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文化・歴史/解説

1932年10月、ハルキウの研究所がリチウムの原子核を壊した

ハルキウ物理技術研究所は1928年に生まれ、1932年10月10日、加速した陽子でリチウムの原子核を壊す実験に成功しました。同じ年のケンブリッジの実験との関係、ランダウの理論部門、1930年代の逮捕、「中性子源」施設の2022年からの被害までを、事典とIAEAの発表でたどります。

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オリュカのひとこと

原子核を壊す実験は、本当にソ連で最初だったのでしょうか。同じ年の別の国の実験と見比べられます。

1932年10月10日、ハルキウの研究所で、加速した陽子をリチウムに当てて原子核を壊す実験が成功しました。リチウムの原子核は、ヘリウムの原子核に変わりました。研究所の名前は当時「ウクライナ物理技術研究所」(УФТІ)。いまの国立科学センター「ハルキウ物理技術研究所」(ННЦ ХФТІ)です。

ウクライナ国立科学アカデミー歴史研究所の『ウクライナ史百科事典』(2021年の追補巻)と研究所自身の沿革は、この日付を挙げ、設立からわずか4年目の「際立った成果」と書いています。ただ、同じ年に同じ実験を先に成功させた研究所が、イギリスにありました。

1928年、レニングラードから来た研究者たち

Internet Encyclopedia of Ukraine(アルバータ大学カナダ・ウクライナ研究所=CIUS。2022年改訂。以下IEU)によれば、研究所は1928年、当時レニングラードの物理技術研究所を率いていたアブラム・ヨッフェの発案でハルキウにつくられました。研究所の沿革は、設立の目的を、当時の最先端だった原子核物理学と固体物理学を進めることだったと書いています。

IEUによれば、最初の中心になったのはレニングラードから移ってきた20人を超える研究者で、イヴァン・オブレイモウ、オレクサンドル・レイプンシキー、パウロフラード生まれのキリロ・シネリニコウ、ポルタヴァ生まれのドミトロ・イヴァネンコらがいました。1931年にはウィーンから物理学者アレクサンデル・ヴァイスベルク=ツィブルスキも加わっています。初代の所長はオブレイモウ(1928〜32年)です。この時期のハルキウはソ連ウクライナの首都でした(首都だったハルキウの記事)。

  1. オリュカ

    実験をした人たちの経歴は、同じ事典の中でもそろっているのかな。

  2. スウネ

    所長を務めた期間だけ、表の下の説明で少し違うみたいだよ。

  3. タブリ

    研究者たちの経歴は、この見出しの下の表で見比べられるよ。

1932年10月の実験と、4人の研究者

IEUの人物の項目は、1932年の実験をそれぞれこう書いています。シネリニコウ、ヘオルヒー・ラティシェウ、レイプンシキー、アントン・ヴァルテルの4人が、加速した陽子を使って、安定した原子核(リチウム)を別の原子核(ヘリウム)に変えることを、ソ連で初めてなしとげた。実験のための高電圧の装置も、IEUによればソ連で最初のものとして研究所でつくられました。

名前生没年IEUが書く経歴の要点
キリロ・シネリニコウ(Кирило Синельников)1901〜1966年パウロフラード生まれ。1928〜30年にケンブリッジのラザフォードのもとで研究。1930年に研究所へ。1944年から所長
オレクサンドル・レイプンシキー(Олександр Лейпунський)1903〜1972年1929〜41年に研究所で働き、所長も務めた。1934年、ケンブリッジでニュートリノの存在を示す最初の実験的な証拠を得た
アントン・ヴァルテル(Антон Вальтер)1905〜1965年1930年に研究所へ。粒子加速器の設計の第一人者に。1937年からハルキウ大学の教授
ヘオルヒー・ラティシェウ(Георгій Латишев)1907〜1973年1930〜41年に研究所で働いた。1958年にカザフ共和国の科学アカデミーの原子核物理学研究所を組織
IEUの各人物の項目(いずれも1993年刊行の紙版が初出)による。レイプンシキーの所長の期間は、人物の項目では1933〜37年、研究所の項目では1932〜37年と、同じ事典の中で違う。

