ウクライナの働き方を「国民性」で説明しないために——採用と発注で確認する八つの項目
ウクライナの人材と協業するとき、判断に効くのは国籍ではなく、契約書に書ける項目です。ウクライナ国内で併存する三つの就業の枠組み、知的財産が何も書かなければどちらに帰属するか、全面侵攻後に必要になった稼働と連絡の取り決め、そして日本側で専門家の確認が要る点を、一次資料にあたって整理します。
採用や発注を検討していると、国籍を主語にして能力や気質を説明する文章に出会います。読んだ直後は何かが分かった気になりますが、契約書には一行も書けません。この記事は、その代わりに何を確認すれば判断できるのかを並べます。確認する項目は、相手の国籍によって変わりません。変わるのは、どの国の制度を調べるかだけです。
「国民性」が判断材料にならない三つの理由
第一に、母集団が示されません。誰を、何人、いつ測ったのかが分からない記述は、次に会う一人に当てはまるかを確かめようがありません。第二に、外れたときに見直す先がありません。納期が遅れた原因が「気質」なら誰も直せませんが、要件定義の粒度や稼働時間の前提なら直せます。第三に、契約に書けません。債務として書けないものは、守られなくても請求できません。知りたいのは「この案件を、この条件で、この相手が引き受けられるか」であり、これは職務要件と実績と契約条件の問題です。
働く条件は「どの枠組みで契約しているか」で決まる
ウクライナ国内には、就業の枠組みが少なくとも三つ併存しています。2026年9月22日に Дія Сіті(ディーヤ・シティ)の公式サイト city.diia.gov.ua を確認した時点で、同サイトは гіг-контракт(ギグ契約)を紹介しつつ、「ФОП との協業」と「労働法典(КЗпП)に基づく雇用契約」も引き続き利用可能だと記載しています。
ФОП(個人事業主)と契約する場合
ФОП は фізична особа — підприємець、個人事業主のことです。ウクライナ民法典50条は事業活動に国家登記を要求し、52条は、個人事業主が事業活動に関連する債務について、法律上差押えが禁じられた財産を除く全財産をもって責任を負うと定めています。相手が個人か法人かで、責任財産の範囲が変わります。
Дія Сіті のギグ契約による場合
2021年7月15日の法律1667-IX「ウクライナにおけるデジタル経済の発展促進について」が定める枠組みです。гіг-контракт は цивільно-правовий договір、つまり民事法上の契約で、労働法典は適用されません。同法17条は「民事法上の契約は、まさに гіг-контракт を締結する旨が明記されていなければ гіг-контракт とはみなされない」と定めます。21条1項は作業時間を1日8時間・週40時間を超えないものとしています。
この枠組みを使えるかは企業規模にも左右されます。同法5条は резидент Дія Сіті の要件として、従業員およびギグ専門家への平均月額報酬が公式レートで1,200ユーロ相当以上、平均人員9人以上、適格所得が総所得の90%以上であることを挙げています(新興企業には緩和規定があります)。小さなチームか、この要件を満たす会社かで、選べる契約形態が違います。
税率と社会保険料は改正されます。2026年9月22日に city.diia.gov.ua を閲覧した時点では、個人所得税5%、軍事税5%、統一社会拠出金は最低賃金の22%と表示されていました。同サイトの表示であって、個別の案件の税負担がその通りになるとは限りません。契約前に現行制度を確認してください。
知的財産は「何も書かなかったらどうなるか」が枠組みごとに違う
法律1667-IX の24条は、гіг-контракт の履行に関連してギグ専門家が創作した客体の知的財産権(財産的権利)は резидент Дія Сіті に帰属すると定めます。一方、2022年12月1日の法律2811-IX「著作権および関連する権利について」の15条2項は、注文により創作された著作物の財産的権利が、注文契約に別段の定めがない限り創作の時に全部が注文者へ移転すると定め、14条2項は職務著作物の財産的権利が創作の時に使用者へ移転すると定めます。
いずれも「契約に別段の定めがなければ」という条件つきの既定値です。どの国の法が準拠法になるかは契約で決まります。準拠法と裁判管轄、納品物の定義、第三者の著作物(オープンソースのライセンスや生成AIの出力を含む)の扱いは、契約書に明文で書く必要があります。国境をまたぐ契約での有効性は事案ごとに違うため、弁護士の確認を前提にしてください。
2022年2月24日以降に増えた取り決め
ロシアによるウクライナへの全面侵攻のあと、発注側が契約書に書く項目が増えました。国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)が2026年6月29日に公表した報告(対象期間2025年12月1日〜2026年5月31日)によると、2025年10月から2026年3月までに、ロシア軍は発電・送電・配電の施設を少なくとも423回攻撃しました。報告はこの数字を、OHCHRが独立した情報源で検証できた件数であり、ウクライナ当局はこれより多い件数を報告している、と注記しています。計画停電はキーウとヘルソンで最大22時間に達し、2026年1月の1日あたり平均は最大16時間でした。
もう一つは人員の継続性です。最高会議(ウクライナ議会)の公式サイトによれば、2026年7月14日に戒厳令の延長を承認する法律が可決され、期間は2026年8月2日5時30分から90日間とされました。総動員の延長も法律で承認されています(たとえば2026年1月14日採択の法律4758-IX)。交代要員の確保や国外出張の可否は、この影響を受けます。
停電や通信の途絶が起きたときに双方が同じ手順を取れるよう、次の四つを書きます。
- 稼働保証の定義。何を「稼働した」と数えるか。発電機や衛星通信を前提に含めるか、費用は誰が持つか
- 連絡が取れなくなった場合の手順。何時間で、誰が、どの代替経路に切り替えるか
- 成果物の保管場所。リポジトリとバックアップの所在、権限を持つ人、退避時のアクセス手段
- 不可抗力条項の範囲と再交渉の条件。停電や空襲警報を不可抗力に含めるのか、稼働時間の調整で吸収するのか
日本側で確認すること(いずれも専門家の確認が前提)
制度の当てはめは個別判断です。以下は調べ始める入口として挙げます。
