『シチェドリク』から「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」へ ── 同じ旋律が二つの歌になるまで
クリスマスの定番として知られる「キャロル・オブ・ザ・ベルズ」の旋律は、ウクライナの新年の祝い歌『シチェドリク』に由来します。1922年10月5日のカーネギーホール公演で北米に渡り、1936年に英語詞がつきました。その英語詞は原詞の翻訳ではありません。一つの旋律がどこで二つの歌に分かれたのかを、資料でたどります。
四つの音が上下するだけの短い音型が、いつまでも繰り返される。十二月になると、日本でも店舗の音楽や映画の中でこの旋律を耳にします。英語圏では「Carol of the Bells(キャロル・オブ・ザ・ベルズ)」と呼ばれ、クリスマスの曲として扱われています。
この旋律には、もう一つの名前があります。ウクライナ語で『シチェドリク』(Щедрик)。そして、ウクライナにおいてこれは、もともとクリスマスの歌ではありません。
シチェドリウカ ── 新年に歌われる、別のジャンル
ウクライナの冬の歌には二つの系統があります。カナダのアルバータ大学ウクライナ研究所が編む『Internet Encyclopedia of Ukraine』の「Carols」の項は、両者をこう区別しています。「コリャトカ(koliadky)はクリスマスに歌われる祝祭的・儀礼的な歌であり、シチェドリウカ(shchedrivky)は新年の前夜に歌われる」。
同じ項目によれば、どちらの系統にも「太陽の信仰、祖先崇拝、自然崇拝、そして言葉の呪力への信仰」という古い層が残っており、歌詞は「農の暮らしの場面を描き、豊作・繁栄・幸運・健康への願いを述べる」ものだとされます。家の主人、女主人、若者、娘と、歌いかける相手ごとに褒め方を変える。その描写自体が、そうなることを呼び込むための呪文として働く、という説明です。
『シチェドリク』の歌詞も、この型に沿っています。冒頭はこう始まります。
Щедрик, щедрик, щедрівочка, / Прилетіла ластівочка
『シチェドリク』冒頭のウクライナ語原詞(英語版ウィキペディア「Shchedryk (song)」所載)
ツバメが家に飛んできて、主人を呼び、来る年にもたらされる富を告げる ── という内容です。羊が生まれ、家畜が増える、という祝福が続きます。キリストの降誕も、クリスマスも出てきません。
では、なぜ冬の歌にツバメが出てくるのか。よく引かれる説明は、この歌の原型がキリスト教以前にさかのぼり、当時のウクライナでは新年が春(三月)に祝われていた、というものです。英語版ウィキペディアはこの記述の典拠として歴史家ティモシー・スナイダーの文章を挙げ、ウクライナの公式ウェブサイト ukraine.ua も「ツバメが戻ってくる新年を祝う、キリスト教以前の儀礼歌」と説明しています。ただしこれは民俗学上の解釈であり、この記事で一次資料まで確かめたものではありません。
ミコラ・レオントヴィチの編曲
この民謡の旋律を合唱曲に仕立てたのが、作曲家ミコラ・レオントヴィチ(Микола Леонтович)です。『Internet Encyclopedia of Ukraine』は、生没を「1877年12月13日、ポジーリャ県ブラツラウ郡モナスティロク生まれ/1921年1月23日、マルキウカにて没」と記しています。
編曲にいつ着手し、いつ完成したのかは、資料によって食い違います。「1901年から1916年」「1901年から1919年」「1910年に着手」と、開始年も完成年も一致しません。一致しているのは次の二点です。1916年8月に指揮者オレクサンドル・コシツィ(Олександр Кошиць)へ譜面が送られたこと。そして同年12月29日、キーウの商人会議所ホールで初演されたことです。
レオントヴィチは1921年1月23日、マルキウカにある両親の家で撃たれて亡くなりました。『Internet Encyclopedia of Ukraine』は「チェカー(ソビエトの秘密警察)の工作員によって、両親の家で射殺された」と書いています。実行犯の氏名や経緯については複数の解説記事が具体的な名前を挙げていますが、公文書そのものには今回到達できていないため、ここでは書きません(記事末尾の「確認できていないこと」を参照してください)。
1922年10月5日、カーネギーホール
旋律が海を渡った経路は、音楽の話というより外交の話です。
英語版ウィキペディアによれば、ウクライナ共和国カペラ(Ukrainian Republic Capella)は1919年1月、ウクライナ人民共和国のシモン・ペトリューラが指揮者コシツィらと会って組織した合唱団です。ウクライナ国立の文化機関である Ukrainian Institute は、この事業を「ウクライナの独立をヨーロッパとアメリカ大陸に知らせ、ロシアのプロパガンダに対抗するために、ウクライナ政府の発意で設立され、国外に送り出された」ものだと説明しています。これはウクライナ側の公的機関による説明として読む必要があります。
合唱団はヨーロッパを巡演したのち、いったん解散します。その後コシツィらが「ウクライナ国立合唱団(Ukrainian National Chorus)」として再編し、1922年から1926年にかけて北米を回りました。ukraine.ua によれば、一行は1922年9月26日にニューヨークへ到着し、10月5日にカーネギーホールで公演しています。同サイトは当時のニューヨークの新聞 Sun を引き、「『シチェドリク』は繰り返さざるをえなかった」── つまりアンコールが求められた ── と記しています。
| 年月日 | 出来事 |
|---|---|
| 1916年8月 | レオントヴィチが『シチェドリク』の譜面を指揮者コシツィへ送る |
| 1916年12月29日 | キーウの商人会議所ホールで初演 |
| 1919年1月 | ウクライナ共和国カペラが組織される(ペトリューラの発意) |
| 1921年1月23日 | レオントヴィチ、マルキウカの実家で射殺される |
| 1922年9月26日 | ウクライナ国立合唱団がニューヨークに到着 |
| 1922年10月5日 | カーネギーホールで公演。『シチェドリク』の北米初演 |
| 1936年 | ウィルホウスキーの英語詞「Carol of the Bells」がカール・フィッシャー社から出版 |
