壺と水差しと粘土の動物、ポルタヴァ州オピシュニャの陶器
ポルタヴァ州の町オピシュニャは、質の良い粘土に恵まれ、何百年も陶器を作ってきました。2012年に国の無形文化遺産に定められたオピシュニャの陶器の中身、陶工の一家、1929年の組合に始まり2002年に止まった工場、1986年に生まれた国立の陶芸博物館=保護区をまとめます。ユネスコの一覧には、2026年9月時点で載っていません。
オリュカのひとこと
オピシュニャの器に、釉は多く使われたのでしょうか。二つの資料の書き方の違いを、本文で見比べられます。
なぜこの町で陶器づくりが根づいたのか。ウクライナ文化省の国立機関「ウクライナ文化研究センター」は、国の無形文化遺産の目録の解説で、いちばんの理由を「質の良い土地の粘土が大量にあったこと」と書いています。ポルタヴァ州の町オピシュニャ(Опішня)の陶器は、2012年に国の無形文化遺産に定められ、いまも国の目録の3番目に載っています。
ユネスコの一覧には、2026年9月時点で載っていません。ユネスコに記載されたウクライナの陶器は、2019年の「コシウの彩色陶器」です(コシウの彩色陶器の記事)。オピシュニャの陶器は、国の目録と、町にある国立の陶芸博物館=保護区が支えてきました。
ヴォルスクラ川のほとりの町
Internet Encyclopedia of Ukraine(カナダ・アルバータ大学のウクライナ研究所=CIUS発行。以下IEU。2013年更新)によれば、オピシュニャはヴォルスクラ川のほとりにある町で、2011年の人口は6,003人でした。町の歴史は17世紀にさかのぼり、ヘーチマン国家(コサックの国家)の時代には、ハジャチ連隊、ポルタヴァ連隊、ジンキウ連隊などに属する中隊の町でした。18世紀から手工芸、とくに織物と陶器で知られてきたと、IEUは書いています。近くには8〜9世紀の城塞集落の跡もあります(IEU)。
2020年の地区の再編のあと、オピシュニャはポルタヴァ地区に属しています(州・地区・フロマーダの記事)。国の目録は再編前の記載のまま「ジンキウ地区のオピシュネ」と書いています。オピシュネ(Опішне)は同じ町の別の形の名で、2012年の文化省の省令も、陶芸博物館を「オピシュネの」と呼んでいます。
パイプから壺へ、壺から動物の像へ
ウクライナ文化研究センターの解説は、オピシュニャで作られてきたものを、時代を追って次のように説明しています。
| 時代 | 主に作られたもの(解説の記述) |
|---|---|
| 15〜16世紀 | たばこのパイプ、燭台、香炉、壺など |
| 17世紀 | 釉(うわぐすり)をかけた土の器が主になる |
| 19世紀末 | パイプ、燭台、香炉などは金属や骨の品に取って代わられ、陶器の動物の像は飾りのためのものになる |
| 20世紀初め | 日々の暮らしに使う、模様のついた壺、鉢、皿、水差し |
同じ解説は、形のさまざまな水差し、鉢、樽の形の器、「マキトラ」「バクラハ」「クマネツ」と呼ばれる器のほかに、人や動物の形をした器、動物や暮らしの場面をかたどった像が、オピシュニャの特徴だと書いています。
IEUの「陶芸」の項目は、少し違う角度から説明しています。オピシュニャでは釉はあまり使われなかったが、器はとても質が高く、幾何学模様で飾られていた。19世紀後半からは、焼く前の粘土に絵付けをする「フリャンドリウカ」と呼ばれる技法の一種に代わり、抑えのきいた、趣味のよい仕上がりになった。そして今日のオピシュニャは、陶器のおもちゃと小さな彫像の中心地だ、というものです。
釉について、文化研究センターの解説は「17世紀には釉をかけた器が主になった」と書き、IEUは「釉はあまり使われなかった」と書いています。IEUは陶芸の歴史を大きくまとめた項目で、時代や器の種類をどう区切ったかで書き方が変わった可能性がありますが、どちらが正しいかは、この記事では判断できません。
オリュカのひとこと
陶器のおもちゃで知られたのは、ポシヴァイロ家の誰だったのでしょう。一家の顔ぶれをこの節でたどれます。
陶工の家族、ポシヴァイロ家
オピシュニャの陶器は、家族の中で受け継がれてきました。IEUが一つの項目を立てているのが、陶工の一家ポシヴァイロ家です。
- タラス(19世紀後半〜20世紀初め):一家で最初に名の知られた陶工。釉をかけた壺、鉢、杯、鍋を作った
- キルィナ(?〜1930年):タラスの妻。陶器のおもちゃで知られた
- ヌィキフォル(1880年代末〜1936年10月):二人の息子。釉をかけた食器を得意とした
- ハヴルィロ(1909年4月7日生):ヌィキフォルの息子。日用の器と小さな飾りの品を作り、妻のイェウドキヤ(1910年3月14日生)が花や動物の絵を描いた
- ムィコラ(1930年5月27日生):ハヴルィロの息子。皿やおもちゃのほか、『農夫』『ナタルカとペトロ』(ともに1974年)などの群像を作った
