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Ukrainavi Ukrainavi

日本とのつながり/解説

核兵器が残る新しい国と、日本はどう国交を結んだのか

日本がウクライナを国家として承認したのは1991年12月28日、外交関係を開いたのは翌年1月26日です。当時のウクライナには旧ソ連の戦略核兵器が残っていました。国会の議事録と外交青書から、承認のときに日本が求めたこと、キーウに大使館が開くまでの1年、核兵器の廃棄への協力、1995年の大統領来日までをたどります。

オリュカのひとこと

国家承認、外交関係の開設、大使館の開館。三つの日付のあいだに何があったのか、議事録から読みましょう。

外務省の「ウクライナ基礎データ」(2026年9月3日付)には、日本とウクライナの関係の始まりが3行で書かれています。国家承認は1991年12月28日、外交関係の開設は1992年1月26日、在ウクライナ日本大使館の開館は1993年1月。在京ウクライナ大使館の開館は1994年9月です。

この日付の並びは、日本とウクライナの年表でも扱っています。この記事で見たいのは、日付と日付のあいだです。承認のとき日本は何を求めたのか。キーウに大使館が開くまでに何があったのか。独立したばかりのウクライナの領土には旧ソ連の核兵器が残っていましたが、日本はそれをどう見ていたのか。当時の国会の議事録と外務省の外交青書を中心に追います。

1991年12月、ロシアを除く10か国の承認

外務省の外交青書(平成4年版)は、ソ連の崩壊を受けた日本の対応をこう説明しています。日本は、ロシアと新たに独立したウクライナなど11か国との間で新しい関係を築く必要が生じた。そこで12月に、ロシア以外の10か国(グルジアを除く)を独立国家として承認し、1992年9月までにこれらの国と順に外交関係を開いた。

ロシアが承認の対象に入っていないのは、外交青書によれば、ロシアを「ソ連と継続性を有する同一の国家」と位置づけたためです。ウクライナは、ソ連を引き継ぐ国ではなく、新しく生まれた国として承認されたことになります。

承認は、無条件の歓迎だけではありませんでした。1992年2月27日の参議院外務委員会で、政府委員の兵藤長雄氏は、各共和国を国家承認した際に、軍備管理・軍縮の義務を誠実に実施することなど、日本側の懸念をそれぞれに申し入れたと答弁しています。

1992年1月26日、「ウクライナ等五共和国」

外交関係の開設について、宮澤喜一総理は1992年1月28日の衆議院本会議でこう述べました。

一月二十六日には、ウクライナ等五共和国との外交関係を樹立いたしました。残る諸国につきましても、順次条件が具備し次第関係を樹立していく考えでございます。

宮澤喜一内閣総理大臣の答弁、1992年1月28日 衆議院本会議(国会会議録検索システム)

同じ答弁で宮澤総理は、旧ソ連の構成国に日本が確保を求めることとして、改革路線の推進、条約その他の国際約束に基づく義務の誠実な遵守、核兵器の一元的かつ厳格な管理、旧ソ連の債務の承継を挙げています。翌29日の本会議でも、旧ソ連の構成国との新しい関係を発展させるうえで、核兵器の一元的・厳格な管理の義務の実施などを強く申し入れていると述べました。

オリュカのひとこと

当時、旧ソ連の戦略核兵器が置かれていたのはどの国でしょうか。本文で確かめましょう。

戦略核兵器が置かれていた4か国

日本がとりわけ注意を向けていたのが核兵器です。1992年2月26日の衆議院外務委員会で、兵藤政府委員は、戦略核兵器が配備されている共和国はロシア連邦とベラルーシ、ウクライナ、カザフの四つだというのが日本政府の理解だと説明しました。そのうえで、ウクライナとベラルーシについては大統領自身から非核政策の意図が示され、核不拡散条約(NPT)への署名の話も出ている、と答えています。