この1922年10月5日の公演が、北米における初演にあたります。100年後の2022年12月4日には、同じカーネギーホールで記念公演「Notes from Ukraine」が開かれ、キーウの児童合唱団シチェドリクなどが出演しました。
英語詞は、原詞の翻訳ではない
この曲がクリスマスの歌になるのは、そのあとです。
ピーター・J・ウィルホウスキー(Peter J. Wilhousky、1902年7月13日 ── 1978年1月4日)は、ルシン系のアメリカ人指揮者・音楽教育者です。ニューヨーク市公立学校の音楽監督を務め、NBCの放送でも編曲を手がけました。彼は1936年、レオントヴィチの編曲に自作の英語詞をつけ、「Carol of the Bells」と題してニューヨークのカール・フィッシャー社から出版します。同社は現在も、これを自社の「史上最も売れた作品の一つ」だとしています。
ここが要点です。この英語詞は、原詞の翻訳ではありません。ウィルホウスキー自身の説明として、ukraine.ua は次の言葉を引いています。「私は『シチェドリク』についてのウクライナ語のテキストを捨て、代わりに、その音楽の中に聞こえた鐘の陽気な響きに集中した」。
結果として、歌詞は総入れ替えになりました。ツバメも、家畜も、来る年の収穫も消え、鐘が鳴りクリスマスが来る、という別の歌になっています。旋律は同じ、言葉は別。この二つは翻訳の関係ではなく、同じ素材からつくられた別の作品だと考えたほうが正確です。
同じ旋律が、二つの文脈で鳴っている
日本でこの旋律が広く知られた経路の一つは、映画です。1990年の『ホーム・アローン』のサウンドトラック盤(1990年12月4日、CBS Masterworks)には「Carol of the Bells」が収められており、作曲者は「Mykola Leontovych」とクレジットされています。名前を意識しないまま、レオントヴィチの編曲を聴いてきた人は多いはずです。
いまも、同じ四音の反復が二つの文脈で鳴っています。一方では新年に豊かさを願うシチェドリウカとして。他方ではクリスマスの鐘の歌として。どちらかが正しくて、どちらかが間違いだという話ではありません。1916年の編曲、1922年のカーネギーホール、1936年の英語詞 ── この三つの点をつなぐと、一つの旋律がどこで二つの歌に分かれたのかが見えます。
十二月にこの曲が流れてきたとき、鐘の音の向こうにツバメがいる。それを知っているかどうかで、同じ旋律の聞こえ方は少し変わります。
出典・参考資料
- Carols(koliadky と shchedrivky の定義・古層・主題)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta) 確認日:2026-09-22 - Leontovych, Mykola(生没年月日・没地・死因・Shchedryk)
発行:Internet Encyclopedia of Ukraine(Canadian Institute of Ukrainian Studies, University of Alberta) 確認日:2026-09-22 - Ukrainian origin of Carol of the Bells(1922年9月26日の到着・10月5日の公演・Sun紙の記述・ウィルホウスキーの発言)
発行:ukraine.ua(ウクライナの公式ウェブサイト) 確認日:2026-09-22 - 「Carol of the Bells」at Carnegie Hall(カペラの設立目的・1922年10月5日)
発行:Ukrainian Institute(ウクライナ研究所) 確認日:2026-09-22 - From 'Shchedryk' to 'Carol of the Bells': the untold story(1916年8月の送付・12月29日の初演・1936年11月のカール・フィッシャー社刊行)
発行:Ukrainer 確認日:2026-09-22 - Carol of the Bells: How a Ukrainian folk tune adapted by murdered composer became a Christmas classic(2019年12月)
発行:Slate 確認日:2026-09-22 - Carol of the Bells: the song that made the world speak about Ukraine
発行:The Kyiv Independent 確認日:2026-09-22 - Shchedryk (song)(ウクライナ語原詞の冒頭・初演日・春の新年という記述とその典拠)
発行:English Wikipedia 確認日:2026-09-22 - Carol of the Bells(英語詞が原詞に基づかないこと・1936年の著作権登録)
発行:English Wikipedia 確認日:2026-09-22 - Peter Wilhousky(生没年月日・ルシン系・NY市公立学校音楽監督・NBC)
発行:English Wikipedia 確認日:2026-09-22 - Ukrainian Republic Capella(1919年1月の組織化・ペトリューラ・Ukrainian National Chorus への再編と1922〜1926年の北米巡演)
発行:English Wikipedia 確認日:2026-09-22 - Carol of the Bells(商品ページ。作曲・編曲クレジット、1936年刊行、「史上最も売れた作品の一つ」)
発行:Carl Fischer Music 確認日:2026-09-22 - Home Alone (soundtrack)(収録曲12「Carol of the Bells」の作曲者クレジットと1990年12月4日の発売)
発行:English Wikipedia 確認日:2026-09-22 - Notes From Ukraine concert celebrates centennial of Ukrainian「Carol of the Bells」at Carnegie Hall(2022年12月4日の公演)
発行:Razom for Ukraine 確認日:2026-09-22
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