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ウクライナの人・文化・社会・未来を、日本と世界につなぐ

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日本との交流

姉妹都市、博物館の収蔵品、絵本、ウクライナ語の講座。日本とウクライナの人と文化のつながりの記事です。

記事17本

  1. 文化・歴史/解説

    『はだしのゲン』から『チーズスイートホーム』へ、ウクライナ語の漫画

    出版専門メディア Chytomo によれば、ウクライナ語の日本の漫画の最初は2009年の『はだしのゲン』第1巻です。日本の版元の許諾を得た翻訳が続くようになったのは、2019年にドニプロの Nasha Idea が出した『チーズスイートホーム』からです。出版社の人たちが語った許諾の壁、刊行一覧の数、日本語の音をキリル文字でどう書くかの議論を見ていきます。

  2. 文化・歴史/解説

    ウクライナ語の声で配給証明を受けた、宮崎駿の9作品と『天気の子』

    2019年から2021年にかけて、宮崎駿監督の9作品がウクライナ語の音声つきで映画館の配給証明書を受けました。『天気の子』は「吹き替え」、『ONE PIECE FILM RED』は「字幕」。国立映画庁の証明書の記録から、日本のアニメが映画館・テレビ・ビデオでどう届いてきたか、作品の題名の変化とあわせて見ていきます。

  3. 日本とのつながり/解説

    1920年、敦賀に着いた「未来派の父」。画家ブルリュークの日本の2年

    1920年10月、ハルキウ県生まれの画家ダヴィド・ブルリュークが船で敦賀に着きました。東京の「日本に於ける最初のロシア画展覧会」、小笠原での暮らし、日本の若い画家たちとの共著まで、約2年の足跡を当時の記録を調べた研究と百科事典からたどります。

  4. 日本とのつながり/解説

    大鵬の父から獅司、安青錦まで。相撲協会の記録に見るウクライナ

    昭和の横綱・大鵬の父は、ウクライナの村に生まれた人でした。2026年9月場所の時点で、ウクライナを出身地とする力士は前頭の獅司と大関の安青錦の二人です。日本相撲協会の記録と、大鵬の父をサハリンの公文書からたどった研究をもとに、3人の記録を並べます。

  5. 日本とのつながり/データ・資料

    2012年秋は4人。日本の勲章と外務大臣表彰を受けたウクライナの人

    日本の政府は、日本との交流に功績のあった外国の人に勲章を贈り、外務省は外務大臣表彰を行っています。名簿と大使館の発表で確かめられた2006年から2018年までのウクライナに住む人・ウクライナ国籍の人など15人を、発表の文面の功績とともに並べ、二つの仕組みの違いと、2019年以降の名簿の数を示します。

  6. 日本とのつながり/解説

    1929年、家族と東京へ。ピアニストのレオ・シロタ

    1928年に演奏旅行で来日し、翌1929年から1946年まで日本に住んだピアニスト、レオ・シロタ。東京音楽学校の名簿、当時の年鑑、研究者の論文から、生まれた町の書き方の違い、教えた生徒、日本を離れた日付の食い違いまでをたどります。

  7. 日本とのつながり/データ・資料

    ウクライナで日本語を学ぶ1,498人。国際交流基金の2024年度調査

    国際交流基金の2024年度調査によれば、ウクライナで日本語を教える機関は14、教師は93人、学習者は1,498人で、2021年度より減りました。2012年度からの推移、教師の数え方の変更、キーウの大学で日本語が教えられてきた歴史を、報告書と大学の沿革から見ます。

  8. 日本とのつながり/解説

    『羅生門』から『羊をめぐる冒険』まで。日本の小説のウクライナ語訳

    1971年、キーウで芥川龍之介の短編集が日本語からウクライナ語に訳されて出ました。1920年代のハルキウの日本研究から、物理学者で翻訳者のイヴァン・ジューブ、辞書をつくったイヴァン・ボンダレンコまで、日本の文学をウクライナ語にしてきた人たちを百科事典と図書館の目録からたどります。