同じ委員会で兵藤政府委員は、これらの国が独立した結果、それまでソ連という一つの領域にあった核兵器が「たまたま引き続き存続させる結果になった」のであって、ロシアの核兵器が新しい国家に配備・拡散されたという図式ではない、とも述べています。政府委員の丹波實氏は、ベラルーシやウクライナは非核国としてNPTに加わると明らかにしているので、加盟の時点でNPT上の違反は生じない、という考え方を示しました。

日本はその後、核兵器の廃棄そのものに協力します。外務省の外交青書(平成7年版)の資料編によれば、「ウクライナにおいて削減される核兵器の廃棄に係る協力及びこの協力のための委員会の設置協定」が1994年3月11日に発効しました。同じ日に、カザフスタンとの同じ趣旨の協定も発効しています。その1週間前の3月4日、羽田孜外務大臣は衆議院本会議の外交演説で、旧ソ連の核兵器廃棄のための協力を続けるとともに、ウクライナの非核化に向けた働きかけも強めていくと述べていました。独立後のウクライナと核兵器の経緯は、クリミア移管から核兵器の放棄まで、戦後ウクライナの半世紀で扱っています。

兼館の予定から、1年後の開館へ

外交関係を開いても、すぐにキーウに日本の大使館ができたわけではありません。1992年3月27日の参議院本会議で大鷹淑子議員が行った外務委員会の審査報告によれば、このとき審議された法律案は、旧ソ連の構成国の独立に伴い、バルト三国、ウクライナなど13か国に大使館を新設し、在ソ連邦大使館の名称を在ロシア大使館に改めるものでした。委員会では「当面兼館とされる新設大使館の実館化の見通し」も質疑され、法律案は全会一致で可決すべきものとされています。兼館とは、ほかの国にある大使館が兼ねて担当する形です。

その前日の参議院外務委員会では、ウクライナに実館を置く計画はないのかという質問に、兵藤政府委員が、ウクライナは人口などからみても圧倒的に重要で、旧ソ連の共和国のなかでは中央アジアのカザフスタンと並んで優先的に実館の設置を考えたいと答えました。同じ日、兵藤政府委員は、米国がすでにウクライナに大使館を開き、英国・フランス・ドイツ・カナダなどが総領事館を大使館に格上げする手はずを整えていると説明しています。

実際にキーウで大使館が開いたのは、1993年1月です。1993年1月22日の外交演説で、渡辺美智雄外務大臣は「今般、ウズベキスタン、カザフスタン、ウクライナには大使館を、ベラルーシには駐在官事務所を開設いたしました」と述べています。4月22日の参議院大蔵委員会では、外務省の小町恭士氏が、補正予算で認められたウクライナ、カザフスタン、ウズベキスタンの大使館を1月の末に開設したと答弁しました。

開いたばかりの大使館には、言葉の問題もありました。1993年3月29日の参議院外務委員会で、政府委員の野村一成氏は、新たに開いた旧ソ連諸国の大使館について、カザフ語やウズベク語の要員は養成しておらず、館の業務や相手国との接触は共通語のロシア語で行っているのが実情だと答え、長い目で見れば要員の養成を考えなければならないと述べています。この答弁は旧ソ連諸国の公館全体についてのもので、ウクライナ語の要員に触れたものではありません。

条約の引き継ぎと、1995年の大統領来日

もう一つの課題は、日本がソ連と結んでいた条約の扱いでした。1992年4月14日の衆議院決算委員会で、外務省の須藤隆也説明員は、ロシアとはソ連とのすべての条約が引き続き有効だとの認識で一致しているが、ほかの共和国とは個別の条約の承継のあり方を各国と協議する必要があり、先方の外交体制が整っていないこともあって、まだ結論に至っていないと答弁しています。ウクライナについて、日ソ間で結んだ条約の承継を確認したのは1995年3月です(外務省「ウクライナ基礎データ」)。

同じ1995年3月、レオニード・クチマ大統領が来日しました。外交青書(平成8年版)によれば、日本はクチマ大統領の訪日を実現し、村山富市総理がウクライナの経済改革への支援を表明するとともに、両国の今後の基本的な関係の枠組みについての共同声明を発表しました。4月25日の参議院外務委員会で野村政府委員は、ウクライナを地政学的に重要な国であり、核兵器がまだ大量に存在する国であり、チョルノービリ型の原発をどうするかという課題を抱えた国だと説明し、大統領を公式訪問に招いて支援の表明をしたと述べています。