IEU(1993年刊行の第4巻の項目)によれば、一家の作品はフランス、ベルギー、ブルガリアで展示され、キーウ、ポルタヴァ、ヴィリニュスの博物館に収められています。IEUの「陶芸」の項目は、ほかにオレクサンドラ・セリュチェンコ、M・ジデンコらの名を、現代のオピシュニャの作り手として挙げています。
組合から工場へ、1929年から2002年まで
20世紀のオピシュニャの陶器を語るうえで欠かせないのが、町の工場です。『現代ウクライナ百科事典』(ЕСУ。第24巻、2022年)の「オピシュニャ工場『フドージニイ・ケラミク』」の項目によれば、始まりは1929年に陶工たちがつくった生産協同組合で、1932年に「フドージニイ・ケラミク(美術陶器)」の名の組合(陶工約40人)となり、1961年に工場になりました。日用の器と飾りの器、民衆のおもちゃ、れんがを作っていました。
ЕСУによれば、工場はドイツの占領下でも動き続け、占領軍は退くときに工場の建物を壊しました。戦後に建て直され、1960年代半ばには320人、1972年には360人が働いていました。工場の美術陶器は、1937年のパリ(2等の賞状)、1958年のブリュッセル、1967年のモントリオール、1970年の大阪の万国博覧会などの国際展に出品され、1970年代には日本を含む28か国に輸出されています。1970年には美術の実験室がつくられ、14人が働きました。
一方でЕСУは、1986年に工場が設計どおりの生産能力に達したとき、作業を速め、製品を規格化したことが「その土地の伝統をならしてしまう」ことにつながったとも書いています。工場は2002年の春に操業を止めました。文化研究センターの解説は、1950〜1990年代にこの工場がウクライナの陶器の伝統を守る中心だったと評価しています。
国の無形文化遺産の目録で3番目
文化省は2012年12月14日の省令第1521号で、国の無形文化遺産にあたる要素を定めました。この省令は、オピシュニャの国立陶芸博物館=保護区などに、定めた要素について1か月のうちに情報を集め、登録の記録の用紙を埋めるよう命じています。
文化省が公開している「ウクライナの無形文化遺産の国家目録」(2018年2月12日の省令第105号で承認、2026年1月公開の版)では、「オピシュニャの陶器」は番号3、保護番号003н.к.с.です。載っているのは、緊急の保護が必要な要素の一覧ではなく、一般の「無形文化遺産の目録」の部です。分野は「習わし・儀礼・祭り」「自然と宇宙についての知識と実践」「伝統工芸」の三つで、根拠として2012年の省令第1521号と2018年の省令第105号の二つを挙げています。
国の陶芸博物館=保護区
オピシュニャには、陶器を専門とする国立の博物館=保護区があります。文化省が2026年1月に公開した定款の新しい版によれば、始まりは1986年です。ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の閣僚会議の1986年3月11日の指示と、ポルタヴァ州執行委員会の同年8月12日の決定で「オピシュニャ陶芸博物館」がつくられ、1989年11月3日の閣僚会議の決定で「国家ウクライナ陶芸博物館=保護区」(Державний)になりました。2001年3月29日の大統領令第220/2001号で「ナショナル」の地位を与えられ、いまの「国立ウクライナ陶芸博物館=保護区」(Національний)の名になっています。
定款は、この施設を国の予算で運営される研究・文化・教育の機関で、「ウクライナの陶芸の遺産を研究し、保存し、広めるための全ウクライナの中心」と位置づけています。所管は文化省です。定款が挙げる組織には、陶芸学(ケラモロジー)の研究所のほか、陶工セリュチェンコ、ポシヴァイロ一家、陶工ムィコラ・ポシヴァイロ、陶工ヴァスィリ・オメリャネンコらの家を記念館にした部門と、画家の一族クリチェウスキー家の博物館があります。IEUによれば、クリチェウスキー家の記念館は、画家・建築家ヴァスィリ・クリチェウスキーが設計した建物にあり、2013年に開かれました。
博物館をつくる言い出し役の一人は、陶芸研究者のレオニード・スモルジ(1927〜2009年)でした。最高会議の2025年12月18日の決議第4748-IX号は、2027年11月7日をスモルジの生誕100年として国で記念する日に挙げ、「オピシュニャの国立陶芸博物館=保護区をつくった発起人の一人」と紹介しています。定款の組織には、スモルジの家を記念館にした部門も入っています。
出典と記事の記録
出典・参考資料
- 003 н.к.с. Опішнянська кераміка国家目録の分野と所在地、粘土の豊かさ、15〜16世紀・17世紀・19世紀末・20世紀初めの品、器と像の種類、1950〜1990年代の工場の役割