オリュカのひとこと

「ソ連で初めて」と「世界で初めて」は、同じ意味なのでしょうか。この見出しで違いが分かります。

「ソ連で初めて」と「世界で初めて」

同じ1932年、陽子を加速してリチウムの原子核を壊すことは、イギリスで先に行われていました。ケンブリッジのキャヴェンディッシュ研究所のジョン・コッククロフトとアーネスト・ウォルトンは、英科学誌『Nature』1932年4月30日号に「速い陽子によるリチウムの崩壊」という短い報告を載せています(報告の日付は4月16日)。

IEUの研究所の項目は、この関係をはっきり書いています。人工的に加速した陽子でリチウムの原子核を壊したのは、1932年のイギリスの科学者たちが世界で最初で、ハルキウの研究所の物理学者たちはソ連で初めてこの実験を再現した。シネリニコウの項目も、ケンブリッジでの世界初の実験の「わずか数か月後」だったと書いています。ハルキウの実験を紹介するときは、「ソ連で初めて」が事典の書き方に沿った言い方です。

ランダウの理論部門(1932〜37年)

IEUによれば、レフ・ランダウは1932年から37年まで研究所の理論物理学部門を率い、1935年から37年まではハルキウ大学で一般物理学の講座も持ちました(ハルキウ大学の記事)。IEUは、ハルキウにあったランダウの理論物理学の学派を「当時のソ連の物理学研究の中心」と呼び、反磁性や反強磁性の理論など、ハルキウで生まれた仕事を挙げています。ランダウがノーベル物理学賞を受けたのは1962年、超流動の理論によるものでした。

ランダウの招きで、デンマークの物理学者ニールス・ボーアが1934年に研究所を訪れています(IEU)。IEUは、液体水素(1931年)と液体ヘリウム(1932年)をつくったこと、1938年にソ連で最初の三次元のレーダー(位置を三つの座標で測る装置)をつくったことも、研究所の成果に数えています。研究所の沿革によれば、1935年にはソ連科学アカデミーの出張会議がここで開かれ、物理学者セルゲイ・ヴァヴィロフが「この研究所の科学者は、ソ連の物理学の4分の1以上を担っている」と述べました。

1935〜38年の逮捕

IEUによれば、スターリン体制の弾圧は1935年から38年にかけて研究所の人員を大きく損ないました。逮捕された職員は16人で、そのうち8人が銃殺されています。その一人が、低温物理学の先駆者でハルキウ大学の教授でもあったレウ・シュブニコウで、1937年に処刑されました。研究所で働いていた外国人は、すべてソ連を去ることを強いられました。『ウクライナ史百科事典』も、逮捕16人・銃殺8人という同じ数を挙げています。ランダウは1937年にモスクワへ移り、1938〜39年にそこで投獄されました(IEU)。

名前と役割の移り変わり

年できごと
1928年ウクライナ物理技術研究所(УФТІ)として設立
1932年10月10日リチウムの原子核を壊す実験
1938年ハルキウ物理技術研究所(ХФТІ)に改称
1946年研究所を土台に、ソ連の原子力計画の秘密の「第1研究室」がつくられる
1965年2ギガ電子ボルトの線形電子加速器を設計
1993年大統領令で、ウクライナで最初の「国立科学センター」の地位(いまの名前)
2004年ウクライナ国立科学アカデミーの原子核物理学・エネルギー部門に入る
IEU「National Science Center Kharkiv Institute of Physics and Technology」(2022年改訂)、研究所の沿革、『ウクライナ史百科事典』追補巻(2021年)による。

IEUによれば、1950年代以降は原子核物理学よりも、原子炉の材料、プラズマ物理学と制御核融合が研究の中心になりました。独立後は原子力発電所の安全を科学の面から支える国の研究計画を担い、研究所は国際原子力機関(IAEA)の保障措置(核物質が兵器に回っていないかを確かめる仕組み)の対象になっています。2010年、ウクライナが高濃縮ウランを手放すと決めたことを受けて、研究所は手持ちの高濃縮ウランをロシアへ送って処理させ、代わりに米国が研究用の低濃縮ウランを供給することになった、とIEUは書いています。