年月日出来事確認した資料
1991年12月ロシアを除く旧ソ連10か国(グルジアを除く)を国家承認。ウクライナは12月28日外交青書(平成4年版)、ウクライナ基礎データ
1992年1月26日ウクライナなど5共和国と外交関係を樹立宮澤総理の答弁(1月28日)、ウクライナ基礎データ
1992年2月26日政府が国会で、戦略核兵器のある共和国をロシア、ベラルーシ、ウクライナ、カザフと説明衆議院外務委員会の議事録
1992年3月ウクライナなど13か国に大使館を新設する法律案を審議(当面は兼館)参議院本会議・外務委員会の議事録
1993年1月キーウに日本大使館が開館渡辺外務大臣の外交演説、ウクライナ基礎データ
1994年3月11日ウクライナで削減される核兵器の廃棄に係る協力の協定が発効外交青書(平成7年版)資料編
1994年9月東京にウクライナ大使館が開館ウクライナ基礎データ
1995年3月クチマ大統領が来日。共同声明。日ソ間の条約の承継を確認外交青書(平成8年版)、ウクライナ基礎データ
2026年9月に確認。国会での発言は国立国会図書館の国会会議録検索システムによる。

独立から3年あまりのあいだに、日本とウクライナの関係は、承認、国交、大使館、条約の承継と一つずつ形を整えていきました。そのあいだずっと、ウクライナの領土にあった核兵器が、日本政府の関心の中心の一つでした。

出典・参考資料

  1. ウクライナ基礎データ(令和8年9月3日付。国家承認日・外交関係開設日・大使館の開館・要人往来・二国間条約・取極)
    発行:外務省 確認日:2026-09-24
  2. 外交青書(平成4年版)第3章第4節 旧ソ連(10か国の国家承認と外交関係の開設)
    発行:外務省 確認日:2026-09-24
  3. 外交青書(平成7年版)資料編「94年に発効した主な条約その他の国際約束」(ウクライナとの核兵器廃棄協力の協定の発効日)
    発行:外務省 確認日:2026-09-24
  4. 外交青書(平成8年版)「NIS諸国」の項(クチマ大統領の訪日と共同声明)
    発行:外務省 確認日:2026-09-24
  5. 第123回国会 衆議院本会議 第2号(1992年1月28日、宮澤喜一内閣総理大臣の答弁)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24
  6. 第123回国会 衆議院本会議 第3号(1992年1月29日、宮澤喜一内閣総理大臣の答弁)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24
  7. 第123回国会 衆議院外務委員会 第2号(1992年2月26日、兵藤長雄・丹波實政府委員の答弁)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24
  8. 第123回国会 参議院外務委員会 第1号(1992年2月27日、兵藤長雄政府委員の答弁)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24
  9. 第123回国会 参議院外務委員会 第2号(1992年3月26日、兵藤長雄政府委員の答弁)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24
  10. 第123回国会 参議院本会議 第7号(1992年3月27日、大鷹淑子議員による外務委員会の審査報告)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24
  11. 第123回国会 衆議院決算委員会 第3号(1992年4月14日、須藤隆也説明員の答弁)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24
  12. 第126回国会 衆議院本会議 第1号(1993年1月22日、渡辺美智雄外務大臣の外交演説)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24
  13. 第126回国会 参議院外務委員会 第2号(1993年3月29日、野村一成政府委員の答弁)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24
  14. 第126回国会 参議院大蔵委員会 第5号(1993年4月22日、小町恭士氏の答弁)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24
  15. 第129回国会 衆議院本会議 第7号(1994年3月4日、羽田孜外務大臣の外交演説)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24
  16. 第132回国会 参議院外務委員会 第10号(1995年4月25日、野村一成政府委員の答弁)
    発行:国立国会図書館 国会会議録検索システム 確認日:2026-09-24

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