- 支払経路:財務省は外国為替及び外国貿易法に基づく資産凍結等の措置の対象者リストを公表しています(2026年9月10日現在の版を確認)。送金先と経由銀行を照合します
- 租税条約:財務省の発表によれば、日本とウクライナの新租税条約は2024年2月19日に署名、2025年8月1日に発効し、日本では2026年1月1日以後に開始する各課税年度の租税から適用されます(1986年発効の旧条約の全面改正)
- 源泉徴収:国税庁のタックスアンサーNo.2884は、非居住者等に対し日本国内で源泉徴収の対象となる国内源泉所得を支払う者は原則として源泉徴収しなければならないとしています。どの支払が国内源泉所得に当たるかは個別の事実関係によります
- 国内の取引ルール:フリーランス・事業者間取引適正化等法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)が2024年11月1日に施行され、発注事業者に取引条件の明示や期日における報酬支払などの義務があります。国外の受託者に及ぶかは本稿では確認できていません
- 指揮命令の範囲:業務委託として契約しながら、実態として日々の指示や勤怠の管理を行えば、契約形態と実態が食い違います。どの法域でどう評価されるかは事案によります
確認する八つの項目
- 職務要件:担当する範囲、使う技術、相手が自分で判断してよい範囲、レビューする人。書けないなら、まだ発注できる状態ではありません
- 実績:過去に出した成果物そのもの。リポジトリ、稼働中の製品、読める設計文書。評価の言葉ではなく、確認できる物を見ます
- 契約形態:雇用か業務委託か、個人か法人か、どの枠組みか。責任財産の範囲も適用される法律も変わります
- 稼働時間:時間帯、日本側と重なる時間、応答の期限。Дія Сіті のギグ契約には1日8時間・週40時間の上限があります
- 指揮命令の範囲:誰が何を指示してよいか。曖昧にすると契約形態と実態が離れます
- 知的財産の帰属:何も書かなかったときの既定値、準拠法と裁判管轄、第三者の著作物と生成AIの出力の扱い
- 機密保持:対象の定義、期間、再委託の可否、作業端末と保存場所の条件
- 支払経路:通貨、着金までの経路、手数料の負担、制裁対象者リストとの照合、源泉徴収の要否
国籍で変わるのは、調べる制度だけ
八つの項目は、どれも相手の国籍を知らなくても書けます。国籍で変わるのは、どの民法を読み、どの税制を確認し、どの公式サイトで現行の要件を調べるか、という調査先だけです。国籍を主語にした説明の問題は、それが間違っていることではなく、調べなくてよい理由として働いてしまうことです。
出典・参考資料
- Закон України «Про стимулювання розвитку цифрової економіки в Україні» № 1667-IX(2021年7月15日、2025年8月28日改正版。5条・17条・21条・24条を確認)
発行:Верховна Рада України 確認日:2026-09-22 - Цивільний кодекс України(50条・51条・52条を確認)
発行:Верховна Рада України 確認日:2026-09-22 - Закон України «Про авторське право і суміжні права» № 2811-IX(2022年12月1日。14条2項・15条2項を確認)
発行:Верховна Рада України 確認日:2026-09-22 - Дія Сіті 公式サイト(レジデント数・税率の表示、ФОП/гіг-контракт/трудовий договір の併記を確認)
発行:Міністерство цифрової трансформації України 確認日:2026-09-22 - Attacks against Ukraine’s Energy Infrastructure and Update on the human rights situation in Ukraine, 1 December 2025 – 31 May 2026(2026年6月29日公表。PDF本体で本文パラグラフ19・24および脚注8を確認)
発行:UN Human Rights Monitoring Mission in Ukraine(OHCHR) 確認日:2026-09-22 - Attacks against Ukraine’s Energy Infrastructure...(同報告のウェブ版。公表日と対象期間を確認)
発行:UN Human Rights Monitoring Mission in Ukraine(OHCHR) 確認日:2026-09-22 - Строк дії воєнного стану в Україні продовжено: Верховна Рада затвердила Указ Президента(2026年7月14日可決、2026年8月2日5時30分から90日間)
発行:Верховна Рада України 公式ポータル 確認日:2026-09-22 - Про затвердження Указу Президента України «Про продовження строку проведення загальної мобілізації» № 4758-IX(2026年1月14日採択)
発行:Верховна Рада України 確認日:2026-09-22 - ウクライナとの新租税条約が発効します(2025年7月2日付、発効日と適用開始時期)
発行:財務省 確認日:2026-09-22 - ウクライナとの新租税条約が署名されました(2024年2月19日付、署名日と旧条約との関係)
発行:財務省 確認日:2026-09-22 - タックスアンサー No.2884 非居住者等に対する源泉徴収・源泉徴収の税率
発行:国税庁 確認日:2026-09-22 - フリーランスの取引適正化に向けた公正取引委員会の取組(法律の正式名称、2024年11月1日施行、発注事業者の義務)
発行:公正取引委員会 確認日:2026-09-22 - 経済制裁措置及び対象者リスト(令和8年9月10日現在)
発行:財務省 確認日:2026-09-22
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