Енциклопедія Сучасної України(Інститут енциклопедичних досліджень НАН України) 確認日:2026-09-27
  4. Кремена Олександр Фокович生没年月日と場所、1931年の日本の抒情詩の選集、1961年の『東洋文学選集』、1937年の逮捕と1960年の名誉回復
    発行:Енциклопедія Сучасної України(Інститут енциклопедичних досліджень НАН України) 確認日:2026-09-27
  5. Лотоцький Антін Львович作家としての経歴と著作。日本の昔話の翻訳の記載はない
    発行:Енциклопедія Сучасної України(Інститут енциклопедичних досліджень НАН України) 確認日:2026-09-27
  6. Japanウクライナ語に訳された日本文学の例と年、1920年代のハルキウでの日本語教育、全ウクライナ東洋学協会の日本部門、1931年の古典の詩26編、シャンコウシキーの訳、1944年のハルビンの辞書。執筆 Arkadii Zhukovsky、紙版は1988年
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  7. Kovalivsky, Andrii『東洋文学選集』1961年の編者。紙版は1988年
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  8. Lototsky, Antin作家としての経歴。2015年更新
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies) 確認日:2026-09-27
  9. Rasʹomon ta inshi novelyAkutahava Ri͡unoske ; pereklaly z i͡aponsʹkoï Ivan Dzi͡ub ta Hennadiĭ Turkov. Kyïv: Vyd-vo "Dnipro", 1971. 245 p.
    発行:Harvard Library(HOLLIS) 確認日:2026-09-27
  10. 国・地域別情報 ウクライナ(2025年度)ボンダレンコ教授の2012年11月の旭日中綬章、ウクライナ語訳の日本の本を売る書店の記述
    発行:国際交流基金 確認日:2026-09-27

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