「中性子源」施設と、2022年からの被害

研究所の敷地には、「中性子源」(Джерело нейтронів)と呼ばれる施設があります。『ウクライナ史百科事典』によれば、米国のアルゴンヌ国立研究所をはじめ、ドイツ、中国、イギリス、スイス、フランスの研究者と共同でつくられました。IAEAの説明では、核分裂の連鎖反応が自分では続かない「未臨界」の装置で、研究開発と、医療や産業に使う放射性同位元素の生産に使われてきました。

IAEAによれば、この施設はロシアによる全面侵攻が始まった2022年2月24日に、臨界から深く離れた状態に移されており、放射性物質の量も少ないとされます。IAEA事務局長の2022年9月9日の報告は、施設が何度も砲撃されたものの、放射線の影響は出ておらず、放射性物質の閉じ込めも失われていないと書いています。IEUも、2022年3月に研究所の施設がロシア軍に繰り返し砲撃され、原子力施設の安全が深刻な危険にさらされたと書いています。

IAEAの2024年4月4日の発表によれば、2022年11月に現地を調べたIAEAの専門家は、施設が砲撃で大きく壊れていたものの、放射性物質が漏れた形跡や、申告された核物質が持ち出された形跡はなかったと確認しました。同じ発表は、この日、施設が砲撃で再び外部からの電気を失い、非常用のディーゼル発電機に頼っていること、2024年3月22〜29日にも1週間の停電があったことを、ウクライナの規制当局からの連絡として伝えています。2026年9月時点の施設の状態は、この記事では扱っていません。原子力発電所の状況はウクライナの原子炉の記事にあります。

出典と記事の記録出典 11件 · AIの利用 · 運営体制

出典・参考資料

  1. National Science Center Kharkiv Institute of Physics and Technology of the National Academy of Sciences of UkraineSerhiy Bilenky、Lubomyr Onyshkevych執筆、2022年改訂。1928年の設立とヨッフェ、1938年までの名称、最初の研究者、1932年の実験が世界初ではなくソ連初であること、高電圧の装置、1935〜38年の逮捕16人・銃殺8人とシュブニコウ、1938年の改称、1946年の第1研究室、1965年の加速器、1993年の地位、2010年の高濃縮ウラン、所長の一覧、2022年3月の砲撃
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  2. Synelnykov, KyryloOlexa Bilaniuk執筆、紙版1993年。生没、ケンブリッジ、1932年の実験とコッククロフト・ウォルトンとの関係、1944年から所長
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  3. Leipunsky, Aleksandr紙版1993年。生没、在籍と所長の期間、1932年の実験、1934年のニュートリノの実験
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  4. Walter, Anton紙版1993年。生没、1930年の着任、1932年の実験、1937年からハルキウ大学教授
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  5. Latyshev, Georgii紙版1993年。生没、在籍期間、1932年の実験、1958年のカザフの研究所
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  6. Landau, Lev紙版1993年。理論物理学部門の期間、ハルキウ大学の講座、ハルキウでの研究、1938〜39年の投獄、1962年のノーベル賞
    発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24
  7. ХАРКІВСЬКИЙ ФІЗИКО-ТЕХНІЧНИЙ ІНСТИТУТВ. І. Онопрієнко執筆、2021年。1928年、1932年10月10日、ランダウ1932〜1937年、1937年の逮捕16人・銃殺8人、「中性子源」の共同開発
    発行:Енциклопедія історії України. Додатковий том, кн. 1(Інститут історії України НАН України) 確認日:2026-09-24
  8. Історія – опис設立の目的、1932年10月10日、ランダウ1932〜1937年、1935年の科学アカデミーの会議、1993年と2004年
    発行:ННЦ «Харківський фізико-технічний інститут» 確認日:2026-09-24
  9. Cockcroft, J. D. & Walton, E. T. S. "Disintegration of Lithium by Swift Protons"1932年4月30日号、報告の日付4月16日
    発行:Nature 129, 649 確認日:2026-09-24
  10. Nuclear Safety, Security and Safeguards in Ukraine, GOV/2022/522022年9月9日。第29段落:中性子源施設の砲撃と放射線の影響がないこと
    発行:International Atomic Energy Agency 確認日:2026-09-24
  11. Update 219 – IAEA Director General Statement on Situation in Ukraine2024年4月4日。深い未臨界状態、2022年11月の調査、外部電源の喪失と2024年3月22〜29日の停電
    発行:International Atomic Energy Agency 確認日:2026-09-24

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