  9. 文化・歴史/解説

    1921年の『夜明け前の歌』。日本語で童話を書いたエロシェンコ

    1921年、東京の叢文閣から、目の見えない詩人ヴァスィリー・エロシェンコの童話集『夜明け前の歌』と『最後の溜息』が出ました。1914年から7年間日本にいた彼の日本語の本、中村彝らが描いた肖像、生まれた場所と晩年の経歴で事典が食い違う点を、書誌と事典から見ます。

  10. 人と暮らし/実用ガイド

    日本語能力試験(JLPT)は年2回、ウクライナでは12月だけ

    日本語能力試験(JLPT)はN1〜N5の5つのレベルがあり、日本では7月と12月の年2回行われます。2026年12月試験の国内の受験料は7,500円で、申し込みはすでに締め切られました。ウクライナではキーウなどで12月だけ行われ、2025年12月のキーウの受験者は223人でした(2026年9月時点)。

  11. 日本とのつながり/解説

    みんぱくが所蔵するウクライナの刺繍と衣服は、ソ連の時代に来た

    大阪の国立民族学博物館(みんぱく)の標本資料目録を「ウクライナ」で引くと120点が出てきます。刺繍の入ったシャツ、帯、タオル、エプロン。119点の地域欄は「ソ連 ウクライナ」で、104点は1981年度にまとめて受け入れられました。目録の外にあるバンドゥーラやチョルノービリの勲章も含め、データベースの記録をたどります。

  12. 日本とのつながり/実用ガイド

    東京外大、阪大、東大で開かれているウクライナ語の講座と授業

    日本でウクライナ語を習える場所は多くありません。2026年秋、一般の人が学期を通して学べるのは東京外国語大学のオンライン講座(全15回・25,000円)です。大阪大学には無料で多くの言語に触れる市民講座があり、東京大学では正規の授業「ウクライナ語入門」が開かれています。大使館が挙げる京都大学などの授業が今も続いているかは、公式ページでは分かりません。

  13. 日本とのつながり/解説

    絵本『てぶくろ』の原題「ルカヴィチカ」とウクライナの昔話

    福音館書店の絵本『てぶくろ』は1965年の初版から「ウクライナ民話」と書名に添えています。1956年にはナウカから『テブクロ : ウクライナのおとぎばなし』も出ていました。絵を描いたラチョフはトムスク生まれで、キーウの出版社で挿し絵を始めた画家。昔話、絵本、日本での扱いの三つを書誌でたどります。

  14. 日本とのつながり/解説

    横浜とオデーサ、京都とキーウの姉妹都市は何を約束したのか

    姉妹都市には法律上の定義がなく、提携書の本文に書かれるのは多くの場合、友好親善と相互理解の促進です。横浜市とオデーサ市、京都市とキーウ市の提携は、どんな文書で結ばれ、誰が担い、何が続いてきたのか。2023年に横浜とオデーサが結んだ覚書は、目的と期限を書き込んだ、もう一段具体的な文書でした。

  15. 両国の国旗の前で文書を交わす岸田首相とゼレンシキー大統領

    日本とのつながり/データ・資料

    日本とウクライナの年表──1965年の姉妹都市提携から円借款まで

    1965年の横浜市とオデーサ市の姉妹都市提携から、1992年の外交関係の開設、2022年以降の円借款と避難民の受け入れまで。日本とウクライナの関係を、日付と発表主体がわかる出来事で年表にしました。支援額が供与の限度額か実際に渡した額か、避難してきた人の数が何を数えたものかも分けて示します。

  16. ウクライナ企業と組む3社 運営者・堀木遼インタビュー

    運営からのお知らせ日本とのつながり/インタビュー

    ウクライナ企業と組む3社 運営者・堀木遼インタビュー

    システム開発、サイバーセキュリティ、貿易。ウクライナの企業と組んで3社を動かしている堀木遼さんに、始めたきっかけ、戦争が始まってからのやりとり、これから広げたい分野を聞きました。 …

    年公開

  17. ウクライナと日本の関係

    日本とのつながり/解説

    ウクライナと日本の関係|歴史・貿易・経済支援について解説

    この記事は2024年7月に公開し、2026年9月に見直したものです。日付と発表主体がわかる出来事を並べた「日本とウクライナの年表──1965年の姉妹都市提携から円借款まで」もあわせ…

    年公開

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