発行:Український центр культурних досліджень(Міністерство культури України) 確認日:2026-09-24 - Національний перелік елементів нематеріальної культурної спадщини України2018年2月12日の省令第105号で承認。番号3「Опішнянська кераміка」003н.к.с.、一般の目録、3つの分野、根拠の省令2012年第1521号と2018年第105号。2026年1月公開の版と2025年7月16日時点の版
発行:Міністерство культури України 確認日:2026-09-24 - Наказ Міністерства культури України від 14.12.2012 № 1521記録用紙の様式の承認と無形文化遺産の要素の決定、オピシュニャの国立陶芸博物館=保護区などへの情報収集の指示
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Elements on the Lists of Intangible Cultural Heritage: Ukraineウクライナの記載7件にオピシュニャの陶器が含まれないこと
発行:UNESCO Intangible Cultural Heritage 確認日:2026-09-24 - Opishniaヴォルスクラ川、2011年の人口6,003人、17世紀からの歴史、連隊、18世紀からの手工芸、工場のおもちゃ、博物館。2013年更新
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24 - Opishnia fortified settlement8〜9世紀の城塞集落
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24 - Ceramicsオピシュニャ:釉をあまり使わない、幾何学模様、19世紀後半からのフリャンドリウカ、おもちゃと小さな彫像、作り手の名
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24 - Poshyvailo陶工の一家の各人の生年と作品、展示と収蔵先。1993年刊行の第4巻の項目
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24 - Krychevsky, Vasyl H.2013年にオピシュニャに記念館が開かれたこと
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(CIUS) 確認日:2026-09-24 - Опішнянський завод «Художній керамік»В. М. Ханко。1929年の組合、1932年の改名、1961年の工場化、占領下の操業と破壊、従業員数、国際展と輸出、1970年の実験室、1986年の規格化、2002年春の操業停止。第24巻、2022年
発行:Енциклопедія Сучасної України 確認日:2026-09-24 - Опішняポルタヴァ地区の町
発行:Велика українська енциклопедія 確認日:2026-09-24 - Статут Національного музею-заповідника українського гончарства新しい版。1986年3月11日の指示と8月12日の決定、1989年11月3日の決定第272号、2001年の大統領令、目的、所管、所在地、部門の一覧。2026年1月29日付で文化省が公開
発行:Міністерство культури України 確認日:2026-09-24 - Указ Президента України № 220/2001 «Про надання Державному музею-заповіднику українського гончарства статусу національного»2001年3月29日
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24 - Постанова Верховної Ради України № 4748-IX «Про відзначення пам'ятних дат і ювілеїв у 2026-2027 роках»2025年12月18日。2027年11月7日のレオニード・スモルジ生誕100年と説明文
発行:Верховна Рада України(zakon.rada.gov.ua) 確認日:2026-09-24
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